医療と医術

戦争行為には必要不可欠なこの医学ですが、残念ながらCivでは全く触れられていません。(残念!、笑)
この医学は内科と外科などから成りますから、内科は4)飲水と飲食、排便、外科は11)手足とその力学的な出力に関係します。勿論診察、診断も有りますので、5)目と光にも関係する総合的な施術です。(笑)

Wikiで「医療」を調べると「医療」ページが、「医術」を調べると「医学」ページがヒットします。まずは「医学」ページから。

1)医学(いがく、英:medical science、medicine)または医科学(いかがく、英:medical science)とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である。
2)主流の医学は生物医学または主流医学、西洋医学などと呼ばれる。
3)医学は、病気の予防および治療によって健康を維持、および回復するために発展した様々な医療を包含する。
  →「医療」も参照

4)概説
5)語源:
6)「醫學」という言葉は、中国では明の政権が安定する15世紀頃から、よく用いられるようになり、「醫學○○」という書物が多数見られるようになった。
ですから、かなり新しい言葉です。
7)仏教圏において、「医」の象徴として薬師如来が知られていることからも判るように、「医」は元々は漢方等の「薬」を扱っていた者によって行われていた。
8)古代中国においては、「医」は主に道士や法師等によって営まれ、宗教と密接に繋がっている。
9)伝統中国医学は、単に「医」または「医方」と呼ばれており、勘と経験に頼る部分が非常に大きかったが、明時代になると、鍼灸だけでなく、漢方薬においても、中国の根本的な理論である陰陽五行思想や経絡理論など、
  理で固めるようになり、理論的・学問的な色彩が強くなった。
10)それを強調するために、あえて「醫學」という言葉が用いられるようになったのである。

11)また、「医学(醫學)」という言葉は、明治時代に「medicine(英語)」や「Medizin(ドイツ語)」などを翻訳する時に作られた造語(和製漢語)のひとつ、とする説もある。
12)様々な医学:
13)まず世界全体の医学を概観すると、世界各国には様々な医学があり、例えば、中国伝統医学、イスラーム医学、西洋医学 等々がある。
14)ギリシャ医学、ユナニ医学(イスラム医学)、中国医学、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)、チベット医学など、歴史が長い医学を、まとめて伝統医学と呼ぶことがある。
15)なおこれらの伝統医学は各地で現在でも用いられており、現役の医学である。

16)歴史:
17)エジプトのパピルスの中に「現存する最古の医学書」と言われているものがあり、そこには紀元前3世紀のエジプトにおいてすでに「外傷者に対しては、まず質問検査、機能試験、診断、治療」と記述されており、
   現代と変わらない診療手順を行ったことが明らかになっている。
これは古代人を侮れない、立派な証拠です。
18)医学は歴史をふりかえると経験医療(経験的医療)として存在していた。
19)他の各学問が成熟してゆく中で医学も独自性を持った学問として発展し、(西洋では)「人体の研究と疾病の治療・予防を研究する学問」とされた。

20)(西洋医学は20世紀に医学を「人間の疾病に関することを取り扱う学問」などとしつつ疾病にばかり着目し他の面を見落としたり、人間をただの物体のように扱う傾向があり、それが諸問題を引き起こす結果を招いたが、反省が始まり)、
   近年では(西洋医学も)「人間を生理的・心理的かつ社会的に能動的ならしめ、できるかぎり快適な状態を保たせる研究」として機能や社会的な面についても見落とさないようにする立場に変わりつつある。
   →詳細は「医学史」を参照
「医学史」ページを覗いてみましたが、こちらの方が面白そうです。そこで、ページを乗換える事にします。

1)医学史(いがくし)とは、医学に関する歴史である。このページでは、西洋を中心に医学の歴史を説明する。薬の歴史は薬学史・薬草を参照。
2)各地の医学史
3)先史時代の医学:→詳細は「en:Prehistoric medicine」を参照
4)薬効目的の植物(薬草)が最初に用いられた時期を特定する記録はない。おそらく人類が文字を用いる以前から薬草は用いられていたとも考えられている。
5)長い年月にわたる試行錯誤の末、世代を通じた知識が部族社会の文明として集積され、シャーマンが治癒の専門職として機能した。
薬効の判定は、かなり難しそうです。人類は水銀など、体に有毒な物質も服用して来ました。

