軍艦
Civの軍艦には、ガレー船や三段櫂船が有ります。Wikiで「軍艦」を調べると、「軍艦」ページがヒットします。
1)軍艦(ぐんかん、英:warship)とは、軍用艦船の総称。戦闘力を持つ艦艇だけではなく非武装である補給艦、輸送艦なども含まれる。
2)特に、海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)29条に定める船舶を指すことが多い。対義語は商船。
3)なお「戦闘力を持つ軍艦」には、フリゲート・コルベットなどの艦種が含まれるが、それを一言で指す用語は軍事分野においては無い。
4)しかしそれ以外の分野では、「戦闘力を持つ軍艦」を全てを指して「戦艦」と呼ぶ用例も見られるので注意が必要である。
普通はワーシップを戦艦と呼び、他には駆逐艦や巡洋艦という言葉を当てると思います。
5)軍艦の定義
6)国連海洋法条約の規定:
7)軍艦は、他の船舶と異なる法的取り扱いがなされるため、国連海洋法条約29条で厳密に定義されている。
8)ただし、この定義は同条約の適用上のものであり、各国海軍内部において別箇の定義がなされることもある(条約上の定義は外交関係を踏まえた最広義のものと解される。)。
これらは近代以降の事なので、以下は省略します。主に日本の軍艦に関して記載されています。(笑)
次は「海軍」ページの§海軍史です。
1)大量の物資を輸送するには、海上や河川を船舶で航行するのが効率が良い。人類が大きな国家を作るようになると船舶による輸送が不可欠となった。
2)この航行の安全を守るために海軍が創設された。海軍力とは自国の海上通商路の維持能力にほぼ等しい。歴史上では海軍力の盛衰が国家の盛衰と一致している事が多い。(日本の海軍史については日本の海軍史参照)
3)海軍の役割は海軍を取り巻く政治情勢や技術躍進などによって大きく変化してきた。初期の海軍は陸軍部隊の輸送や沿岸警備という補助的な役割であり、常に編制されていたわけではなかった。
4)しかし16世紀に初めて戦闘を目的とした船舶が設計されるようになり、次いで蒸気機関を用いた船舶技術の発達が進むと、独自的な役割を担う戦力として海軍が常備化されるようになる。
商船にも兵を載せていたのでしょう。これらは古代、歴史的な艦船で、実証して行く事にします。
5)航空機が発明される以前のものであったが、現代においてもその基本思想は現代海軍に残っている。
6)第一次世界大戦では潜水艦の通商破壊や海上封鎖の効果が高く評価され、また第二次世界大戦でも大西洋と太平洋の海上交通を巡って従来の軍艦と併せて航空母艦の航空打撃戦が行われた。
7)冷戦期には核弾頭を搭載した核ミサイルと原子力潜水艦という新しい海上戦力が核抑止の役割を担っていた。
8)古代:
9)紀元前21世紀頃に古代エジプトがナイル川に浮かべた軍船が、海軍のもっとも古い例のひとつと考えられている。
「遠距離の交易(貿易)」ページには、紀元前3200年頃になると交易の長距離化が進んでいた、とありますから、ナイル川以外にも候補は有りそうです。
10)地中海世界では、紀元前15世紀頃からメソポタミアとエジプトで生まれた文明が東地中海地域に波及し、地中海沿岸の各地に生まれた諸都市・諸国家は海軍を編成して海上交通の覇を競い合った。
11)海の覇権争いで最初に有力となったのはフェニキアの諸都市で、次いで紀元前300年頃まで古代ギリシアが有力となった。
12)ヘレニズム期以降、約100年間、北アフリカのカルタゴが優位に立ち、紀元前2世紀にカルタゴを滅ぼした古代ローマの覇権は紀元300年頃まで続いた。
13)ローマの覇権による地中海世界の平和はパックス・ロマーナと呼ばれる。帝国の行政上の中心である属州首都は多く海港ないしその付近に置かれた。
