ゲルマン民族大移動
Civでも国家の首都が陥落すると、同じ国の都市に首都が移る様に成っています。ですが、民族的な(大)移動は考慮されていません。
そしてこれは明らかに、12)個人の集積(社会)に関係しています。
Wikiで「ゲルマン民族大移動」を調べると、「民族移動時代」ページがヒットします。
1)民族移動時代(みんぞくいどうじだい、英語:Great Barbarian Invasion)は、西暦300年から700年代にかけて、ヨーロッパで起こった、諸民族移住時代のことである。
2)この移住はゲルマン系及びスラブ系の移住、更に東方系の諸民族を主体としている。これは中央アジアでのテュルク系民族の圧力や、人口爆発、気候変動、疫病の蔓延などが要因とされる。
3)ゲルマン系民族の移動:→詳細は「ゲルマン民族の大移動」および「ドイツの歴史」を参照
4)本節では古代後期から中世初頭にかけて西ローマ帝国の領域内に居住するようになっていったゲルマン系の移動について記す。(参考:ゴート族、ブルグント族、ランゴバルド人、アングロ・サクソン人、ジュート人)。
5)最初にローマ帝国の領域に侵入したのは西ゴート族であり、続いて侵入したのが東ゴート族である。彼らはいずれも東方民族であるフン族からの略奪・虐殺を受け、逃げ延びる形で東ローマ帝国の領内に殺到し、
傭兵として東ローマ帝国内で一定の地位を築いた。
只で居座る事は出来ず、何らかの勤めを果たす事が要求される訳です。
6)それに続く形でブルグント族がフランス北部に、ランゴバルドがイタリアに、アングロ・サクソン人とジュート人がブリタニアに、アレマン人(ケルト系と深く混血していた)が南西ドイツに侵入していった。
7)そして最終的にフランク人というケルト系やスラブ系・ラテン系の民族とゲルマン諸族が連合したグループが西ヨーロッパを担うようになっていく。
8)ゴート人など初期に移動を開始した東側のゲルマン人は圧倒的多数派であったローマ人に同化したが、後発のフランク人はローマ化しつつも一定の影響力を維持し、ドイツ、イギリスなどの国家の根幹を築いた。
フランクからはフランスが連想されますが、実態は少し違うのでしょう。
9)またゲルマン系の故郷とされる北欧の人々はヴァイキングとして盛んに活動して各地に血統を残している。
10)西ゴート王国:→詳細は「西ゴート族」および「西ゴート王国」を参照、→「ローマ略奪(410年)」および「ホノリウス」も参照
11)もともと西ゴート族はドニエプル川両岸に居住していたが、アッティラによる圧迫によりバルカン半島北部への移住が始まり、傭兵として東ローマ帝国内に居住するようになっていた。
ドニエプル川はベラルーシとウクライナを経て、黒海に注いでいます。アッティラはフン族で、ロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築いています。バルカン半島には、ギリシアが在ります。
12)しかし5世紀初頭、東ローマ帝国で軍司令官に任じられていた西ゴート族の指導者アラリック1世は、給金の支払いについて帝国と対立して東ローマ帝国から離反、西ローマ皇帝ホノリウスの暴政に苦しむ非イタリア系住民からの要請を受けて
イタリア半島へと侵入を開始した。
13)時の西ローマ皇帝ホノリウスは、西ゴート族によるローマ略奪の報を受けてもラヴェンナへこもりきりであった。
ラヴェンナはアドリア海に面する、イタリア北東部の港町です。
14)418年にはローマ帝国との契約により西ローマ帝国への定住が認められ、トゥールーズを中心として西ゴート族の王国(西ゴート王国)が発生した。
トゥールーズはフランスの内陸、南西部、スペイン国境の北に在ります。
15)5世紀中ごろには西ローマ帝国の実権を西ゴート族の指導者が握り、ローマ帝国の名の下でガリアとヒスパニアでの勢力を伸ばした。
ガリアはイタリア北部、ヒスパニアはイベリア半島(〜スペイン、ポルトガル)の様です。
