貴金属と鉄

Civテクノロジーには前述した様に、「採鉱」、「青銅器」ページが有ります。この貴金属や鉄は自然界の一部ですが、それを発見する為にはやはり、5)目の力が必要でしょう。(笑)
Wikiで貴金属を調べると、「貴金属」ページがヒットします。

1)貴金属は、金属のうち化合物をつくりにくく希少性のある金属の総称。
2)英語ではprecious metalまたはnoble metalといい、precious metalは希少な金属、noble metalはイオン化(酸化)しにくい性質を持つ金属をいう。
3)なお、貴金属の対義語は卑金属である。
nobleは確かに「イオン化しにくい」なのでしょうが、これは後付けであり、当初はやはり高貴な(高価な)金属なのでは?
4)定義:
5)化合物をつくりにくく希少性のある金属という条件を満たす元素は、金(Au)、銀(Ag)、白金(Pt)、パラジウム(Pd)、ロジウム(Rh)、イリジウム(Ir)、ルテニウム(Ru)、オスミウム(Os)の8つであり、これらを一般に貴金属元素という。
6)電気化学では銀よりも単極電位の大きい元素のことであり以上の8元素と同じである。
7)また、貴金属(noble metal)は「標準水素電極と比較して高い正極電位をもつ金属」と定義されることがある。この場合、相対的にイオン化しにくいほうを「貴」といい、例えば亜鉛(Zn)との比較で銅(Cu)は貴(貴金属)とされる。
8)イオン化傾向が水素より小さい金属という定義では水銀など上記以外の元素を貴金属に含めることもある。
水銀は金銀の加工で良く登場します。
9)これらはいずれもDブロック元素に属する。
Dブロック元素は知りませんでした。

10)性質
11)金・銀・白銀:
12)周期表の金、銀、白金は化学的、物理的、機械的に似た性質を有する。金、銀、白金はいずれも、色が美しく、加工が容易、室温で変色しない(銀を除く)という三要素をもち工芸品や宝飾品に用いられている。
銀は塩素に弱く、確か錯体を作った筈。日常使いで容易に変色します。
13)白金族元素:
14)ルテニウム、ロジウム、パラジウム(これら3つをパラジウム類と言うことがある)、オスミウム、イリジウム、白金(これら3つは白金類と言うことがある)の6つの元素を「白金族元素」と言う。
これも知りませんでした。
15)白金族元素はお互い性質が似通っており、融点が高く、白金、パラジウムはアルミニウム並に軟らかく、ルテニウム、イリジウムは硬く、オスミウムは非常に硬く脆い。ロジウムはその中間の硬さである。全体的にくすんだ銀白色を呈した金属である。
金属は、色が付く(〜金)方がレアです。
16)また白金類は密度が21から22と非常に高く、物質中最も重い元素になる。重白金族とも言う。パラジウム類は密度は12で、軽白金族とも言う。酸、アルカリなどにも侵されにくい。非常に有用な触媒となるものもある。
触媒作用は化学反応で重要で、生物などにも利用されています。
17)白金族元素はどれもかなり希少な金属だが、その中でもロジウム、オスミウム、イリジウムは特に希少な金属である。
歴史的な観点では、金、銀、銅、白金だけで充分です。

18)レニウム:
19)レニウムは、地球上においても、宇宙空間においても最も希少な金属である。(ビスマス以外のほぼ全ての高度放射性元素を除く)
   レニウムは灰白色の非常に硬い金属で、過酷な条件下にも耐えうることから、ロケットエンジンにごく少量添加されたりしている。
   密度に関しても、白金の21.45に次いで全元素中第4位の高密度である。

20)関連項目:卑金属、化学、物性物理学、レアメタル、重金属、砂金、宝石、ホールマーク、外国為替及び外国貿易法(外為法)

次は「金」ページです。
1)金(きん、英:gold、羅:aurum)は、原子番号79の元素。元素記号はAu。第11族元素に属する金属元素。常温常圧下の単体では人類が古くから知る固体金属である。和語ではこがね、くがねといい、おうごんとも(黄金)。
2)見かけは光沢のあるオレンジがかった黄色すなわち金色に輝く。金属としては重く、軟らかく、可鍛性がある。展性と延性に富み、非常に薄く延ばしたり、広げたりすることができる。金属のなかで3番目に電気を通しやすい。
3)同族の銅と銀が比較的反応性に富むこととは対照的に、標準酸化還元電位に基くイオン化傾向は全金属中で最小であり、反応性が低い。金を溶解する水溶液としては、王水(塩化ニトロシル)、セレン酸(熱濃セレン酸)、ヨードチンキ、
  酸素存在下でのシアン化物の水溶液がある。
王水は1硝3塩(いっしょうさんえん、1升3円)、でした。(笑)
4)宇宙ではキロノヴァ(中性子星合体)などで生み出される。宇宙で生み出された金は隕石として降り注ぎ地球で採掘される金となった。
ですから金元素は、地球で生成されたものでは有りません。しかし特定の場所で発見されるのは、地中活動による濃縮の結果(〜火山)でしょう。
5)熱水鉱床として鉱床が生成され、そのまま採掘されるか、風化の結果として生まれた金塊や沖積鉱床(砂金)として採集される。金鉱脈の生成としては、マントルの上昇時に金の濃縮が起こるという説もある。
6)これらの性質から、金は多くの時代と地域で貴金属として価値を認められてきた。化合物ではなく単体で産出されるため精錬の必要がなく、装飾品として人類に利用された最古の金属で、美術工芸品にも多く用いられた。
7)銀や銅と共に交換・貨幣用金属の一つであり、現代に至るまで蓄財や投資の対象となったり、金貨として加工・使用されたりしている。ISO通貨コードでは XAU と表す。また、医療やエレクトロニクスなどの分野で利用されている。

8)名称:
9)元素記号Auは、ラテン語で金を意味するaurumに由来する。大和言葉で「こがね/くがね(黄金: 黄色い金属)」とも呼ばれる。
10)日本語では、金を「かね」と読めば通貨・貨幣・金銭と同義(すなわちお金)である。金属としての金は「黄金」(おうごん)とも呼ばれ、「黄金時代」は物事の全盛期の比喩表現として使われる。
11)「金属」や「金物」(かなもの)といった単語に金の字が含まれるように、古くから金属全体を代表する物質として見られた。
金が金属の代表(王)に選ばれるのは納得です。ですが、金、銀、銅、鉄などを同じ仲間と認識した古代人は流石です。(笑)