6)エジプト医学:→詳細は「古代エジプト医学」を参照
7)3千年の歴史の中で、古代エジプトは巨大で多岐にわたる豊かな医学の伝統を作り出した。
8)歴史家ヘロドトスはエジプト人を指して「すべての人間の中で、リビア人の次に最も健康だ」と表現した。
9)これは乾燥した気候と、すぐれた公衆衛生のシステムのためだった。
10)ヘロドトスによれば、「医学の技術は、一人の医者は一つの病気だけを治療する、というほどに専門化されている」という。
11)ホメーロスは『オデュッセイア』の中でエジプトを「実り豊かな地球が、薬を最も多く貯蔵する」地で、エジプトでは「全ての人が医者」だと述べた。
12)かなりの部分が超自然現象を扱っていたとはいえ、エジプト医学は最終的に、解剖学・公衆衛生・臨床診断の領域で実用的な手法を開発した。
ミイラを作るという事は、それだけ医学も発達していたのでしょう。

13)エドウィン・スミス・パピルスに収録された医学知識は紀元前3000年頃のものとも言われている。
14)知りうる限りエジプト最古の外科手術は、紀元前2750年に行われた。
15)エジプト第3王朝のイムホテプは、古代エジプト医学の設立者、および療法・慢性病・解剖学についての所見を記したエドウィン・スミス・パピルスの原典の編纂者とも言われている。
16)エドウィン・スミス・パピルスは紀元前1600年頃に書かれた、いくつかの先行する研究の複写だと考えられている。
17)古代の外科教本で、魔術的な思考をほとんど全て排除しており、数々の慢性病の検診・診断・処置・予後について詳述している。
迷信を排除して科学的な立場を取る事は、昔の時代ほど難しかったでしょう。
18)対照的に、エーベルス・パピルス(紀元前1550年頃)には、病気の原因となる、悪霊その他の迷信上の存在を退けるための、まじないや非衛生な対処法が多く記されている。
19)エーベルス・パピルスには、文書として現存する最古の腫瘍の認識記録があるが、古代医学上の誤解もあり、たとえば546節や547節では単なる腫れものと解釈しているようだ。
20)カフン・パピルス(en:Kahun Papyrus)は、妊娠に伴う問題を含む婦人病を扱っている。断片的なものを含め、診断と処置について詳述する34の症例が現存している。紀元前1800年ごろのもので、現存する最古の医学文献である。

21)エジプト第1王朝期には「生命の家(ペル・アンク)」と呼ばれる医療施設が作られていた。
22)第19王朝までに、労働者の中には医療保険・年金・疾病休暇などの福祉を受けられる者もいた。
23)記録上最古の医者も、古代エジプトのものだといわれている。
24)紀元前27世紀、第3王朝ジェセル王の「歯科医と医者の長」と呼ばれたヘシレである。また、記録上最古の女医は、「女医の女性監督者」の称号を与えられた第4王朝時代のペセシェトである。
25)監督者としての立場に加え、ペセシェトはサイス(古代エジプトの都市)の医学校の助産科を卒業した。

26)バビロニア医学:→詳細は「en:Babylonian medicine」を参照
27)バビロニアの医学の記述は、紀元前2千年紀前半のバビロン第1王朝までさかのぼる。
28)しかし最も広範なバビロニアの医学文献は、アダド・アプラ・イディナ王の治世(紀元前1069年−1046年)の、ボルシッパ(シュメールの都市)のエサギル・キン・アプリ(Esagil-kin-apli) という医師による『診断手引書』である。
29)同時代のエジプト医学と同じく、バビロニア人は診断・予後・診察・処方の概念を取り入れた。
30)これらに加え、『診断手引書』では治療計画、原因療法、経験論の活用、論理学、診断・予後・治療における合理主義などが取り入れられた。
31)また医学上の症候のリストも含まれており、患者の体に表れる症候と診察・予後とを照合する際に使用する理論的なルールとともに、詳しい経験上の観察が多く記されていたる。
32)『診断手引書』は、原則と推測の理論的な組み合わせが基本になっており、患者の兆候に対して検査・視診を行うことで、患者の疾患・病因および見通しや回復の機会を特定できる、という現代的な視点も含まれている。
33)患者の兆候や疾患に対しては、包帯・軟膏・錠剤などの治療法が用いられた。
この医学の問診システムは、種々の用途に応用が出来そうです。(笑)

