悲劇(演劇)

Civの古典テクノロジーには、「演劇と詩」が有ります。何故文学ではなく詩なのかと言うと、古い文学の文章は皆、韻文(〜詩)だからなのです。
そしてこの演劇には声の発生と身振り手振りとが有りますから、6)耳と音、10)口と声、11)手足とその力学的な出力に関係しています。ですから、かなり高度な、総合的な芸術です。
さて、Wikiで演劇を調べると、「演劇」ページと「Category:演劇」ページがヒットします。また同様に悲劇を調べると、「悲劇」、「ギリシア悲劇」ページがヒットします。まずは「演劇」ページから。

1)演劇(えんげき、英語:theatre, theater)とは、観客に対し、俳優が舞台上で身振りや台詞などによって、物語や人物などを形象化し、演じて見せる芸術のこと。
2)俳優が観客を前にして、舞台上で思想や感情などを表現し伝達しようとする一連の行為であり、それらを鑑賞する目的もある。
3)演劇は「芝居」ともいわれる。「芝居」は劇場がかつては野外にあるのが一般的で、観客が芝に座って観劇したことに由来するという。「舞台」といわれることも多い。
舞台とは台を作って、観客に見え易くする様に工夫したのでしょう。演説台などと同じですね。

4)概説:
5)演劇とは、生身の俳優が舞台上で仕草や身振り、表情や台詞などを用いて演技し、物語や人物などを観客に対して見せる芸術である。
6)大抵は、作者(劇作家)が筋書き(戯曲・台本)を書き、それにもとづき俳優が舞台上で台詞・動作などを用いて演じ表現する。
7)また、演劇の多くには演出者(演出家)がいて、劇作術にもとづいて俳優を指導する。
8)舞台装置・照明・音楽・音響なども総合的に用いて効果をあげる。
9)ゴードン・グレイグは演劇を「背景(舞台装置・照明などの「舞台」)と音(俳優が発する声・音楽・音響)が織りなすものである」とし、演劇を総合芸術であると捉えた。
演劇には、音楽が果たす役割も大きいです。確かに演劇には要素が多く、総合的な芸術です。その分、お金も掛かります。若者が劇や映画に憧れる理由も、分かりますよね?

10)このように、用いられる芸術分野は多岐に渡り、音楽や舞踊、舞台音響・舞台照明や舞台美術、舞台機構、時には観客席側も含めた劇場内空間、さらには劇場の建築物としてのデザインにまで至ることもある。
11)演劇のために劇作家が執筆する戯曲は、単体でも文学作品となりうる。

12)演劇の起源と歴史
13)起源:
14)演劇の起源には諸説ある。
   ・人類が本能的に持っている模倣への興味であるとの推察による説(小林愛雄)。
   ・呪術や宗教的儀式が発展し演劇となっていた説。
呪術や宗教に、演劇が必要な理由を考えるべきです。つまりは「出来事、事実」を民衆に伝える為に、それを再現、再演する必要が有るからです。言わば記憶、記録の再生、ですね。(笑)
それに、各種運動、作業を自分の物にするには、他人のそれを真似て再現する必要が有ります。そしてこちらの方は、生活に根付いたかなり普遍的な作業ですよね?
15)古代ギリシアにおいては、悲劇の競演が行われる大ディオニュシア祭は、神ディオニュソスを称える祭儀としての側面をもっていた。
16)また呪術や宗教的儀式には、行為・現象の模倣やその再現が重要な要素として含まれていることも多い。

17)歴史:→詳細は「演劇の歴史」を参照
18)西洋演劇の淵源は、古代ギリシアに求められる。紀元前5世紀にはギリシア演劇はアテナイにおいて最盛期を迎え、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの三大作家を中心とするギリシア悲劇や、
   アリストパネスなどによるギリシア喜劇が成立した。
19)紀元前4世紀に入るとギリシア演劇は沈滞したものの、その作品は長く地中海一帯で上演され続けた。
まあ、上演にはパトロンも必要なのでしょう。
20)古代ローマにおいてもギリシア演劇の影響を受けて演劇は盛んに行われ、各地にローマ劇場が建設されたものの、ローマ帝国の衰退とキリスト教の影響によって古代演劇もまた衰退していった。
キリスト教は煌びやかな文化やウソを嫌いそうです。お役目とは言いながら、地元に伝わる伝説や神を消し去る行為は、かなりいかがわしいです。(苦笑)
21)その後、10世紀に入るとキリスト教の影響の元に宗教劇の記録が文献に現れるようになり、13世紀からは宗教劇を主体とする中世演劇が隆盛を迎える。
22)ルネサンスが始まると人文主義者らによって古代の演劇台本が再発見され、また活版印刷の発明によって台本の大量生産が可能となったために演劇は大きく変化することとなった。
23)16世紀末にはイタリアにおいてオペラが誕生し、ヨーロッパ各地に広まって盛んに催行されるようになった。