次は§性質ですがこれは後回しにして、§利用の歴史を語る事にします。また以下は、必要な部分のみリストアップしました。
12)利用の歴史:
13)金は、美しい光沢を含めて有用な性質を多く持つ。また精錬の必要がない単体の金そのままで自然界に存在しているため、精錬が必要な鉄などよりも早く人類が利用していた金属とされる。
14)しかし産出は非常に限られていたため、有史以前から貴重な金属、貴金属として知られていた。また、そのままでは金として利用できない金鉱石であっても、アマルガム法や灰吹法などの冶金法によって取り出すことができた。
アマルガム法には水銀を使用します。水銀で金の合金を作ります。公開動画にも有る様に、水銀は金を食べます。(笑)
15)長い年月を経ても変化しない金の性質は神秘性を産み、不老不死との関連としても研究された。占星術においては、中心に点が描かれた円の記号は太陽を表すと同時に金も表し、これは古代エジプトのヒエログリフにも見られる。
16)このように、金は歴史とともに利用価値の高さゆえの豊かさと富の象徴であり、金そのものや鉱山(金鉱や金山)の所有、採掘の権利などを巡る争奪・紛争が、個人間から国家間の規模に至るまでしばしば引き起こされた。

17)紀元前:
18)金は紀元前3000年代に使われ始めた。最古の金属貨幣は紀元前7−6世紀(紀元前670年ごろ)にリディアでアリュアッテス2世王により造られたエレクトロン貨で、天然の金銀合金に動物や人物を打刻している。
リディアはアナトリア半島(現在のトルコ)に在りました。金の利用発祥の地としてはリディアやエジプト以外にも、メソポタミアが引用されています。
19)金は中国で商時代に已に装飾品として使われ、春秋戦国時代には貨幣や象嵌材料として使用された。
20)古代エジプトのヒエログリフでは、紀元前2600年ごろから金についての記述が見られる。ミタンニの王トゥシュラッタが、通常は粒として請求をしている。エジプトとヌビアは、史上でも有数の金産出地域である。
21)『旧約聖書』でも、金について多く触れられている。黒海の南西部は、金の産出地として名高い。金を利用した物としては、ミダスの時代にまで遡ると言われている。
22)この金は、前述のリディアでの世界で初めての貨幣成立(エレクトロン貨)に大きく影響をおよぼしたと言われている。

23)用途:
24)金は前述のような耐食性、導電性、低い電気抵抗などの優れた特性を持つため、20世紀になってからは工業金属として様々な分野で使用されているが金単体では金属加工用途としては軟らかすぎるため、通常は銅や銀、その他の金属と鍛錬されて、
   合金として用いられる。
25)金とその他の金属の合金は、その見栄えの良さや化学的特性を利用して指輪などの装飾品として、また美術工芸品や宗教用具(仏像や神像など)の材料として利用されてきた。さらに貨幣、または貨幣的物品を代替する品物として用いられてきた。
26)金は古くから利用されていた金属であるが、構造材としては強度が小さく重いことや、そもそも高価なことから武具の材料としては使われなかったが、装飾としては多く利用された。

27)カラーゴールド:→「en:Colored gold」も参照
28)金合金は、割り金の銅、パラジウム等の配合によって様々な色調を示す。これらを総称してカラーゴールドと呼ぶ。カラーゴールドの代表的なものをあげる。
29)イエローゴールド:K18の場合、金750‰、残りを銀銅等量(125‰ずつ)のものをイエローゴールドと称している。しかし、銀4-6、銅6-4の比率の範囲も、イエローゴールドの範疇としている(ISO8654)。一般的に認知されている金色に近い。
30)グリーンゴールド:K18の場合、金750‰で残りが銀の合金をグリーンゴールドと称している。日本語では青割り、または青金という。ブルーゴールドという呼称もよく利用される。
   ISO8654 の金の色と名称の範囲で、グリーンゴールドの成分比率と色名を定めている。
31)ピンクゴールド:K18の金750‰、残りの割り金のうち80%が銅の合金を一般的に、ピンクゴールドと称している。パラジウムを加えることがある。万年筆の装飾などにおいて、他の色とは異なる高級感を演出する際に利用される。
   色合いは銀に近く、わずかに銅のような赤みを有する。
32)レッドゴールド:K18の金750‰、残りの割り金が全て銅の合金。銅以外の金属を割金に使う場合もある。グリーンゴールド同様、ISO8654 で成分比率と色名を指定している。日本語では赤割り、または赤金と言う。
33)パープルゴールド(紫色金):金とアルミニウムの合金。
34)ホワイトゴールド白色金:ニッケル系とパラジウム系があり、金にそれぞれの元素と、前者は、さらに銅、亜鉛を、後者はさらに銀、銅を加えて、白色化した金合金をホワイトゴールドと称している。
   K18の場合、ニッケル系、パラジウム系ともそれぞれ50‰以上を含まないと、白色度が不足する。一般社団法人日本ジュエリー協会は色差を用い、ホワイトゴールドの色の範囲を指定している。
   以前は白金の代用品として装飾品に用いられたが、現在はカラーゴールドの一種としての地位を得て、イエローゴールド以上に普及している。
35)このほか、黒味がかったブラック・ゴールドや、柔らかな金茶色のベージュ・ゴールドなどもある。

36)金の生産:
37)科学的に不活性であることから、鉄などのように純度を高める精練を行う必要はない。しかし、鉱石からの抽出には王水や水銀以外との反応が難しいことから、特殊なプロセスが要求される。
38)青化法(シアン化法):金を青化ソーダや青化カリ水溶性の錯体に変化させた後に、水溶液を亜鉛と反応させることで抽出する方法である。19世紀末から実用化され、それ以降は金生産の90%以上で利用されている。
39)アマルガム法(混汞法、こんこうほう):一度水銀に溶かして、水銀を飛ばす方法であるが、水銀蒸気は毒性があり、収率が悪いので廃れた。ただし、違法採掘においては現在も使用されている。
40)灰吹法:貴金属と反応できる溶けた鉛(溶融鉛)を使用する方法。
41)ホウ砂を使用する方法:環境負荷の小さい抽出・精練法とされる。貴金属を溶解させた際に出るスラグにホウ素化合物(ホウ砂)を加えて溶融温度などに差を作ることで分離回収することが可能となる。
42)陽極泥:銅などの電気精練を行った際に出る副産物として陽極泥が得られる。この陽極泥には貴金属が豊富に含まれている。
43)リサイクル:電化製品に金が使われていることから、これらの電化製品から金をリサイクルすることが可能である。これは都市鉱山と呼ばれる。
以下は省略します。次は「銀」ページです。