34)ヘブライ医学:
35)紀元前1千年紀のヘブライ医学についての知見は、主に『旧約聖書』のモーセ五書による。
36)モーセ五書には感染者の隔離(レビ記13章45−46節)、死体を扱った後の洗浄(民数記19章11−19節)、糞便を野営地外に埋めること(申命記23章12−13節)など、様々な健康に関する法・儀式が含まれる。
37)ユダヤ人の信仰上、神の意志を全うするために、これらの儀式や法を守ることが求められ、これにより衛生上の恩恵がもたらされた。
38)マックス・ノイベルガーは、彼の著書 History of Medicine でこう述べている。
39)「要求の内容は、伝染病の予防と抑制、性病と売春の抑制、皮膚の手入れ、入浴、食物、住居と被服、労働規定、性生活、人々の規律などであった。これらの要求の多くは、安息日、割礼、食物についての法(血と豚肉の禁止)、
   月経中・妊娠中・淋病に罹患している女性についての規定、ハンセン病患者の隔離、野営地の衛生、など、気候環境から見ると、驚くほど理性的である」
   (Neuburger: History of Medicine, Oxford University Press, 1910, Vol. I, p. 38 暫定訳)

40)ギリシア医学:→詳細は「古代ギリシア医学」、「ヒポクラテス」、および「四体液説」を参照
41)古代ギリシアの医学は、バビロニア・エジプトの医学の伝統に大きな影響を受けた。
42)病因について様々な考え方があったが、他の地域と同じく、体液の均衡を重んじる医学(体液病理説)が重視された。
外傷の有る場合にはその原因の同定は容易でしょうが、目に見えない体内の事は誤診も多そうです。
43)体にある数種類の体液のバランスがとれていれば健康で、崩れれば病気になると考えられた(四体液説)ため、体液のバランスを整えることで治療が試みられた。
44)古代ギリシア医学で有名なのはコス島のヒポクラテスで、呪術性を排した経験医学の嚆矢であるとされ、「医学の父」と呼ばれる。
45)ギリシア医学は、後に「ヒポクラテス全集(英語版)」としてヒポクラテスの名でまとめられた。これには70編あまりの論文が収録されているが、ヒポクラテスが属したコス派だけでなく、ライバルのクニドス派の論文も収められた。
46)ヒポクラテスの最も有名な文書は、医療倫理・任務などについての宣誓文「ヒポクラテスの誓い」である。
47)後世の作と言われるが、これは現代においても意義があり、また有用である。
これらは科学ではなく、哲学にその起源を求めるのでしょう。つまりは態度であり、真偽は二の次?です。(笑)
48)ヒポクラテスとその弟子は、多くの病気や医学上の状態の記述を残した。
49)肺癌などの慢性肺疾患や、チアノーゼ性心疾患の兆候であるばち指を最初に記述したとされる。
50)このため、ばち指はヒポクラテス指(Hippocratic fingers)と呼ばれることもある。
51)ヒポクラテスは「予後」の中で、ヒポクラテス顔(Hippocratic face, 死相のこと)について記しており、シェイクスピアが『ヘンリー五世』の第2幕第3場で、フォルスタッフの死についてこの表現を使ったことで有名である。
52)ヒポクラテスは、急性・慢性・風土病・伝染病の疾病分類を作り、また悪化・再発・危篤・発作・峠・回復期などの用語法を作った。
53)この他には主に、兆候学・生理学上の発見、外科手術、膿胸(胸腔内に膿がたまる症状)の予後などの貢献がある。
54)ヒポクラテスの教えは今日の呼吸器科の研究者に対しても有効である。
55)ヒポクラテスは記録上最初の胸部外科医で、その発見は現在でも有効である。
どうしたら、この様な先見性が得られるのでしょうか?

56)ローマ医学:→詳細は「en:Medicine in ancient Rome」、「en:Medical community of ancient Rome and Byzantine medicine」、および「ガレノス」を参照
57)古代ローマでは、ギリシアの医師が活躍し、ローマ帝国各地の医学・薬学が集大成された。
58)ローマ帝国で活躍したギリシア人のガレノスは、最も偉大な古代の医師のひとり、様々な学派を折衷してギリシア医学をまとめた。
59)ガレノスは、「血液・粘液、黄胆汁・黒胆汁」を基本体液とし、その調和を重視する四体液説を採用した。
60)豚や猿などの動物を解剖して人体の構造を推測したが、心臓の構造など誤りも少なくなかった。
61)またガレノスは、脳や目の外科手術など、技巧に頼った危険な手術を多く行った。
62)こういった手術は2000年近くにわたって二度と行われなかった。
手術ミスも怖い為、リスクを取らなかったのでしょう。
63)薬学については、ガレノスに先立ちディオスコリデスが、簡潔で利用しやすい本草書『薬物誌』をまとめた。
64)アリストテレスの四元素説の影響を受け、薬物を「熱・冷・湿・乾」の4つの性質に分類して解説した。
65)ガレノスは『薬物誌』を称賛し、製薬についても多くを述べた。