首都の機能に港は欠かせない訳です。
14)古代地中海世界の海戦では、艦首の衝角を敵艦に当てて破壊する戦法や、船を敵に寄せてはしごを使って戦士を敵艦に乗り込ませる戦法などが取られた。
15)艦船も人力で漕ぐトリエーレ(90t、120人乗り)から、やはり人力ではあるが更に大きいガレー船(300t、200人乗り)へと大型化していった。
席亭も、ガレー船がこんなに大きいとは知りませんでした。
16)アテナイなどの都市国家では、海軍が運用する三段櫂船の提供は富裕な市民の負担とされ、自力で歩兵の兵装を揃えることができない貧困層が船の漕ぎ手となった。
17)海軍力によるペルシア戦争の勝利は、これら貧困層の政治的発言力を増すことにつながった。
次は「ガレー船」ページです。
1)ガレー船(ガレーせん、英語:galley, ポルトガル語: gal〇(e+'))は、主として人力で櫂(かい、オール)を漕いで進む軍艦。
2)古代に出現し、地形が複雑で風向きの安定しない地中海やバルト海では19世紀初頭まで使用された。
3)正確にはガレーであり、この語だけで船であることも意味しているが、この語が一般的でない日本では「船」を付して呼ばれることが多い。
4)特徴:
5)ガレー船の特徴は両舷に数多く備えられた櫂である。風力を利用する帆船と比べると、人力による橈漕は非力であり、また持続力の面でも劣るので、長距離の航行には限界があるものの、微風時や逆風に見舞われた場合も
ある程度自由に航行することが可能であった。このことは風が大西洋に比べて弱く、また不安定な地中海では重要な要素であり、この地域でガレー船が発達する要因であった。
6)さらに、急な加速・減速・回頭を行なうような運動性においては帆に優っており、漕ぎ手を次々に交代させる事である程度の航続力は得られるため、海上での戦闘に有利で、ガレー船のほとんどは軍船として用いられた。
商船に機動力は余り必要無いのでしょう。
7)船体は同時代の帆船と比べて細長い。また、喫水が浅く舷側も低いことから、穏やかな海や水深の浅い海での高い機動性を得た反面、荒天時には航行能力が急激に低下し、また積載容量が少ない一方で乗員(主として漕ぎ手)の数が多く、
頻繁に寄港・補給を要するという欠点も併せ持っていた。
船体に対して乗員が多いと、居住性は悪そうです。(笑)
8)こうしたことから、ガレー船は香辛料貿易などに用いられた以外ではもっぱら軍用船として利用されている。
9)ただし、帆船に比べて数は少ないながら帆も装備されており、これらは順風に恵まれている遠距離航海時に用いられた。
逆を言うと、航海出来る方向が季節によって決まってしまいました。(〜季節風、貿易風)
10)初期は四角帆(スクエアセイル)だったが、14世紀頃、主にイタリアでマストやラティンセイルと称される三角帆の改良が進むとガレー船にもより多くの帆が装備されるようになり、例えばポルトガルからイングランドまでを無寄港で航行する
といった長距離の航海が実現している。
三角帆であるヨットはタッキングをする事で、風上にも航行が可能です。
11)戦闘時には帆は漕走の邪魔になるので畳まれるか、場合によっては帆柱ごと切断してしまう。
これは席亭も知りませんでした。
12)フェニキア人はレバノン杉をガレー船の建材に利用し、地中海全域に進出した。
船材としてのレバノン杉は有名です。
13)歴史と変遷
14)形態:
15)最も初期の船は個人もしくは数人でオールや櫂で漕いでいたが、大型化すると人力では限界があり、風力も利用する帆船となった。
16)帆船が登場したのは紀元前3500年頃と考えられる。帆船はエネルギー効率が優れ乗員も少なくて済み、商船に適していた。
