道教
Civ5にはこの「道教」に関する記述は有りませんが、Civ6以降には各種宗教に対する記述が有ります。勿論、12)個人の集積に関する文化です。
Wikiで「道教」を調べると、「道教」ページがヒットします。
1)道教(どうきょう、〇音:〇)とは、中国三大宗教(三教、儒教・仏教・道教の三つ)の一つ。ほかに「道家の教・道門・道宗・老子の教・老子の学・老教・玄門」などとも呼ばれる。
2)道教は、老子の思想を根本とし、その上に不老長生を求める神仙術や、符〇(中国語版)(おふだを用いた呪術)・斎〇(しょう)(亡魂の救済と災厄の除去)、仏教の影響を受けて作られた経典・儀礼など、時代の経過とともに様々な
要素が積み重なった宗教とされる。
3)典型的な多神教であり、伝説的には、黄帝が開祖で、老子がその教義を述べ、後漢の張陵が教祖となって教団が創設されたと語られることが多い。
4)ほかにも、『墨子』の鬼神信仰や、儒教の倫理思想・陰陽五行思想・〇緯(しんい)思想・黄老道(黄帝・老子を神仙とみなし崇拝する思想)なども道教を構成する要素として挙げられ、金属の精錬技術や医学理論との関係も深い。
これは席亭も初耳です。
5)道教は、その長い歴史の中で、悪魔祓いや治病息災・占い・姓名判断・風水などと結びついて社会の下層に浸透し、農民蜂起を引き起こすこともあった。
6)一方で、社会の上層にも浸透し、道士が皇帝個人の不老長生の欲求に奉仕したり、皇帝が道教の力を借りて支配を強めることもあった。
7)また、隠遁生活を送った知識人の精神の拠りどころとなる場合も多い。
8)こうした醸成された道教とその文化は現代にまで引き継がれ、さまざまな民間風俗を形成している。
9)成立:
10)道教の成立について、道教内部での伝説では、道教は老子の創始とする説、元始天尊(宇宙の創成者)によって作られ老子が継承したとする説、黄帝が開祖で老子がその教義を述べたとする説などがある。
11)一方、現代の研究者の主な学説は以下である。
1.諸子百家の「道家」に起源を求める説。
道家は、宇宙の起源や万物の生成、社会の興亡や人の善悪などを議論する学派である。漢代にはここから黄老思想(黄帝と老子を神仙として崇拝する思想)が発展し、後漢には黄老思想は徐々に神秘化され、
宗教的性格を帯びるようになった。古来「道教」と「道家」は同義語として用いられ、道家と道教はどちらも「道」を重視する点で一連のものとしてみなされてきた。これに従えば、宗教としての道教の起源も諸子百家の「道家」
にあると考えられる。
2.2世紀後半の太平道・五斗米道を道教の始まりとする説。
宗教的な教団組織の成立という点に着目すると、民衆運動の中から生まれた太平道・五斗米道が道教の原初的形態であると考えられる。
3.5世紀半ばを道教の始まりとする説。
「道教」という語が仏教に対する中国固有の宗教を指す言葉として用いられるのは南朝斉の顧歓の「夷夏論」が現存する文献では最古であり、この頃に中国固有の宗教としての「道教」という概念が成立したと考えられる。
12)歴史:→詳細は「道教の歴史」を参照
13)道家・老子と黄老思想の発生:→「老子」、「道(哲学)」、および「黄老思想」も参照
14)道教は中国古来の宗教的な諸観念をもとに長い期間を経て醸成されたもので、一人の教祖が始めたものとはいえない。
15)よって老子が道教の教祖であるとはいえないが、『老子』に説かれる「道」の概念が道教思想の根本であることは確かである。
16)老子は先秦時代の学者とされるが、その経歴については不明な点が多く、その思想を記した『老子道徳経』の成立時期もさまざまな説がある。
17)戦国時代後期には、老子の「道「「徳」「柔」「無為」といった思想は知られていたとされ、「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった。
18)前漢の頃、『老子道徳経』の思想は、古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えた黄老思想が成立した。
19)その過程で、老荘思想的な原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まり、老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった。
20)後漢末:教団の成立:→「太平道」および「五斗米道」も参照
21)教団としての「道教」は、後漢末期から魏晋時代にかけての太平道・五斗米道に始まるとされる。