24)演劇の要素:
25)演劇の要素として、伝統的には俳優、戯曲、観客の三つが挙げられてきた(演劇の三要素)。
26)これに劇場を加えて演劇の四要素とすることもある。
27)歴史的には初期の演劇には彼我の区別がなく、例えば古代ギリシャ演劇の初期段階では観客はおらず全員参加型の共同行為であった。
28)演劇が台本そのままではなく、観客の目の前で行われることで成立する性質は演劇の現前性(presence)と呼ばれる。
29)演劇を収録したビデオは演劇そのものではなく演劇の記録作品とされる。
30)ウィリアム・シェイクスピアの作品は世界中で上演されているが、同じ台本であっても解釈が異なれば別の作品となる。
31)ウィリアム・シェイクスピアやジャン・ラシーヌの作品を特設スタジオで映画製作の手法で記録した作品もあるが、これらは演劇とは異なる新しい形態の映像芸術とみなされている。
カメラワークの違いで、作品にも差が出るのでしょう。やはり演劇を再現しようとすれば、3d映像の記録も必要となるのでしょう。
32)また、演劇は映画のように複製的機械的に繰り返されることができない「一回性」の芸術である。
33)毎回の舞台は微妙に違い、同じ芝居は二度とないことから、演劇の本質的一回性とも呼ばれている。
これは歌舞伎や落語などでも、同様ですよね? 演劇に何を求めるかによっても、その出来、不出来は違って来そうです。(苦笑)

34)演劇の上演:
35)古典歌舞伎などの場合は、セリフや動きが型にはまっており、幼少時からの稽古で演目や演技の「型」が役者の身体に染み付いているためか、(上演直前の)稽古期間は数日であるという。
36)新作歌舞伎でも、その稽古期間は現代劇に比べて圧倒的に短い。また、古典歌舞伎に演出家はいない。
これは小屋による上演、生業を考えてみると、頷けます。常設の小屋の前は各地を巡る巡業であったのでしょう。
37)現代演劇の場合の上演前の流れは、演目決定後、オーディションまたはオファーで演者決定。
38)顔合わせ(演出家、演者などスタッフ一同)、読み稽古(セリフ)、立ち稽古(演技)、通し稽古、集中稽古等の稽古を経て、小屋入り(公演する劇場へ)。
39)仕込み(劇場の準備)、場当たり(衣装、メイク、音響・照明)、ゲネプロ(舞台セットでの予行)などの行程をへて本番の公演となる。
40)これらの公演前の準備期間は通常1−2か月である。

41)最初の開演日を「初日」といい、(上演期間が長い場合、ほぼ中間に当たる上演日を「中日(なかび)」といい)、最終公演を「千秋楽」という。
千秋楽は、演劇と角力とではどちらが古いのでしょうか?(笑)

42)演劇の分類
43)物語内容による分類:
44)主に戯曲の内容(展開)による分類である。ただし何をもって悲劇とするか、喜劇とするかの明確な基準はない。たとえば一般に、主人公の死など哀しい物語が展開される作品は悲劇とされる。
45)古代ギリシャの『オイディプス王』やシェイクスピアの『マクベス』などがその一例である。
46)シェイクスピアの作品には「四大悲劇」と呼ばれるものもある。
47)一方で、祝祭的様相に満ちたシェイクスピア『お気に召すまま』は喜劇とされる。