16)しかしガリアはフランク族との抗争で6世紀初頭には王国の領域から外れ、王国の重心はイベリア半島に移らざるを得なくなった。
17)その後も、イベリア半島を中心に支配が続いたが、711年に、ウマイヤ朝の攻撃を受け、滅亡。イベリア半島は、その後、レコンキスタの舞台となる。
レコンキスタはスペイン語で再征服を意味し、約800年にも及ぶキリスト教勢力とイスラム教勢力との抗争を表現しています。
18)東ゴート王国:→詳細は「東ゴート族」および「東ゴート王国」を参照
19)東ゴート族はアッティラによる圧迫から逃れる形でバルカン半島北部へと移住を開始し、傭兵として東ローマ帝国内に居住するようになっていた。
20)東ローマ帝国で軍司令官と執政官を歴任した東ゴート王テオドリックは、東ローマ皇帝ゼノンの命令でイタリアに侵攻し、ゼノンと対立していたイタリア領主のオドアケルを討伐した。
21)その功績としてテオドリックには493年にローマ皇帝アナスタシウス1世よりイタリア王位が認められ、イタリアの地に東ゴート族の王国(東ゴート王国)が誕生した。
22)しかし、後に東ゴート王国は東ローマ帝国と対立し、皇帝ユスティニアヌス1世の派遣した軍団によって滅ぼされた。
23)フランク王国とブルグント王国、ランゴバルド王国:→詳細は「フランク人」、「フランク王国」、「ブルグント人」、「ブルグント王国」、「ランゴバルド人」、および「ランゴバルド王国」を参照
24)フランク人の名前は3世紀半ばに初めて史料に登場する。その勇猛が買われ当初は西ローマ帝国の傭兵として活躍していたが、4世紀にはメロバウドゥス(英語版)やフラウィウス・バウトらのように西ローマ帝国において執政官に
就任する者も現れ、次第に東西両帝国の政界において強い影響力を持つようになった。
25)5世紀にはガリアにおいてブルグント王国、ランゴバルド王国を滅ぼして勢力を広げた。
26)508年にはフランク王クローヴィス1世がローマ皇帝アナスタシウス1世より西ローマ帝国の名誉執政官に任命され、800年にはフランク王カールがローマ教皇レオ3世からローマ皇帝としての帝冠を授けられた。
名目だとしても、冠は教皇から授けられる訳です。
27)アングロ・サクソンの七王国:→詳細は「七王国」、「アングロ人」、「サクソン人」、および「ジュート人」を参照
28)ヴァイキング:→詳細は「ヴァイキング」を参照
29)東方系民族の移動:→詳細は「プシェヴォルスク文化」および「ザルビンツィ文化」を参照
30)ゲルマニア東半分(現在のポーランド・チェコ等の地域)や、サルマティア(現在のベラルーシ南部からウクライナ)には、スキタイやサルマタイの影響を受けた、スラヴ人の文化圏が形成されていた。
31)彼らはPrzeworsk文化やZarubintsy文化などの主体をなし、周辺のケルトやゲルマンの諸族と相互に影響を与え合っていた。
32)彼らもまたフン族に押される形で東ヨーロッパ全土に進出し、スラブ系がこの地域の支配していくことになる。
33)近年では古代のケルト系民族の研究に影響されてか、プロト・スラブ人についての研究も深まりつつある。
34)その最たる例はヴァンダル人で、彼らは元々はPrzeworskに属する部族である事が判明しており、何らかの理由(恐らくは近隣のゴート族との交流)でゲルマン系言語を用いるようになったと考えられているが、
しかし実際のところヴァンダル語についてはほとんど資料がなく、彼らの日常言語が本当にゲルマン系言語であったかどうかでさえも定かではない。
35)語彙の上でゴート語の影響を受けていることははっきりしているが、スラヴ語も語彙においてゴート語の影響を強く受けた言語であり、ゴート語の影響をもってヴァンダル語がゲルマン語であったとは言えない。
36)ヴァンダル人は南欧や北アフリカに侵入していくが、このころまでには彼らがゲルマン語を話していたことがわかっている。