22)鉅鹿郡の張角は、自ら「大賢良師」と称し、黄老道を奉じて弟子を集め、「太平道」と呼ばれる教団を組織した。
23)その活動は「首過」(罪を告白し天や鬼神に懺悔する)や「符水呪説」(おふだを入れた水を飲み呪文を唱える)などである。
24)この教団は後漢末期の不安定な時代に多くの信者を集め、数十万人の農民が集結し、軍隊のような組織になると、184年に黄巾の乱を起こしたが、鎮圧されて教団は壊滅した。
この辺りの話は、三国志演義に出て来ます。
25)また、太平道よりやや遅れて、蜀で張陵によって五斗米道(天師道)が組織された。
26)五斗米道も、道徳的反省を行い、鬼神の祟りを避けて病を癒す「思過」を説くなど、太平道と似た性質の宗教集団である。
27)ただ、五斗米道では教説がより具体化され、『老子五千文』の学習、罪を反省する「静室」の整備、罪に服する書の山神・地神・水神への奉納、春夏の殺生の禁止などがあった。
仏教以外にも殺生の禁止は有る訳です。
28)五斗米道の組織は官吏制度を模範に作られ、「治官」によって統率される「治」を単位とし、最高指導者の「天師」のもとでの厳密な組織体系になっている。
29)五斗米道は強固な教団組織のもと徐々に発展し、3代目の張魯の頃には蜀から中原にまで広まっていた。
30)魏の曹操は蜀を滅ぼした後、張魯ら一族を厚遇し、信者数万戸は黄河や渭水流域に移住させ、この地で五斗米道は大きく広がった。
蜀は曹操の時代にではなく、その後に滅びます。
31)魏晋時代:文献の成立
32)以上のような組織化された教団のほかに、神仙になるために個人で道術の修行をする動きもよく見られ、その修行の理論や方法を文章化したのが葛洪『抱朴子』である。
33)葛洪は、神仙は実在であることを力説し、普通の人々も仙道の方術を実践することで仙人になることができるとした。
34)その方法が「還丹」(硫黄と水銀によって作られた鉱物)と「金液」(黄金を溶解してできた液体)を服用することである(金丹)。
これら不老長寿の法が、西洋の錬金術の元祖なのでしょうか?
35)また、東晋の363−371年に茅山で行われた神降ろしの儀式によって魏華存といった神仙が降臨し、その言葉を楊羲・許謐・許〇(歳+羽)らが書写した。
36)これがのちに南朝梁の陶弘景によって整理され、『真誥』7篇が成立した。
37)『真誥』など許氏一族による文献のほか、『黄庭経(中国語版)』といった古いものを含みつつ、六朝末に至るまで蓄積された経典群が『上清経(中国語版)』であり。これを根本とする道教の一派が「上清派(中国語版)」である。
38)南北朝時代:道教の発達
39)北朝では、天師道の寇謙之によって、天師道の教団制度が立て直された。祭酒が勝手に教職者を任命する制度や世襲制を廃止し、教職者には品行方正を求めた。
40)父母・教師・君主への従順を説くなど、道教に儒教的な倫理規範を取り入れた。
41)寇謙之は崔浩を通して太武帝を道教の信奉者にさせ、国家的に天師道を崇拝するよう宣布させることに成功した。
42)一方、南朝では、仏教の流入に対抗して、これまでの道教の流れを統一し、中国固有の文化としての道教を守ろうという動きが現れた。
43)たとえば陸修静は、真偽乱れていた道教経典を整理し、戒律や符〇(おふだ)を鑑定し、その文献群を「三洞」として整理した。
44)こうした陸修静の作業の成果は『三洞経書目録(中国語版)』として現代に伝わり、南朝宋末期にこの「三洞」に「四輔」が加わり道教教理の基本が出来上がった。
45)これによって道教の経典体系が成立し、道教を儒教・仏教と並ぶ三教とする端緒になった。
46)また、陸修静の孫弟子の陶弘景は、『真誥』整理のほか、天文・暦法・数学・地理・医学・薬学・錬丹といった各方面の著作を残し、上清派の方術を説く『登真隠訣』、過去の道教経典を総括し修養論を説く『養性延命録』などがある。
47)陶弘景によって上清派の学問が集大成され、後に王遠知・潘師正・司馬承禎・李含光といった道士を輩出した。
48)この頃、道教の普及とともに、皇帝が都に道士のための住居と修行の場を作るようになった(=道観)。
49)最初の道館とされるのは、南朝宋の明帝が陸修静のために建造した崇虚館である。
50)道観に入る者は税の免除などの特権があったため道観は急速に発達し、道観に居住する道士の生活の仕方や宗教活動の在り方を定める規範(威儀)として『正一威儀経』や『三洞奉道科戒営始』が制作された。