48)一方で、物語にドラマがなく、登場人物が打開不可能な空間に置かれる物語を不条理劇と呼ぶ。
49)代表的な劇作家はサミュエル・ベケットやハロルド・ピンターなどである。
50)また、こうした西洋の演劇手法に反抗し、日本の平田オリザは「静かな演劇」を提唱した。これは日常の会話にドラマ性を求めるものであり、現代演劇の一ジャンルとなっている会話劇の根源となっている。
51):
  ・悲劇
  ・喜劇
  ・不条理劇
  ・会話劇
52)演出手法(表現手法)による分類:
  ・音楽劇
   ・オペラ
   ・オペレッタ
   ・ミュージカル
  ・人形劇
53)時代による分類:
  ・日本の伝統芸能
   ・能
   ・狂言
   ・文楽
   ・歌舞伎
   ・落語
  ・近現代の日本の演劇
   ・新派劇
   ・浅草オペラ
   ・大衆演劇
    ・軽演劇
    ・剣劇
    ・レヴュー
    ・新劇
  ・現代の日本の演劇
   ・小劇場演劇
    ・アングラ演劇
   ・商業演劇
54)演じ手による分類:
55)現代の日本では、プロによる演劇を商業演劇、アマチュアによる演劇を小劇場演劇と呼ぶことが多い。
  ・商業演劇
  ・小劇場演劇
  ・市民劇団
  ・学生演劇(大学生による演劇と、大学生以下の学生による演劇と2つの意味を持つ)
  ・高校演劇・中学演劇
  ・児童演劇
56)演劇祭:
  ・エディンバラ国際フェスティバル(イギリス)
  ・ロンドン演劇祭(イギリス)
  ・アヴィニヨン・フェスティバル(フランス)
57)関連項目:芸術、文化、アドリブ、ミミュニケーション論、エンターテイメント、撮影、脚本
次は「ギリシア悲劇」ページです。

1)ギリシア悲劇(ギリシアひげき、古代ギリシャ語:〇、〇、トラゴー(イ)ディア)は、古代ギリシアで、アテナイのディオニューシア祭において上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。
2)ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。
席亭は、悲劇が詩文芸の範例とはとても思えません。

3)概要:
4)ギリシア悲劇を意味する「トラゴー(イ)ディア」(〇)は、「山羊」(ディオニューソスの象徴の1つ)を意味する「トラゴス」(〇tragos)と、「歌(頌歌)」を意味する「オー(イ)デー」(〇)の合成語であり、「山羊の歌」の意味。
5)英語のtragedy 等も、この語に由来する。
6)アリストテレスによれば、ギリシア悲劇はディオニューソスに捧げるディテュランボス(酒神讃歌)のコロス(合唱隊)と、その音頭取りのやり取りが発展して成立したものだという。
ですから、演劇は音楽と関係が深い訳です。
7)アテナイにおける悲劇の上演は競演の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇(三部作、トリロギア)と一つのサテュロス劇をひとまとめにして上演する必要があった。
8)現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスのオレステイア三部作のみである。
9) いずれにしても、題材はギリシア神話やそれに類するものから取られる。
10)聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていた。
ですから、最初からコンテストであった訳です。そして優れた物が、後世に伝えられたのでしょう。

11)人物・作品
12)起源:
13)紀元前6世紀の人物テスピスが悲劇の創始者であると言われる(また、自ら俳優として舞台に立った最初の人物とも言われる)。彼の作品で現存しているものはない。
14)三大悲劇詩人:
15)最も有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスである。
16)プラトンも最初は悲劇詩人を目指していた。
17)古代ギリシアの喜劇詩人アリストパネスは、その作品「蛙」の中で三大詩人の批評をやって見せている。

18)現存作品:
19)ギリシア悲劇のほとんどは散逸しており、現存するのは
   ・アイスキュロスの作品中、7篇
   ・ソポクレスの作品中、7篇
   ・エウリピデスの作品中、18篇(+サテュロス劇『キュクロプス』1篇)
   等のみである。
現存しないのは、後により優れた作品が誕生したからなのでしょう。

