塔
Wikiで塔を調べると、「塔」ページがヒットします。
1)塔(とう)は、設置面積に比較して著しく高い構造物のことである。
ここでは形状から塔を定義しています。
2)定義と語源:
日本語の「塔」は、もともと仏教の構造物である仏塔を意味していたが、現代では様々な比較的高い構造物(塔状構造物)に対しても使用されており、建築基準法によって厳密な定義はされていない。
3)「塔」の語源:
4)日本語の「塔」の語源はサンスクリット(梵語)の〇(st〇(u+-)pa、ストゥーパ、意味:heap、・・・を積み上げる、蓄積する)に求められる。
5)この語は古代インドにおいて、饅頭型に盛り上げた土の塚のことをも指すようになっていたが、仏教には今日で言うところの「卒塔婆」の意味で採り入れられた。
6)st〇pa は中国で「〇〇〇(古代中国語の発音[〇])」と音写漢訳され、やがて「〇(卒)」が脱落して「〇〇(塔婆)」に変化したと考えられている。
ただし、「〇〇(塔婆)」はサンスクリットst〇pa のパーリ語形であるt〇pa(トゥーパ)が音写漢訳されたものとの説もある。
7)「塔」は、そのいずれかの形からさらに省略され、1文字で表されるようになったものである(現代中国語の発音は「ター、〇(手偏+併の右側)音:〇」)
8)日本では古神道における神奈備(かみなび)や磐座信仰(いわくらしんこう)が石塚信仰となり、仏塔と結びつき供養塔となった。
9)墓の場合もあるが、祈念や祈願として「そこに宿る命」が荒ぶる神にならぬように、慰霊や鎮魂として祀ったものであり、五重塔などを模したものも多いが、ただの石版の場合もある。
10)また祀られるものも食料として捕獲した魚や鯨であったり、包丁や人形などの器物(道具など)のものもあり、森羅万象に命が宿るとする神道の観念に基づくものとなっている。
宿るのは心ではなく、命なのですね。(笑)
11)日本における「塔」は、江戸時代までは、仏教寺の構造物のみを指す言葉として使用されていた。
12)したがって、江戸時代前後の高層建造物、例えば、吉野ヶ里遺跡で再現される古代の櫓(やぐら)や中世の城郭建築に見られる天守を一般に「塔」と呼ぶことはないが、形式では塔のように建てられたものを層塔型と言うことがある。
13)しかし、明治以降に入ってきた西洋建築物の構成していた構造物の tower の対訳語として「塔」が使われるようになる。
14)電波送信の高いアンテナや送電のための構造物も「塔」の字があてられるようになった。したがって、現在の「塔」の用法に厳密な定義が存在するわけではない。
15)なお、塔の助数詞は「基」であるが、これも仏塔由来と考えられる。また、助数詞として「層」なども使われることがある。
16)towerの語源:
17)英語tower(〇、タウア<慣用的な日本語表記:タワー>)は、ドイツ語のTurm(トゥルム)やフランス語の tour(トゥール)、イタリア語 torre(トッレ)などと同様、ラテン語 turrem(トゥルレム)
<turris (トゥルリス、意味: high structure、palatium、arx、高層建造物、(古代ローマの七つの丘の)大宮殿、城塞)に由来する。
それはさらに古く、古代ギリシア人がエトルリア人を指して呼ぶところの〇(Turr〇(e+-)noi、英:Tyrrhenians、テュレニア人)という言葉に起源を見ることができる。
18)また、漢字の「塔」と同様にサンスクリット語のst〇pa との関連性が指摘されることもあるが、定かではない。
19)古代の塔
20)オリエント文明:
21)古来から人類は高いものへの憧憬や畏敬の念を抱いてきた。古代から中世にかけての塔状構造物にはメソポタミアのジッグラトや古代エジプトのピラミッドやオベリスク、さらに中世の教会堂の鐘楼などがあるが、
これらはいずれも石や煉瓦を塊状に積み上げた塊状構造である。
22)塔の歴史は監視塔や宗教塔から始まったといわれている。
これを最初に書いて欲しかった。(苦笑)位置エネルギーの存在によって、弓矢は高い位置から射た方が威力が増します。(笑)
23)イェリコの監視塔:
24)確認できる世界最古の塔は死海の北方約9kmに位置する古代都市イェリコにあった監視塔である。