1)銀は、原子番号47の元素。元素記号はAg。貴金属の一種。比重は10.5。
2)大和言葉では「しろがね/しろかね(白銀:白い金属)」という。元素記号のAgは、銀を意味するラテン語のargentumに由来する。
アルゼンチンの国名も、この銀に由来しています。

3)歴史:→「銀山」も参照
4)起源前3000年頃には、人類の生活舞台に登場していた。
5)古代において銀が利用され始めた頃は、銀は金よりも価値が高いことが多かった。
6)古代エジプトや古代インドでは特にそうてあり、古代エジプトでは金に銀メッキを施した宝飾品も存在していた。

→メッキ

7)これは、金が自然金としてそのまま産出することが多いのに対し、銀が自然銀として見つかることは非常に稀だったためである。
銀は風化し易いので、ある程度のマスが無いとあの銀色は出ないのでしょう。雄弁は銀、沈黙は金、ですものね。(笑)
8)しかし精錬の方法が向上するに従い、銀鉱石からの生産が増加して銀の価値は金に比べて低いものとなった。
9)とはいえ銀の産出もいまだ希少であり、金と並んで各文明圏で貴重なものとして扱われることに変わりはなかった。
古代でも交易圏はかなり広かったので、その価値は普遍だったのでしょう。

10)貴金属であり、なおかつかなりの量を市場に供給できるだけの産出量がある銀は、ユーラシア大陸において工芸素材としてのみならず、古代より商業上の決済手段、特に高額の決済に多用されてきた。
11)古代ギリシアでは、アテナイが自領内のラウリオンに優良な銀山を持っており、この銀山の利益はアテナイがギリシア有数のポリスに成長する上で大きな役割を果たした。
席亭はこの事を知りませんでした。
12)また、アテナイがこの銀で鋳造した銀貨はドラクマと呼ばれ、かなでもテトラドラクマ(4ドラクマ)銀貨はローマ帝国期に至っても中東から地中海にかけての広い地域で流通していた。
ですから、一大経済圏(〜ドラクマ経済圏)が形成されていた訳です。ですから次は、「内海(地中海)を巡る覇権争い」を調べる事にします。
13)このほか、ローマ帝国のデナリウス銀貨やイスラム世界のディルハム銀貨など、大規模に流通した銀貨は数多い。

14)銀による高額決済は、ユーラシア大陸の中部から西部、つまり中央アジア・西アジア・ヨーロッパでは広く普及していたが、これらの地域では少額決済手段は未発達であった。
15)一方、東アジアでは中華王朝の発行する銅銭による少額決済を基盤とする商業が発達していたが、貴金属による高額決済は未発達であった。
16)13世紀におけるモンゴル帝国による東西ユーラシアの政治的経済的統合は、この両世界の商業慣行を結合させることにより、国際流通経済と銀建て決済の急成長をもたらした。
これも知りませんでした。しかし、古代=銀建ては知っていました。
17)一方で、当時ユーラシア大陸内に保持されていた銀の量を凌駕する経済の肥大は、決済手段の不足によて一時縮小を余儀なくされた。
つまりは、デフレに陥った訳です。以下は省略します。

18)銀鉱石:
19)銀鉱石を構成する鉱石鉱物には、次のようなものがある。
   ・自然銀(Ag)
   ・針銀鉱(輝銀鉱)(Ag2S)
   ・濃紅銀鉱(火閃銀鉱)(Ag3SbS3)
   ・淡紅銀鉱(Ag3AsS3)
   ・角銀鉱(AgCl)

20)貨幣としての利用:→詳細は「銀貨」を参照
21)銀の用途として古来より最も重要だったものは、貨幣としての利用である。銀はほぼすべての文化圏で高い価値を持ち、金とともに貨幣として広く流通した。
22)日本でも、江戸時代には丁銀および豆板銀と呼ばれる秤量貨幣が鋳造され、計数貨幣である金および銭と併用して使用された。銀貨の通用圏は大阪および上方を中心としており、金を中心とする江戸と二本立ての通貨体制となっていた。
   この金・銀・銭の3つの通貨間の為替レートは常に変動し、これらを両替する両替商が各都市に存在した。
23)銀はしばしば本位貨幣としても用いられ、銀を本位貨幣とした銀本位制は清や中華民国で採用されていた。
24)ヨーロッパでは、金貨と銀貨がそれぞれ流通する、いわゆる金銀複本位制がとられていたが、1816年にイギリスが金本位制に転換して以降、諸国はこれに倣い、銀の貨幣としての重要性は低下していき、紙幣の流通、
   20世紀の工業用銀需要の高まりでの銀価の上昇・銀地金の不足もあって、一般流通用として銀を貨幣に用いる国家はなくなった。
25)現在では記念硬貨や地金型銀貨として、製造・発行されている。
日本では例外的に?この銀貨が発行されており、100円銀貨/昭和32〜34年には鳳凰柄と稲穂柄が有る様です。
次は銅ではなく、「白金」ページです。

1)白金は原子番号78の元素。元素記号はPt。白金族元素の一つ。プラチナと呼ばれることもある。
2)単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する。化学的に非常に安定であるため、装飾品に多く利用される一方、触媒としても自動車の排気ガスの浄化をはじめ多方面で使用されている。
化学的に安定と触媒作用とは、相矛盾するような気もしますよね?