20)分類:
21)この現存作品32篇(+1篇)を、内容ごとに分類すると、以下のようになる。
これは省略します。

22)演劇形態:
23)悲劇は仮面をつけた俳優と舞踊合唱隊(コロス)の掛け合いによって進行する。
24)コロスの登場する舞台をオルケストラといい、劇場は円形のオルケストラを底とする、すり鉢状の形を取った。
音楽のオーケストラの語源は、この舞台の名から採られたのでしょう。
25)現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構はエピダウロスに見られる。
26)当初、劇はコロスのみで進行していたが、前述のテスピスが俳優を導入し、その後アイスキュロスが2人に増やした。これによってドラマチックな演出が可能となり、舞台芸能として大きく進歩したと言われる。
27)さらに、エウリピデスがもう1人増やして3人となった。
ですから最初は、掛合い漫才の様な形態だったのでしょう。
28)但し、ここで言うところの俳優とは台詞のある役を演ずる者のことである。
29)実際には「黙役(だんまり役)」と言う台詞の無い役を演ずる俳優がそれ以外に登場することがある。
背景でしょうか?(笑)
30)また、当時既に子役俳優も存在したが、やはり「黙役」である。子供の役であっても台詞がある場合には大人の俳優がそれを演じる。
歌舞伎の女形と同じですね。(笑)

31)学問: 32)古代における悲劇論では、アリストテレスの『詩学』が、根本文献である。
33)近代でギリシア悲劇の成立について記した文献に、フリードリヒ・ニーチェの初期代表作『音楽の精髄からの悲劇の誕生(悲劇の誕生)』があるが、ニーチェ自身の思想表明が多大で、文献学研究的には、発刊当時も今日もほぼ支持されていない。
34)イギリスの著名な女性の古典学者、ジェーン・エレン・ハリスン(1850−1928)に、『古代芸術と祭式』がある。

35)関連項目:ギリシア喜劇、古代ギリシアの演劇、アリストテレス『詩学』、ラテン文字、ローマ劇場
これでは少し物足りないので、他のページも当たる事にします。関連項目に記載されている、「古代ギリシアの演劇」ページをご紹介します。

1)古代ギリシアの演劇(こだいギリシアのえんげき)または古代ギリシア劇(こだいギリシアげき)は、紀元前550年ごろから紀元前220年ごろの古代ギリシアで花開いた演劇文化である。

2)概要:
3)都市国家アテナイは当時の文化、政治、軍事の中心地であり、そこでディオニューソス神の祭りであるディオニューシア祭の一部として演劇を上演することが制度化された。
4)そこで生まれたのが、悲劇(紀元前6世紀末)、喜劇(紀元前486年)、サテュロス劇という3つの戯曲のジャンルである。
5)文化的一体感を醸しだすため、アテナイは植民地や同盟国にこの祭りを積極的に広めた。西洋の演劇はアテナイに発祥し、その戯曲は西洋文明全体に大きな影響を与え続けた。
演劇も、歴史に残る最初のそれとは、官製な訳です。

6)語源:
7)ギリシア悲劇を意味する"tragedy"という単語はギリシア語の〇(tragoidia)に由来し、これは2つの単語〇(tragos, 「ヤギ」)と〇 (ode, 「歌」) を組み合わせたかばん語である。
かばん語、または混成語とは、複数の語のそれぞれの一部を組み合わせて作られた語、とあります。このかばん語は、ルイス・キャロルの作品、『鏡の国のアリス』の中で登場します。
8)また、後者の単語は〇(aeidein, 「歌う」)から派生した単語である。
9)この語源は、古代のディオニューソス信仰の慣習との関係を暗に示しているともされる。
10)しかし、その儀礼が悲劇や喜劇の成立にどう関わっているかはよく分かっていない。

11)起源:
12)ギリシア悲劇は、紀元前532年の数年前にアテナイで生まれたとされており、テスピスが最古の劇作家として記録されている。
13)テスピスはアテナイ初の演劇コンテストの優勝者であり、アッティカとその周辺で主に地方のディオニューシア祭で合唱されるディテュランボスのexarchon(リーダー)だった。
14)テスピスの時代にはディテュランボスはその信仰的起源からかなり発展し、かけ離れたものになっていた。
15)英雄叙事詩、ドーリア風の合唱抒情詩、詩人アリオンの革新といったものに影響を受け、物語的あるいはバラッド的ジャンルになっていた。
16)テスピスはディテュランボスから悲劇への転換の最後の一押しをしたと思われる。
17)それは、物語を全て合唱で歌うのではなく、一人の人物を追加してその人物が自ら台詞をしゃべるようにしたものだった。
18)このためテスピスはよく「悲劇の父」と呼ばれるが、その信憑性には疑問が呈されており、ギリシア悲劇の作者を年代順に並べたときに16番目とされることもある。
19)例えば政治家のソロンは、登場人物が自らの声で話す詩を書いたと言われており、ホメーロスの叙事詩を暗唱するラプソドスは紀元前534年より以前には祭りでよく見られた。
20)従って、テスピスの戯曲の進歩についての寄与は不明瞭としか言えないが、彼の名は役者全般を指す"thespian"という単語に残っている。