51)徐々に、道観は道士の居住の場だけではなく、上章・斎・講経といった重要な儀式も行われるようになった。
52)唐:最盛期
53)唐代に入ると道教が重視されるようになり、中国の歴史上最も道教文化が栄えた時代となった。
54)李淵は、李氏が天下を得ることを老君(太上老君)が予言したという道士の言葉を利用して唐王朝を創立し、老子を王室の祖先であるとしたため、基本的には道教を仏教より優先する政策が採られた。
55)金丹が皇帝の支持を得て広く流行し、唐の末期にはその中毒によって穆宗・武宗・宣宗が命を落とすことにもなった。
中国ではこの金丹や近代ではアヘンなどが流行りますが、これも民族の特徴なのでしょう。(笑)
56)この頃、道士は大きな役割を担い、国家の慶賀の儀式、皇帝の祖先の供養、皇帝や皇后の誕生日の祝い、雨乞いや晴天祈願、皇帝やその一族の健康長寿祈願、不老長生の方法の教授などが重要な役目であった。
57)皇帝も道教を保護・信奉し、宮観の建設や道士の供養などを行った。
58)また、全国各地に道観が建てられて道士が配置され、国家と皇帝の安寧を祈願する金〇(竹冠+録)斎などの道教儀礼がしばしば執り行われた。
59)もともと道観の数は仏教寺院よりはるかに少なかったが、李淵は都市と全国各地に仏教寺院と道観を同数設置するように調整した。
60)唐代の道教重視は科挙にも反映され、高宗の時に『老子道徳経』が項目に加えられ、玄宗の時には『荘子』『列子』『文子』も加わった。
古典を学ぶ事も勿論大切ですが、それ以上に大切なのが時代に応じたアップデートです。古典の提唱者、編纂者は、当時でも最先端の哲学者、宗教者でした。(笑)
以下は省略します。
61)道教の内容・教義
62)分類:
63)道教が幅広い内容を含むものであることは古くから指摘されており、たとえば南朝梁の劉〇(カ*3+思)が著した『滅惑論』では、道教の3つの要素を「道教三品」として挙げている。
・上:老子−老子の無為や虚柔の思想
・次:神仙−神仙の術
・下:張陵−祭祀や上章(神々への上奏文を燃やす儀式)および符書(お札)の類
また、元の馬端臨が著した『文献通考』の「経籍考」では、道教の内容を五つ挙げている。
・清浄−老子・荘子・列子などの清浄無為の思想。
・煉養−内丹などの養生術。
・服食−仙薬を服用し不老長生を図ること(外丹)。
・符〇−符〇(おふだ)を用いた呪術。
・経典科教−仏教に対抗して作られた経典や儀礼で、近世の道士が用いるもの。
ほか、『四庫提要』の「道家類」の序文では、道家(道教)は老荘の「清浄自持」を根本とし、その後、神仙家・煉丹術・符〇・斎〇(亡魂を救済したり災厄を除去するために行う)・章呪(神々への上書文や呪術)などが加わっていった
という説明がなされている。
64)以下、これらの各要素について説明を加える。
65)老子の「道」:
66)『老子』に説かれる「道」の概念が、道教の思想の根本である。
67)道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」についての説明がなされるのが通例である。
68)『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける。
69)「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している。
70)道教においては、不老長生を得て「道」と合一することを理想とするが、その際には精神的な悟脱だけを問題とするのではなく、身体的な側面も極めて重視する。
71)そのため、形而上の「道」の具体的な発現である「気」もクローズアップされるようになった。
72)神仙:
73)健康で長生きしたいという人々の共通の願いが、永遠の生命を得るという超現実的なところまでふくらませたものが神仙という観念で、道教では理念的には神仙になることを最終目標としている。
洋の東西を問わず、不死、永遠の生命は理想の一つなのでしょうが(cf.原不安)、転生を信じるならば=不死とも思えます。
74)神仙は、東の海の遠くにある蓬〇山(ほうらいさん)や西の果てにある崑崙山に棲み、不老不死などの能力を持つ。
崑崙山は、こんろんさんと読みます。
75)また、戦国時代から漢代にかけては、神仙は羽の生えた人としてイメージされることが多く、神仙は天へと飛翔する存在とされる。
これはエンジェルなどと同じですね。鳥葬とも関係が有るのでしょうか? 仙人やエンジェルなども、中東の産物なのでしょうか?