3)酸に対して強い耐食性を示し、金と同じく王水以外には溶けないことで知られている。
4)なお、同じく装飾品として使われるホワイトゴールド(白色金)は、金をベースとした合金であり、単体である白金(プラチナ)とは異なる。

5)名称:
6)スペイン人達は、白金を「ピント川の小さな銀(西:platina del Pinto)」と呼んだ。これが元素名platinumの語源である。
7)白金という言葉は、オランダ語のwitgoud(wit=白、goud=金)の日本語訳である。江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵が著した化学書「遠西医方名物考補遺巻八」(えんせいいほうみょうぶつこうほい まきのはち)に、
  白金(一種銀色の金属、原名プラチナ)の訳語があり、榕庵が命名し日本で最初に使われた用語と言われている。
8)尚、現代中国語ではこの元素に一文字の「ノ」という文字が当てられている。
9)これまでに人類によって産出された白金の総量は約4000トン、体積にして約200立方メートル(一辺が6メートル弱の立方体)ほどである。
思ったより少ないです。金の方は、プール何杯分だった筈。
10)稀少な貴金属なため、「プラチナチケット」などのように、入手し難い貴重な物の比喩として使われることもある。

11)歴史:
12)古くは古代エジプト第18王朝時代にファラオの装身具としてわずかながら利用されていた。
13)現存する最古の白金製品は、ルーブル美術館収蔵の、通称「テーベの小箱」である。これはエジプトのテーベにある女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱で、紀元前720年から紀元前659年頃のものと思われる。
14)また、10世紀頃には、南米でも装身具として利用されていた。これは純度80%以上もあるもので、当時すでに高度な精錬技術があったことを示す。ただ合金状のものでも融点まで加熱するのは当時の技術水準では不可能であったが、
   貴金属ゆえに酸素では酸化されない性質を利用し粉末状・粒状のものを現在の粉末冶金などと呼ばれる方法で成型していたものと考えられている。
15)スペイン人による南米への侵略の際に、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いされて略奪され持ち帰られた。しかし、銀よりも融点が高い白金は銀用の加工設備では溶かすことができず、大量に廃棄された。
勿体無い。
16)スペインの軍人、探検家、天文学者であるアントニオ・デ・ウジョーアが、フランス科学アカデミーによる子午線弧長の測量隊の一員として1735年にホルヘ・フワンとともにペルーに渡り、1736年から1744年まで南米に留まっていた。
17)この間に、コロンビアのピント川河畔で銀に似た白い金属を発見し、本国に帰国後、1748年にフワンとの共著として『南米諸王国紀行』を出版した際に、白金鉱石について記述している。これが白金の「再発見」となった。
白金は古代では装飾品に留まっている様です。そして、お待ちどう様でした。次は「銅」ページです。

1)銅は、原子番号29の元素。元素記号はCu。周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。
銅は貴金属とありましたが、遷移金属でもある様です。
2)金属資源として人類に古くから利用され、生産量・消費量がともに多いことからコモンメタル、ベースメタルの一つに位置づけられている。歴史的にも硬貨や表彰メダルなどで金銀に次ぐ存在とされてきた。

3)名称
4)語源:
5)ラテン語ではcuprum と言い、元素記号Cuはラテン語の読み、さらにcyprium aes(キプロス島の真鍮)に由来し、キプロスにフェニキアの銅採掘場があったことに由来する。
6)英語のcopperはラテン語のcuprumに由来し、「カッパー」ないし「コッパー」と呼ばれる。
7)しばしば銅を意味すると誤解されるbronze(ブロンズ)は、正確には青銅を指す。
8)銅メダルの素材は確かに青銅であり、Bronze Medal(ブロンズメダル)というのは正しい。

9)日本での名称:
10)日本で初めて銅が使われたのは、紀元前300年の弥生時代といわれている。国内で銅鉱石を初めて産出したのは698年(文武天皇2年)で、因幡国(鳥取県)から銅鉱を朝廷に献じたと伝えられてる。
   また708年(慶雲5年)に、武蔵国(埼玉県)秩父から献上された銅を用いて貨幣(和同開珎)がつくられ、元号も和銅と改められたとなっている。
この頃既に、朝廷が東国を治めていたのは意外でした。
11)7世紀後半の飛鳥池遺跡から発見された「富本銭」は、その鋳造が700年以前に遡ることが確認された他、遺跡からの溶銅の大量出土は、7世紀後半の産銅量が既に一定の水準に達していたことを物語っている。
   その色あいから銅(あかがね)と呼ばれた。
12)江戸時代の元禄時代には、精錬技術が発展して純度の高い銅ができ、長崎から中国、ベトナム、インド、インドネシアやヨーロッパまで運ばれた。この銅は棹銅(さおどう)と呼ばれた。
13)明治19年までは一般的には「あかがね」と呼んでいたが、明治の初めの金工家である加納夏雄は、素材としての銅を「あか」と呼んでいた。また、明治30年に発刊された「鏨迺花」には銅を素銅(すあか)と記述していて、その後の刀剣社会のみ、
   銅を素銅(すあか)と呼ぶようになった。現代では銅(どう)と呼んでいる。

14)歴史
15)銅器時代:→詳細は「銅器時代」を参照
16)銅は自然銅として自然中に存在しており、最初期の文明のいくつかにおいても知られ先史時代から使われてきた金属である。銅の使用には少なくとも1万年の歴史があり、紀元前9000年の中東で利用され始めたと推測されている。
17)イラク北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われている。
18)金および隕鉄(ただし鉄の溶融はできていない)だけが、人類が銅より前に使用していたという証拠がある。
確かに銅よりも安定な金の方が、発見が容易いのでしょう。
19)銅の冶金学の歴史は、1.自然銅の冷間加工、2.焼きなまし、3.製錬および4.インベストメント鋳造の順序に続いて発展したと考えられる。
20)東南アナトリアにおいては、これら4つの冶金技術はおよそ紀元前7500年頃の新石器時代の初めに若干重複して現れる。
21)農業が世界中のいくつかの地域(パキスタン、中国およびアメリカ大陸を含む)でそれぞれ独立して発明されたのと同様に、銅の溶錬もいくつかの異なる地域で発明された。
22)それはおそらく、紀元前2800年頃の中国、西暦600年頃の中央アメリカ、および西暦9から10世紀頃の西アフリカでそれぞれ独立して発明された。
23)インベストメント鋳造は紀元前4500から4000年頃に東南アジアで発明され、また、放射性炭素年代測定によって英国チェシャーのアルダリー・エッジにある銅鉱山が紀元前2280年から紀元前1890年のものであると確かめられた。
24)紀元前3300年から紀元前3200年頃のものと見られるミイラのアイスマンは、純度99.7%の純銅製の斧の頭とともに発見された。彼の髪に高純度のヒ素が見られたことから、彼が銅精錬に関わっていたのではないかと考えられている。
25)ミシガンおよびウィスコンシンのオールドカッパー文化(古代北米におけるネイティブ・アメリカンの社会。銅製の武器や道具を広く利用していた)における銅の生産は紀元前6000年から紀元前3000年の間の年代を示している。
インディアンが銅を使用していた事は、知りませんでした。
26)これらのような銅と関わった経験が他の金属の利用の発展の助けとなり、特に、銅の溶錬から鉄の溶錬(塊鉄炉)の発見に至った。