25)イェリコは紀元前8000年頃の世界最古の集落とされており、約4haの面積に人口約2000人が生活していたとされている。
26)イェリコは年間を通じて温暖で豊富な湧水から食料資源も豊かであったため、周辺の平原や山岳地帯に暮らす未開民族の標的にされていた。
27)そのためイェリコでは住居群の周囲を石造りの防御壁で囲み、防御壁の内側には監視塔がたてられていた。
28)集落跡には現在でも直径10mほどの円塔が9mの高さまで残存しているが、この監視塔(望楼)がどのくらいの高さであったかは分かっていないものの明らかに監視目的で建てられたものであった。
29)ジッグラト:
30)イェリコの防御壁や監視塔はシュメール文明のジッグラトに引き継がれた。
31)この地は年間降水量が少なく、農業用水をチグリス川とユーフラテス川に依存していたが増水の時期や水量が不規則で常に氾濫の危険にさらされていた。
32)また、地形も開放的であったため、周辺の山岳民族や遊牧民族に侵入される危険性も高かった。このような環境から周辺環境の変化を把握するための大型の監視塔(情報塔)が作られた。
33)初期のシュメールのジッグラトは洪水を見張るための監視塔として建設されたが、のちに史上最古の宗教塔へと変容した。
34)紀元前4000年から3400年頃になるとシュメール文明では労働の分化や階層の分化が生じ、煉瓦の大神殿が築かれるようになった。
35)シュメールの各都市国家では、それぞれの守護神のもとに神権政治が行われていたが、主神殿は次第に高い位置に建立された。
36)人工的な丘に設けた層状の基壇上に神殿が設けられ、このような丘は人工の聖なる丘「ジッグラト」と呼ばれるようになった。
席亭もRPGでお馴染みのジッグラトの意味は、知りませんでした。
37)高塔建築の原型の一つとして著名なものに紀元前2100年頃の「ウルの第三王朝のジグラット」がある。
38)ウルの第三王朝のジグラットは3層の基壇からなり、最上層に月の神ナンナルの拝殿が建てられていた。各層の表面は焼成煉瓦、内部は土と日干し煉瓦で築かれ、テラスには樹木が植栽されていた。
39)さらに紀元前562年には新バビロニア王国のネブカドネザル王がジグラットを再建したが、その淵源はウルのジグラットにあるといわれている。
40)旧約聖書の『創世記』には、町と塔を建てて、その頂きを天に届かせようとする野望の実現と、それに対して主の与えた罰の寓話である、バベルの塔が登場する。
41)このバベルの塔のモデルはネブカドネザル王のジグラットであるとする説がある。
42)古代エジプトのパイロン:
43)古代エジプトでは、神殿の門が2つの塔に挟まれたかたちをとっていた。 この形式をパイロン(塔門)と呼ぶが、現在でもルクソール神殿やエドフ神殿など主な神殿遺跡でそれらを確認することができる。
パイロンという単語は、今日でも(サッカーでも)使用されています。
44)また、古代ギリシア人が「オベリスク」と呼び、後世、ヨーロッパ社会でモニュメントとして転用されることともなる、四角錘の記念塔が神殿の入り口などに設置された。
45)これは太陽神信仰と関係し、聖なる石「ベンベン」が発展したものとも考えられている
46)地中海文明
47)古代ギリシア:
48)古代ギリシアやヘレニズム期の地中海地方では、灯台や見張塔を除いてあまり塔は造られなかった。 世界の七不思議にも数えられるアレクサンドリアの大灯台(紀元前3世紀頃)が建てられたのはこの時代である。
49)灯台の全高は約134m。大理石造りであった。この塔は1,650年余の長きを地中海に臨む一大建築物であったが、14世紀に2度の地震に遭って崩壊したのを機に要塞建設の資材に転用されるかたちで消滅した。
50)また、紀元前1世紀にはローマの影響下にあったアテナイに、時計塔としても使われた風の塔が建設されていることからも分かるように、決して塔建築がなかったわけではない。
51)古代ローマ前期(王政ローマ・共和制ローマ期):
古代ローマがイタリア中部で建国され、ローマ人はイタリア南部のサムニウム人、シチリア(マグナ・グラエキア)のギリシア人、イタリア中部のエトルリア人、イタリア北部(ガリア・キサルピナ)のガリア人などの土地を併合し領土を拡大していった。
