哲学
Civでは、「哲学」は古典時代のテクノロジーです。この「哲学」も、0)脳と思考、心に関係しています。
さて、Wikiで哲学を調べると、「哲学」ページがヒットします。
1)哲学とは、存在や理性、知識、価値、意識、言語などに関する総合的で基本的な問題についての体系的な研究であり、それ自体の方法と前提を疑い反省する、理性的かつ批判的な探求である。
2)ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによれば、哲学は思想を論理的に浄化する活動それ自体のことをいう。
3)歴史上、物理学や心理学など、多くの個性的な科学が哲学の一部から発生した。
席亭は専門家ではないので、この文章が正確かどうかは分かりません。席亭は、自然観察=哲学であるとは考えてはいません。しかし神話:市民的な(民主的な)思考という対峙からは、確かに科学は哲学に似ているのかも。
4)哲学の主要な分野としては、認識論、倫理学、論理学、そして形而上学が挙げられる。認識論では、知識とは何かという問題と、どのようにして知識を得ることができるかという問題について研究する。
倫理学では、道徳的な原則と、正しい行いを構成するものは何かということについて研究する。論理学では、正しい推論についての研究と、良い論証と悪い論証をどのように見分けることができるかについての研究を行う。
形而上学は、現実や存在、客体と属性の最も一般的な特徴についての検討を行う。哲学のその他の分野としては、美学、言語哲学、心の哲学、宗教哲学、科学哲学、数学の哲学、歴史哲学、政治哲学などが挙げられる。
これらそれぞれの分野において、異なった原理や理論、方法を推し進める学派が存在する。
学派が存在するとは、「自分達がその考え方の基準を用意した」という事でしょう。十人十色の可能性が有ります。ですから、哲学は必ずしも真では有りません。(真である必要が有りません)それに対して、科学は(客観的ですので)容易に反論が可能です。
5)哲学を行う者は哲学知を得るために多くの方法を用いる。例えば、概念分析、コモン・センスや直観を頼ること、思考実験、自然言語の分析、現象を記述すること、批判的問いかけなどである。
哲学は、科学、数学、ビジネス、法、ジャーナリズムなど、様々な分野と関連する。哲学は学際的な視点を提供し、様々な分野における基本的な概念とそれらの分野の範囲を研究し、それらが用いる方法やその倫理的意味合いについても研究する。
6)歴史上、影響力のある哲学の伝統としては、西洋哲学、アラブ・ペルシア哲学、インド哲学、中国哲学などがある。西洋哲学は古代ギリシアに起源を持ち、哲学における幅広い下位分野をカバーする。アラブ・ペルシア哲学における主要なトピックは
理性と啓示の関係であり、インド哲学はどのようにして悟りに達するかの精神的な問題と、現実の本質や知識にたどり着く方法の探求を結びつける。中国哲学は主に正しい社会的行動や統治、そして自己修養に関する実践的な問題に焦点を置く。
7)哲学を行う人を哲学者(てつがくしゃ、フィロソファー、英: philosopher、希:〇)と呼ぶことがある。
8)語源:
9)「哲学」は英語で「philosophy(フィロソフィー)」といい、語源は古典ギリシア語の「〇(フィロソフィア)、古代ギリシア語ラテン翻字:〇」に由来する。直訳すれば「知を愛する」という意味である。
10)「哲学」という日本語は、明治時代に西周がフィロソフィーに対してあてた訳語である。
西周(にしあまね)は、島根県出身の啓蒙家です。
11)古代ギリシアにおける「フィロソフィア」:
12)古典ギリシア語の「フィロソフィア(古希:〇、古代ギリシア語ラテン翻字:〇、ピロソピアー、フィロソフィア)」という語は、「愛(友愛)」を意味する名詞「フィロス(古希:〇)」の動詞形「フィレイン(古希:〇)」と、「知」を意味する
「ソフィア(古希:〇)」が合わさったものであり、その合成語である「フィロソフィア」は「知を愛する」「智を愛する」という意味がある。
13)この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。
14)古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマのラテン語(羅:philosophia)にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。
15)20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる。
16)一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅:Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている。
17)日本語における「哲学」
18)西周による「哲学」:→「和製漢語」も参照