21)戯曲的な公演がアテナイ人にとって重要だったことは、都市のディオニューシア祭にて悲劇の競技会が行われたことからも明らかである。
22)クレイステネスがその少し前に定めたアッティカの部族の結束を強めるという意味もあったとされている。
23)祭りでの悲劇のコンテストは紀元前508年ごろから制度化された。
24)紀元前6世紀の悲劇の脚本は現存していないが、テスピスの3人のライバルの名(Choerilus、プラティナス、プリュニコス)はわかっている。
25)彼らはそれぞれギリシア悲劇の発展に何らかの形で貢献している。

26)プリュニコスについては若干わかっていることがある。彼は紀元前511年から紀元前508年の間に初めてコンテストで優勝した。
27)彼は、「ダナオスの娘たち」、「フェニキア人女性」、「アルケースティス」といった全盛期にも多用されたテーマの悲劇を生み出した。
28)彼は史実を詩の主題とした最初の詩人でもある。
29)紀元前493年から492年の作品「ミレトゥスの陥落」はペルシャ人に征服された後のミレトゥスの町の運命を記したものである(前年までイオニアの反乱が起きていた)。
30)ヘロドトスは「アテナイの人々はミレトゥスの出来事に深い悲しみを抱いていた。特にプリュニコスの「ミレトゥスの陥落」と題した演劇が上演されると、劇場全体に泣き声が充満した。
31)彼らはプリュニコスがあの大災厄を思い出させたとして千ドラクマの罰金を科し、その演劇を永久に上演禁止とした」と記している。
32)また、プリュニコスは演劇に女性のキャラクターを初めて登場させたと言われている(演じたのは男性)。

34)ヘレニズム時代になるまで、悲劇はディオニューソスに捧げられる形で書かれ、一度だけ上演された。そのため、後に古い戯曲を再演するようになったとき十分に記憶されていた作品だけが後世に伝えられている。

35)古典期:
36)紀元前480年、ペルシャ帝国がアテナイ市街を破壊した後、街とアクロポリスの再建の際に劇場が作られ、演劇がアテナイの文化に重要な位置を占めるようになった。
37)この世紀はギリシアの演劇にとっての全盛期となった。ディオニューシア祭は毎年、冬と春に一回ずつ行われ、その最大のイベントとして3人の劇作家の作品をディオニューソス劇場で上演して競わせた。
38)それぞれの劇作家が3本の悲劇と1本のサテュロス劇(神話を主題とする喜劇的なバーレスク)を出品する。
39)紀元前486年からは、喜劇も出品されるようになった。
40)アリストテレスによれば、アイスキュロスが2人目の俳優を追加し、ソポクレスが3人目の俳優を追加したという。古代ギリシア劇では、演者が3人を越えることはなかった。
ですから、寸劇ですね。(笑)
41)ギリシア悲劇とギリシア喜劇は全く異なるものとみなされ、両方を融合した劇が作られることはなかった。
42)サテュロス劇は悲劇が扱う神話を主題とするが、純粋に喜劇的作法で書かれている。
43)しかし、アテナイの一世紀以上に渡る全盛期を経て書き継がれてきたとき、ソポクレスやエウリピデスといった劇作家が同じように作品を分類していたかどうかは不明である。

44)ヘレニズム期:
45)ペロポネソス戦争でスパルタ側に敗北したことでアテナイの力は弱まった。その後、劇場では古い悲劇の再演が行われるようになった。
46)演劇の伝統は全盛期ほどの勢いを失っていたが、古代ギリシア劇はヘレニズム期(アレクサンドロス3世が紀元前4世紀にギリシアを征服した後の時代)にも続いた。
47)ただし、ヘレニズム期の演劇の中心は悲劇ではなく「新喜劇」となり、一般市民の生活の中の滑稽なエピソードを扱うようになった。
48)この時期の有名な劇作家としてはメナンドロスぐらいしかいない。新喜劇はローマ喜劇に影響を与えたという意味で重要である。その影響はプラウトゥスやテレンティウスの現存する作品に見て取れる。