66)初の女性専用の器具をはじめとして、多くの手術用具が発明された。これには鉗子、メス、焼きごて、剪刀、手術針、ゾンデ、膣鏡などがある。また、初の白内障手術もローマ人によるものであるといわれる。
67)476年に西ローマ帝国が崩壊し、西ヨーロッパからギリシア・ローマ医学の著作は失われた。
68)東ローマ帝国に残され、オリバシウス(c.320−403)などによって医学書が編纂された。
69)彼はガレノス医学を高く評価し、ユリアヌス帝の命で、クロトンのアルクマイオン(紀元前5−6世紀頃)から同時代の医学までをまとめた『医学集成』(希:Iatrikai Synagogai、羅: Collectiones medicae)全70巻を編纂し、
   『エウスタティオスのための梗要』(希:Synopsis pros Eustathion、羅:Synopsis ad Eustathium filium)に概要をまとめた(初学者向けであるため外科は除く)。
70)体液病理説であるため、診断には尿診(英語版)・脈診が重視されており、テオフィロス・プロトスパタリオス(英語版)(7世紀)は中国医学の影響を受けて脈拍を研究し、尿診の基礎を確立した。
71)東ローマ帝国後期の14世紀初頭には、コンスタンティノポリスのヨハネス・アクトゥアリウス(英語版)は、尿と尿診など、広範囲のテーマに関する医学書を執筆した。
72)これらの著作は、サーサーン朝ペルシャのジュンディーシャープールに、後にイスラーム世界に引き継がれた。
73)ガレノス医学とディオスコリデスの本草書は、1500年以上西洋で最も権威あるテキストとして君臨した。
74)ガレノス医学は、東ローマ帝国でまとめられ、アラビアに伝わって翻訳され、イブン・スィーナーなどによってギリシア・アラビア医学(ユナニ医学)として整理され発展した。
75)ガレノスや彼らの著作は中世・近世にヨーロッパもたらされてラテン語に翻訳され、18世紀までヨーロッパの医学教育において教科書として使われていた。
ローマの偉大さが伝わります。

76)ペルシア医学・イスラム医学:→詳細は「en:Medicine in medieval Islam」および「ユナニ医学」を参照
77)ペルシア医学:
78)ペルシアの医学研究および実践は長く豊かな歴史を持っている。
79)ペルシアは東洋・西洋の交易路に位置するため、しばしばギリシアとインド両方の医学の発展を享受した。
80)東ローマ帝国と敵対していたサーサーン朝は、キリスト教徒による異端・異教徒の迫害を逃れたアレクサンドリアやアテナイの学者たちを積極的に受け入れ、ジュンディーシャープールに学者や生徒たちが集い、
   各国の医学書が翻訳され盛んに研究が行われた。
81)教育を行う病院が考案されたのは、ジュンディーシャープール大学であるとも言われている。

82)イスラム医学:
83)ムスリムやキリスト教ネストリウス派など、様々な宗教・人種の医師、錬金術師、薬剤師たちによる、解剖学・眼科学・薬理学・薬学・生理学・外科学・製剤科学などの医学領域への多大な貢献により、
   イスラム文化はは古代ギリシア・ローマの医学技術をさらに発展させた。
84)ガレノスとヒポクラテスが過去の典拠となっていた。
85)830年ごろから870年ごろまでのガレノスの著作129点は、フナイン・イブン・イスハークとその助手たちによってアラビア語に翻訳された。
86)その中でも特にガレノスの主張する理性的・体系的な医学のアプローチが、イスラム医学のひな型として、イスラム帝国内に素早く広まった。
87)医師によって初めて専門病院が設立された。
88)専門病院はその後十字軍遠征の間にヨーロッパに広まったが、これも中東の病院から着想を得たものである。
軍隊に病院は付き物です。
89)キンディー(801−873?)は『De Gradibus』を著し、数学を医学(特に薬学)へ適用して論じた。
90)キンディーは『De Gradibus』の中で、薬の強さの度合いを測る数学的な軽量法や、医者が患者の病気の最も危険な時期を特定する仕組みを開発した。

