米と稲作
Civでは特に稲作には言及されていません。主食には小麦、大麦、トウモロコシ、エンバク、ライムギ、イネ、豆類、果実類、サゴ(ヤシ科)、魚類、生肉などが有るそうです。
これは明らかに4)飲水と飲食、排便に関係していますが、稲作は一人では困難ですので、12)個人の集積にも関係しています。(笑)
Wikiで「米」を調べると「米」ページが、「稲作」を調べると「稲作」ページがヒットします。まずは「稲作」ページから。
1)稲作(いなさく)とは、イネ(稲)を栽培することである。収穫後の稲からは、米、米糠(ぬか)、籾殻(もみがら)、藁(わら)がとれるが、主に米を得るため稲作が行われている。
2)稲の栽培には水田や畑が利用され、それぞれの環境や需要にあった品種が用られる。
3)水田での栽培は水稲(すいとう)、畑地の栽培は陸稲(りくとう、おかぼ)とよばれる。栽培品種は大きくジャポニカ米とインディカ米に分けることができ、ジャポニカ米はさらに熱帯ジャポニカ(ジャバニカ米)と温帯ジャポニカに区分される。
4)形状によっても、短粒種、中粒種、長粒種に分類される。
5)ジャポニカ米は短粒種で、インディカ米は長粒種とされるが、長粒種のジャポニカ米も存在するため正確ではない。
6)現在は、北緯50度から南緯35度の範囲にある世界各地域で栽培されている。
7)米生産の約90%をアジアが占め、アジア以外では南アメリカのブラジルやコロンビア、アフリカのエジプトやセネガル、マダガスカルでも稲作が行われている。
マダガスカルの住民はアジア系のそれなので、米も作られます。
8)伝播の理由:
9)稲作が広く行われた理由として、
・米の味が優れており、かつ脱穀・精米・調理が比較的容易である。
・イネは連作が可能で他の作物よりも生産性が高く、収穫が安定している(特に水田はその要素が強い)。
・施肥反応(適切に肥料を与えた場合の収量増加)が他の作物に比べて高く、反対に無肥料で栽培した場合でも収量の減少が少ない。
・水田の場合には野菜・魚介類の供給源にもなり得た(『史記』貨殖列伝の「稲を飯し魚を羹にす・・・・・・果隋〇蛤、賈を待たずしてたれり」は、水田から稲だけでなく魚やタニシも瓜も得られるので商人の販売が不要であったと解される)。
などが考えられている。
米が作れる所では麦ではなく、米を作るそうです。しかし畑ではなく、水田を作る必要が有ります。また水の量も必要でしょう。確かにパンの様に面倒な加工は不要ですし、またバターやジャムも不要です。
10)米作りの歴史
11)起源:
12)稲作の起源地は、栽培イネOryza sativa1083品種とその起源種とされる野生イネO. rufipogon446系統などのゲノム解析や考古学的な調査により、約1万年前の中国の珠江中流域あるいは長江流域と考えられている。
13)かつては雲南省の遺跡から発掘された4400年前の試料や遺伝情報の多様性といった状況から雲南省周辺からインドアッサム州周辺にかけての地域が発祥地とされていた。
14)ゲノム解析の結果と、遺跡から発掘されたイネの遺物から、まず野生イネから熱帯ジャポニカ祖先系統が栽培化され、それに異なる野生系統が複数回交配してインディカ組成系統が生じ、熱帯ジャポニカ祖先系統に人為選択が加わって
温帯ジャポニカ祖先系統が生まれたと考えられている。
15)長江流域にある草鞋山遺跡のプラント・オパール分析によれば、約6000年前にその地ではジャポニカ米が栽培されており、インディカ米の出現はずっと下る。
16)ゲノム解析の結果から、白米化は野生イネが熱帯ジャポニカ祖先系統に栽培化される過程で生じ、紫黒米と餅米は熱帯ジャポニカ祖先系統から生じたと考えられている。
昔は赤米(〜赤飯に似ている)が、米の祖先であると言われていました。しかし、1万年前では未だ時代が浅過ぎます。席亭などは、
1))日本人の顔付はベトナム人に似ている
2))謡は長く伸ばすので、ヨーデル/山岳人か海人/呼吸法に関係している
などから、雲南説も(キルギス説も?)捨て難いと思います。ですがこれは稲作伝来ではなく、日本人祖先の話でした。(苦笑)
17)東アジア