19)日本で現在用いられている「哲学」という訳語は、大抵の場合、明治初期の知識人西周によって作られた造語(和製漢語)であると説明される。少なくとも、西周の『百一新論』(1866年ごろ執筆、1874年公刊)に「哲学」という語が見られる。
20)そこに至る経緯としては、北宋の儒学者周敦頤の著書『通書』に「士希賢」(士は賢をこいねがう)という一節があり、この一節は儒学の概説書『近思録』にも収録されていて有名だった。
21)この一節をもとに、中国の西学(日本の洋学にあたる)が「賢」を「哲」に改めて「希哲学」という語を作り、それをフィロソフィアの訳語とした。この「希哲学」を西周が借用して、さらにここから「希」を省略して「哲学」を作ったとされる。
22)西周は明治政府における有力者でもあったため、「哲学」という訳語は文部省に採用され、1877年(明治10年)には東京大学の学科名に用いられ、1881年(明治14年)には『哲学字彙』が出版され、以降一般に浸透した。
23)なお、西周は「哲学」以外にも様々な哲学用語の訳語を考案している。
24)「哲」という漢字の意味(および同義字)は「賢人・知者(賢)、事理に明らか(明)、さとし(敏)」などがある。字源は「口」+音符「折」からなる形声文字である。
25)「哲学」以外の訳語:
26)「哲学」という訳語が採用される以前、日本や中国では様々な訳案が出されてきた。とりわけ、儒学用語の「理」あるいは「格物窮理」にちなんで、「理学」と訳されることが多かった。
→「理学」および「理学部」も参照
格物窮理とは、物事の道理をきわめて、そこに一貫する原理を見いだすこと、だそうです。席亭などは「この姿勢は哲学よりも、科学の方にある」と思っています。科学では現状分析(〜客観視)が大切です。
27)17世紀・明末の中国に訪れたイエズス会士ジュリオ・アレーニ(艾儒略)は、西洋の諸学を中国語で紹介する書物『西学凡』を著した。同書のなかでフィロソフィアは、「理学」または「理科」と訳されている。
28)日本の場合、幕末から明治初期にかけて、洋学(西洋流の学問一般)とりわけ物理学(自然哲学)が、「窮理学」と呼称されていた。例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。
29)一方、中江兆民はフィロソフィアを「理学」と訳した。具体的には、兆民の訳書『理学沿革史』(フイエ Histoire de la Philosophie の訳)や、著書の『理学鉤玄』(哲学概論)をはじめとして、
主著の『三酔人経綸問答』でも「理学」が用いられている。
30)ただし、いずれも文部省が「哲学」を採用した後のことだった。
31)なお、兆民は晩年の著書『一年有半』で「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と述べたことでも知られる。
32)上記の中国清末民初の知識人の間でも、「哲学」ではなく「理学」と訳したほうが適切ではないか、という見解が出されることもあった。
哲学では現状分析ではなく、新たな体系を構築する方に重きが置かれているように思います。理学よりも、むしろ工学的ですね。思考による構築です。(笑)
33)「理学」が最終的に採用されず、「哲学」に敗れてしまった理由については諸説ある。上述のように「理」は既に物理学に使われていたため、あるいは「理学」という言葉が儒学の一派(朱子学・宋明理学)の同義語でもあり混同されるため、
あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため、などとされる。上記の西周や桑木厳翼も、本来は「理学」と訳すべきだが、そのような混同を避けるために「哲学」を用いる、という立場をとっていた。
34)明治哲学界の中心人物の一人・三宅雪嶺は、晩年に回顧して曰く「もしも旧幕時代に明清の学問(宋明理学と考証学)がもっと入り込んでいたならば、哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう」
「中国哲学・インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった」「理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する(漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった)」という旨を述べている。
35)各言語における「哲学」
36)英語をはじめとした多くの言語で、古希:〇をそのまま翻字した語が採用されている。例えば、羅:philosophia、英:philosophy、仏:philosophie、独:Philosophie、伊:filosofia、露:〇、阿:falsafahなどである。
37)漢語の本場である中国では、西周による「哲学」が、逆輸入されて現在も使われている。経緯としては、清末民初(1900年代前後)の知識人たちが、同じ漢字文化圏に属する日本の訳語を受容したことに由来する。