91)アル・ラーズィー(865−925)は自身の経験した臨床事例を記録し、様々な病気について有用な記録を残した。
92)『包含の書』(al-Hawi, アル=ハーウィー)は、アル・ラーズィー(ラテン名でラゼス(Rhazes)とも呼ばれる)の最大の著作集である。
93)この中で、ラーズィーは自らの経験による臨床事例を記録し、様々な病気の有用な記録を残している。
94)ラーズィーの『天然痘と麻疹の書』(al-Judari wa al-Hasbah)では麻疹と天然痘について記述し、ヨーロッパに大きな影響を与えた。
95)『ガレノスに対する疑念』(Al-Shukuk 〇ala Jalinus、英:Doubts About Galen)では経験的な方法から四体液説の誤りを証明するなど、ガレノス医学に批判を加えた。
96)また錬金術に対する知識も深く、医師活動の中で意図的にアルコールを用いた初めての医師となった。
97)アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー(アブルカシム)は近代外科学の父と考えられ、30巻の医学事典「Kitab al-Tasrif」を著した。
98)これは17世紀までイスラム圏とヨーロッパの医学部で教材に使われた。
99)アブルカシムは女性にのみ用いるものも含め、数多くの手術用具を用いた。
100)これには腸線・鉗子・結紮糸・手術針・メス・キューレット・開創器・手術用スプーン・ゾンデ・手術用フック・手術用ロッド・膣鏡・骨用鋸・漆喰などがある。

101)ムータジラ派の哲学者でもあったイブン・スィーナー(980−1037、ラテン名アヴィケンナ)は、医学の父といわれ、歴史上最高の思想家・医学者のひとりである。
102)著書『医学典範』(1020)および『癒しの書』(11世紀)は、17世紀までイスラム圏とヨーロッパの標準テキストであり続けた。
103)イブン・スィーナーの業績には、体系的な生理学研究の中に実験と量化を導入したこと、感染症の感染性質の発見、感染症の拡散を抑制するための検疫の導入、実験医学・治験の導入の他にも、細菌・ウイルスについて、
    縦隔炎と胸膜炎の区別、結核の感染性質、水や土からの病気の蔓延、肌荒れについての詳細な記述、性感染症、倒錯、神経系の失調などの記述を初めて行い、また発熱に対して氷を用いたり、薬理学・医学を区別したり
    (製薬科学の発展において重要)もした。
細菌やウイルスについて調べるには顕微鏡が必要でしょうが、それは何時頃出来たのでしょうか?
104)1021年、イブン・アル=ハイサム(アルハセン)(965−1040)によって眼科手術の重要な進歩があった。
105)アル=ハイサムは視界と視覚のプロセスを研究し、著書『Kitab al-Manazir』(光学の書)の中で初めて正しく説明した。
106)イブン・アル=ナフィスは、初めて肺循環と冠動脈について記して循環系の基礎を作ったため、循環理論の父と呼ばれる。
107)アル=ナフィスはまた、代謝の概念を最初に述べた。
108)また生理学および心理学の新しい体系を作り上げて、イブン・スィーナーやガレノスの体系に取って代わった。
109)この中でアル=ナフィスは彼らの四体液説、脈動、骨、筋肉、腸、感覚器、胆汁、管、食道、胃などについての誤った考えを批判した。
110) イブン・アル=ルブディは四体液説を否定し、人体およびその保全は血液のみによることを発見した。
111)また女性が精液を生産できるというガレノスの節を否定し、動脈の動きは心臓によるものではないこと、胎児の体で最初に作られる臓器は心臓だということ(ヒポクラテスは脳だと考えていた)、頭蓋骨を作る骨は腫瘍になりうる
    ということを発見した。
112)モーシェ・ベン=マイモーン(マイモニデス)はユダヤ人だったが、13世紀のイスラム医学に様々な貢献を果たした。
113)マンスール・イブン・イリヤスの『人体解剖書』(Tashrih al-badan1390年ごろ)には、人体構造上の神経系・循環器系の全図が掲載された。
114)14世紀のアンダルスにおけるペスト・腺ペスト流行期に、イブン・カティマとイブン・アル=カティブは、伝染病は人間の体に入り込む微生物が原因であることを発見した。
115)その他にもムスリムの医師によってなしとげられた医学上の発展には、免疫系の発見、微生物学の導入、動物実験の活用、他の科学分野とのコンビネーション(農学・植物学・化学・薬理学など)、
    注射器の発明(9世紀イラク アマー・イブン・アリ・アル=マウシリによる)、最初の薬局の誕生(バグダード754年)、医学と薬学の区別(12世紀以前)、2000種類以上の医学・化学物質の発見などがある。
以下は省略します。

