東海道バーチャルトリップ
22)なごみ桜/大木神社:忠魂碑の先、参道左手、道路西奥
忠魂碑の先、参道左手に、なごみ桜が在ります。木の根元にはなごみ桜、令和記念植樹、寄贈和み会、とあります。向いの参道右手には、掲示板が有ります。
23)川北元助翁頌徳碑説明板と同碑、大木神社の椎の森説明板、大木神社説明板、ポール/大木神社:なごみ桜の先、参道正面、道路西奥
なごみ桜を過ぎると参道は突当り、左折する様に成ります。参道正面には右側から順に、川北元助翁頌徳碑説明板と同碑、大木神社の椎の森説明板、大木神社説明板とポールが在ります。
頌徳碑説明板の説明文には、翁は弘化三年六月十二日鈴鹿郡石薬師村の農家に生まれた。当時村内大小の橋梁は木橋または土橋であったので朽ちたり洪水で流失したりして困難することが多かった。翁はこれらの橋を石橋にかけ替えて
永久に世人の難儀を除きたいと決意し明治四十二年より大正三年二月、上田通りの橋梁二ヶ所を完成するまで大小七十余ヶ所の橋梁をことごとく石橋にかけ替え、その徳行は永く後人を潤した。大正十一年二月十日没、とあります。
椎の森説明板の同文には、昭和五十四年六月一日、鈴鹿市指定天然記念物、この椎の森は当大木神社境内約一ヘクタールに巨木が群生しているもので、市内では他に類を見ることができない。この椎は、ブナ科のスダジイで樹皮に縦の裂け目
があり秋にはたくさんの実をつける。平成十六年一月、鈴鹿市教育委員会、とあります。
また大木神社説明板の同文には、この神社は式内社(しきないしゃ)といって由緒のあるお宮さんです。式内社とは延喜年間(九〇一〜九二二)の時代に、すでに存在していた神社のことです。正式には「延喜式内社」といいます。大木神社は
地域の氏神(鎮守の神)であり、この地で生まれた人の土地の守り神(産土神、うぶすながみ)です。江戸時代頃から氏神も産土神も同じ意味に使われるようになりました。大木神社には天照大神ほか九柱の神様がおまつりされています。
平成十八年十二月、石薬師地区明るいまちづくり推進協議会、とあります。
ガイドは此処を左折して、大木神社に向かいます。
24)ポール一対/大木神社:参道を左折すると、参道正面、道路西奥
ポールの左手前には歌碑(写真左側の石)が、右手前には大木神社説明板が在ります。ポールを過ぎると、参道左手には東海道石薬師、延喜式内大木神社ご由緒高札が在ります。
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