火薬

Civではこの「火薬」テクノロジーは、ルネサンス時代に登場します。また砲弾の運動学などに関係しますから、11)手足とその力学的な出力に関係しています。土木工事などに使用するダイナマイトは、もう少し時代が下ります。
Wikiで「火薬」を調べると、「火薬」ページがヒットします。

1)本記事では火薬や火薬類について解説する。
2)用語:
3)火薬(かやく)とは、熱や衝撃などをきっかけにして、急激な燃焼反応をおこす物質。主に燃焼による爆発物を指す。
  ・火薬類(英:explosives)。燃焼速度が速いものも低いものも含む広義の用法。燃焼速度が速いものは爆燃や爆発を起こし、衝撃波を発生させ、爆薬として使える。
  ・装薬/推進薬/発射薬(英:gunpowder ガンパウダー)。火薬類のうちで、爆薬よりは燃焼速度が低く、特に、銃や大砲などの装薬、ロケットの推進薬などとして用いられる物質のこと。
   弾丸の発射に使え、衝撃波までは発生させないので銃や大砲を破壊しない。狭義の火薬。
4)日本では江戸時代には焔硝(えんしょう)の語がよくつかわれ、昭和30年代頃までは、玩具に使われる火薬を「焔硝」と言う地方も多かった。
此処では§概説を飛ばして、§歴史から説明する事にします。
5)歴史:→「en:History of gunpowder」も参照
7)中国の唐代(618年−907年)に書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。
8)1132年に金との戦争中に起きた内乱に対して火薬兵器である火槍を宋が投入したとされる。
9)日本人が初めて火薬を用いた兵器に遭遇したのは13世紀後半の元寇においてである。
10)当時の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』写本には、元軍が用いた「てつはう」と呼ばれる兵器が描かれている。ただし、この「てつはう」の文字(とモンゴル兵)は江戸時代の加筆とする説もある。
11)1250年代、モンゴル帝国がイラン侵攻した際、中国人技術者が操作する投石機で、火薬弾が投げられている。
粘土弾に比べたら、かなり進歩しています。
12)1280年には、地中海東部のマルクス・グラエクスとシリアのハッサン・アッ・ラムマが中国の火器、火槍について記述している。
13)また、イスラム文明圏のシリア、マムルーク朝でも火薬情報は豊富であった。
14)1288年当時の青銅製の銃身が発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきたが、銃はモンゴル帝国を通じて、ヨーロッパへ伝わったとされる。
これは席亭も知りませんでした。シルクロードはやはり文化の道です。(笑)この鉄砲に関しては、後に再び語られるでしょう。
15)1326年のスウェーデンにおける壷型の銃も発見されているが、これはモンゴル帝国に支配されていた南ロシアから伝わった銃が変形したものと考えられている。
16)1326年にはフィレンツェで大砲が開発され、以後、ヨーロッパでは大砲が発達する。イベリア半島では1330年代までには銃だけでなく大砲も使用されていた。
17)ヨーロッパで火薬を製造したのは13世紀イギリスのスコラ学者であるロジャー・ベーコンとされていたが、その火薬の製法の写本は偽書とされており現在は疑問視されている。
18)また、ドイツではベルトルト・シュヴァルツなる人物が火薬を発明したとされているが、これも伝説のようである。

19)14世紀には、イングランドやドイツに火薬工場があった。
20)エリザベス1世(1558年−1603年)の時代、火薬製造はイングランド王室の専売事業であった。
21)それ以外にもヨーロッパの多くの国で火薬製造は非常に重要な軍需産業となり、国家の様々な保護を受けた。
22)こうした火薬製造において、原料のうち木炭はどこでも手に入るものであり、硫黄も入手はそれほど難しいものではなかったが、硝石の入手には各国とも非常に苦心した。
23)1378年にはニュルンベルクにおいて初めて作硝丘(糞尿などをかけて硝石を人工的に生産する施設)が作られ、これがヨーロッパ諸国に伝わってある程度の硝石生産は可能になったが、増加する火薬の需要にはとても追いつかず、
   硝石の生産量が火薬生産のボトルネックとなる状況が数百年続いた。
24)17世紀半ばにはイングランドは硝石の国内生産を完全にあきらめ、インドからの輸入に頼るようになったが、フランスやスウェーデンのように硝石を完全に自国で生産することにこだわり、
   火薬の全原料及び生産工程を国内化した国々も存在した。
軍事物資なので、内製に拘ったのでしょう。
25)火薬による兵器、すなわち銃と砲はオスマン帝国やヨーロッパ諸国の戦闘を激変させるとともに、ヨーロッパ世界やイスラム世界がそのほかの地域を征服することに大きな力を発揮した。
火薬の発明により、軍事バランスが変化した訳です。
26)火薬兵器がスペインによって利用されたことはアステカ帝国やインカ帝国といった新大陸の諸国を滅亡させるという悲惨な結果も生み、またモロッコのサアド朝は1591年に銃を主力とする兵をサハラ砂漠を越えて
   ニジェール川沿岸に広がるソンガイ帝国に送り込み、兵数の圧倒的な差にもかかわらずソンガイを滅亡させている。
27)世界を見渡せば、火薬兵器を導入したことで周辺国を圧倒した国は多い。
28)戦国時代の日本も同様であり(織田信長の軍は武田軍を圧倒した)。
29)1605年11月5日には、イングランドにおいて上院議場を火薬によって爆破する計画が立てられたが露見し、首謀者であるロバート・ケイツビーや実行責任者であるガイ・フォークスらが処刑された。
30)この事件は火薬陰謀事件として知られるようになり、この事件の起きた11月5日はガイ・フォークス・ナイトとしてイギリスの祝日となっており、花火が盛んにあげられる。