17)しかし人力で航行するガレー船は、帆船に比べてその機動性が優れ、多数の乗員が搭乗していることから海戦に有利であり、紀元前3000年頃には最初のものが現われた。
18)古代の海戦は、敵の船に自船を接舷させて兵士を乗り込ませ、白兵戦を行なう戦法であったが、ガレー船では兵士が漕ぎ手を兼ねていたのである。
19)初期のガレー船は甲板がなく、漕ぎ手座は1段で1人が1本の櫂を担当するペンテコントール(pentecontor。ウニレームunireme とも)と呼ばれる形式であった。
20)これは、船体の両側に25人ずつの漕ぎ手が一列に並び、総計50人であった事に由来するギリシャ語起源の名称である。
21)紀元前800年頃になると、軍船には投石機や弓による射撃攻撃も行われたが、衝角という武装が施されるようになる。
22)これは、船首の喫水線下に取り付けた角状の堅固な突起で、すれ違いざまに敵船の櫂をへし折って機動性を奪ったり、横腹に破孔を穿って沈没させる兵器である。
23)これによって、海戦は従来の白兵戦から大きく様相を変え、ガレー船は速力を上げるため漕ぎ手座が2段になり、櫂も2本になったバイレーム(bireme)に、次いで3段・3本になったトライレーム(trireme)すなわち三段櫂船へと発展した。
24)3段になると、上段の櫂が下のものに引っかかったりぶつかる恐れがあるので、上段部には船外に張り出した船外櫂受けが設けられ、これによって櫂の配置に柔軟性が生じ、のちに様々な形式のガレー船(主として漕手の数を増やしたもの)が発展する。
25)漕ぎ手座を4段以上とする事は技術的に難しく、トライレーム出現以降はもっぱら漕ぎ手の数を増やす方向に進んだ。
26)それまでは1本の櫂に1人の漕ぎ手が当てられたので、トライレームにおける1組の漕ぎ手数は3人であったが、カドリレーム(quadrireme)では、最上段の櫂を2人で漕ぐ、櫂を2本にして2人ずつで漕ぐ、さらに櫂を1本にして4人で漕ぐ、
などの4人組の体制となる。
27)さらに漕手を増やし、キンクレーム(quinquereme)すなわち五段櫂船では3段のうち上段・中段の漕手を2人にして5人一組とした。
28)いっそう漕ぎ手を増やして6人・12人、さらには18人にも達した「カタマラン(Catamaran)」と呼ばれる双胴船も出現した。
席亭もカタマランの名前は識っていましたが、こんな実情は知りませんでした。
29)更に時代が下り、近世に入ると二段櫂船以上は建造されなくなる。これは後退にも見えるが、当時の人材事情から来る時代の要請である。
30)例えばレパント沖海戦でオーストリア公ドン・ファンの旗艦を務めた「ラ・レアル」(王旗掲揚艦)級は4人漕ぎのオール60挺を備えた特大ガレー船であるが、これは既に漕手席の段数を増やすのを止め、
代わりに数人の漕ぎ手が一本の長大オールを漕ぐ形式のスカロッチョ式を採用している。
31)櫂にそれぞれ漕手を当てたセンシール式の漕走が、漕ぎ手に一矢乱れぬ熟練の技を要求されたのに対し、この方式だとどんな未熟な漕手でも使い物になる利点を持つからである。
櫂船のオールの動きはとても優美です。
32)漕ぎ手を自軍兵ではなく、人材不足から奴隷や捕虜に担当させていた当時、この利点は無視できぬほど大きく、スカロッチョ式は16世紀半ばから主流となった。
33)なお、ラ・レアルの全長は54m。全幅8.2m(オール含まず)。二本マストにラテンセイルを備え、武装は船首楼にカノン砲1門。カルバリン砲2門。セーカー砲2門。舷側に旋回砲9門ずつ、計18門。
席亭もセーカー砲は初耳です。弾丸重量5ポンドクラスの小口径前装式大砲、カルバリン法よりも弾丸重量が小さいが、その代わり装薬量を増やし砲身長を長くする事で長射程を可能とした、とあります。