49)ギリシア劇場:
50)古代ギリシア劇には最大50人ほどのコロス(合唱隊)が付き物で、朝から夕方まで音楽を伴う韻文で劇を上演した。
当初は演者よりも、音楽家の方が多かった訳です。
51)演劇を行う場所は単純な半円形の空間「オルケーストラ(orchestra)」で、そこでコロスが踊り歌う。
52)オルケーストラの大きさは直径が78フィート(約24メートル)前後で、丘の麓の平らな場所を使い、丘の斜面を「テアトロン(theatron)」と呼ばれる観客席とした。
53)後に、テアトロンとオルケーストラと「スケーネ(sken〇(e+'))」と呼ばれる背後の壁を全てひっくるめて"theatre"と呼ぶようになった。
これが劇場の語源でしょうか?
54)コロスのリーダーをchoragosと呼び、劇の登場人物と対話できるキャラクターとして劇中に参加することがあった。

55)合唱隊も含めて大人数が舞台に上がり、観客も最大14,000人ほど収容できるようにするため、劇場はかなり大きなものだった。
56)そうした劇場の建設にあたっては数学が重要であり、設計者は音響も考慮して演者の声が最後列の観客席まで含めた劇場全体に響くようにする必要があった。
音響学の誕生でしょうか?
57)古代ギリシアの音響技術は現代の最先端と比較しても勝るとも劣らないものだった。
58)当初の観客席は木製だったが、紀元前499年ごろに丘の斜面に石のブロックを埋め込むようになり、恒久的なしっかりした席が作られるようになった。
59)そのような観客席を"prohedria"と呼び、神官や最も尊敬される市民がそこに座った。
貴賓席の誕生です。
60)紀元前465年、劇作家はオルケーストラの背後の壁を使った戯曲を書くようになった。
61)また、そこを演者が衣装を着替える場所としても使った。これをスケーネ(sken〇) またはシーン(scene)と呼んだ。
62)登場人物の殺害シーンを観客に見せることは不適当とされていたため、登場人物の死はスケーネの後ろから告げられた。
63)紀元前425年、paraskenia と呼ばれる石造りの背後の壁ができ、スケーネを補完するようになった。paraskenia は左右に張り出した長い壁で、出入り口もあったと思われる。
64)paraskeniaのすぐ後ろにはproskenionがある。
65)proskenion(「スケーネの前」の意)には円柱があり、現代の劇場のプロセニアム(前舞台)に類似している。
66)現代のプロセニアムは観衆と舞台を分離するものである。それはステージの周りのフレームであり、写真フレーム内で演技が行われているように見せる役割を持つ。

67)ギリシア劇場には、俳優やコロスのメンバーが入場するためのパロドス(英語版)(parodos)、エイソドス(英語版)(eisodos)と呼ばれる通路がある。
68)パロドスとエイソドスは高いアーチでオルケーストラと外を繋いでいる。
69)紀元前5世紀末のペロポネソス戦争のころまでに、スケーネは2階建てになった。その2階部分をepiskenionと呼ぶ。
70)劇場によってはオルケーストラに一段高くなっていて、そこで俳優らがしゃべるところがあり、これをlogeionと呼ぶ。

71)大道具など:
72)ギリシア劇場では一般に以下のような要素が使われていた。
   ・マキナ(machina)−役者を宙吊りにして登場させるためのクレーン(デウス・エクス・マキナ参照)。
   ・エクキュクレマ(ekkyklema)−劇中で死亡した登場人物を観客の前に登場させるための車輪つきワゴン。
   ・人々をステージ上に持ち上げるための床面の開口部。
   ・ピナクス(pinakes)−スケーネに吊るされる絵。背景を描いている。
   ・Thyromata−スケーネの2階部分(地面から見れば3階部分に相当)に置かれる背景の絵。ピナクスよりも複雑。
   ・ファルス的支柱−サテュロス劇で使用。ディオニューソス神の肥沃さの象徴。
劇をより効果的にする為に、工夫された訳です。

