東海道バーチャルトリップ
22)大手門周辺:
写真の大手門は表側(南側)から撮っています。門の裏、左側には門のニ階に昇る為のかなり急な木製階段が掛けられており、「この階段は使用できません」の札が貼られています。
また門の正面右側には、掛川城大手門の復元について説明板が置かれています。その手前には2基のスポットライトと、その下に掛川城大手門、大手門番所道標が有ります。
23)掛川城大手門の復元について説明板:門の右手前
説明板には、天正十八年(一五九〇)より慶長五年(一六〇〇)まで在城した山内一豊が中町に開かれた松尾口の大手筋を連雀町に移して大手郭を造り、その正門として設けた、
冠木下の高さが十四尺六寸(約四・四米)もあるのは乗馬のままで通行出来るため(天井が高いのはこのせい)、嘉永の地震(一八五四)で倒壊し安政五年に再建、
明治になって廃城、民間に払い下げられ火災に遭い焼失、元の位置は連雀町裏の堀を渡ったところ(交差点南、道路表示部分)で、区画整理事業により基礎の根固石を発掘調査、
止むなく五十米北側に創建当時の姿に復元、とあります。オフセットしたのは、通行の確保の為でしょう。
24)掛川城大手門跡ブロンズ製案内板:門の手前、左側歩道、徒歩35分、道路北奥
大手門が元有った場所を示しています。確かに豪華ですが、見えにくいのが難点。別の素材に変更した方が良いでしょう。説明文を読むと、
掛川城大手門跡、大手門は、城の正門にあたります。平成5年(1993)に行われた発掘調査では、掛川城大手門の柱の礎石根固めの石(12カ所)、番所跡、土塀の石垣を確認しました。これらの配置は、
正保城絵図のとおりであることがわかりました。平成7年(1995)、大手門と番所は、周辺の区画整理により50m北に復元されました。これらの遺構の位置を明らかにするため、道路と歩道上に根固め石と
番所跡の一部を表示しました。礎石根固めの石:礎石の沈下を防ぐために、30〜70cm大の石を地中に埋めたもの、とあります。
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