27)青銅器時代:→詳細は「青銅器時代」を参照
28)銅とスズとの合金である青銅の製造は銅の溶錬法の発見からおよそ4000年後に初めて行われ、その2000年後には自然銅の一般的な用途となった。
29)シュメールの都市から発見された青銅製品や、古代エジプトの都市から発見された銅および青銅製品は紀元前3000年頃のものと見られている。
30)青銅器時代は東南ヨーロッパで紀元前3700年から紀元前3300年頃に始まり、北ヨーロッパでは紀元前2500年頃から始まった。青銅器はまた古代のエジプトや中国(殷王朝)などでも使われるようになり、世界各地で青銅器文明が花開いた。
31)それは鉄器時代の始まり(中東では紀元前2000年から紀元前1000年頃、北ヨーロッパでは紀元前600年頃)によって終了した。
32)新石器時代から青銅器時代への移行期は、石器とともに銅器が使われ始めた時代であることから、以前は銅石器時代と呼ばれていた(「銅器時代」も参照)。
33)この用語は、世界の一部の地域では新石器時代と銅石器時代の境界が重なっているために徐々に使われなくなっていった。銅と亜鉛の合金である真鍮の起源はずっと新しい。それはギリシャ人には知られており、ローマ帝国期の青銅の不足を補う
   重要な合金となった。
銅単体から青銅へ移行した理由とは、やはり硬さでしょうか? 「青銅器時代」ページには、ただし銅は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできず、とあります。黒曜石/〜ガラスは硬いですものね。(笑)

34)古代および中世:
35)ギリシャでは、銅はカルコス(〇、chalkos)として知られていた。それはギリシャ人、ローマ人および他の民族にとって重要な資源であった。
〇はギリシャ語です。
36)ローマ時代にはキュプリウム・アエス(aes Cyprium、キプロス島の銅)として知られており、アエス(aes)は多くの銅が採掘されたキプロス島からの銅合金および銅鉱石を示す一般的なラテン語の用語である。
37)キュプリウム・アエスというフレーズはクプルム(cuprum)と一般化され、そこから英語で銅を示すカッパー(copper)となった。
38)銅の光沢の美しさや、古代には鏡の生産に銅が用いられていたこと、および女神を崇拝していたキプロスとの関係から、女神であるアプロディーテーおよびウェヌスは神話と錬金術において銅の象徴とされた。
39)古代に知られていた7つの惑星は、古代に知られていた7つの金属と関連付けられ、金星は銅に帰されていた。

40)イギリスでの真鍮の初めての使用は紀元前3世紀から2世紀頃に起こった。北アメリカ大陸での銅鉱山はネイティブ・アメリカンによって周辺部の採掘から始まった。
41)自然銅は800年から1600年までの間に、原始的な石器によってアイル・ロイヤルから採掘されていたことが知られている。
42)銅の冶金学は南アメリカ大陸、特に1000年頃のペルーにおいてで盛んであった。アメリカ大陸における銅の利用の発展は他の大陸よりも非常に遅く進行した。
43)15世紀から銅の埋葬品が見られるようになったが、金属の商業生産は20世紀前半まで始まらなかった。

44)銅の文化的な役割は、特に流通において重要だった(銅貨)。紀元前6世紀から紀元前3世紀までを通して、古代ローマでは銅の塊をお金として利用していた。
45)初めは銅自体が価値を持っていたが、徐々に銅の形状と見た目が重要視されるようになっていった。
46)ガイウス・ユリウス・カエサルは真鍮製のコインを作り、一方でアウグストゥスのコインは銅−鉛−スズ合金から作られた。
47)当時の銅の年間生産量は15000トンと推定されており、ローマの銅採掘および溶錬活動(ローマにおける冶金)は産業革命の時まで凌駕されない規模に達していた。
48)最も熱心に採掘された属州はヒスパニア、キプロスおよび中央ヨーロッパであった。
49)現代の日本の硬貨においても、5円硬貨が黄銅、10円硬貨が青銅、50円硬貨、100円硬貨、旧500円硬貨が白銅、新500円玉がニッケル黄銅という銅の合金が用いられている。
前述した様に日本では、銅貨だけでなく銀貨も隆盛でした。

50)日本では弥生時代より銅鐸、銅剣、銅鏡などの青銅器が鋳造されていたが、その原材料は大陸からの輸入品であった。国産の銅は698年に産出したものが始まりとされる(スズは700年)。

51)エルサレム神殿の門は色揚げによって作られたコリント青銅が使われた。それは錬金術が始まったと考えられるアレクサンドリアで一般的なものであった。
52)古代インドにおいて銅は、医療体系であるアーユルヴェーダにおいて外科用器具および他の医療用器具のために用いられた。
53)紀元前2400年の古代エジプト人は傷や飲料水の殺菌のために銅を利用し、後には頭痛、火傷、かゆみにも用いられるようになった。
54)はんだ付けされた銅製のシリンダーを持つバグダッド電池はガルバニ電池に類似している。年代は紀元前248年から西暦226年に遡り、これが初めての電池であるように人々に考えられているが、この主張は実証されていない。
以下は省略します。
銅の精錬方法は§生産の精錬部分に記述されていますが、これは現代のそれで、古代の精錬方法が不明です。そこで他のページを漁ると、田川市立図書館/筑豊・田川デジタルアーカイブに記載が有りました。
何でも円形竪型炉とぶいごを使用し、炉には木炭や原料(〜酸化銅)、溶媒材(〜石灰、鉄粉、粘土)を積みます。