76)神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた。
77)また、道教の中で中心となる神は、当初は老子を神格化した「老君」や「太上老君」がおり、6世紀ごろからは宇宙の「道」を神格化した「元始天尊」や「太上道君」、13世紀ごろからは黄帝の変身である「玉皇大帝」や「呂祖」がいる。
ほかにも、かまどの神や媽祖(海上の守護神)など無数と言えるほどに多くの神が存在する。
媽祖は、まそと読みます。ですから道教も多神教な訳です。
78)外丹:
79)仙人になるための修行理論や方法は葛洪『抱朴子』に整理されている。
80)葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げ、特に「還丹」と「金液」の服用を重視した。
彼の香具師の類なのでしょうが、歴史に名が残るだけで?名誉です。(苦笑)
81)金石草木を調合して還丹・金液といった不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ。ただ、実際には水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、丹薬の服用で命を落とした人も多い。
現代人はこれをセセラ笑いますが、案外化学の元だったりもします。(笑)「化学」は、イスラームの所でご紹介します。
82)外丹の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。
これは席亭も初耳でした。
83)また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて薬として用いられている。
84)宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった。
85)内丹:
86)内丹とは、瞑想などを通じて体内の気を練って体の中に金丹を生み、不老長寿に至る方法論である。
87)ここでは、人間の肉体そのものを一つの反応釜とし、体内の「気」を薬材とみなして、丹薬を体内に作り出すことが試みられ、それによって不老長生が実現するとされる。
88)呼吸法には「吐故納新」、瞑想法には五臓を意識して行う「化色五倉の術」、ほかに禹の歩みを真似て様々な効用を求めた「禹歩」などがある。
89)また、道教においては身体と精神は密接につながっていると考えられるため、感情を調和のとれた穏やかな状態に保つ精神的な修養も不老不死のために必要であるとされた。
これはヨガなどにも通ずるのでしょう。席亭も、「病は気から」だと思います。
90)過去の外丹が莫大な出費を要するうえに失敗に終わったのに対し、自己の身体のみを用いる内丹は誰でも取り組めるため、多くの本が出版されて手軽なものとして広がった。
91)内丹の根本経典とされたのは『周易参同契』と張伯端の『悟真篇(中国語版)』である。
92)『悟真篇』の内丹法は、「金丹」を体内で練成する段階と、それを体内に巡らせる「金液還丹」の段階に分かれている。
93)前者の段階は、腎臓の部位に感じられる陽気の「真陽」と、心臓の部位に感じられる陰気の「真陰」を交合させると、丹田に金丹が生じるというもの。
94)後者の段階は、体内の金丹を育成し、身体の精気を金液に変化させる。この時、金液は督脈と任脈のルートに沿って体内を還流し、十ヶ月続けると神仙になる。
95)ただし、これと同時に心性・精神の修養も必要であるとされ、これは「性命兼修」また「性命双修」と呼ばれ、全真教で重視された。
やはり科学的思考が無いのが致命的です。彼らはどうして、これらを真実であると思ったのでしょうか?(笑)
96)羽化仙・尸解仙:
97)以上のように、道教においてはさまざまな方法によって不老長生の仙人になることが目指されたが、現実には死は避けがたいものであった。
98)そこで、形の上では死ぬという手続きを経た上で、のちに仙人になるという考え方が生まれ、これを「尸解」という。
口先の上手い奴が居るものです。(苦笑)
99)尸解仙の伝説にはさまざまなものがあり、死んだ人が生き返った、棺の中の遺体が消えて服だけになっていた、遺体がセミの抜け殻のように皮だけになっていたといった逸話が語られた。