52)その過程で得たエトルリアやギリシアの高度な建築技術も取り入れて古代ローマの建築技術は発展していった。
53)第二次ポエニ戦争ではローマの領土深くまでカルタゴ軍に蹂躙され、内乱の一世紀には内戦で国土が荒廃した。この時期、都市は自己防衛のため城壁で囲まれた城郭都市となるところもあった。またローマ軍団もその駐屯地を防塁で囲っていた。
54)城壁や防塁の角や出入り口(城門)には、一時的であれば櫓が、恒久的な使用を見込めるものであれば塔が配置された。この時期の首都ローマは全周11kmのセルウィウス城壁により守られていた。
55)また、戦場では移動式の木製攻城塔が使われることもあった。
Civでも攻城塔カタパルト、トレビュシェットが登場しています。
56)古代ローマ後期(帝政ローマ期):
57)古代ローマの全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。ローマ帝国の防衛は国境線に築かれた防壁リメス並びに軍団および補給物資を迅速に投射できる
ローマ街道などの輸送路の維持によって行われていた。
58)しかしながらローマ帝国が衰退する4世紀頃以降、ゲルマン人の侵入に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた。
59)ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、定間隔で監視塔を組み込んだ全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mのローマン・コンクリートで造られたアウレリアヌス城壁で防御されることになった。
60)このように、ローマ人が塔を築くのはひとえに軍事上の目的からであり、国家の拡大期に、また、常に異民族との衝突が予想される国境地帯では盛んに建設されている。
§西洋の塔以下は省略します。
61)東洋の塔:
62)言語学的知見からすでに紐解いたように、stupa、すなわち、何かを「積み上げること」」とそのようにして造られた「土の塚」が、東洋の「塔」の文化的起源の主体である。
つまり、塔は元来、盛り土による塚のことであった。 もっとも、古代インドにおける饅頭型に盛り上げた土塚 stupa(ストゥーパ)の民俗学的起源などについては、いまだ詳らかにされていない。
63)仏塔と仏舎利塔:
64)この習俗は初期仏教にも容れられ、釈迦や聖者に縁(ゆかり)の品、遺体の一部(遺骨<舎利>遺髪、歯など)といった、いわゆる聖なる記念品や遺品・遺物を土中に埋め、盛り土をした上で日干し煉瓦で周りを囲う建造物として始まっている。
釈迦の存命中、すでにそのようなかたちのストゥーパが造られていたことが、『十誦律』の56巻に記されている。
65)造営したのは長者スダッタで、釈迦が諸国を遊行(ゆぎょう)する間、供養する機会を失う我が身を嘆き、せめて身近に縁の物を置かせてほしいと願い出て爪と髪を授かり、これらをストゥーパに納め、爪塔・髪塔として崇めたと伝えられる。
66)また、釈迦が入滅したのち、遺骨の所有を巡って有力者間で争いが起こったが、バラモン僧ドローナ(ドーナ)の仲介によって武力衝突は避けられ、遺骨は8つに分けてそれぞれが供養することとなった。
67)遅参したモーリヤの一族には遺灰が譲られ、分配者ドローナには分配に用いた瓶が与えられた。 このようにして、10のストゥーパが、歴史的に間違いないとされる最初の「仏舎利塔」として各地に建てられることとなった。
68)東アジアの仏塔:
69)中国での仏塔の建立は、三国時代(3世紀頃)に始まる。 ここでは中国古来の楼閣建築の影響を受けて、インドのストゥーパとは大きく異なる重層の高層建築物として発展していった。
70) しかしこの文化圏、中国とその強い影響下にあった東アジア文化圏(朝鮮・日本・その他、および、ここでは便宜上チベットなども含む)では、造形面での大きな変容とは対照的に、遺物を納める「器(うつわ)」としての仏塔の
位置づけは踏襲されており、それも特色の一つである。
71)日本の仏塔:→「仏塔」を参照
72)すでに述べたように、「塔」の字は元々は仏寺にあるものを指す言葉であった。 さらに、日本最初の本格的な仏教寺と推定されている飛鳥寺の伽藍(がらん)は、塔を中心とし、その東・北・西に金堂が配置されていた。