阿:はアラビア語訳です。
38)定義:→「メタ哲学」も参照
39)一般的定義:
40)哲学の実践には、複数の一般的な特徴があるとされる。すなわち、理性的な探究の一形態であること、体系的であることを目指すこと、そしてそれ自体の方法と仮定を批判的に考える傾向があるということである。
41)加えて、人間の状態の中心をなし、挑戦的で、厄介かつ、忍耐を必要とする問題に対する、注意深い熟考が求められる。
42)知恵を追求する哲学的探究では、一般的で基本的な問いを立てることを含む。このような営みは必ずしも単純な答えを導くわけではないが、特定の物事についての理解を深めたり、自らの人生を吟味したり、混乱を晴らしたり、
自らを騙している先入観に基づく偏見を克服することの助けになる。
43)例えば、ソクラテスは「吟味されざる生に生きる価値なし」と言い、哲学的探究を個人の実存と結びつけた。
これは「日に三省する」にも通じる考え方です。ですから、東西で余り違う事は言っていません。
44)バートランド・ラッセルは「全く哲学に触れない者は、習慣的観念や生まれた時代、国家、そしてよく熟慮された自らの理性の協力と同意なしに自らの考えの中に根付いた信念からくる常識としての感覚から導き出される偏見の檻の中で
人生を過ごすことになる」とした。
哲学に全く触れなかったとしても、それで不幸になる事は有りません。ですが、世界は確実に狭く成ります。日常に流されたり仮に(解決策を発見出来ず)堂々巡りをしていたとしても、それだけで幸せなのです。(笑)
45)学術的定義:→「哲学の定義」も参照
46)哲学にさらに正確な定義を与えようとする試みには議論があり、これらはメタ哲学で研究される。全ての哲学において共有される本質的な特性の集合があると主張するアプローチも存在すれば、より弱い家族的類似性しか持たないか、
単なる無意味な包括的単語であると主張されることもある。明確な定義は、特定の学派に属する理論家によってのみ受け入れられる場合が多く、セーレン・オーヴァーガードらは、それらが正しいとすると哲学に属すと思われる多くの哲学の部分が
「哲学」の名に値しなくなるという点で、修正主義的であるとしている。
47)一部の定義では、哲学をその方法(例えば、純粋な推論など)との関係によって特徴づけたり、その主題(例えば、世界全体における最も大きなパターンを見出そうとすることだったり、大きな問いに答えようとするようなこと)に焦点を当てたりする。
このようなアプローチはイマヌエル・カントによって追究され、カントは、哲学の仕事を「私は何を知ることができるか?」「私は何をすべきか?」「私は何を望むか?」そして「人間とは何か?」の四つの問いを合わせたものであるとした。
ただし、これらのアプローチは、それらが哲学以外の分野を含んでしまうという意味であまりに広範であるという問題と、哲学における下位分野をいくらか除外してしまうという点で狭すぎるという問題がある。
席亭は「哲学とは頭の使い方の訓練」と思っているので、いきなり大きくて難しい問題に挑むのには反対です。(cf.数学問題)
48)他の多くの定義では、哲学の科学との密接な関わりを強調する。このような見方では、哲学それ自体を正当な科学として理解することがある。W.V.O.クワインのような自然主義哲学者によれば、哲学は経験的だが抽象的な科学であり、
特定の観測によるものではなく、広範な経験的パターンに関するものであるとされる。科学を基礎とした定義は一般に、なぜ哲学がその長い歴史の中で、科学と同様に、同程度まで発展しなかったのかという問題に行き当たる。
49)この問題については、哲学は未成熟で暫定的な科学であり、一度発展した哲学の一分野はそれを以て哲学ではなくなるのだと考えることによって回避することができる。この考え方により、哲学は「科学の助産師」であると言われることがある。
科学は実験などによって仮説の真偽を調べる事が出来ます。つまり、リトマス試験紙付なのです。哲学に於いても思考実験を行う事は有りますが、こちらの方は明確、明瞭であるとは限りませんよね?(苦笑)
50)また、科学と哲学の対照性に焦点を当てる定義もある。そのような概念における一般的なテーマは、哲学は意味と理解、言語の明快化に関するものであるということである。
51)ある視点によれば、哲学は概念分析であり、概念を適用するための必要十分条件を見つけることを含む。ある定義では哲学は考えることについて考えることとし、その自己批判的で、反省的な性質を強調する。
52)また他の定義では、哲学を言語的治療であるとし、例えばルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学は混乱を招きやすい自然言語の構造によって人間が陥りやすい誤解を取り除くことを目的としているとしている。
席亭などは、「哲学で自然言語を使用している内は、厳密な議論は不可能である」と思っています。(cf.数学)