34)速力は全力漕走時で7.5ノットを発揮した。ただし、どのガレー船でも同じであるが、全力を発揮出来るのは漕ぎ手が疲労困憊するまでの約30分程度が限界である。
35)櫂や帆と並び、重大な航海装置である舵に関しては、古代から中世にかけては船尾左右に据え付けられた舷側舵。それ以降は北方船の影響を受けて竜骨中心部に設けられた船尾舵になる。
36)操舵に関しては舵にそれぞれ人員を配置する人力だったが、後にホイップスタッフを操る舵柄(テイラー)式が導入された。
37)なお、大部分のガレー船は18世紀頃に考案された舵輪の恩恵に与る前に姿を消してしまったので、帆船と違って舵輪式の操舵装置を持つ船は極めて少数派である。
38)乗員:
39)乗員の多数を占める漕ぎ手の労働条件は非常に厳しいものであった。そのため奴隷や捕虜が使用されたとの通念があるが、古代のガレー船奴隷(英語版)は一般に自由民であった。
奴隷の場合には管理者も必要となるので、その数もバカには成りません。
40)古代ギリシアの都市国家アテネにおいては無産市民がその任にあたった。彼らは財産を持たないことから軍務に就くことが出来ず、漕ぎ手の地位に甘んじていたが、ペルシア戦争中のサラミスの海戦に参加し勝利に貢献したことから、
国政への参加が認められることとなった。
41)その他にギリシアでは、メトイコイと呼ばれる居留外国人も兵役として漕ぎ手になった。
42)中世イタリアの都市国家、特にヴェネツィア共和国においてガレー船の漕ぎ手は人気のある職業であったが、これは自分に割り当てられた積載スペースを利用しての交易活動が認められていたためであり、
給金以上の利益(副収入)を期待できることによる。
43)中世やルネサンス以降になると、囚人や捕虜を漕ぎ手とする事が多くなる。
44)ヨーロッパにおける囚人の利用は、フランスなどの君主国家でガレー船が量産された17世紀頃に顕著である。
45)船団(艦隊)の保持を好んだ王の通達で、裁判でガレー船徒刑囚となると判決を下された者が、この時期に非常に多い。
刑罰で乗員となるのです。(苦笑)
46)またイスラム圏においてはキリスト教徒の奴隷をこれに充てることも行なわれていた。
47)囚人や捕虜を漕ぎ手とする場合、逃亡や反乱を防止するために漕ぎ手は鎖で手足を拘束されていた。
48)逆に自由民を漕ぎ手としていた古代ギリシアやヴェネツィアの場合は、場合によっては武器を持って相手方の船に切り込む戦力として期待され、それを果たすこともあった。
やはり、こちらの方がモラルは高いですよね?
49)武装:
50)衝角や投石機や弓による射撃攻撃も行われたが、やはり白兵戦が海戦の主役であった。
51)ローマ海軍では第一次ポエニ戦争において移乗戦闘用に「コルウス」(ラテン語で鳥のカラス)と称される斬り込み用の跳ね橋を艦首に有し、敵艦へ強行接弦後、スパイク付きの橋を下ろして船間を固定。ここから武装兵を突入させる戦術を多用した。
52)15世紀頃から衝角は廃れ、喫水線上に長く伸びた突撃船首に取って代わられる。これは敵を沈めるのではなく、体当たりで敵船を横転させる目的で備えられた。
また、長く伸びた突撃船首の上は斬り込み時、敵船へと乗り込むための進撃路としても活用された。
53)艦砲の導入については本格的な導入は16世紀に入ってからとなった。
54)構造上、舷側に配置可能なのはせいぜい旋回砲に過ぎず、大型砲は船首に備えられたがスペース的に数は限られた。
55)船首楼の中心線上に重砲。その左右に2〜3門の軽砲が配されている事が多い。前方固定式で敵を正面に捉えねば発砲の機会が訪れず、使い勝手は悪かった。
ですからこの時代の軍艦は、横よりも縦(進行方向)の方が攻撃力が高い訳です。
56)衰退:
57)ガレー船がその頂点を迎えた象徴的な出来事は、1571年のオスマン帝国とスペイン・ヴェネツィアなどの連合軍との間で戦われたレパントの海戦である。この戦いでは双方がガレー船によって激戦を繰り広げた。
58)17世紀に入ると交易量の増加や海軍増強の為に船舶の需要が増大したが、構造が複雑で建造費が高くガレー船を漕ぐ水夫の調達が困難なガレー船ではなく、安価で運用に掛かる人件費の安上がりな帆船にとって換わられた。
59)ガレー船は帆船と比べ火砲を設置可能な空間と積載量の小ささ、及び喫水の浅さによって火力と防御面で見劣りした為、ガレー船にとって帆船の火力と防御力は脅威となった。
60)また、ガレー船は積載量が少なく長距離の航海に不適で風波の荒い大西洋などでは航行困難のため交易や外洋航海には不向きであり、冬季には地中海でも運用が不可能という欠点を抱えていた。
61)地中海に於いても17世紀以後は徐々に帆船の使用が増加していったが、帆船はその特性上凪の多い地中海ではガレー船に劣る局面がある為、18世紀に入っても軍事利用されている。
62)同様に沿岸防衛用としてバルト海でも19世紀まで命脈を保っている。
ガレー船の繁栄には、内海である地中海の特殊性が有りました。
63)ガレー船の種々相:ガレアス船(ガレアスせん、galleass, galliass, mahon)、デュロモイ、フリゲート、三段櫂船、五段櫂船
次は「三段櫂船」ページです。
1)三段櫂船(さんだんかいせん、古代ギリシア語:〇)は、紀元前5世紀頃から地中海で使用された軍船(ガレー船)である。
2)三段橈船(さんだんとうせん)、三橈漕船(さんどうそうせん)、トライリームともいう。フェニキア人の国家や古代ギリシアで用いられた。
3)三段櫂船に限らずこの種の軍船は外洋の航行には適さず乗員の寝場所もないため、一般に沿岸を航行し、夜間は海浜に引き揚げて乗員は陸上で炊事をし休息した。
これは席亭も知りませんでした。
4)その名称の通り、櫂の漕ぎ手60名−170名を上下3段に配置して高い速力を得た(アテナイのそれの船員は漕手170人、補欠漕手・水夫・戦闘員30人の200人、攻撃時の最高速力およそ10ノット)。
5)帆を備え、風力でも移動できるが地中海では風はあてに出来なかった。この種の軍船は船底最前部に青銅で補強した衝角(ram)という突起物を備え、敵船に衝突して船腹に穴を穿って浸水させ、行動不能とすることを目的とした。
宇宙戦艦ヤマトや宇宙海賊キャプテンハーロックなどにも、この衝角戦は登場します。(笑)
6)アテナイでは漕手は自ら武具を調達できないテテス(無産階級の市民)で構成されていたが、その数は2万程度だったので、のちにはテテスだけでは足りずメトイコイ(在留外国人)が大半を占めるようになった。
7)トゥキディデスの『戦史』によると、ペロポネソス戦争中にスパルタ側についたケルキューラ(現在のコルフ)は貿易によって富裕を誇っており、軍船の漕手はほとんど奴隷でまかなっていたとされる。
8)船体衝突により打撃を与える戦法は、ペルシャ戦争で威力を発揮した。三段櫂船の他に補助的な軍船として五段櫂船があった。
9)高木の少ないギリシアでは櫂の材料にする真っ直ぐな木材が入手しにくく、テッサリアなどからの輸入に頼っていたので、海戦に勝った場合戦場に漂う敵味方の櫂などの船材を確保することも重要だった。
10)艦隊の戦法としては、敵艦隊を左右から包囲して混乱させつつ周囲から衝角攻撃を加えるペリプルスや、敵艦の隊列の間を突っ切り、櫂の列を破壊して機動力を奪ってから衝角攻撃を行うディエクブルスなどがあった。
11)1987年にはギリシャで復元船「オリンピア」が完成した。
12)関連項目:ペルシャ戦争、ペロポネソス戦争
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