55)銅合金:
56)純粋な銅は降伏強度が非常に低く(33MPa)、軟らかい(モース硬度3、ビッカース硬さ50)といった機械的に弱い物理的性質を有しているため、機械加工部品材料としては使用しにくい。
57)このような銅の機械的な弱さとは対照的に、他の金属と合金化して銅合金とすることで非常に優れた機械的強さを示すようになるため、銅の欠点を補い利点を伸ばす銅合金としての用途も幅広い。
銅も一応貴金属扱いなので、反応性には乏しいのでしょう。(笑)
58)主要な銅合金として青銅や黄銅があり、ベリリウムやカドミウムなど少量の元素を添加した高純度銅合金なども開発されている。
59)銅はまた、銀や金の合金、宝石業界で用いられるろう材の成分として最も重要なもののうちの1つでもあり、色調の補正や、硬度や融点の調節に利用される。
60)これらの多様な銅合金は一般的にISO1190−1:1982もしくはそのISO規格に対応するローカル規格(例えばスペイン国家規格UNE37102:1984)によって分類され、これらの規格における各合金の標準規格番号は
   UNS番号が使用される。

61)黄銅:→詳細は「黄銅」を参照
62)銅と亜鉛の合金は一般に黄銅とよばれる。亜鉛の含有率を変化させることで連続的に引っ張り強さや硬さが増大する性質を有しており、銅と亜鉛の比率によって7/3黄銅や6/4黄銅などとよばれそれぞれの性質に合わせて異なる用途に用いられる。
63)金管楽器や仏具などに使われる真鍮は黄銅の1つである。真鍮は錆びにくく、色が黄金色で美しいことから模造金や装飾具などとしてもよく見かける金属である。
64)黄銅は海水などの塩類を多く含む溶液との接触によって亜鉛が溶出する脱亜鉛現象と呼ばれる腐食が起こる。このような脱亜鉛現象を防ぐためには黄銅へのスズの添加が有効である。
65)6/4黄銅にスズを0.7−1.5%ほど加えたネーバル黄銅とよばれるスズ入り黄銅は特に海水に強いため、船舶部品などに利用される。
66)スズ入り黄銅のように他の元素を微量に加えた黄銅を特殊黄銅とよび、鉛を加えて切削性を向上させた快削黄銅や、マンガンおよび微量のアルミニウム、鉄、ニッケル、スズを加えて強度や耐食性、耐摩耗性を高めた高力黄銅(またはマンガン青銅とも)
   などがある。快削黄銅では、鉛の環境負荷に配慮して鉛の代わりにビスマスやセレンが用いられることもある。

67)青銅:→詳細は「青銅」を参照
68)古代から武器や通貨などとして用いられた青銅はスズと銅の合金であり、現在でもブロンズ像など、彫刻の材料である。また、アルミニウム青銅などのように、高強度、高硬度、防錆性を有するスズ以外との銅合金も総称して青銅とよばれる。
69)青銅はスズの割合と温度によって多様な相を取り、それぞれ異なった性質を示す。例えば、スズの含有率が少ないものは加工性が良好であるが、スズの含有率が増加するとともに加工性が低下するため、スズ量の少ないもの(10%以下)は加工用、
   多いものは鋳造用として利用される。
70)黄銅と同様に、他の元素を微量に加えた青銅を特殊青銅と呼ぶ。リンを加えて冷間加工性やばね性を向上させたリン青銅や、軸受けに用いられる鉛青銅、リンおよび鉛を加えて切削性を向上させた快削リン青銅、ケイ素を加えて耐酸性を向上させた
   ケイ素青銅などがある。
71)銅に6−11%のアルミニウムを加えた合金は、スズを含んでいないもののアルミニウム青銅とよばれる。アルミニウム青銅は機械的な強度が高く耐食、耐熱、耐摩耗性にも優れた合金であり、機械部品や船舶部品などに用いられる。
72)銅とニッケルの合金も同じくスズを含んでいないもののニッケル青銅とよばれる。
73)銅とニッケルはどのような混合比でも合金化するため、銅に10−30%のニッケルを加えた白銅や、60%のニッケルを加えたモネルといった幅広い組成比の合金が作られている。
74)白銅は高温での耐食性に優れているため復水器や化学工業用の部材として利用され、貨幣にも使われる。
75)モネルは銅、ニッケルの他に3%ほどの鉄が含まれており、耐食性および耐熱性に優れている。
76)ニッケル含有量が45%のニッケル青銅はコンスタンタンとよばれ、標準抵抗線や熱電対に利用される。
コンスタンタンは知っていましたが、銅合金であるとは知りませんでした。席亭も熱電対ではお世話に成りました。学生は2本のワイヤから、熱電対を作る事が有ります。(笑)
以下は省略します。次はトリを飾る、「鉄」ページです。

1)鉄は、原子番号26の元素である。元素記号はFe。金属元素のひとつで、遷移金属である。
2)太陽や、ほかの天体にも豊富に存在し、地球の地殻の約5%を占め、大部分は外核・内核にある。
3)元素記号のFeは、ラテン語での名称「ferrum」に由来する。日本語では鈍い黒さから「黒鉄」、広く使用されている金属であることから「真鉄」ともいう。大和言葉で「くろがね」とも呼ばれる。
4)漢字の「鉄」は音を表す「失」と意味を示す「金」からなる形声文字である。旧字体は「鐵」であり、これも音を表す「〇」と意味を示す「金」からなる形声文字である。
5)また異体字として「〇(金+夷)」があるが、これも音を表す「夷」と意味を示す「金」からなる形声文字である。
6)本多光太郎は「鐵」という文字が「金・王・哉」に分解できることから「鐵は金の王なる哉」と評した。
7)「鉄」の文字が「金を失う」を連想させて縁起が悪いとして、製鉄業者・鉄道事業者などでは社名やロゴで、「鉄」の代わりにあえて旧字体の「鐵」を用いたり、「失」の頭を取り去って「〇(金+矢)」の形を用いる例がある。

8)鉄の「臭い」:BR> 9)鉄棒などの鉄製品を手に持つと、手に特有の臭いがつく。これは俗に「金属臭」「鉄の臭い」と呼ばれるが、原因は鉄そのものではない(鉄は常温では揮発しない)。
10)研究により、人体の汗に含まれる皮脂分解物と鉄イオンが反応して生じる炭素数7−10の直鎖アルデヒド類や1−オクテン−3−オンなどの有機化合物、そしてメチルホスフィン・ジメチルホスフィンなどのホスフィン類が
   この臭いの原因であることが確認されている。

