東海道バーチャルトリップ

67)油山寺道標:道標の先、右手、徒歩275分、道路北側

油山寺道標ポストと石碑が有ります。ポストには、明治三十七(一九〇四)年建立「あぶら山ミち二十七丁」とあります、と記されています。

68)隷書東海道版画高札:道標の先、左手、徒歩279分、道路南側

高札の右側には説明文が、左側には版画が描かれています。説明文には、
題字が隷書体で書かれているためこの名がある。大きな唐獅子牡丹の角凧と鶴に松を描いた丸凧が上がっている。右下に「名物遠州だこ」と記されているように、田園風景と凧の取り合わせは、
遠州地方を代表する初夏の風物だったのであろう、とあります。丸清版で、こちらの方が凧が大きく描かれています。

69)七ツ森神社:(昼食休憩後)、右手、徒歩316分、道路北側

クリーム色をした額付鳥居の右手前には社碑と、左手前には茶色い七ツ森(式内郡辺、しきないこおりべ)神社ポスト、史跡七ツ森神社立札が有ります。
ポストには、久野城見ゆ→1.1km、本殿裏から戦国時代の城跡、久野城がとてもきれいに見えます、と有ります。この久野城は東名高速の北に在ります。また立札には、

七ツ森は田圃の真ん中に残る七つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿猴庵(こうりきえんこうあん)が天明六年(一七八六)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七ツ森神社です。この七つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。
神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られ、周辺に九努、久野、久能そして国本などの地名が見られます。九努国造の名を記した扁額が治められていたり、
七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は九努国造にゆかりの深い場所であったと考えられます、とあります。

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