奴隷

Civには、この「奴隷」は登場しません。戦闘により敵の開拓者や労働者を捕獲すると、全く差別の無い自国ユニットと成ります。
この奴隷制度は、明らかに12)個人の集積、社会に関係しています。またWikiで「奴隷」を調べると、「奴隷」ページがヒットします。

1)奴隷(どれい、英:slave)とは、人間でありながら人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の私有財産や所有物として取り扱われる人のことである。
2)所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。
3)奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。
4)1948年に国際連合で採択された世界人権宣言にて、下記のように宣言された。
  何人も、奴隷にされ、又は苦役に服する事はない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。(第4条)
逆を言うと、1948年迄は奴隷制度は許容されて来た訳です。(苦笑)

5)概説:
6)あらゆる地域・時代の文献から、広範にその存在が確認され、その様態もさまざまである。
7)定義は古代から議論の対象となっており、アリストテレスは「生命ある道具」と擁護し、ソフィストの奴隷制批判に反論した。
あの著名なアリストテレスでもこの程度の理解なのですから、(戦闘による)殺人に比べれば軽度の罪と考えていたのでしょう。
8)マルクス主義においてはスターリンの定義が最もよく知られている。
9)しかし福本勝清によれば多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」とする。
まあ戦争が存在すれば、この奴隷制も必然的に存在するのでしょう。何しろ味方でも、敵前逃亡=死刑ですから。(苦笑)
10)パターソンによれば「生まれながらに疎外され、全体として名誉を喪失し…永続的かつ暴力的に支配される(人間の)こと」。
これは時代の背景でしょう。罪は一族郎党に及んでいだので、奴隷の子は何時まで経っても奴隷なのです。
11)人種差別、性差別、幼児売買などは奴隷に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。
12)暴力と恐怖による支配が社会階層におよぶ場合農奴制や奴隷労働者の階級が形成された。
しかし、奴隷は結局強制労働ですから、自発的に働く(戦う)自由民には勝てないのでした。ギリシア戦争は有名ですよね?

13)古代:
14)有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、風土・慣習・伝統の違いによる地域差も大きい。
15)戦争の勝者が捕虜や被征服民族を奴隷とすることは、古代には世界中で程度の差はあるが普遍的に見られた。
彼らは労働者や戦士として使用されたのでしょう。
16)典型として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会があげられる。
17)古代ローマでは奴隷労働に頼った大土地経営ラティフンディウムが存在した。
18)古代ギリシアのポリス間紛争では敗れた側の住民で成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。
19)ギリシャやローマの社会は奴隷制を基盤にしたものであったが、ギリシャ世界のポリスはスパルタを除けば奴隷の収奪を主要な目的とした社会組織ではなかった。
20)奴隷交易はデロス島が著名であり、ストラボンの『地理誌』では1日に1万人以上を扱うことができたと記されている。
21)家庭内労働、鉱山、ガレー船員、軍事物資の輸送、神へ捧げる生贄などさまざまな場面において使用された。
22)スパルタは大量のヘイロタイを農奴として使役した。
Civには騎兵部隊、ヘタイロイが登場します。
23)共和政ローマでは征服地住民の多くが使役されたが、奴隷によるプランテーションが中小自営農家の没落を招いた。
24)大規模な奴隷反乱はスパルタ、ローマでしばしば見られた(メッセニア戦争、奴隷戦争)。

25)古代中国の殷では神への生贄に供するために用いられた。
26)日本でも弥生時代に生口と呼ばれる奴隷的身分がすでに存在したとされる。
27)また、日本に限らないが、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢するときには、生口を貢物として差し出すことも珍しくはなかった。

28)古代のある時期、社会の主な労働力となっている体制を奴隷制と呼び、かつて唯物史観の発展段階論において、原始共産制以降から発展し封建制へと繋がる段階とされ、この解釈では、農業・荷役・家事などの重労働に従事することが多かったとされた。
近世以降は省略します。