116)アーユルヴェーダ医学:→詳細は「アーユルヴェーダ」を参照
117)パキスタンのメヘルガルで、インダス文明ハラッパー時代(起元前3300年頃)の人々が医学・歯学の知識を持っていたことが考古学者によって発見された。
118)調査を行ったミズーリ大学コロンビア校の物理人類学者アンドレア・クシナは、ハラッパーの男性の歯を洗浄している際にこれを発見した。
119)また同地域の後の調査によって、9千年前に歯の穿孔が行われていた証拠が見つかった。
120)アーユルヴェーダ(〇:生命の知識)は、南アジアで2000年以上前に作られた、成文上の医学体系である。
121)チャラカ(Charaka)とスシュルタ(Su〇(s+')ruta)の2学派のテキストが有名。
122)これらのテキストには、宗教文学『ヴェーダ』中の古代医学思想とのある程度の関連が見られ、初期アーユルヴェーダと初期仏教・ジャイナ教文学との直接的な歴史的関係が歴史家によって指摘されていた。
123)アーユルヴェーダの最初の出発点は、紀元前2千年紀初期の特別な薬草の慣行を総合したものが基礎になっていると思われる。
124)多大な理論的な概念化とともに、新たな疾病分類や療法が紀元前400年ごろ以降加えられ、仏教その他の思想家のコミュニティから発表されたものであろう。
125)チャラカが改編した『チャラカ・サンヒター』には、健康や病気は前もって決まっておらず、寿命は人の努力によって延ばせるとある。
126)スシュルタに帰せられる『スシュルタ・サンヒター』では、医学の目的を、病気の症状を治し、健康を守り、寿命を延ばすことであると定義している。
127)どちらの著作にも、数多くの病気に対しての検査・診察・処置・予後について書かれている。
128)古代インド医学は内科を重視するが、『スシュルタ・サンヒター』は、鼻形成術・切れた耳たぶの形成・会陰部切石術・白内障手術などの様々な種類の外科処置法について書いていることが特徴的である。

129)アーユルヴェーダの古典では、医学は8部門に分けられている。すなわち、
    ・治病医学
     ・内科学(カーヤ・チキッツァー)
     ・小児科学(バーラ・タントラ)
     ・精神科学=鬼人学(ブーダ・ヴィディヤー)
     ・耳鼻咽喉科学及び眼科学(シャーラーキャ・タントラ)
     ・外科学(シャーリャ・チキッツァー)
     ・毒物学(アガダ・タントラ)
    ・予防医学
     ・老年医学=不老長寿法(ラサーヤナ)
     ・強精法(ヴァジーカラナ)
   の8科である。
130)アーユルヴェーダには、インド錬金術の影響も大きい。
131)アーユルヴェーダの研究生は、上記8部門とは別に、調剤と施術に必要な10科の技術を学ぶことになっていた。
132)すなわち、蒸留法・手術法・料理・園芸・冶金・砂糖の製作・薬学・鉱物の分析と分類・金属の混合・アルカリの調剤である。
133)広範な内容が、直接的な臨床科目の説明の中で教授された。
134)例えば、解剖学は外科の授業の一環として、発生学は小児学と産科学の授業の一環として、生理学と病理学の知識はすべての臨床科目に織り込まれた。
135)イニシエーションの終わりには、グルが厳粛な演説を行い、研究生を純潔・誠実・菜食主義の生活へと送り出す。
136)研究生は全身全霊で健康のため病と闘わなければならない。
137)また自己の利益のために患者を裏切ってはならない。
138)服装は質素にして強い酒は避けなければならない。
139)冷静さと自己コントロールを保たねばならず、つねに発言は慎重でなければならない。
140)つねに知識と腕を磨かなければならない。
141)患者の家では礼儀正しく謙虚に、患者の利益のみに目を向けなければならない。
142)患者とその家族の情報を漏らしてはならない。
143)患者の治癒が不可能で、患者その他を傷つけるおそれがある場合、これを秘しておかなければならない。

144)通常の研究生の教育期間は7年である。研究生は卒業の前にテストに合格しなければならなかった。
145)しかし医師(ヴァイディヤ)となっても、文献、直接の観察(プラティヤクシャ)、洞察(アヌマーナ)を通して学び続けなければならない。
146)これに加え、医師の会合で知識を交換する。
147)また、山の民や牧夫、森の民から特別な治療法を集めなければならないとされた。
148)中世にイスラム勢力が台頭すると、アーユルヴェーダは衰退し、ユナニ医学が隆盛した。