37)(彼らが古い時代からのリンガ・フランカとしてゲルマン系の言葉、新しい時代のリンガ・フランカとしてラテン語、伝統的な民衆語としてスラヴ祖語を使用していたならばこの謎は解決され、当地の考古文化の変遷の仕方がその有力な傍証と
なっているが、ヴァンダル人がプロト・スラヴ人であることを示す決定的証拠は見つかっていない)。
38)また同地にはサルマタイと呼ばれるイラン系の諸族も定住していた他、古代末期にはフン族やアヴァール族などの騎馬民族が侵入し、スラヴ系・ゲルマン系の諸民族を次々と征服していった。
39)彼らの出自は明らかではないものの、推測される使用言語からテュルク系に属するという意見や匈奴との関係を論じる意見が一般的である。アヴァール族はテュルク系とされるが、その共通言語としてスラヴ祖語が広く使用されていたという説もある。
説が分かれるという事は、文字、筆記が存在しなかったのでしょう。
40)フン族:→詳細は「フン族」を参照
41)サルマタイ:→詳細は「サルマタイ」を参照
42)サルマタイ人はイラン系民族で、長らく遊牧民の覇者であったスキタイ人を滅ぼして勢力を広げた。
43)民族移動時代に入ると、フン族と共に西進を開始して東ゴート族を破り東ヨーロッパに侵入した。
44)後にスキタイ人の系統を継いだとされるスラブ人に吸収されるが、ポーランド近辺ではスラブ文化だけでなくサルマタイ文化も残存して強い影響を残した。
45)近世・近代にはポーランド・リトアニア連合の貴族達がサルマタイ人の末裔である事を強調している(サルマティズム)が、これは単にサルマタイ風の服装や髪形およびサルマタイ的な気質が、非常に多様な民族的・文化的・宗教的出自から
構成されていたポーランド貴族(シュラフタ)社会の連帯感を示すものとして流行したもの。
この辺りにも、民族のるつぼと言われる東欧の形成原因が有りそうです。(笑)
46)中世ヨーロッパの騎士道文学の最高峰であるアーサー王伝説がサクソン人に対抗したケルト人の伝承がベースであったことは近年知られるようになっているが、さらにそのベースはサルマタイ人の伝承であるとする仮説がある。
47)これはローマ帝政末期にサルマタイ人の傭兵団が大量にブリテン島に移住していた事と、アーサー王伝説とサルマタイ神話が奇妙なほどに一致している為である。
これは席亭も初耳です。
48)またサルマタイ本体が滅んだ後もアラニ人などの分派勢力が活動を続けている。
49)アラニ族:→詳細は「アラニ族」を参照
50)スラブ族:→詳細は「スラブ人」を参照
51)比喩:これから派生して、年末年始や日本のゴールデンウィーク、お盆休み、朝鮮半島や中華人民共和国、中華民国(台湾)などの太陰暦(旧暦)の旧正月などでの帰省などで、「民族大移動」と表現をする記述がある。
52)関連項目:
・東方植民(12世紀−14世紀)
・en:History of German settlement in Central and Eastern Europe
・人の移動の歴史
次は「ゲルマン人」ページです。
1)ゲルマン人(ゲルマンじん、独:Germanen、羅:Germani)は、歴史的に古代から中世初期にかけて中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団のことを指す。
2)19世紀ごろからは現在のドイツ北部やデンマーク、スカンディナヴィア南部に居住し、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属する言語を母語とした諸部族、または民族とされることもあるが、「ゲルマン」の学術的定義は複数存在する。
ですから、注意が必要です。
3)先史時代および歴史時代初期の、ゲルマン語を話す部族および部族連合を原始ゲルマン人、または古ゲルマン人と呼ぶ。