53)エトムント・フッサールのような現象学者によれば、哲学は本質を追究する「厳密科学」とされる。現象学者は、現実についての理論的な仮定を根本的に停止して、「物事それ自体」つまり経験の中でもともと与えられていたものに立ち戻ることを
実践する。また、このような経験における基本的な水準が、より高位の理論的知識のための土台を提供するものであり、より後に来るものを理解するにはより前にあるものを理解する必要があると主張する。
哲学で命題とするものに、必ず(真偽の)結論が有るとは限らないと思います。
54)古代ギリシアとローマ哲学における初期のアプローチには、個人の理性的キャパシティを育てる精神的な実践が哲学であるというものが見られる。このような実践は哲学者の愛知の表現であり、思慮深い生活を送ることによって個人の
ウェルビーイングを向上させることが目的とされた。例えば、ストア派は哲学を心の鍛錬の実践であるとし、それによりユーダイモニアを達成し、人生を繁華させることを目指した。
55)辞書/辞典による定義:
56)以下は日本語辞典『広辞苑』での「哲学」の説明:
@[・・・]物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問。古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立以降、諸科学の批判的吟味や基礎づけを目ざす学問、世界・社会関係・
人生などの原理を追求する学問となる。
認識論・倫理学・存在論・美学などを部門として含む。
A俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方・思想。
−『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年、「哲学」より
57)なお、以下は哲学用語としての「学(がく)」の説明:
〇(〇+ア)(science(フランス)・(イギリス)・Wissenschaft(ドイツ))現実の全体あるいはそれの特殊な諸領域または側面に関する体系的認識。哲学および個別諸科学を含む。
〇(〇+イ)学芸。学問・芸術の総称。
−『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年、「学」より
58)観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学(人文科学)とされる場合もある。
59)哲学者による定義:
60)近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。
61)啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。
古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち−−物理学、倫理学および論理学である。
この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。
−イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫、1976年、5頁、「序言」より
62)現代思想において、特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学について次のように説明している。
哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
−ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁より
63)現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。
古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。
−マルティン・ハイデッガー、『存在と時間』上、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、19頁、「序に代えて」より
64)その他:
65)その他にも、以下のような使われ方があるとされる。
1.(近代以前の用法)知的探究活動全般・学問全般を指す。したがって、学問に従事する人物全般・賢者全般が哲学者と呼ばれた。
2.(中世ヨーロッパの大学制度)カリキュラムの自由七科を指す。
3.(近現代の大学制度)人文科学の一分野(哲学科)を指す。問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討する研究分野である、などと説明される。
この分野に従事する人物は哲学者または哲学研究者と呼ばれる。
4.「ニーチェの哲学」などのように、個々の哲学者による哲学探求の成果(思想)も哲学と呼ぶことがある。
5.「数学の哲学」「法哲学」などのように、各科学分野の「基礎論」、または実践に対する「理論」を指す。