149)中国医学:→「中国医学」、「漢方医学」、および「韓医学」を参照

150)関連項目:
    ・医師/病院/医学/薬学史/本草学/感染症の歴史
    ・看護学/歯学/精神医学/栄養学/公衆衛生/獣医学/生物学/化学
    ・呪術/占星術/西洋占星術/錬金術/錬丹術/魔術
    ・キリスト教/イスラム教/ヒンドゥー教/仏教
    ・生命倫理学/医療人類学/医療社会学/健康心理学
    ・蘭学
    ・日本医史学会/日本精神医学史学会
次は「医学」ページに戻ります。

21)東洋医学:→詳細は「東洋医学」を参照
22)現在日本で「東洋医学」と呼ばれるものは、おおむね伝統中国医学に相当している西洋医学とは異なる理論・治療体系をもつ医学である。
23)「東洋医学」と言う以上、きちんとした論理の上に成立している。そしてそれは、日本人が持つ生命観や自然観に近いものである。
24)中国伝統医学は民間療法とは区別されている。東洋医学は、民間療法とは異なった考え方に基づいて運用されている。
25)一例として、生姜の使い方を見ると、どちらも風邪の時に使うことはあるものの、民間療法では風邪の時に何の考えもなしにそれを機械的に与えるのに対し、中国伝統医学では、寒気(さむけ)が強い時のみに使用され、
   反対に熱感が強い時には使用しないのである。なぜなら、中国伝統医学では、生姜は体を温める作用がある、と考えているからである。
26)日本でも古代より「医」は巫女、陰陽師、僧侶によって中国から伝えられた呪術、医療が行われていた。
27)室町時代以降は中国大陸との交易も盛んとなり、漢方が積極的に伝わっていった。
28)江戸時代以降は、日本は独自の漢方医学を発展させ、薬学である本草学を中心に診療が行われていった。
29)華岡青洲によって記録上世界最初となる麻酔による乳癌手術が行われたりした。
30)また、幕末には国学の影響を受けて漢方伝来以前の医学を探求する動きも現れた。
31)現在は中華人民共和国では中医学、朝鮮民主主義人民共和国では東医学、大韓民国では韓医学として実践されている。
32)これらの伝統医学は、長い歴史を通じて各地で培われ、現在でも広く実践されている。

33)西洋医学:→詳細は「西洋医学」を参照
34)ヨーロッパ世界においては、「医」の起源は古代ギリシアのヒポクラテスとされている。
35)ヒポクラテスは学問としての医学を確立し、その後古代ローマのガレノスがアリストテレスなどの自然学を踏まえ、それまでの医療知識をまとめ、古代医学を大成した。
36)しかしこうした医学書の多くはギリシア語で書かれていたため、ローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではその知識の多くが失われ、断片的なものが残るに過ぎなくなっていた。
37)一方、医学知識はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され、8世紀以降アッバース朝統治下においてヒポクラテスやガレノスをはじめとする医学文献がアラビア語に翻訳された。
38)イスラム世界においてもガレノスは医学の権威とされ、その理論を基礎とするイスラム医学が発達した。
39)11世紀初頭にはイブン・スィーナーが「医学典範」を著わしたように、この時期イスラム世界では百科全書的医学書が多く編まれ、イスラムおよびヨーロッパ世界に大きな影響を与えた。

40)これらのアラビア語文献は、12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモやカスティーリャ王国のトレドといった、イスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになった。
41)これによってヒポクラテスや、特にガレノスの著作が西欧に再導入され権威とされたほか、イブン・スィーナーなどの新たな文献も流入した。
42)ヨーロッパ中世においては、内科学のみが医学とされ、外科学の地位は低かった。
43)外科医療は理容師(理容外科医とも言われた)によって施術され、外科手術や瀉血治療などが行われていた。(内科学、外科学の記事を参照)。
44)16世紀に入ると、それまでの伝統的医学を打ち破る新たな流れが生まれ始めた。
45)解剖学ではアンドレアス・ヴェサリウスが1543年に『ファブリカ』(人体の構造)を著わし、ガレノスの誤りを修正した。
46)また、パラケルススは医学への化学の導入を試み医化学を確立した。