4)原始ゲルマン人は中世初期に再編されゲルマン(系)民族となり、4世紀以降のフン人の西進によりゲルマン系諸民族は大移動を開始し、ローマ領内の各地に建国したフランク人やヴァンダル人、東ゴート人、西ゴート人、ランゴバルド人などの
新しい部族が形成された。
5)原始ゲルマン人は現在のデンマーク人やスウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人、イングランド人、スコットランド人などの祖先となった。
6)アングロ・サクソン人になったゲルマン人系部族にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がいた。
7)またゲルマン人の一派であるノルマン人はイングランド、アイルランド、北アメリカ、ロシア北部、エストニアにも移住し、リムリックやダブリン、ノヴゴロドといった主要都市に拠点を築いた。
リムリックはアイルランドの県都で、ダブリンはアイルランドの首都、ノヴゴロドはロシア最古の都市で、バルト海に通じるフィンランド湾の南東に在ります。席亭も何故か知っていました。(笑)
8)初出:
9)ゲルマンという語が文献上最初にあらわれるのは前80年ころギリシアの歴史家ポセイドニオスの記録であり、前2世紀末におけるゲルマンの小部族キンブリ族Cimbriとテウトニ族Teutoniのガリア侵寇について書かれた。
10)なお、紀元前4世紀末にマッシリアのギリシア人航海者ピュテアスがノルウェーやユトランド半島の民族について書いているが、ゲルマンという呼称は使われていない。
11)ゲルマン人の社会と政治:
12)ゲルマン人の記録として重要なのは、カエサルの紀元前50年頃の『ガリア戦記』やタキトゥスの紀元100年頃の『ゲルマニア』である。 これらによれば、
・ゲルマン人は定着農耕と牧畜を営んでいた。
・階層的には自由人、半自由人、奴隷に分かれ、自由人の上層部は政治的特権と豪族層を形成した。彼らはローマ人達がキーウィタースと見做した政治単位に分かれ、それはさらにパーグス(村落共同体)に分かれていた。
キーウィタースの上にゲンス(部族)があったが、タキトゥスの時代にはこれは祭祀団体であった。世襲王制をとるキーウィタースと、民会で選出されるプリンケップスに統治されるキーウィタースとがあり、政治権力の集中化も相当進んでいた。
ローマ人からすれば、当時のゲルマン人とは野蛮人そのものなのでしょう。
13)原住地:
14)原住地は紀元前2000年紀中葉のユトランド半島、北ドイツ、スカンジナビア半島の中南部といわれる。
ユトランド半島は北海とバルト海に突出た半島で、此処にはデンマークが有ります。
15)紀元前1000年紀中葉ないし紀元前3世紀までには西はオランダからライン川下流域、東はヴィスワ川流域、ドナウ川北岸、ドニエプル川下流域まで広がり、北ゲルマン、西ゲルマン、東ゲルマンの3つのグループを形成した。
16)生物学的要素:
17)「ゲルマン系」または「ゲルマン人」とは民族的な概念であるため、直接的に生物学的な特徴は関連しない。
18)ゲルマン人の場合はいわゆる「北方人種の白人」と結び付けられることが多いが、「ゲルマニア」と呼ばれた土地のうち、中部・南部ドイツはむしろアルプス人種や東ヨーロッパ人種などの影響が指摘されており、
遺伝子的にも北欧よりイタリアやフランス、スペインなど南欧との親和性が強い。
これは席亭も初耳でした。
19)反面、北部ドイツの住人は北欧人と近く、特にバルト海に面する地域は極めて近似しているが、内陸部では東ヨーロッパとの近隣性は無視できない。
20)現在のゲルマン系民族のY染色体ハプログループはハプログループI1(Y染色体) 、ハプログループR1a (Y染色体)、ハプログループR1b (Y染色体) に大別される。
21)このうちゲルマン語派本来の担い手はR1bの下位系統R1b-U106と想定される。
22)Iは欧州最古層のタイプであり、サブグループのI1が北欧で高頻度である。I1系統が金髪碧眼の発祥であると考えられ、ゲルマン人特有の外見的特徴をもたらした系統であると想定される。