100)また、丹薬によって中毒死した場合も、それは本当の死ではなく、尸解仙になったものと考えられた。
これらの話の元は、やはり商売なのでしょうか? 嘘や色気も、商売に成りますものね。(苦笑)§儀式以下は省略します。
101)宇宙論
102)天界説:
103)道教において、天の世界は神々の住む場所であり、人も程度に応じて到達可能な理想の境地であるとされたが、具体的な天界説は経典によってさまざまで、統一されていない。
104)唐代初期の頃に天界説として定着したのが「三十六天説」であり、これによれば、天界は三十六の天が積み重なった構造をしており、三界の内にある「二十八天」と、その上にある「八天」に分かれる。
105)三界二十八天のうち、下の六天は欲界、次の十八天は色界、次の四天は無色界で、三界二十八天に住む者は、寿命は長く、美しい宝玉に囲まれているが、生死を免れることはない。
106)無色界の上には四天があり、そこには生死はなく、災害も及ばない。
107)その上には三境(太清境・上清境・玉清境)があり、その上(三十六天の最上部)には大羅天がいて、過去・現在・未来の三世の天尊がそこにいる。
108)三十六天説は、仏教の三界二十八天説を下層部に取り込んでおり、仏教の天界の上に道教独自の天を置くことによって仏教よりも優位であることを示した。
この様にして嘘が作られ、広まって行くのです。(笑)
109)また、神仙は細かくランク分けされ、それぞれの位階に応じて住む場所が決まっており、三境には九仙・九真・九聖の二十七の位があり、それぞれの位の仙人・真人・聖人が住むとされた。
110)地上の仙人:
111)天界は神仙の住む場所とされたが、地上にも神仙の住む場所はあるとされ、古くは蓬〇山や崑崙山がその場所であるとされた。
112)地仙(地上で暮らす仙人)の別天地として徐々に整理されたのが「洞天」の世界で、六朝時代中期ごろから、天と同様に三十六の洞天があるという観念が生まれた。
113)『真誥』では洞天の一つとして茅山にあるとされる「華陽洞天」について記載されており、その洞窟の中は特殊な光によって外界と同じように明るく、草木・水沢・飛鳥・風雲など外界と同じ自然が広がっている。
114)宮殿や役所があって多くの地仙が仙官(仙人世界の官僚)となり、全体が上位の神仙の統轄のもとにある。
115)鬼の世界:
116)「鬼」とは死者の霊魂や天地山川の精霊のことである。
117)不老不死を理想に掲げる道教としては、鬼は理想を達成できなかった存在ということになるが、実際には誰もが死からは逃れられず、実際には道教と鬼の観念は深いかかわりを持っていた。
118)中国古来の泰山伝説が仏教の「地獄」の観念と結びつき、人は死後に泰山地獄に入って泰山府君による裁きを受け、冥界での処遇が決まると考えられるようになった。
つまりは、地獄は仏教由来な訳です。
119)たとえば、『真誥』では、死者が第一から第六まで存在する天宮に赴き、鬼界での処遇を決められると描かれている。
120)『真誥』によれば、世界は仙界・人界・鬼界の三部からなり、それぞれの世界に住む者は固定しておらず行為の善悪によって上に昇ったり下に降ったり循環往来すると説かれる。
121)人界から仙界への移動のためには、服気・存思などの道術や、経典の読誦、按摩・理髪・導引などの健康法などが必要とされる。
122)一方、鬼界から仙界・人界に移ることができる者は、地下主者・地下鬼者と呼ばれる、鬼と仙との中間的な存在である。
123)地下主者となることができるのは、生前に忠孝や貞廉であったり陰徳があった人で、死後長い年月を経て仙人になれるとされている。
124)このようにして、現世において仙人になることができなかったものでも、死後に仙人になることがありうるとされ、仙界への道がより広く開かれることとなった。
以下は省略します。
125)三教の関係:
126)道教・儒教・仏教の間には様々な相互交渉と融合が起こった。
127)仏教と道教の融合の事例としては、天界説・「劫」の観念・地獄・止観・禅の思想・大乗思想・空思想・仏性思想などがある。