11)製法
12)産出:→詳細は「鉄鉱石」、「en:Ironstone」、および「en:Telluric iron」を参照
13)鉄生産の90%を占める縞状鉄鉱床は、先カンブリア時代に光合成で酸素が大量に発生して、海水中に溶存していたイオン化した鉄が酸化鉄として沈殿し堆積したことにより生み出された。
14)その他の鉱床は、マグマによって生み出されたマグマ成鉱床とカーボナタイト鉱床、熱水鉱脈のスカルン鉱床など、硫酸泉や炭酸泉に含まれる鉄が地表を流れるうちに酸化して沈殿した沈殿褐鉄鉱鉱床(沼鉄鉱)、風化残留鉱床(ラテライト)、
   漂砂鉱床(砂鉄)などがある。
刀剣類では隕鉄、日本刀では砂鉄が有名です。
15)鉄鉱石が入手しにくい環境や古代では、世界的に沼鉄鉱が重要な資源であった。コークス高炉の技術が発達すると、それまで使用できなかった石炭と共に採掘される鉄分30%で還元しにくい炭酸鉄鉱(菱鉄鉱)が使用されるようになる。
精錬法が進歩すると、鉄の含有量が問題と成るのでしょう。(笑)
16)選鉱:→詳細は「選鉱」を参照

17)製錬:
18)鉄の製錬はしばしば製鉄と呼ばれる。簡単に言えば、鉄鉱石に含まれるさまざまな酸化鉄から酸素を除去して鉄を残す、一種の還元反応である。アルミニウムやチタンと比べて、化学的に比較的小さなエネルギー量でこの反応が進むことが、
   現在までの鉄の普及において決定的な役割を果たしている。この工程には比較的高い温度(千数百度)の状態を長時間保持することが必要なため、古代文化における製鉄技術の有無は、その文化の技術水準の指標のひとつとすることができる。
その反対に、(結合の強い)アルミニウムの生成には大量の電力が必要と成ります。
19)製鉄は2つ、もしくは加工まで加えた3つの工程からなる。鉄鉱石とコークスから炭素分の多い銑鉄を得る製銑、銑鉄などから炭素を取り除き炭素分の少ない鋼を作る製鋼、さらに圧延である。
20)製銑には古くは木炭が使われていたが、中国では、前漢時代に燃料として石炭の利用が進み、さらに石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明、コークスを使った製鉄が始められた。
21)文献記録としては4世紀の北魏でコークスを使った製鉄の記録がもっとも早い。
22)以来、華北では時代とともにコークス炉が広まり、北宋初期には大半がコークス炉となった。
23)それから1000年以上経ち、森林が減ったことから1620年ごろにイギリスのダッド・ダドリー(Dud Dudley)も当時安価に手に入った石炭を使うことを考えて研究を進めた。
24)石炭には硫黄分が多く、そのままでは鉄に硫黄が混ざり使い物にならなかったため、ダッドは石炭を焼いて硫黄などの不純物を取り除いたコークスを発明し、1621年にコークスを使った製鉄方法の特許を取った。
地球の反対側のヨーロッパでは、コークスは知られていなかった様です。
25)しかし1709年からエイブラハム・ダービー1世が大々的にコークスで製鉄することを始めるまでは、コークスを使った製鉄の使用は少数にとどまっていた。

26)日本では古来からたたら吹き(鑪吹き、踏鞴吹き、鈩吹き)と呼ばれる製鉄技法が伝えられている。
27)江戸時代に作られた鉄の約8割が菅谷たたらなどの出雲地方の物で、そのほとんどがたたら御三家(鉄師御三家)と呼ばれる櫻井家・田部家・絲原家が作ったものである。
28)現在では島根県安来市の山中奥出雲町などの限られた場所で、日本刀の素材製造を目的として半ば観光資源として存続しているが、それと並存し和鋼の進化の延長上にもある先端的特殊鋼に特化した日立金属安来工場がある。

29)韮山反射炉などの試行はあったが、鉄鉱石を原料とする日本の近代製鉄は1858年1月15日(旧暦1857年(安政4年)12月1日)に始まったと言われ(橋野高炉跡)、幕末以降欧米から多数の製鉄技術者が招かれ
   日本の近代製鉄は急速に発展した。
30)現在の日本では、鉄鉱石から鉄を取り出す高炉法とスクラップから鉄を再生する電炉法で大半の鉄鋼製品が製造されている。
31)高炉から転炉や連続鋳造工程を経て最終製品まで、一連の製鉄設備が揃った工場群のことを銑鋼一貫製鉄所(もしくは単に製鉄所)と呼び、臨海部に大規模な製鉄所が多数立地していることが、日本の鉄鋼業の特色となっている。
官営の八幡製鉄所は有名です。
32)日本では電炉法による製造比率が粗鋼換算で30%強を占める。鉄が社会を循環する体制が整備されており、鉄のリサイクル性の高さと日本における鉄蓄積量の大きさを示している。
33)鉄スクラップは天然資源に乏しい日本にとって貴重な資源であり、これをどう利用するかが、注目されるべき課題とされている。

34)なお第二次世界大戦後には高炉内壁の磨耗を調べるため、使用する耐火煉瓦に放射性物質コバルト60を混入し、産出する鉄製品の放射線量を測定する手法が用いられていたが、これらの鉄は微量な放射線を測定する現場など放射線の影響を
   排除したい環境に不向きであるため、戦前に生産された放射能を持たない鉄が求められるケースがある。
35)大戦時に建造された軍艦がおもな供給源であり、日本では陸奥から回収した「陸奥鉄」が有名である。
36)1970年代からは高炉内に直接センサーを設置して摩耗状態を計測する手法が取られており、産出される鉄も放射線計測での利用に問題無いレベルになっている。
以下は省略します。