6.宗教や神学と部分的に重複する。
→「§ 哲学と宗教」も参照
7.現代英語のフィロソフィー(philosophy)は「哲学」・「哲学専攻コース」・「哲学説」・「人生[世界]観」・「達観」・「あきらめ」などを意味するとされる。
以下は§哲学の対象・主題、§哲学の分類ですが、省略します。
66)歴史
67)西洋哲学:→「西洋哲学」も参照
68)イスラーム哲学:→「イスラーム哲学」も参照
69)古代ギリシャ哲学はイスラム世界に受け継がれ、イスラム世界において、アッバース朝のカリフ、マームーン(786年−833年)は国家的事業として、ギリシャ語文献を翻訳させた。
翻訳センター・研究所・天文台である「知恵の館」が設けられた。翻訳の大半は、ヤコブ派、ネストリオス派などの東方キリスト教徒が、シリア語を介して行った。
何処にでも目鼻の利く人は居るものです。中世においては科学技術は、イスラム世界の方がヨーロッパよりも発達していました。
70)ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは、アリストテレスとその注釈者の著作であった。
71)ネオプラトニズムについては、プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず、ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった。
72)キンディーはイスラーム最初の哲学者と言われる。イブン=ザカリーヤー・ラージーは、アリストテレスの哲学ではなく、原子論やプラトン主義の影響を受けた珍しい哲学を展開した。
73)ファーラービーは、神から10の知性(=ヌース)が段階的に流出(放射)すること、そして第10の知性が月下界を司っている能動知性で、そこから人間の知性が流出している、という理論を打ち立てた。
74)政治哲学の分野でも、アリストテレスを採用せず、(ネオプラトニスムでは忘れられていた)プラトン的政治論を採用した。イブン=シーナー(アヴィセンナ)はイスラーム哲学を完成させたと言われている。
75)イスラームのイベリア半島(スペイン)においては、イブン=ルシュドが、アリストテレス研究を究め、アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した。
そしてイブン=シーナーのネオプラトニスムを廃し、純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした。
76)ヨーロッパ哲学:→詳細は[哲学史§哲学史としてのヨーロッパ哲学史」を参照
77)ヨーロッパ哲学の大きな特徴として、「ロゴス(言葉,理性)の運動を極限まで押し進めるという徹底性」 があり、古代、近代、現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える。
古代、近代、現代といった枠組みの中でも大きく研究姿勢が異なる学者、学派が存在する場合も珍しくない。
78)東洋哲学
79)東洋に哲学は有ったか:→「東洋哲学」および「中国哲学§中国に哲学は有ったか」も参照
80)上述のように、哲学は西洋の伝統である。これに対し、東洋の似た伝統は「東洋哲学」と呼ばれ「インド哲学」「中国哲学」「日本哲学」などが下位分野とされる。
81)日本では、複数の大学に「哲学科」と並んで「東洋哲学科」にあたる諸学科が置かれている。これは明治時代の東京大学の学科編成にさかのぼる。当時東大教授だった井上哲次郎は、日本の「東洋哲学」研究の開拓者とされる。
82)一方で、「東洋に哲学は無い」とする見解もある。例えば、ジャック・デリダは2001年に訪中した際「哲学は西洋の伝統であり、中国に哲学はない」という旨の発言をしたとされる。
83)「東洋に哲学は有ったか」という問いは、哲学の定義とも関わるメタ哲学的な問いであり、一定の答えはない。
東洋にも数学が存在しましたから、哲学的思考は確かに存在していました。
84)インド哲学:→詳細は「インド哲学」を参照
85)哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、
インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。
哲学と宗教の違いが記述されています。この宗教に対しても、コメントは必要でしょう。
86)中国哲学:→詳細は「中国哲学」を参照
87)中国では、春秋戦国時代に諸子百家が現れた。中でも老子や荘子の道家、孔子や孟子、荀子らの儒家がよく取り上げられる。時代が下ると、南宋では形而上学的思索を含む朱子学が生まれ、明代には朱子学を批判して陽明学が登場した。
88)日本哲学:→詳細は「日本哲学」を参照
89)日本哲学は、伝統的には仏教や中国の影響を受けて来た。現代では西洋の影響も受けている。