128)儒教と道教の融合の事例は倫理思想の面によく現れており、『太平経』や『抱朴子』など、儒教の倫理道徳が基調となっている経典は多い。
129)道教・儒教・仏教の三教の優劣が争われ始めたのは特に南北朝で、皇帝の前で公開討論が実施されるなど、道教は儒教および仏教と三つ巴の抗争時代へと入り、充分な理論の形成が必要となった。
130)この頃、南朝で「三洞四輔」や「三十六部尊経」などの体系的な経典が成立した。
131)さらに、仏教に対する優位性を示すため、老子が西域に渡り釈迦になったという説を立てる『老子化胡経』や、仏教の「三界二十八天」を上回る「三界三十六天説」を作り出すなど、教理の拡充と強化を進めた。
132)一方、仏教の側からも老子・孔子・顔淵は仏が中国の人々を教化するために派遣した仏弟子であるとする「三聖派遣説」などが唱えられた。
顔淵は顔回ともいい、孔子の弟子の一人です。
133)仏教と道教:
134)元徽年間、道士の顧歓が「夷夏論」を著すと、「夷夏論争」と呼ばれる仏教と道教の論争が始まった。
135)顧歓は、仏教と道教はその根源的な真理は一致しており、どちらも人々の本性を完成させるという目的は同じであるが、そのための教化方法が異なり、中国においては中国の風俗に合った道教がふさわしいと述べた。
136)仏教が中国に伝来した際には、中国に固有に存在した道家思想・神仙思想を媒介として中国の社会・文化の中に流入した。同時に、仏教の要素が道教にも取り入れられるようになった。
137)特に『霊宝経』の仏教需要は顕著で、仏教の宇宙論・大乗思想・因果応報思想・戒律などが霊宝経の中に取り入れられている。
138)また、道教には、人々が自力で仙界に到達するという自己救済の形式だけではなく、人々の苦しみを救う神格も存在するが、特に六朝時代中期以降には、仏教の大乗思想を道教が受容し、冥界の死者をも含めたすべての存在を救済する
という考え方が取り込まれ、様々な斎法儀礼が整えられた。
139)唐代にも、仏教が系統的な解釈を重ね、教相判釈という中国独自の価値序列を編み出し思弁性を高めていたことに対抗し、道教側も仏教的な要素を吸収しながら理論の深化を推し進めた。
140)たとえば、唐代を代表する道教経典『太上一乗海空智蔵経』(『海空経』)や『太玄真一本際経』、『大乗妙林経』などは「道性」(「道」を具えた本性)を誰しもが持つと説いているが、
これは仏教の『涅槃経』の「仏性」の概念に影響を受けている。
141)ほか、司馬承禎の『坐忘論(中国語版)』は、仏教の天台止観の方法を取り入れながらも、『荘子』の思想を基調としており、道教の修養論として後世大きな影響を与えた。
142)儒教と道教:
143)儒教で最も重んじられる道徳である「孝」も道教に取り入られており、祖先祭祀を行うことによって、亡き先祖を思う心が天を感動させ、冥界の魂に報いが及ぶと考えられていた。
144)陸修静が整備した儀礼である「霊宝斎」は、父母の重恩を思う気持ちが斎の根本であることを強調し、家の祖先を供養するための斎や国家の安寧を祈願する斎を整備した。
145)これは儒教の思想と同じように家と国家の安寧を祈願するものであり、唐代に道教が王朝に重んじられるきっかけを作った。
146)三教帰一の思想:
147)こうして三教の間の交渉・融合が進むにつれて、儒・仏・道の一致を主張する説も多く提出されるようになってきた。
148)特に宋代以後になると、自己修養を目的に内丹に関心を持つ人が増え、その一致が説かれるようになった。
149)道教の側からこの議論を行ったのが『悟真篇』で、この書では「性」に重きを置く仏教と「命」に重きを置く道教は不可分で、かつ儒教経典である『論語』や『易』を引用しながら孔子が性命の奥義に通じていたと述べられている。
日本でも神仏習合が図られました。以下は省略します。
150)関連項目:道教用語一覧、道教神の一覧、道蔵、李氏朝鮮の学問#道教、錬丹術、呪禁、天皇大帝、玉皇大帝、老荘思想、易学、荘子、太極図、中国神話、中国哲学、中国の仏教、五岳、勾玉、日本タオイズム協会、
日本道観、道家道学院、日本道教学会、日本道教協会、キョンシー
ここで古代中国の歴史と発明に戻ります。
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