市民社会
Wikiの「市民社会」ページを調べると、
1)市民社会または資本主義社会、近代社会、ブルジョア社会とは、市民階級が封建的な身分制度や土地制度を打破して実現した、民主的・資本主義的社会。
2)「市民階級」「市民革命」「市民法」「市民的自由」等と共に、第二次大戦後から有力になった用語。
3)この言葉は本来、「市民革命(ブルジョア革命)によって成立した社会」を意味する。
4)資本家や知識人らの市民階級が絶対君主制・封建制を打破し、基本的人権を確保したことで市民社会は成立した。
5)政治的には民主主義に、経済的には資本主義に基づく社会だとされる。
7)歴史上の市民社会:
8)古代ギリシア・ローマにおける市民共同体と、その伝統上にある市民革命後の近代市民社会を指すだけでなく、国家権力から統制を受けない「公共空間」を指す場合もあり、マルクス主義の立場からは、
階級対立を前提として有産階級が支配する社会としてこの語が用いられる。
今は古代ですので、この主張は関係が有りません。
9)はた、20世紀前半の思想家アントニオ・グラムシによれば、既にメディア・学校・教会など日常の至る所に国家権力は分散して浸透しており、このことが市民社会を抑圧するとされる。
10)そのため、これに対抗しうる自発的な市民団体の運動をネットワーク化することで、「公共性」・「公共空間」を取り戻そうとする動きもみられる。
11)西洋古代における市民共同体としては、古代アテネやローマが例として挙げられる。
12)この時代の「市民」とは、重装歩兵としてポリスの防衛にあたり市政に参加するような市民権保持者・自由民を指しており、決して全構成員を指していたわけではなかった。
勿論、奴隷も居た訳です。
13)中世の身分制社会においては、各人が権利において対等であることはなく、こうした市民共同体の伝統は失われていた。
14)市民共同体の復活は、イギリス・フランスにおいては市民革命の成功によって成される。
15)イギリス革命においては中世以来の身分制議会が存続するなど過去の伝統社会も尊重されたが、フランス革命ではアンシャン・レジームを否定し、旧来の身分制社会を完全に解体して人権宣言を掲げた。
16)そのため、フランスのほうがより理念が純化した形で市民社会を築き上げた。
17)すなわち、自由かつ権利において対等な市民の結合という形態により合致する。
18)この新たに形成された市民共同体が国家と結びついて国民共同体が形成された。
19)近代市民社会においては、個人の自由が保障されることが、その成立の要件となる。
この自由に関しても、何れは言及する必要が有ります。
20)すなわち、各個人(市民)が自らの政治的主張・宗教的立場などを他から強制されないことや、各個人が自らの財産を自由に処分でき(私有財産制)、商活動の自由が保障(ギルド廃止など)されていることなどが
求められる。
21)イギリス・フランスでは市民革命を通じて市民が政治の主導権を握ったため、これらのことを政府が保証することになった。
22)関連項目:民主主義、資本主義、自由主義、個人主義、公共性、シビル・ソサエティ、情報社会、連帯経済、ハーバーマス
折角なので、ここで「市民」ページも調べてみる事にします。
1)市民は、政治的共同体、国政の(主権的な、主体的な)構成員。個々の人間を指す場合と、人間集団をまとめて指す場合とがある。
2)構成員全員が主権者であることが前提となっている議論では、構成員を主権者として見たものである(現代社会の「市民」について述べるときはこの意味合いのことが多い)。
3)市民の語源は、都市である(citizenとcityは同語源である)。
4)市民に似た概念として国民があるが、両者の違いは、「市民」がその理想とするところの社会、共同体の政治的主体としての構成員を表すのに対し、「国民」は、単にその「国家」の国籍を保持する構成員を表すという点にある。
5)市民と国民は、たまたま相互に置き換え可能な場合もあるが、そのでない場合もある。
6)例えば、絶対王政国家の場合、国民は全て臣民であり、市民ではない(主権や主体性を奪われてしまっているためである)。
7)また一方で「欧州連合の市民」のように国家とは直接に結びつかないような形の市民権もあり、この場合も「市民」を「国民」と言い換えるのは適切でない。
そう言えば、欧州の理想、欧州連合は、この先どうなるのでしょうか? 移民政策も失敗しましたし。(笑)
8)市民の歴史:
9)古代ギリシアの〇ポリスや、共和制古代ローマにおける男性の自由市民は、政治に参画するとともに、兵士として共同体の防衛義務を果たした。彼らは都市国家の住民として「市民」と呼ばれた。(ラテン語でcivitas)
10)ポリスはしばしば3種の住民に分割され、最高の階級は、参政権を所持している市民である。次に参政権のない市民、最後に非市民がいた。
11)投票権を持っていたのはたとえば民主制アテナイでも、自由市民のうち成人男性のみであった。
ですから、政治は男性のものでした。この時代は政治=戦争ですものね。(笑)
12)また各ポリスはいくつかの部族かデモス(区、胞族と最終的には氏族で順に構成された)から構成された。
13)メトイコイ(在留外国人)と奴隷は、このような組織には入っていなかった。
14)市民権は生まれにより通常決定された。
15)各ポリスは崇拝する守護神、特有の祭儀及び習慣を持っていた。
16)市民権:
17)市民権は、市民革命を背景にした国や多民族国家では国籍と同義で使われることもあるが、通常は参政権など法的な権利と義務との関わりを指す語である。公民権と呼ばれることもある。
18)国籍と区別して用いられる場合は、その所属する国家内における市民たる資格を意味し、国籍が他国との関係で問題になるのに対し、市民権は国内問題として扱われる。
19)国内で市民権を持つ者と持たない者を区別する場合は、参政権が完全である者か否かで区別することが多い。
ですから、子供は市民には含まれない訳です。
20)日本は参政権の海で国民(市民)を分ける法制を採っていないが、憲法第10条と国際法に「日本国民たる要件」があるように、国籍と国民(市民)であることは不可分の関係にある。
21)ただし、法律用語として市民権という言葉は定義されない。
ですから専ら汎用句、言い回しに使用する訳です。
22)日本国憲法において人権の享有主体は日本国民とされているが、マクリーン事件などの判例では権利の性質上日本国民のみを対象としていると解される権利以外は、我が国に在留する外国人にも等しく
基本的人権の保障は及ぶと解されている。
ですが、出稼ぎの外国人を市民と呼ぶ事は少ない様です。
23)比喩表現として、世間からの公認を比喩的に「市民権」と呼び、特殊または希少な物が広く容認されて一般化することを「市民権を得る」というように使用される。
24)関連項目:大陸法、合意形成、市民革命、市民団体、市民活動、市民社会、公民、公民権、人民、国民、臣民、一君万民論、住民、大衆、プロ市民、アメリカ合衆国の市民権、レシェク・コワコフスキ
明治維新では、一君万民論を使用しました。(かなりな過負荷、笑) ここで、国家の形成に戻ります。
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