31)一方、火薬の普及につれて平和的な火薬利用も徐々に広まっていった。こうした平和利用でもっともはやく普及したものは花火であり、宋代の中国ですでに花火としての火薬利用は存在し、火薬の伝来とともに西方にも伝えられていった。
32)ヨーロッパでの花火利用は14世紀のフィレンツェですでにみられ、やがて欧州各地で祝祭などの際に盛んに花火が用いられるようになっていった。
33)このほか、日本などでも大規模な催し物に花火は欠かせないものとなっていった。
34)一方、障害物の爆破など土木工事に対して火薬を使うことは、黒色火薬時代にはそれほど行われることはなかった。これは、当時の火薬が爆破力・信頼性ともに低いうえ膨大な軍需によって常に品不足状態であり、そのため高価であって、
   工事に使用するには全く引き合わなかったためである。
35)ただしまったく使用例がなかったわけではなく、鉱山掘削や運河の開削などでいくつかの使用例がある。
36)また、16世紀以降エネルギー源として火薬を使用することがしばしば考案され、いくつかの火薬機関が試作された。しかし火薬は爆発力はあるものの持続力がまったくないために動力源としては全く不向きであり、
   やがて蒸気機関が実用化されるとともに火薬がエネルギー源として考えられることはなくなった。

37)火薬技術は19世紀までは停滞傾向にあったが、19世紀に入ると次々と技術革新があらわれ、火薬は大きく変化した。
38)まず、1820年ごろにチリのアタカマ砂漠において広大なチリ硝石の鉱床が発見され、安価なチリ硝石の大量供給によって火薬生産のボトルネックが解消され、火薬の生産が増加した。
席亭も、チリ硝石は知っていました。
39)またこれによって、硝石丘を使った土硝法による硝石生産は全く姿を消した。
40)また、19世紀まで火薬といえば黒色火薬のことを指したが、19世紀に入ると黒色火薬以外の火薬が次々と開発されていった。
41)この分野の先駆者の一人がアルフレッド・ノーベルであり、ニトログリセリンを珪藻土にしみこませることで高性能爆薬であるダイナマイト(1866年)を発明し、大量生産を行った。
42)これによってノーベルは火薬王として知られるようになり、この利益を元にしてのちにノーベル賞が創設された。
43)ダイナマイトは爆破力・安定性ともに非常に優れた火薬であり、このため工事現場や鉱石採掘に火薬が一般的に使用されるようになり、コリントス運河やシンプロン・トンネルといった難工事が可能となった。
ダイナマイトの恩恵は鉄道工事ではなく、運河やトンネルなのですね。(笑)
44)1886年のフランス人科学者ポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)による無煙火薬の発明や、フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュによるハーバー・ボッシュ法の発見がアンモニアの大量生産を可能にしたため、
   火薬の主流は黒色火薬から無煙火薬へと急速に移り変わっていく。
45)ヴィエイユの発明した火薬はニトロセルロースをエーテルとアルコールの混合液でゼラチン化したものである。当時の陸軍大臣ブーランジェ将軍の頭文字からB火薬と命名された。
46)19世紀までは南米からのチリ硝石輸入が爆薬の原料となる硝酸の供給源だったが、ハーバー・ボッシュ法の発見によって、チリ硝石輸入を海上封鎖することによる戦争の回避策が無効化された。
47)アルフレッド・ノーベルは、無煙火薬のバリスタイト(英語版)(1887年)を発明したが、これがその後、コルダイトと特許紛争になった。
48)1889年、フレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーによって発明された無煙火薬のコルダイトが登場し、コルダイト火薬が近代的な火薬の主流となった。
49)コルダイト火薬のアセトン供給を巡ってハイム・ヴァイツマンはバルフォア宣言(1917年)を働きかけた。)

50)関連項目:弾薬、火薬学、火薬入れ−紙製薬莢が実用化されるまで、前装式小銃の射撃装備として使用された。、モデルロケット(火薬を使用した模型ロケット)
古代中国の歴史と発明に戻ります。

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