29)欧米
30)古代
31)ギリシア:→詳細は「古代ギリシアの奴隷制」を参照
32)古代ギリシャ世界では、戦いや祭祀の際に捧げる犠牲、農作業、雑用役などの労働に非常に盛んに使用され、多くはないが家内工業における職人もいた。
33)ポリス市民の得た閑暇は公的生活への参加に向けられ、労働は恥辱であることが公然と言明された。
この様な社会は、いずれ滅びます。

34)ローマ:→「古代ローマの奴隷制」も参照
35)ギリシャと異なりローマ人は肉体労働そのものを卑しむ精神伝統はなかったが、報酬として金銭を要求する職業を卑賎なものとみなす習慣があった。
36)そのため高い報酬を受け取るような職種であっても、彼らが担う場合も多かった。
37)境遇はさまざまであり、後述の通り高待遇の者も存在した。
38)古代ローマは基本的には初期から滅亡まで奴隷制社会であるが、時代による変遷がみられる。
39)共和制時代には小規模自営農が多数を占めていたが、そうした自営農もひとりかふたり程度の奴隷を持つことが普通であった。
40)この時代は、後世ほどには悲惨な境遇ではなく、大切な労働力、貧しい農民にとっての「高価な財産」として扱われた。

41)共和政ローマが征服戦争を推し進めるにしたがって獲得機会が増えると共に、価格も下がり、大量に使役するラティフンディウムが拡大した。
42)そうした「安価な財産」の待遇は酷いものであり、様々な記録の中で悲惨さが描かれているほか、鉱山においても酷使された。
43)ローマは4度にわたって、大規模な叛乱を経験している。
44)従来の城郭都市近郊の小規模自営農は経済的に没落する一方でパトリキ(貴族)やエクィテス(富裕層)は大土地所有と奴隷労働により富を蓄積した。
農奴は階層の深さと関係するのでしょう。農家経営の成功、失敗が、階層の深さを生む訳です。
45)一方で、無産階級に零落したローマ市民権を持つローマ人は都市に流入した。
現在のヨーロッパも、同じ状態に在ります。
46)ローマでも奴隷の大半は農業や鉱山で使役されたが、多種の仕事に解放奴隷や稀に奴隷も従事した。
47)彼等は奴隷所有者である主人の判断によっては、労働内容にみあう技能教育をされることがあったと考えられている。
48)また、ローマでは哲学や詩、歴史学などに熟達した高度技能を持つギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術(会計術)を身に付けた奴隷が医術師や会計役として重宝され高額で売買された。
49)また官僚制が発達する以前においては、政治家が個人として所有する奴隷が、家産官僚の役割を担った(家産官僚制参照)。
50)こういった高い教育を受けた知的労働に携わる奴隷は「高価な財産」として高待遇を受けていた。
51)家庭教師は生徒(つまり主人の子弟)にちょっとした体罰を加えることもあったし、また属州総督が所有する奴隷は、属州民から見れば支配者階級の末端であった。
52)商業を侮蔑し農業に立ち返ることを主張した大カトーも、能力のある奴隷を見いだして教育を受けさせ、高値で転売することに限っては、利殖として認めている。

53)しばしば虐待の対象となり、アウグストゥス時代の富豪(ローマ騎士)Publius Vedius Pollioは怒りにまかせ池に投げ込み、魚のエサにしたとの話がある。
54)一方で、老年まで勤め上げた奴隷を奴隷身分から解放する主人もいた。
まあ、人に依る訳です。(苦笑)席亭も幼少時、ベン・ハーの映画は見ました。
55)時代が下がるとともに奴隷の境遇も改善され、帝政期の特に2世紀以降になると虐待の風潮に対して、いくつかの保護法が制定された。
56)コンスタンティヌス帝の319年の勅令においては主人は主人権を乱用し故意に奴隷を殺したときは主人を殺人罪に問うべしとした。
57)これらは主に2世紀以降に出されたが、パクス・ロマーナにより戦争や略奪による奴隷の供給量が減少したことが影響している。
58)したがって、上記の待遇緩和に先んじて、所有者が解放する人数に制限が加えられてもいる(アウグストゥス帝)。これによりラティフンディウムの制度は崩壊し、コロナートゥスに移行していった。