18)中国:
19)中国では紀元前6000年から紀元前3000年までの栽培痕跡は黄河流域を北限とした地域に限られている。
20)紀元前3000年以降山東半島先端部にまで分布した。
21)日本:
22)従来、紀元前5〜4世紀頃に水田稲作から始まったとされていたが、現在は、縄文時代後晩期(約3000−4000年前)には水田稲作が行われていた可能性が高いと考えられている。
23)水田稲作の伝来経路としては、山東半島から黄海を横断し朝鮮半島を経て日本に伝来した経路が有力とされるが、詳細は後述する。
24)近年は、水田稲作伝来以前からの熱帯ジャポニカ種の陸稲栽培の可能性が指摘されるようになったが、決定的な証拠は発見されていない。これも詳細は後述する。
水田に比べて、畑の遺構は残りにくいと思います。
25)朝鮮半島:
26)無文土器時代前期にあたる平壌市南京里遺跡で発見されたイネが最古であるが、陸稲であった可能性が高いとされる。
27)水田稲作に関しては朝鮮半島南部では、3100年前の水田跡が慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡から、2500年前の水田跡が松菊里遺跡で見つかっている。
28)結核との関連:
29)古代の東アジアにおける結核は稲作文化とセットで中国から広まったと考えられている。
30)2019年時点では、中国・朝鮮半島・日本列島から出土した人骨にある結核による脊椎カリエスの痕跡の年代と場所の関係から、結核と稲作文化は長江流域にある広富林遺跡(現在の上海市)の付近から日本に伝播した可能性が示唆されている。
稲作と特定の病気がセットだなんて、面白い事も有るものです。
31)東南アジア・南アジア:
32)東南アジア、南アジアへは紀元前2500年以降に広まった。その担い手はオーストロネシア語族を話すハプログループO-M95(Y染色体)に属する人々と考えられる。
33)東南アジアにおいても、稲作文化と同時に結核も伝播したという指摘がある。
34)中央アジア・西アジア:
35)トルコへは中央アジアから乾燥に比較的強い陸稲が伝えられたと考える説や、インドからペルシャを経由し水稲が伝えられたと考える説などがあるが、十分に研究されておらず未解明である。
36)アフリカ:
37)栽培史の解明は不十分とされているが、現在のアフリカで栽培されているイネは、地域固有の栽培稲(アフリカイネ Oryza glaberrima)とアジアから導入された栽培稲(アジアイネ Oryza sativa)である。
38)アフリカイネの栽培開始時期には諸説有り2000年から3000年前に、西アフリカマリ共和国のニジェール川内陸三角州で栽培化され、周辺国のセネガル、ガンビア、ギニアビサウの沿岸部、シエラレオネへと拡散したとされている。
39)アジアイネの伝来以前のアフリカでは、野生化していたアフリカイネの祖先種と考えられる一年生種O. barthiiと多年生種O. longistaminataなどが利用されていた。
40)近代稲作が普及する以前は、アフリカイネの浮稲型や陸稲型、アジアイネの水稲型、陸稲型が栽培地に合わせ選択栽培されていた。
41)植民地支配されていた時代は品種改良も行われず稲作技術に大きな発展は無く、旧来の栽培方式で行われた。
42)また、利水潅漑施設が整備される以前は陸稲型が70%程度であった。
43)植民地支配が終わり、利水潅漑施設が整備されると低収量で脱粒しやすいアフリカイネは敬遠されアジアイネに急速に置き換わった。
44)1970年代以降になると、組織的なアジアイネの栽培技術改良と普及が進み生産量は増大した。
45)更に、1990年代以降はアフリカイネの遺伝的多様性も注目される様になり、鉄過剰障害耐性、耐病性の高さを高収量性のアジアイネに取り込んだ新品種ネリカ米が開発された。
46)ネリカ米の特性試験を行った藤巻ら(2008)は、陸稲品種の「トヨハタモチ」と比較しネリカ米の耐乾性は同等であるが耐塩性に劣っていると報告している。
47)ヨーロッパ:
48)ローマ帝国崩壊後の7世紀から8世紀にムーア人によってイベリア半島にもたらされ、バレンシア近郊で栽培が始まった。
49)しばらく後にはシチリア島に伝播し、15世紀にはイタリアのミラノ近郊のポー河流域で、主に粘りけの少ないインディカ種の水田稲作が行われる。
50)13世紀にはフランスに伝わり、カマルグにて稲作が行われた(カマルグの稲作(フランス語版))。元は飼料用として生産されていたが、第二次世界大戦中の食糧難で人も食べるようになり、フランス領インドシナから稲作技術を導入し品質が向上した。
フランスでの米生産の98%を担う。
51)アメリカ大陸:
52)16−17世紀にはスペイン人、ポルトガル人により南北アメリカ大陸に持ち込まれ、プランテーション作物となった。
§日本列島での歴史は省略します。
53)手順
54)古くからの伝統的な方法:
1.田の土を砕いて緑肥などを鋤き込む(田起こし)。
2.圃場に水を入れさらに細かく砕き田植えに備える(代掻き)。
3.苗代(なわしろ/なえしろ)に稲の種・種籾(たねもみ)をまき、発芽させる(籾撒き)。
4.苗代にてある程度育った稲を本田(圃場)に移植する(田植え)。※明治期以降は田植縄や田植枠(田植定規)などによって整然と植え付けがなされるようになった。
5.定期的な雑草取り、肥料散布等を行う。
6.稲が実ったら刈り取る(稲刈り)。
7.稲木で天日干しにし乾燥させる。※稲架(馳)を使用したハセ掛け、棒杭を使用したホニオ掛けなど
8.脱穀を行う(籾=もみにする)。
9.籾摺り(もみすり)を行う(玄米にする)。
10.精白(搗精)を行う(白米にする)。
55)稲作と文化:
56)稲作文化は稲を生産するための農耕技術から稲の食文化、稲作に関わる儀礼祭祀など様々な要素で構成されている。
57)農耕技術では稲作のための農具や収穫具、動物を用いた畜力利用や、水田の形態、田植えや施肥などの栽培技術、虫追いや鳥追い、カカシなど鳥獣避けの文化も存在する。
58)また、穂刈したあとの藁は様々な用途があり、藁細工や信仰とも関わりが深い。
59)食文化では粥や強飯、餅やちまきなど多様な食べ方・調理法が存在した。
60)また、高倉などの貯蔵法や、醸造して酒にするなど幅広い利用が行われていた。
61)水田の光景は、日本の伝統的文化の1つといえ、日本人と稲作の深い関わりを示すものとして、田遊び・田植・田植踊・御田祭・御田植・御田舞等、豊作を祈るための多くの予祝儀式・収穫祭・民俗芸能が伝承されている。
62)宮中祭祀においても天皇が皇居の御田で収穫された稲穂を天照大神(アマテラスオオミカミ)に捧げ、その年の収穫に感謝する新嘗祭がおこなわれている。
63)天皇徳仁は、皇居内生物学研究所などで、水稲手蒔き、田植え、稲刈りをみずからおこなっている(宮内庁サイト)。
64)尚、漢字の「年」は、元々は「〇」(禾/千)と表記された字で、部首に「禾」が入っている点からも解るように、稲を栽培する周期を1年に見立てていた。
65)関連項目:掘り上げ田、稲刈り、耕耘機、田植機、刈取機、自脱型コンバイン、棚田、作況指数、神田(御田)、地域コミュニティ、秋落ち、合鴨農法、V字型稲作−松島省三が提唱、への字稲作−井原豊が提唱、
盤錦米(中国語版)−モズクガニの一種を害虫や雑草駆除に使った農法が見られ、稲の収穫時にはカニも収穫される。
稲刈りなどには労力が必要とされ、村の共同作業でした。次は「米」ページです。
1)米(こめ)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。
2)概要
3)栄養価:
4)米の主成分はデンプンで、活動のエネルギー源となる栄養素である。少量ながらタンパク質も含まれており、胚芽やぬかにはビタミンB群やミネラル、食物繊維が含まれる。
5)精白米よりも胚芽やぬか層を残した玄米のほうが栄養や食物繊維が豊富になり、食品成分表(可食部100gあたり)によれば、カリウムは約3倍、カルシウムは約2倍、ビタミンB1・ビタミンB6は8−10倍、食物繊維は約4倍多く含まれる。
6)調理時の加熱条件などに応じて、冷却後の生成量が変化する。
7)経済的意味:
8)米は、食料として重要である一方で、比較的長期に保存ができるという特徴から、マダガスカルのメリナ人やタイにおけるサクディナー制など、経済的に特殊な意味を持った。
租税の対象に成ったりもします。
9)歴史
10)栽培史:
11)稲の原産地は中国大陸の中南部である。
12)中国:
13)1アジア米の原産地はインドアッサム地方から中国雲南省というものが有力な説であり、15000年前には長江中流域で稲作の形跡が見られるなど世界最古の稲作の歴史を有する。
数字1は不要でしょう。
14)確実に稲作が行われていたとみなされる痕跡は、紀元前7500年頃−紀元前6100年頃の新石器時代彭頭山文化に属する彭頭山遺跡や八十〇(土偏+當)遺跡において発見されている。日本の稲作もこの地域から伝わったものと考えられている。
15)伝統的な農業地理の理解では、秦嶺・淮河線以南が稲作地域とされており、水源と土地に恵まれた長江中下流域において盛んであり、ここで生産された米は、大運河などを通じて華北地域まで運ばれ食を担った。
17)元々は、ジャポニカ種であったが、南宋の時代に、インドシナ半島からインディカ種の一種である占城稲が流入すると、旱害に強く早稲種で二期作が可能であるという理由から一気に普及しこの地域での主要なイネの種となった。
18)この時代、「蘇熟すれば天下足る」「江浙熟すれば天下足る」(長江下流域; 蘇・江=ほぼ現在の江蘇省、〇=ほぼ現在の浙江省)と言われ、下って明清代には、稲作の中心が長江中流域である現在の湖南省・湖北省に移り、
「湖広熟すれば天下足る」と言われ、国の穀倉として認識されたことがうかがえる。
19)一方で、秦嶺・淮河線以北は稲作不適地域と認識されていたが、1900年頃以降の日本の進出に伴い旧満州地域である中国東北部に寒冷に強いジャポニカ種を定着させ、その後の農業技術の発展から、この地域においても稲作が
大々的に展開されている。
20)2000年代後半時点で世界最大の米生産・消費国である。
21)生産は、約7割がインディカ種、約3割がジャポニカ種となっている。
22)インディカ種に比べ、ジャポニカ種は、手間がかかり、土地あたりの収量も少なく、高価なものとなるが、中国の経済発展による所得向上のほか、地方都市間の人口移動による新たな消費層の発生などを背景に、中国におけるジャポニカ種の消費量は
増加傾向にある。
23)一方で、1990年代後半に豊作だったことから作付け面積が減少、中国政府は2004年に援助政策に乗り出している。
24)中国政府は寒冷地への稲作拡大だけでなく、収量を増やすための栽培技術や品種改良にも力を入れている。
25)中国工程院の袁隆平らのチームが開発したハイブリッド米「湘両優900(超優千号)」は2017年、河北省の試験圃場で1ヘクタール当たり17.2トンと米としては世界最高の収量を記録した。
26)これは日本の平均の3倍近い。翌2018年には18トン超と、記録を更新した。
収量が良ければ、単価は下げられます。
27)一方で、2004年に韓国へ輸出された中国製蒸し米、揚げ菓子などからホルムアルデヒドスルホキシル酸ナトリウムが検出され、韓国政府が輸入を停止するなど、安全性の問題も発生している。(中国産食品の安全性)
28)日本:
29)日本で稲作は縄文時代後期から行われ始めたといわれるが、大々的に水稲栽培が行われ始めたのは縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。
30)弥生期では一粒当たりから生産できる量は400粒ほどだったが(それでも麦が一粒当たり150−170粒の生産量であることを考えれば、高い生産量といえる)
長らく租税(租・あるいは年貢)で納めるものとして使われた。
31)貨幣経済が発達すると、それとの調和を図るべく、札差業が発達、米切手の発生や堂島米会所に代表される近代的商品取引システムの生成が見られ、江戸時代には政治経済の中心に米が置かれていた。
32)そのため日本人の米に対する思い入れは強く、米は最も重要な食べ物とされ、主食とされてきた。