90)現代日本の哲学科における哲学研究は、西洋哲学を紹介するだけの「輸入学問」であり、哲学史を研究するだけの「哲学学」に過ぎない、という見解もある。
言い換えれば、日本の哲学研究者の大半は、本来の哲学からかけ離れた活動をしているとされる。
91)中江兆民は、日本にルソーなどを紹介した一方、晩年の『一年有半』(1901)で「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と述べ、同時代の井上哲次郎を「哲学者と称するに足らず」と批判した。
本来の活動をせず、学窓に逃込んでいる、と思われたのでしょう。
92)西田幾多郎は、フッサール現象学などの西洋哲学および仏教などの東洋哲学の理解の上に、『善の研究』(1911)を発表、知情意が合一で主客未分である純粋経験の概念を提起した。
またその後、場所の論理あるいは無の論理の立場を採用した。彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれるようになった。
席亭も、本の名前だけは知っています。
93)井筒俊彦は、イスラーム思想を研究し、Sufism and Taoism(1966−67、1983)では、イスラームと老荘の神秘思想を分析し、それらがともに持つ一元的世界観を指摘し、世界的にも高い評価を得た。
そして晩年には『意識と本質』(1983)などを著し、東アジア・インド・イスラーム・ユダヤの神秘主義を元に、ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた。
94)特徴
95)哲学と宗教:
96)哲学と宗教は共に神の存在に関連している分野である。そのため厳密な区分は難しい。宗教と神学と哲学の境界は必ずしもはっきりしない。ただ、合理的な追求を試みる態度によって異なっている、とする人もいる。
哲学には必ずしも神の存在は必要有りません。それが証拠に、無神論者にも哲学者は居ます。
97)西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。
この点古代ギリシア人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、
恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。
哲学の効用の一つに、「迷信の排除」が有ります。
98)オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。
99)プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。
100)後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。
101)現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう。
102)宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰生活(実践)に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。
103)同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ業績を残した人もいれば、実践を重んじ困っている人を助けることを日々実行する人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。
信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めた。ただし、知的なだけでなく、人格的にも傑出した哲学者に限れば、人々の尊敬を広く集めた。
まあこの辺り、資料に乏しい、と言われるのでしょう。
104)また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられることがある。宗教ごとに性質は異なるので一括りに語ることは難しいが、例えばアブラハムの宗教などには信仰の遵守を求めるドグマ性がある、
時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面があるとして、比較されることはある。
105)18世紀〜19世紀ごろから自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている。
106)一方、古代から、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もあり、これは現代でも支持者がいる。
107)中世哲学研究者の八木雄二は、「神について学問的分析をすることを『神学』と呼び、自然的な事柄全般についての学問的分析を『哲学』と呼」ぶのが一般的風潮であると提言したうえで、