59)幸運に恵まれて解放奴隷身分になる者もおり、解放奴隷の子供の代になればローマ市民権を獲得する可能性が得られた、中にはペルティナクスのように皇帝になった者もいる。
60)また債権者は返済不能となった債務者自身を奴隷として売却し貸付金を回収することが認められており、自由身分を喪失する者もいた。
これは吉原/日本の女郎(〜性的奴隷)と一緒です。(笑)
61)またローマには捨て子の習慣があり、拾われた子は奴隷となった。
ギリシアでは神の子なんですけどね。(笑)

62)イスラム文化圏:→詳細は「イスラームと奴隷制」を参照
63)西アジアなどイスラム社会では奴隷の扱いは、比較的穏やかであった。
64)10世紀から19世紀初頭にかけてトルコとアラビア半島を中心とするイスラム世界に存在した奴隷出身の傭兵(マムルーク)らは歴史上重要な役割を果たしている。

65)中国:→詳細は「中国の奴隷制」を参照
66)古代中国において「奴隷」に比定する身分は多々あって呼称もさまざまだが、一般民との差異的な意味で、労働に関する制約がほとんどで西欧の農奴に近いと一概的に言える。
67)もちろん「賎民」などの呼称に見られるように、蔑まれることはあったものの、
   ・首郷侯段勝、婢を殺すに坐して国を除かれけり(首郷侯の段勝が、女奴隷を殺した罪により領地を没収された。)『東観漢記』
   ・莽の子の獲が奴を殺し、莽は獲を切に責め、自殺を令ずる(王莽の子の王獲が奴隷を殺す事件を起こすと、王莽はそれを厳しく責め立て、王獲に自殺を命じた。)『漢書・王莽伝』
   などの記録のように、古代中国は欧州とは異なり、奴隷も法的保護下に置かれ、それに対する犯罪は罰されることが多かった。
68)また、奴隷の身分から大将軍にまで上り詰めた前漢の衛青の例のように、身分の区切りも強固なものではなく、奴隷身分からの脱却も欧州世界ほど困難なものではなかった。
これら(人事権)は、主人の引きによるのでしょう。
69)歴史:
70)古代中国の殷王朝は戦争奴隷を労働力・軍事力の基盤として、また葬礼や祭祀における犠牲として、盛んに利用していた。
71)殷王朝までは奴隷制社会であったことは定説となっているが、いつまでであったかは諸説あり、奴隷制から封建制に変革されたとされる周王朝の易姓革命、ないしは、殷王朝程ではないにせよ実質的には奴隷が生産力となっていた
   春秋時代までと考えられる範疇として議論されている。
72)いずれにせよ、中原とは文化の異なる民族(蛮夷戎狄)との戦争で捕虜とした奴隷が労役に就かされたと考えられている。
ヒトは異民族に対しては、かなり冷淡に成れます。
73)後漢末期・魏晋南北朝以来の貴族制下では、律令により賎民に区分された雑戸官戸や奴婢などの農奴と奴隷が政府や勢家の下に多く存在していた。
74)宋王朝以降は官奴婢が禁止されたが、私奴隷は清王朝の時代まで少数ながら存在した。
75)基本的には罪を犯した者が奴隷身分へ落とされ、欧州でいう所の農奴や官営工場の職人として強制的に有償労働へ就かされた。

76)インド:
77)インドのカースト制を代表とする身分制度のうち、シュードラやダーサを奴隷と訳すこともあるが、所有・売買の対象という意味では定義から外れる。
78)他のカーストの下に置かれたことから奴隷の名を宛てる者もいる。
79)時代による変遷があるため、ギリシャ人やローマ人が記録を残した時代のものは、家内奴隷で待遇もそれほど劣悪ではなく、ギリシャ人やローマ人の目に奴隷と映らなかったようである。
穏やかな社会、穏やかな民族は、何よりです。