33)天皇が新米を含む五穀を神に捧げて収穫に感謝する新嘗祭のように、神道など信仰や民俗・文化とも深い関りを持つ(節「#文化」で詳述)。
34)しかし、階級や貧富、地域などによって大きな違いがあり、戦後の高度経済成長以前は雑穀や芋などを実際の主食にしていた人たちも多く、関東地方の畑作地帯などでは麦が7割から8割の飯を常食としていた。
これは席亭も知りませんでした。
35)現在は住宅地になっている東京の杉並区では大正時代から少しずつ野菜の栽培が増加し、都市近郊の野菜栽培農家に転換したが、それ以前は稗などの穀物を栽培し、日常食は稗と麦で米は少し入れるだけだった。
36)その一方、明治の初め秋田県権令島義勇の政府への報告書のなかに、「県民は山間僻地でも白米を食している・・・・・・」とあり、藩政時代から白米の飯を食べている地域もあった。
37)秋田は日本有数の穀倉地帯であり、雑穀の生産が少ないこともあって、農民に雑穀を食べるよう強要した他の地域とは違い、為政者の締め付けが然程ではなかったことにもよる。
38)秋田県の隣の宮城県も仙台藩時代から米の生産が盛んで正月以外にも餅を食べる習慣があり餅料理が発達した一方、第二次世界大戦前には関兵精麦が米穀餌料の卸や精麦で多額の利益を得ているなど、麦の需要が多かった地域でもある。
39)これは仙台藩が米を江戸への輸出用(換金作物)として扱い、庶民は嗜好品として捉えていた名残とされる。
40)なお戦後も麦の需要減少は緩やかであったため、関兵精麦は余力を残したまま不動産業への転換に成功している。
41)越後長岡藩の武士によるとされる、文化2年(1805年)刊行の『粒粒辛苦録』は、農民のきわめて厳しい食生活を描いている。
42)これに対し、同じ越後長岡藩の庄屋大平家が天保6年(1835年)に著した『農家年中行事記』は、しばしば行事が催され食物や酒がふるまわれ、小作人を含めて自由に食を楽しんでいた様子が窺える。
43)最近、各地域に残された家文書の研究が進み、厳しい制限の下に雑穀を中心とした食生活を強いられた貧しい農民像が必ずしも実態を示すものではないとする説も現れた。
44)農民側の記録を分析したところ近世の農民は、1日に4合程度の米を麦飯あるいは雑穀などとかて飯や雑炊にした食事を日常的に摂っていたという。
以下は省略します。
45)アメリカ合衆国:→「en:Rice production in the United States」も参照
46)アメリカ大陸で米が栽培されるようになったのは西洋人との接触以降のことである。
47)すでに17世紀はじめに今のアメリカ合衆国バージニア州にあたる場所でイネの栽培が始まっていたが、1694年にマダガスカルから稲作がサウスカロライナ州にもたらされ、南部諸州に広まった。
48)これらの土地で栽培されたのはバスマティライスやジャスミンライスに代表されるアミロースの多い長粒種のインディカ米だった。
49)カリフォルニアでは19世紀後半に鉱山や鉄道建設の労働者として中国や日本からの移民が増加して米の需要が発生したが、長粒種の栽培には成功しなかった。
50)1908年にW.W. Mackieという土壌学者がサクラメント・バレーのビッグズで日本のイネの栽培にはじめて成功し、1912年にビッグズにはカリフォルニア米の試験場が作られた。
51)カリフォルニア米はアメリカ合衆国の他の地域の米と異なり、短粒種または中粒種のジャポニカ米が大部分を占めている。
52)カリフォルニアで公式に認められている品種は17種類があるが、中粒種のカルローズ、短粒種のコシヒカリとあきたこまちがもっとも成功している
(アメリカ合衆国では米粒の長さが幅の2倍未満のものを短粒種、2倍以上3倍未満を中粒種、8倍以上を長粒種と定義している)。
53)中でも1948年に開発されたカルローズはカリフォルニア米全体の85%以上を占める。
54)一方、国府田敬三郎の農場では、カルローズ開発者のひとりであるヒューズ・ウィリアムズを雇用し、1950年代にカルローズを中東のイネと交配してKR55という品質の高い中粒種(premium medium grain)を開発し、国宝ローズの名で販売した。