37)鉄利用の歴史
38)古代:
39)人類が鉄を発見したのは隕石によってとされており、ニッケルを多く含むものは鍛造が可能であった。
40)古代エジプトで紀元前3000年頃に製作された隕石製とみられる鉄環首飾りが発見されている。
41)メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年ごろのウルク遺跡から鉄片が見つかっている。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20−18世紀ごろのアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。
42)また、地球上で自然界に存在する鉄は酸化しているため還元する必要があった。
43)紀元前1700年頃のヒッタイトではバッチ式の炉を用いた鉄鉱石の還元とその加熱鍛造という高度な製鉄技術により鉄器文化を築いたとされる。
44)トロイ戦争でのヒッタイトの敗北により製鉄技術はヨーロッパ全土に広がった。
45)しかし、鉄は錆びて土に還ってしまうため古代の歴史的な遺物で鉄製のものはあまり残っていない。
46)→「鉄器時代 §鉄器の発明と伝播」も参照

47)中国:
48)青銅の鋳造技術はメソポタミアにはあったが、鉄の鋳造技術は紀元前7世紀頃の中国で開発された。
49)鉄の鋳造は可能となったものの、それは黒鉛を含有しないチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だった。
50)紀元前470年頃にはそれを約900〜1000度の酸化鉄内で3日間加熱して白心可鍛鋳鉄にする技術があったという研究もある(歴史的には1772年にフランスのルネ・レオミュールが発明したとされている)。
51)チンギス・ハーンらの宮殿や歴代皇帝の霊廟とされるモンゴルのアウラガ遺跡から出土した棒状鉄材の化学分析や顕微鏡観察の結果、硫黄の含有量0.52%、銅のそれ0.45%と非常に高く、中国山東省の金嶺鎮鉱山の鉄鉱石に近いことがわかった。
52)モンゴル内地に鉄産地はほとんどなく、鉄の供給源として重視した可能性があるという。

53)日本
54)古代・中世前期:
55)青銅器と鉄器とは紀元前3世紀ごろ、ほぼ同時期に日本へ伝来し、朝鮮半島より輸入され国内へ広まったと考えられていた。
56)赤井手遺跡(福岡)の鉄工房跡から紀元前10世紀頃の鉄素材が出土。
57)曲り田遺跡(福岡)で紀元前4世紀の鍛造の板状の鉄器が出土。
58)舟木遺跡(淡路)で紀元前3世紀の鍛治工房4棟が発掘されている。
59)青銅および青銅器は紀元前1世紀ごろより日本で作られるようになった。
ですから日本では、鉄器時代と青銅器時代が重なっている訳です。
60)鉄器製作は、弥生時代後期後半(1−3世紀)ごろより開始された(北部九州のカラカミ遺跡(壱岐市)や備後の小丸遺跡(三原市))。
61)朝鮮半島で製鉄した鉄素材を入手し鍛鉄を行ったが、製鉄もこの頃より始まったとする研究もある。

62)6世紀には、出雲地方や吉備で、製鉄が広く行われるようになった。鞴(ふいご)を使い、製鉄炉の作り方は、朝鮮半島からの導入と推定されている。
出雲は日本海に面しており朝鮮半島も近い事から、当時の表玄関なのでしょう。
63)当初の原料は主に鉄鉱石を採掘した。ただし採掘地は限られ、産量も豊富ではなく、その後も、朝鮮半島から鉄素材の入手を続けた。
64)総社市の千引かなくろ谷遺跡は6世紀後半の製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。
65)日本の製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる特徴ある鋼塊炉(bloomery)を用い、砂鉄(国内各地で採れ、鉄の含有量も高い)を原料とする直接製鉄法を用いるようになリ、国内各地で安定して自給生産可能となった。
66)古代、中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、16世紀中葉より全天候型で送風量を増加した永代たたら法に発展した。
   この古代以来の日本独自のたたら製鉄法では、玉鋼や包丁鉄といった複数の鉄が同時に得られるために、それがのちの日本刀を生み出す礎となった。
67)出雲は古代より一貫して日本全国に鉄を供給し、現在でも出雲地方にその文化の名残が認められ、日立金属などの高級特殊鋼メーカーへと変貌を遂げている。

68)養老律令の規定では、鉄や銅の採取活動に関しては官による採取が優先されるものの、民間による採取を否定したものではなかった(雑令国内条)。これは中国の唐令の規定をそのまま日本に導入したものと考えられる
   (ただし、中国では宋に入ると民間による採取を禁じる方針に変更されていくことになる)。また、生産に関しても蝦夷と近接する東辺・北辺での鉄の生産を規制する規定は存在していた(関市令弓箭条)が、他に規制の存在をうかがわせる史料は
   見つかっていない。
69)また、調として鉄や鍬の貢納が指定されていたり、国司が武器や鉄器の原料として民間との間で鉄の交易を図っていたことを示す正税帳の記述もあり、国家による徴収・再分配・放出とは別に民間における鉄のある程度の生産・流通が存在し、
   王臣家や中小生産者など幅広い層が担っていた。
70)律令国家においては所謂「官営工房」が生産・流通を支配していたとする「官営工房」論が存在しているが、当時の文献や古記録からは国家による鉄や鉄製品の生産・流通の独占管理が行われていた事を示すものは無く、
   (価格の問題はあるものの)一般に対価さえ支払えば鉄や鉄器の購入が可能であったと考えるのが適切である。
71)農具が鉄器で作られるようになると、農地の開拓が進んだ。しかし中世初期は鉄は非常に貴重であり、鉄製の農機具は一般農民には私有できず公の持ちものであり、公の農地を耕し、朝借りてきて夕方には洗って返すことになっていた。
72)私有地の耕作には鉄の農機具を使うことができず、生産量が劣った。すなわち、中世の日本の貴族は鉄の所有権を通して遠隔地にある荘園を管理した。
73)11世紀ごろより鉄の生産量が増えると、鉄が安価に供給されるようになった。個人が鉄の農機具を持つことができるようになると、新たな農地の開墾が進んだ。
以下は省略します。鉄製の武器に関しては、何処かで再度触れられるかも知れません。

これで、残るは車輪だけと成りました。この車輪技術は道路の使用と相まって、移動力や輸送力を大幅に補強します。「全ての道はローマに続く」、でしたね?(エジプト、ギリシア→ローマ、笑)
しかし席亭はこの道路の移動力よりも、海上、船の輸送力の方に軍配を上げたいと思います。つまりは、カルタゴ/地中海の存在ですね。
文明のゆりかごの近くに、波の穏やかな内海(地中海)が有る事は幸いでした。次回はこの神の恩恵に、スポットライトを当てる事にします。

→内海(地中海)を巡る興亡