80)日本:
81)定義:
82)日本において奴隷とは明治以降にSlaveの訳語として充てられるようになった単語であり、それ以前は奴婢と称した。
83)日本の奴隷に関しては、マルキシズム史家との間にはなはだしい見解の相違が起こっており、歴史家によって、「奴隷制」という言葉の定義を異なって解釈したまま議論するために、定義が定まっていない。
84)歴史と変遷
85)古代:
86)古代の日本に奴隷が存在していたかについては意見の不一致が存在しており、とくに、マルキシズム史家との間では奴隷の下限について大きな意見の相違がある。
87)中国の歴史書である魏志倭人伝に、倭国(後の日本とする説もある)から献上されたとの記述がある「生口」を奴隷ではないかとする主張もあるが、生口は、奴婢とは異なる身分呼称であるとされている。
献上されるのだから、やはり奴隷でしょう。
88)石沢徹は、博士や高僧を文化使節として派遣する場合にも「わが朝廷に献上した」と表現されているため、「献上した」ということをもって、生口を奴隷であると断定することもできない、と述べている。
これは席亭には詭弁に聞こえます。一般市民?と高官とでは、相手の取扱い方も変わるでしょう。(苦笑)
以下は省略します。

89)外国人技能制度が現代の奴隷制度と揶揄されている。
勿論同制度によって高い技能を獲得する労働者も居りますが、中にはタチの悪い使用人が居る事も確かです。

90)昆虫:→詳細は「奴隷を作るアリ(英語版)」を参照
91)ハチやアリなどの社会性昆虫にも、人間の奴隷制と似た社会的行動をとるものがある。
92)サムライアリは強力な軍隊(兵隊アリ)を持つが、労働力(働きアリ)はなく、自分では女王蟻や幼虫の世話も、巣作りや餌集めもできない。
93)そこでクロヤマアリの巣を襲撃し、蛹や働きアリを強奪して自分の巣に運び、巣を支える奴隷として死ぬまで労働させる。

94)関連項目:マルーン、Code Noir(英語版)−フランス奴隷法。、奴隷制度廃止運動、植民地、三角貿易、アフリカ側奴隷貿易拠点:ケープ・コースト城、エルミナ城、オス城、利他主義、社会進化論−資本主義、性的奴隷、偶像崇拝、
   ニガー、サンボ(人種差別用語)(英語版)、ムラート、技能実習制度−現代の奴隷制度として批判されている。、en:Global Slavery Index−オーストラリアのNGO団体en:Walk Free Foundationが発表している調査、
   現代奴隷法−イギリスで2015年に制定された奴隷制度禁止法、奴隷狩り(英語版)、ヒヴァの奴隷売買(英語版)−中央アジア最大の奴隷市場が置かれた。、奴隷キャッチャー(英語版)−逃亡奴隷を元の所有者の下に連れ戻す職業、
   奴隷保険組合(英語版)(Sklavenkasse、奴隷金庫、身代金出納所)−海賊の奴隷(捕虜)となった船乗りの身代金を支払う保険取り扱い所。、奴隷制度に対するキリスト教徒の見解
三角貿易とは三か国間で行う貿易で、大西洋三角貿易やイギリス、インド、清国貿易などが有名です。前者では、欧州(繊維製品、ラム酒、武器)→西アフリカ(奴隷)→西インド諸島(砂糖、綿)→欧州、です。

これでローマ体制の説明も、あらかた終了しました。
さて、先の水道橋にも見られた様にローマの建築は「コンクリートとアーチ」と言われていますが、アーチ橋に関しては橋の所で既に説明済です。
そこで次はコンクリートなどの、建築材料にスポットライトを当てる事にします。

→セメント、モルタル、コンクリート、しっくい