それを翻して、「哲学とは理性が吟味を全体的に行うことと理解すれば、キリスト教信仰を前提にしたあらゆる理性的吟味は、キリスト教哲学ということもできるし神学と呼ぶこともできる」と自説を主張している。
つまり、哲学を理性的な吟味を行うことと定義し、その定義より神学は哲学に含まれると述べているのである。
席亭などは、哲学は神学と対峙するものであると思います。何しろ、「鰯の頭も信心から」ですから。其処には疑問や否定の考えは無いのでしょう。神学は一種の権威でしょう。
108)フランシス・マクドナルド・コーンフォードは著書『宗教から哲学へ−ヨーロッパ的思惟の起源の研究』で、「哲学は、神話・宗教を母体とし、これを理性化することによって生まれてきた」といった哲学史観を示している。
これは今日一般的な哲学観であり、中世哲学史家のエティエンヌ・ジルソン、科学哲学者のカール・ポパーもこれと同じ哲学観を持っている。
席亭はそうは思いません。ヨーロッパにはフリーメイソンなどの様に、万人に共通の価値観(〜商法)を追及していたグループが確かに存在していました。神話や宗教などは、単なる素材です。
109)哲学と思想、文学や宗教の関係について、相愛大学人文学部教授の釈徹宗は「哲学や思想や文学と、宗教や霊性論との線引きも不明瞭になってきています。」と述べている。
哲学者・倫理学者である内田樹は、「本物の哲学者はみんな死者と幽霊と異界の話をしている。」と述べている。
科学は再現性の有るものしか取扱いませんから、個人の死やあの世の事は哲学者にとっても興味深いのでしょう。ですが、どうやって確認するのでしょうか?(笑)
110)哲学と思想:
111)「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。永井均は、哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張である、とする。
112)ソクラテス以来の西欧哲学の流れによれば、知を愛するという議論は、知を構築する方法を論じるという契機を含んでおり、思考をより望ましいものにするための方法の追及こそが哲学である、という主張である。
113)ところが実際には「よい思考の方法」を見出したとしても、現実に適用するにあたっては「それを用いるべき」と主張の形で表出することになるため、哲学は思想としてしか表現されないことになる。
114)このために思想と哲学の混用は避けられない。
この思想と哲学の差も、議論されるべきです。
115)哲学と思想を区分することのメリットは具体的な使用事例で発見することができ、たとえば思想史と哲学史は明らかに異なる。通常は思想家とされない人物でも、その行動や事業を通して社会に影響を与えた場合には思想史の対象となる。
116)これに対して哲学史の対象は哲学者の範囲にとどまり、哲学を最大限に解釈したとしても、政治家や経営者が哲学史で論じられることはない。
しかし思想史においては、実務を担当し世界の構造を変えようとした人々は思想史の対象として研究対象になる、とする。
117)一方で小坂修平は別の立場をとり、「哲学と思想の間に明確な区別はない。思想は、一般にある程度まとまった世界なり人間の生についての考え方を指すのにたいし、哲学はそのなかでも共通の伝統や術語をもったより厳密な思考といった程度の違い」
であるとする。小阪はこの区別に基づき、19世紀後半から20世紀前半にかけて生まれてきた思想は分析哲学や現象学を除けば哲学の枠組みには収まらず、現代思想になるとする。
118)人文科学との関係:
119)一部の哲学は、理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある。古代ギリシア哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと、スコラ哲学や仏教哲学のように、信仰・世界観・生活の具体的な指針と結びついて離れない例があること
などが指摘できる。理性によって物事を問いながらも、言葉を用いつつ、人々の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い。
人々の関心=哲学の命題、なのでしょう。
120)哲学者の名言が多いのはそのためでもある。例えば日本では大学の主に文学部の中の「哲学科」で哲学を学ぶが欧米には「哲学部」という学部が存在する。
121)八木雄二は、前節で述べたように哲学を理性的な吟味を行うことと定義した上で、人文科学は「哲学によってその事実内容が真であるかどうかの批判的吟味を受けることによって学問性を明らかにする」と述べている。
自然科学は数学的方法を適用することで、数学的方法を適用できない人文科学は哲学によって、それらが理性的であるかが確認でき、そういった数学的方法や哲学的吟味を受容してこそそれらは学問として認められるのだと彼は主張している
(生物学のようにどちらの側面も持っていて、数学的方法に還元できない部分では哲学的吟味を受けるような学問もあるという)。
