東海道バーチャルトリップ

52)右曲地点:住宅の先、右手、徒歩79分、道路北側

旧道は此処で右に折れます。路面には、黄色い色も窺えます。これは旧道の表示でしょう。

53)左折地点/突当丁字路:右曲の先、左手、道路西側

右に曲がると、丁字路に突当ります。正面は西之丸外堀です。
写真は左から順に、築造技術説明板、亀山城西之丸外堀金属柱、堀に降りる為の階段、亀山城西之丸と外堀説明板です。以前は堀に水が張られていた様ですが、事故を心配してか?水は抜かれていました。

54)西之丸外堀築造技術説明板/外堀:敷地奥

説明板には説明文と、2枚の写真が貼られています。左が出土した外堀の基礎構造体で、右がBの割竹の編み込みです。説明文には、
亀山城西之丸外堀は、寛永13年(1636)に亀山城主となった本多俊次により、同16年から3ヵ年かけて行われた亀山城修築の際に築かれたとされます。江戸時代の絵図には石垣を示す表現はなく、すべて土造りの空掘か水堀であったと推測されます。
また、天保3年(1832)から10年の間に西之丸外堀の改修が行われた記録が残っています。今回の西之丸外堀復元に伴い平成21年度に行った発掘調査で、外堀の基礎とみられる構造体が確認されました。また、同年実施の亀山中学校改築工事に伴う
西之丸発掘調査においても、同様の外堀基礎構造体が確認され、外堀の築造方法が明らかになりました。ここでは、比較的遺り具合のよかった亀山中学校内で確認された例をもとに説明します。

【堀の築造方法】、水堀の基底部分については、次の@からEのように丸太材と杭を組み合わせた木組みを用いた大掛かりな基礎工事を行っていることが判明しました。
@堀となる部分を大きく掘り下げる
A堀の肩となる部分に直径15cm、長さ1.2mほどの丸太を、約40cmの間隔で1列に打ち込む。
B杭列に割竹を交互に通して網み込み、杭を固定する。
C杭列に、直径40cm、長さ5mほどの松の丸太材(胴木)を横向きに据える。
D斜面に沿ってAからCによる木組みをさらに2組設ける。4段目は杭列のみで丸太材(胴木)は無いと思われる。
E堀底を一番下の胴木まで粘土で埋め、さらに木組みと斜面全体を粘土で覆う。
今回発見された木組み構造は、水堀側面の崩壊防止の役割を担っていたと考えられ、亀山城の水堀の築造方法として初めて確認できたものです。また、これまでの亀山城跡の空堀の発掘調査では、このような工法は確認されていません。
近世城郭について、石垣は様々な調査研究事例が蓄積されつつありますが、土居については未解明の部分も多く、城郭築造に関する技術的な解明という点で、亀山市のみならず全国的にも重要な資料といえます、とあります。
技術は使用しなくなると、失われてしまうのでしょう。(苦笑)

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