55)同じ品種はJFC(JFC International)の「錦」にも使われている。
56)現在のアメリカ合衆国における米の産地は南東部のルイジアナ州、ミズーリ州、ミシシッピ州、アーカンソー州、テキサス州、フロリダ州、および南西部カリフォルニア州のサクラメント・バレーがある。
57)2009年の生産量は1000万トンに達しており、うち440万トンが輸出されている。
58)アメリカ国内での用途としてはそのまま使用するのが56%、加工用が18%、酒造用が12.2%、ペット用が12%などとなっている。
59)クリミア:
クリミアでは、コメが60万トン程度が生産された。
クリミアとは黒海に突出たクリミア半島の事で、ウクライナとロシアが領土を争っています。
60)米の利用:
61)米は、世界中で食用されている。利用例は、以下の通り。
62)食材として:
・主食−アジアやアフリカなど。日本では主食の一つである
・主菜のつけあわせ−欧米では、ジャガイモやパスタ同様主菜のつけあわせとして利用される
・デザート−欧米や東南アジアで、デザートとしても用いられる。利用例は、以下を参照。
・茶−玄米茶として
63)原料として:
・酒や餅、飴、菓子、味噌、醤油、酢など(日本)
・ライスワイン(中国:黄酒・紹興酒、韓国:マッコリなど)、蒸留酒の原料(日本:焼酎・泡盛、韓国:ソジュ、タイ:メコン)
・米粉にして粉食
・団子、煎餅(日本)、トッポギ(韓国)
・ライスヌードル、ビーフン、ライスペーパー(中国、ベトナム、タイなど)
・製粉技術の向上により、パンにしているケースも現れている(日本)
64)その他:
・糊として用いられる(日本)
・飼料としても用いられる。大豆やトウモロコシなど飼料として主に使用される他の作物に比べるとコストなどで見劣りしていたが、飼料用作物の価格高騰に伴い、米の飼料用需要が増加している。飼料用途向けとしては、
主食用米に比較して食味や色の品質よりも多収性を強化した品種が開発され、栽培・供給されている。
・おしろいとして粉砕し粉状にしたものが用いられる(主にフランス・プロヴァンス地方)
日本酒が抜けています。以下は省略します。
65)調理:
66)米は主に水分を加えて加熱調理する。
67)東アジアでは一般に水だけで調理するが、マレーシア、インドネシアなどの東南アジアではココナッツミルクを加えることが多く、また、地中海地方など米が常食ではない地域では、肉や魚のストックやバター、スパイスなど水以外の何かを加える
ことが多い。
68)広く主食用とされ飯にされるのは、粳米の白米であり、玄米や胚芽米の飯を主食とすることは、あまり多くない。
69)調理するときに糠を砥ぎ落とすことを洗米という。
70)短粒種の白米は、日本などでは、ぬかを洗い流した(洗米とか「米を研ぐ」という)のち、調理する。
71)粳米は炊いて飯とし、糯米は蒸して強飯(こわいい)としたり、餅として供される。
72)中国などでは、粳米を蒸す場合もある。インドでは多量の水でコメを煮て、概ね火が通ったところで余分な水を捨てて蒸し煮にする。
73)米を炊くことを炊飯(すいはん)、あるいは炊爨(すいさん)という。
74)「蒸し飯」を、お強(おこわ)、あるいは強飯(こわいい)とも呼ぶ。これは、蒸した飯が炊いた飯よりも「こわい」(「硬い」の古い言い方)ことに由来する。 長粒種の粳米は、煮る(湯取)事が多い。
75)古くから、飯を乾燥させたものを「干し飯」(ほしいい)、あるいは「糒」(ほしい)といい、携帯保存食として用いた。
席亭も、ほしいは初耳でした。
76)現在では、この干し飯と同じ物をアルファ化米(加水加熱して糊化(アルファ化)させた米)といい、同じく携帯保存食や非常食などとして用いる。
77)干し飯に似た食材は日本以外にも見られ、南アジアではポハやチウラと呼ばれる潰してから乾燥させた加工米も食されている。
78)飯として炊くときよりも多目の水を加えて、米を煮た料理を粥という。
79)この時に加える水の量により、全粥(米1に対して水5から6)、七分粥、五分粥、三分粥(米1に対して水15から20)などと呼ばれる。