確かに生命の存在は、哲学的命題の一つでも有ります。
122)学問分野としての哲学の特徴:
123)哲学を学ぶということについて、イマヌエル・カントは「人はあらゆる理性学(ア・プリオリな)の内で、ただ数学をのみまなぶことができるが、しかし哲学(Philosophie)をば(それが歴史記述的でない限り)決して学ぶことはできない」
「理性に関しては、せいぜいただ哲学すること(Philosophieren)を学ぶことができるだけである」という。その上でカントは「理性の学的な理論的使用は哲学か、もしくは数学のどちらかに属する」と主張している。
124)三森定史は、科学と哲学は区別されるべきであり、科学が外観学(意識外で観察されるものを収集することで法則を立てる学問)であるのに対して哲学は内観学(意識内での観照から一般法則を導き出す学問)であるとする。
また三森は大学でおこなわれているいわゆる「哲学」(哲学・学)への批判を込めて「大学での哲学研究は外観学に含まれる」 としている。
125)論理学と哲学:
126)伝統的に論理学は哲学の一分野として研究されてきた。論理学は伝統的にわれわれの推論のパターンを抽出することを目的としてきた。特に伝統的な論理学においては、前提が正しければ確実に正しい結論を導くことができる手法としての
三段論法が主な研究の対象であった。
127)推論の厳密さを重視する哲学においては論理学は主要な研究の対象であり政治や弁論術、宗教、数学や科学の諸分野において論理学は重要な研究の対象であり続けた。古代の哲学者たちはしばしば現代でいう論理学者や数学者を兼ねていた。
128)論理学の直接の関心は推論の妥当性にあり、かならずしも人間や社会や自然の諸事象が考察の焦点にならない(この点で論理学は哲学の他の分野とは性格が異なる)。
もし疑いようのない前提から三段論法を用いて人間や社会や自然の諸事象についての結論を導き出すことができるならそれは非常に強力な結論となりうる。哲学者たちが論理学を重視してきたことは当然といえるだろう。
この論理学についても、後述します。
129)哲学的論理学においてはしばしば推論規則そのものの哲学的な正当性が問題となってきた。古典論理については排中律の是非が問題となってきたし、帰納論理についてはそもそも帰納論理なるものが成立するのかどうか自体が問題となった。
こうした検討は認識論や科学哲学といった他の分野にも大きな影響を与えてきた。20世紀の初頭までには古典論理による推論の限界が明らかにされる一方でその公理系そのものを懐疑する視点から様相論理学、直観論理や矛盾許容論理などの
展開も提示されている。
130)広義の哲学の特徴:
131)広義の哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みであり、そのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指すこともある。例えば、「子育ての哲学」「会社経営の哲学」などと言う場合、
このような意味での哲学を指していることが多い。
132)また、哲学は個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性、価値観、世界観などを指す場合もある。
つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、あるいは発想の仕方のことである(こうしたものは思想と呼ばれることも多い)。
133)このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが、体系性を備え、ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある。
134)貫成人は「モノづくりの哲学」や「料理の哲学」などといった俗な用例に着目し、哲学とはすべての物事を説明する普遍的原理を追求するものであるが、それにもかかわらずそういった哲学に違いが生まれるのは、時代・場所が異なり、
哲学する人がどこまでを「すべて」に含めるかが異なることによるためだとする。
§哲学への批判、§脚注、§参考文献は省略します。
135)関連項目:
・人文科学/人文学
・哲学−思想
・美学−倫理学−認識論
・神学−宗教論
・儒学
・科学哲学
・デジタル人文学
・計算論的哲学/デジタル哲学
・計算論−計算機科学/コンピュータサイエンス−人工知能/AI
・Category:哲学者、日本の哲学者
・思想家、思想家一覧
・儒学者一覧
・評論、評論家、評論家一覧
・概念
・認識
・哲学会−1884年発足。東京大学哲学科主体の学会
・日本哲学会−1949年設立。日本の全国規模の学会
・反証可能性
・人生の意義
・ソーカル事件
・ソフィーの世界
・不思議の環
・原理主義
原理主義とはキリスト教の用語で、聖書の無謬性を主張する思想や運動、だそうです。この用語はイスラム原理主義にも使用されます。
次は同じくギリシアの特徴である、「建築」です。
→建築