しかし、時代が下るに連れて塔は伽藍の前面に置かれるようになっていった。
73)木造仏塔:
74)木造塔の建築様式としては、大きく分けて「多重塔」と「多宝塔」に分けられる。BR>
以下は省略します。
75)東南アジアの仏塔:
76)東南アジア文化圏では、元来のストゥーパはほぼ忠実に引き継がれ、中世時代の石造寺院の中核をなした。 しかしその一方で、造形面を見れば比較的原形に近いものの本質的に全く違った、パゴダの様式も生み出された。
これは遺物を納める「器」ではなく、釈迦が住む「家屋」であり、信者が出入りする建築物に変化している。パゴダは英語では「仏塔」を指す語として広く用いられている(cf. en:pagoda)。
77)塔と安全性:
78)塔はその高さのため、外部要因による思わぬ副作用や倒壊などの危険性をはらむ。
当時は力学が発達していなかった為、力学的な対策は不十分でした。
そしてタロット、大アルカナの塔カードは、神の家や火事の家を表しています。正位置の意味は破壊、破滅、・・・などで、逆位置の意味は緊迫、突然のアクシデント、・・・などです。正位置・逆位置のいずれにおいても凶とされている唯一のカードです。
ちなみにバベルの塔の伝説、神話では、天にも届く神の領域まで手を伸ばす塔を建設しようとして、崩れてしまった(神に壊された→不遜を表す)、あるいは労働者間で言葉が通じなくなり、建設に失敗した、などでした。
そして近世、天文学の建設時にも、同様な事は起きました。(苦笑)
79)構造的欠陥
80)ピサの斜塔:
81)1173年に着工のピサの斜塔(イタリア)は、地盤の弱い場所に建てられたことに原因し、建設途中に早くも傾き始めていた。
事態を受けて施工プランは変更を余儀なくされ、塔の高さは当初の予定の半分になったものの、工事が中止されることはなかった。そうして1372年、不等沈下の最も顕著な例として世界にもまれなかたちで落成を見た。
82)ボーヴェ大聖堂:
83)フランスのボーヴェ大聖堂(1225年−1300年頃)は高さ153mという塔の建設に挑戦した。 しかし、完成して10年後に塔は自然崩壊している。
この自然崩壊は、かなり不気味です。きっと積木崩しなのでしょう。(苦笑)
84)フォントヒル修道院:
85)また、イギリスにおけるゴシック・リヴァイヴァル建築の先駆けであるウイリアム・バックフォード作のフォントヒル修道院(1776−1812年。右の画像を参照)は、90mの高さを持つ塔が予定されていた。
しかし、工事中に塔は崩落し、バックフォードは設計ミスを認めた。結局、規模を縮小して完成を見たが、それも1825年に崩壊し、再建されることはなかった。
そしてこの様な教訓を生かして、パリのエッフェル塔は建造されたのです。
86)地震
87)アレクサンドリアの大灯台:
88)先述したが、古代エジプトにあったアレクサンドリアの大灯台は14世紀頃の地震により崩壊している。 ただしこれは、1000年余の長きを耐えてのちのことであった。
89)柔構造:
90)一方、日本の五重塔は地震で倒壊したという例をほとんど見ない。 これは、塔の各層が強固に結合していない、いわゆる「柔構造」を採っているため、地震の揺れに強い(対応力がある)ものと考えられている。
それと最近の研究では、「塔の中央に固定されていない心柱がぶら下がっている(〜カウンターウェイト)」が有ります。
91)関連項目:
92)一覧:・塔の一覧、・1E2m:長さの比較資料
93)材質・形状:
・鉄塔
・格子塔(Lattice tower)−東京タワーやエッフェル塔などの多くの塔に見られる格子状の形状を持つ塔
・トラス塔(Truss tower)−トラス状の形状を持つ塔
鉄はコンクリートなどと違い、圧縮と引張りの両方に強いのです。それプラス、三角形構造(〜トラス)です。
94)用途:
・電波塔、・送電塔、・灯台/ポートタワー/マリンタワー、・楼閣、・寺社/寺院、・卒塔婆/仏塔/仏舎利塔/パゴダ、・展望台、・高層ビル、
・バードギール(風取り塔)−中東で伝統的にみられる埃などが入らず涼しい風が入るように建造された塔
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