民族は話す言語によって区別されるのでしょうが、誰が何語を話したかは(よっぽどの有名人でもなければ)歴史には残りません。ですから、民族の指標として遺伝学的要素を使用するのでしょう。
§諸部族は省略します。
23)歴史
24)先史時代:
25)ゲルマン人は血統的には非印欧語系スカンディナヴィア原住民、球状アンフォラ文化の担い手など様々な混血である。
26)ゲルマン語をもたらした集団の源流はヤムナ文化より分化し、バルカン半島、中央ヨーロッパを経由し、スカンディナヴィア半島南部にやってきた集団(ケルト語やイタリック語の担い手と近縁)という説、
戦斧文化の担い手でありバルト・スラブ語派に近縁という説、あるいはその混合であるとの説がある。
この戦斧はRPGに良く登場する種族、ドワーフのモチーフなのでしょう。
27)ゲルマン語の成立に非印欧語系の基層言語を認める説(ゲルマン語基層言語説)もあることから、多かれ少なかれ、非印欧語の担い手との混淆はあったと考えられる。
28)ゲルマン人は紀元前750年ごろから移動を始め、紀元前5世紀頃にゲルマン祖語が成立、その語西ゲルマン語群、東ゲルマン語群、北ゲルマン語群に分化した。
この「(純血、笑)ゲルマン民族」幻想は後年、ナチスドイツのヒトラーによって悪用されました。
29)ゲルマン民族の大移動:→「民族移動時代」も参照
30)375年、フン族に押されてゲルマン人の一派であるゴート族が南下し、ローマ帝国領を脅かしたことが大移動の始まりとされる。
31)その後、多数のゲルマニア出身の民族が南下をくり返しローマ帝国領に侵入した。移動は侵略的であったり平和的に行われたりしたが、原因として他民族の圧迫や気候変動、それらに伴う経済構造の変化があげられている。
32)この後すぐに西ローマ帝国において西ローマ皇帝による支配体制が崩壊したため西方正帝廃止と民族大移動との関連性が考えられる。
33)フン族の侵攻を食い止めたのがローマの支配を受け入れて傭兵となっていたゲルマン人であったように、帝政末期の西ローマ帝国が実質的にはゲルマン系将軍によって支えられていた実情や、
西ローマ帝国のローマ人がギリシャ人(東ローマ帝国)の支配から逃れるためにゲルマン人の力を借りて西方正帝を廃止した事情なども考慮すると、今日におけるヨーロッパ世界の成立における意義は大きいと思われる。
34)また、最近の研究では正帝廃止後の西欧における西ローマ帝国の連続性が注目されている。
35)西ローマ帝国に発生したゲルマン王国の住人や王宮高官は、そのほとんどが皇帝統治時代からのローマ系住人のままであり、例外的にゲルマン化が進んだとされるフランク王国においてすら住民の8割はローマ人であった。
36)フランク王国において宮廷人事に占めるローマ人の割合が半数を下回るようになるのは、8世紀末のカール大帝の時代になってからのことである。
37)ゴート人などの東側のゲルマン人は、ローマ人などに同化されたが、後発の西側のゲルマン人はローマ化しつつも一定の影響力を維持し、ドイツ、イギリスなどの国家の根幹を築いた。
38)なお北方系ゲルマン人(ノルマン人ないしヴァイキング)は大移動時代にはデーン人がユトランド半島まで進出した程度である。
39)この後も、ヨーロッパにはスラヴ人やマジャール人(ハンガリー人)といった民族が押し寄せ、現在のヨーロッパの諸民族が形成されていくことになる。
以下は省略します。
40)関連項目:ゲルマン人の一覧(en:List of ancient Germanic peoples)、ゲルマン法、ディング、アーリア人、アーリアン学説、民族移動時代、ゲルマン民族の大移動、インド・ヨーロッパ語族、ゲルマン神話、北欧神話
北欧神話は席亭も大好きです。香りが高いので、お勧めです。(笑)
次は現在のヨーロッパ体制の雛形となった、「ローマ帝国の分裂」です。
→ローマ帝国の分裂