80)また、粥から固形の米粒を除いた糊状の水を重湯(おもゆ)と呼び、病人食や乳児の離乳食に用いられる。
席亭も、おもゆの作り方は知りませんでした。現代ではおもゆを離乳食にする事は少なそうです。
81)栄養分をそぎ落とさないように、胚芽部分を残した胚芽米や分搗き米、玄米をそのまま炊いて食べる場合もある。
82)最近では発芽玄米も食べられている。胚芽部分には脚気を予防するビタミンB1が豊富に含まれる。
83)籾殻を取る前に、水に長くつけ、蒸し上げてから籾摺りをしたものを用いる地域もある。
84)タイ、マレーシア、シンガポールなどの国のほか、日本では和歌山県などでこの習慣があった。
85)干し飯のように、熱い湯や茶をかけて軟らかくすることができるほか、炒って食べる場合もある。
86)黒米や赤米は、白米に混ぜて炊くことが多い。研いだ白米に対して3〜10%程度(好みに合わせて分量を調節)を洗わないでそのまま入れて炊く。
87)餅(もち)については、「餅」の項目を参照。
88)調理用具:
89)米の調理には次のようなものが利用される(汎用加熱器具を除く):甑、釜、鍋、電気炊飯器・ガス炊飯器、蒸篭。
甑はこしきと読みます。
90)加工品:
91)東南アジアを中心として粉食も一般的で、ライスヌードル(麺類)としても広く食用にされる。
92)上新粉:
93)うるちの精白米を粉末にしたもの。料理や団子や煎餅などの和菓子や中華菓子などの原料となる。
94)粒子が粗いため洋菓子には適さなかったが、最近ではリ・ファリーヌと呼ばれる、小麦粉並の細かさのものが製粉会社各社で開発されており、それらは洋菓子やパンなどの材料に使用が可能である。
94)米から作ったパン(米粉パン)の外見・食味は小麦粉から作ったものに劣らず、もちもちとした食感になる。
95)白玉粉:
96)もち米を粉末にしたもの。水挽き粉砕をしているため、粒子が細かく滑らかな食感が特徴である。
97)道明寺粉:
98)水に浸して蒸したもち米を干して粗めに挽いたもの。用途は上の2種類の粉に比べ幅が狭めである。主に上方(近畿)風桜餅の材料に使われる。
99)α化米:
100)加工米の一種。糒など。キャンプ・アウトドアや防災備蓄用として製品化され、常温水や湯を投入することで食することができ、5年もの長期間保存することができる。
101)着香米:
102)竹のエキスなど、他の成分で人為的に香りをつけたもの
103)酒造:
104)米をアルコール発酵させて日本酒をはじめとする醸造酒(ライスワイン)が広く作られている他、焼酎などの蒸留酒においても、単独又は他の原材料と混合したもろみとして原料となっている。
以下は省略します。
105)関連項目:イネ、稲作(水稲)、田、氣、米相場、炊飯器、米粉、黄変米、事故米穀−事故米、米価、米穀通帳、米価の変遷、減反、1993年米騒動、石(単位)、俵(単位)、米寿、生気論、ブレンド米、ワイルドライス、
ライスシャワー−結婚式で、新郎新婦に米をシャワーのようにかけて祝福すること。、宇和米博物館−米の博物館、食糧管理法、米穀等の取引等に係る情報の記録及び産地情報の伝達に関する法律、食味官能試験、
カドミウム−国産米1kg中のカドミウム量は平均して0.06mg (=0.06 ppm)。流通、販売の規制値は米(玄米および精米)0.4 mg/kg以下となっている。厚生労働省 「食品に含まれるカドミウム」に関するQ&A、
Nutritious Rice for the World(英語版)−「栄養価の高い米を世界に」を標題としたWorld Community Grid において飢餓対策のための、高収穫・高栄養で耐病性に優れた米のタンパク質構造予測を行うプロジェクト。、
List of rice varieties−世界の様々な「米」の一覧(英文版)、
闇市−ヤミ米も販売された。、脚気、米部−漢字の部首、「米」で始まるページの一覧、タイトルに「米」を含むページの一覧
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