73)仮面
74)仮面と儀式:
75)ギリシア語では仮面を「ペルソナ(persona)」と呼び、アテナイでのディオニューソスの礼拝の重要な要素であり、儀礼や祝典で使われていたと思われる。
76)証拠のほとんどはわずかに現存する紀元前5世紀の壷の絵柄によるもので、神の仮面が樹から吊り下げられ、その下に装飾されたローブが掛かっている絵柄や、サテュロス劇の準備をする役者らを描いたPronomosの壷などがある。
77)仮面は有機素材で作られていて長持ちするものではなく、使い終わるとディオニューソスの祭壇に捧げられたため、現存していない。
78)いずれにしてもアイスキュロスのころから仮面が使われており、古代ギリシア劇の特徴のひとつとなっている。
79)コロスは登場人物が考えていることを代弁して観客に伝える役目を持ち、12人全員が1人の登場人物に対応し、同じ仮面を付けていた。
他者を演じる訳ですから、何らかの仮面が必要なのでしょう。
80)仮面の詳細:
81)演劇用の仮面が描かれた絵を見ると、顔面全体と頭を覆うヘルメット状の形であり、かつらと一体化していて目と口の部分に穴がある。
82)興味深いことに、演劇の最中に役者が仮面を着けた状態を描いた絵はなく、劇の前か後で役者が仮面を手に持っている絵しかない。
83)それらは、観客と舞台の境界、神話と現実の境界を描いたものである。
84)仮面が顔に溶け込むことで、役者はその役になりきると考えられていた。
85)実際、仮面はせりふを覚えるのと同程度に役者を変えた。古代ギリシア劇では、仮面をつけた役者とその劇の登場人物とを同一視していた。

86)仮面製作者はskeuopoios(小道具製作者)と呼ばれており、仮面だけを作っていたわけではないと思われる。
87)仮面は軽い方がよいため、人毛または動物の毛をかつらに使い、亜麻布、革、木、コルクなどを使って作っていた。
88)仮面を着けると視界が限定されるため、役者は耳が聞こえないと演じられない。そのため、耳を隠すとしても仮面で耳を覆うことはなく、自分の髪の毛で隠していたと考えられている。
89)仮面の口の部分の開口部は小さく、役者自身の口が見えるのを防いでいた。
90)1960年代には仮面がメガホンの役割も持っていたという説があったが、VervainとWilesは開口部が小さいため、その説は成り立たないとしている。
91)ギリシャ人の仮面製作者Thanos Vovolisは、仮面が共鳴装置のように働いて声の音響特性を強化するのではないかと示唆している。
92)これによってエネルギーと存在感が増し、役者がその役になりきることをより完全にすると考えられる。

93)仮面の役割:
94)アテナイのディオニューソス劇場のような大規模な野外劇場では、仮面が顔の特徴を誇張するようになっているため、観衆は遠い席からでも登場人物を識別可能だった。
95)役者は舞台に出てくるたびに別の役を演じることがあったため、仮面をつけることで観客が混同することを避けるという意味もあった。
少ない演者で多数の登場人物を演ずる、です。当時演技の上手い演者は、希少な存在だったのでしょう。
96)また、性別、年齢、社会的地位などの識別にも役立ち、さらに同じ人物の見た目の変化も仮面で表すことができた(例えば、オイディプスが自らの目をつぶした後など)。
97)特定のイベントや劇でのみ使う仮面も作られた。例えばアイスキュロスの『エウメニデス』に登場するエリーニュス、エウリピデスの『バッコスの信女』に登場するペンテウスやカドモスである。
98)コロスは同じ仮面を着けることで一体感と均一性を演出する。

99)仮面以外の衣装など:
100)悲劇的運命の役を演じる役者はcothurnusと呼ばれるブーツを履き、他の役者より背が高い状態で演じた。
101)喜劇的な役を演じる役者はsockと呼ばれる底の薄い靴を履いた。このため、演劇のことを“Sock and Buskin”と呼ぶことがある。
102)女性を演じるとき、男性の役者が“prosterneda”と呼ばれる木製の偽の胸を身につけ、腹部には“progastreda”と呼ばれるものを身につけた。

103)ムーサの一柱メルポメネーは悲劇を司り、悲劇用の仮面を持ちcothurnusを身につけた姿で描かれることが多い。
104)喜劇を司るタレイアも、喜劇用の仮面やsockと共に描かれることが多い。
そしてお待たせしました。次は「音楽」です。

→音楽