47)18世紀前半には、ヘルマン・ブールハーフェが近代的な臨床の方法論を確立した。
48)またこの時期、ジョバンニ・モルガーニが医学と解剖学を結びつけ、病理解剖の創始者となった。
49)1796年にはエドワード・ジェンナーが種痘を成功させた。
50)19世紀に入ると、自然科学の発展に伴い医学も急速な発展を遂げた。
51)特に19世紀後半には、ロベルト・コッホとルイ・パスツールによって細菌学が創始され、人工的な弱毒化によるワクチンの生産や多くの病原菌の発見が起き、さらにこれに関連して衛生学も進歩を遂げた。
52)日本では安土桃山時代にキリスト教の伝来に伴ってわずかに西洋医学の流入があったとされるが、本格的な流入は江戸時代中期の1774年、オランダ語の解剖学書である『ターヘル・アナトミア』が杉田玄白や前野良沢らによって
   翻訳され、『解体新書』として出版されてからのことである。
53)解体新書の出版は日本の医学界に衝撃を与え、以後医学を中心に蘭学が隆盛するきっかけとなった。

54)関連項目:
   ・医療
   ・医学と医療の年表/医学史
   ・医療/診療科/医療行為/医業
   ・医療資格一覧/医師/歯科医師
   ・医学部
   ・看護/介護/福祉/健康
   ・病気とリダイレクトの一覧
   ・実在する特定の病気を主題とした映画の一覧
   ・赤十字
   ・日本心身医学会
   ・国際医学団体協議会
最後は「医療」ページです。

1)医療(いりょう、英語:medical treatment, medical care, medicine, health care)とは、人間の健康の維持や回復、増進を目的とした諸活動、すなわち疾病に対する診断と治療を包括的に指す概念である。
  →「医学」も参照
2)概説
3)定義:
4)ヘルスケアや保健などとも重複する概念だが、そもそもどの範囲を「医療」と見なすかについて、明確な定義はない。
5)医療は文化性が高いため、国や地域、時代により定義が異なるとされる。
6)また厚生労働省は政策決定上「医療」と「介護」を分離しており、疾病や加齢の結果として生じた要介護状態に対する生活上の支援を「介護」として分離し、この文脈ではそれに対する概念として疾病自体への介入を「医療」と称している。
確かに、老人には医療行為以外も必要です。
7)医療人類学者のアーサー・クラインマンは、「医療は様々なセクターで行われている」として、公的機関などに認定された通常の医療(制度としての医療)や伝統医などによる専門職セクターだけでなく、
  宗教や伝統などに基づいた民俗セクター、家庭内などの民間セクターでも様々な医療が行われている、としている。
心的なケアは、医者以外にも出来そうです。
8)「医療」には多様な立場の人による多様な行為が属しており、必ずしも専門的職能者のみによって行われるわけではない。
9)例えば心肺停止状態に対しては無資格者による救急医療(気道確保・人工呼吸・心臓マッサージ、および自動体外式除細動器の使用)の実施が社会的に容認されており、在宅医療では必然的に患者自身や家族が医療の一端を
  担うこととなる。
10)「救急医療」や「緩和医療」など、対象とする疾病の段階によって分類されることもあるが、他方で「身体医療」と「精神医療」のように病因論や身体論の体系に分類の根拠を求めた分類法もある。
11)伝統医療 / 近代医療 という分類法もある。通常医療 / 補完医療、代替医療という分類法もある。それらを総合したものは「統合医療」という呼称で呼ばれている。
12)近代医療は、強く制度化されていることもあり、あたかも一枚岩の医療であるかのような認識が持たれることもあるが、実際には多様な理論の複合体であり、個々の医療従事者による実践も多様性に富んでいる。
以下は省略します。

13)関連項目:学問・教育、医学教育、医療社会学、看護学、看護教育、歯学、生命倫理学、薬学、法律、医療法、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律、健康保険法、制度
、    医療費、医療保険制度改革、国の医療費、診療報酬、社会問題など、安楽死、医療過誤、医療事故、医療訴訟、医療難民、医療崩壊、お産難民、尊厳死、偽医療、副作用、無駄な医療、薬害、
   概念など、インフォームド・コンセント、延命治療、セカンド・オピニオン、セルフメディケーション、自己決定権、トランスヒューマニズム、医療を題材とした作品、Category:医療を題材とした作品、Category:医療機関を舞台とした作品、
   Category:看護師を主人公としたフィクション作品、その他、ヘルスケア、医業、医行為、医療行為、医療従事者、医薬品、医薬情報担当者、医療機器、応急処置、処方箋、診療録、臨床検査、代替医療、統合医療、国際医学団体協議会
生死に関わる生業なので、影響する範囲はかなり広範に及びます。古代中国の歴史と発明に戻ります。

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