東海道バーチャルトリップ

19)掛川城大手門番所:三光稲荷の先、大手門の裏に、徒歩23分

建物の手前に掛川城大手門番所(掛川市指定文化財)説明板が有ります。説明板には、
大手門番所は、城の正門である大手門の内側に建てられ、城内に出入りする者の監視や警護をする役人の詰所、嘉永七年(一八五三)の大地震で倒壊し、安政六年(一八五九)に再建された、
大手門に付属した番所が現存するのは全国的にも珍しく、昭和五十五年(一九八〇)市の文化財に指定、本来の位置から約五十メートル北に大手門を復元することにともない、それに合わせて番所を配置し、とあります。

20)掛川城大手門礎石根固め石/大手門:門の裏、右側

掛川城大手門礎石固め石の実物と、同立札が有ります。立札には、
掛川城大手門は、二層式の櫓門(楼門)でした。大きくて重量のある門ですから、基礎工事に工夫、12個の内の一つ、直径2m深さ1m50cmくらいの大きな穴に、40cm前後の川原石を円形に4〜5段積み重ね、
その上に門柱の礎石が置かれていた、とあります。模型よりも立札の説明文の方が理解が早いのは、問題です。(苦笑)

21)城主歴代札/大手門:根固め石の手前

根固め石の手前に、城主歴代と記された欄干に、計16枚の名札が貼られています。右から順に、
朝比奈備中守泰〇(臣+巳+点4つ)他二代、石川日向守家成他一代、山内対馬守一豊、松平隠岐守宣勝他一代、安藤帯刀直次、松平越中守宣綱、朝倉筑後守宣正、青山大蔵少輔幸成、
松平大膳亮忠重他一代、本多能登守忠義、松平伊賀守忠晴、北条出羽守氏重、井伊兵部少輔直好他三代、松平遠江守忠喬、小笠原壱岐守長〇(臣+巳+点4つ)他二代、太田備中守資俊他六代、です。
ガイドも、わざわざ礎石を隠す様な位置に置かなくても、とは思います。
この城主歴代札が此処に置かれた理由についてですが、Wikiには「上野館林藩より五万石で太田資俊が入り、ようやく藩主家が安定した。」とあります。つまりは、治世に問題が有った訳です。

→次の頁