多神教

初期のCivでは、この宗教に関しては全く触れられていません。要らぬ軋轢を避けたのでしょうか? それとも影響が小さいとして、省略したのでしょうか?
ですがこの宗教の影響力は無視事は全く出来ず、Civでも後期バージョンに採用されています。この宗教である「多神教」は、0)脳と思考、心、12)個人の集積に関係しています。
Wikiの「多神教」ページを調べると、

1)多神教は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教。対義語に一柱の神のみを信仰する一神教がある。
2)特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教的一神教と呼ぶことがある。
3)多くの神々が崇拝される。それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。
4)多神教のうち現存するものとして、日本の神道やアイヌの信仰、中国の道教、インドのヒンドゥー教などがある。
5)現存しないものとしては、古代エジプト、メソポタミア、ヒッタイト帝国、古代ギリシャの神々、北欧、中南米のメソアメリカ文明やアンデス文明で信仰されていた神々などがある。
6)仏教も多神教だという見解もあるが、汎神論または無神論的な宗教であるとする見解もあり、議論が分かれるところである。
仏教の神々は解脱者、ブッダに比べるとその力、能力はかなり劣っています。ですから普通で言う所の、神では有りません。

7)多神教の宗教・神話:日本神話・神道、琉球神道、道教、仏教、中国神話、ヒンドゥー教、インド神話、ギリシア神話、ローマ神話、北欧神話、ケルト神話、エジプト神話、ハワイ神話
8)関連項目:汎神論、偶像崇拝−アブラハムの宗教からみた多神教、アニミズム、ウイッカ、アニマティズム、二元論、付喪神、八百万の神、自然霊、動物霊、妖怪、ジン(アラブ)、一神教−対語、多神教優位論

席亭は、多神教において祖先神に触れられていないのには残念に思います。自分達とは違う人々に遭遇した時に、自身らの自出を語るのはとても自然な事であると思うからです。
そこでこの祖先神についてWikiで調べると、「祖神」、「祖先崇拝」ページがヒットします。まずは「祖先崇拝」ページから。

1)祖霊信仰(それいしんこう)は、死んだ祖先から生きている子孫たちに影響することを信じ、あるいは祖先から何らかのものを貰えるという信仰のこと。
これはとても狭い解釈です。「現在在る自分に対して、その大元である祖先に感謝する」だけで良いのでは? 人には歴史があり、そしてそれは決して個人一人のものでは無いからです。
2)日本において、社会学の分野までは「先祖祭祀」という用語が定着している。また、明治以降では昭和戦後期の1950年ごろまでは「祖先崇拝」が多く使用された。
最初から日本を登場させるのは、このテーマをかなり矮小化している様な気もします。

3)世界中の先祖崇拝というのは、アフリカ・マダガスカル・東アジアなどに広く分布している。
4)中国・朝鮮・日本など東北アジアのものが特に有名であるが、ズールー人など、世界的にも見られる。
ズールー人はアフリカの民族です。
5)中国では祖先崇拝と呼ばれ、清明節などの習慣がある。
6)日本では、学問的には祖先崇拝の名称が用いられているほか、祖霊信仰という名称も用いられている。
7)「先祖」を社会的に意味づけする社会においても、生物学的・遺伝的に見て繋がりのある先行者が全て「先祖」と見なされている訳では必ずしもない。特定のタイプ、カテゴリーの人間を「先祖」としている。
8)それに対して、キリスト教やイスラム教がしっかりと根付いた地域では、祖先崇拝はほとんど行われていないと考えて良い。
9)過去に存在しても置き換わられて超越されている事が一般的とされる。たとえばイタリアの地でも古代ローマ時代までさかのぼれば先祖崇拝というのは行っている人たちがいたようだが、キリスト教が定着してからは行われていない。
つまりは個人、家族の権利を、教会が奪い去った訳です。(苦笑)

10)祖先を崇拝する社会において、「先祖」とされる人は、その社会の親族構造と関連性がある。
11)すなわち、父系社会においては父方の生物学的先祖であった人が「先祖」とされ、母系社会においては母系の生物学的先祖であった人が「先祖」とされるなど、崇拝する側の親族構造・社会制度、「先祖」とされる対象の
   ヒエラルキー・システムに関係があるとされる。
それはそうなのでしょうが、これは一種のハッタリなので、「一番有名な人、神を例示する」と思います。「自分らの祖先が、他人のそれと比べて劣っている」とは思わせたく有りませんから・・・。(苦笑)

12)アフリアの祖先崇拝:
13)祖先を崇拝することはアフリカの宗教やアフリカのスピリチュアリティーの重要な要素のひとつとなっている。
14)ただし、アフリカの場合、全ての祖先を崇拝しているのではなく、あくまで尊敬に値するほどに立派な生き方をした先祖だけが神聖な先祖として崇拝されている(生前の行いが良くなかった先祖は、たとえ先祖であっても崇拝するのは
   不適切だ、と考えられている。)。
ですから此処では既に、「人としての生き方」、道徳、モラルが有る訳です。この道徳、モラルについては後述します。(〜法の起源)
15)神聖な先祖は、各人の祈りを聞いてもらう対象となり、供物をそなえられる。神聖な祖先は神と人間とのあいだをとりなしてくれる、と信じられており、幸福な人生をおくるためには神聖な先祖を敬うことが必要だと考えられている。
つまりは、死者も分別される訳です。中国では死者をもムチ打ちます。しかし日本では、「死ねば皆仏」ですよね?(苦笑)
ですから余り、「晩節を汚す恐れ」を感じる必要は有りません。席亭は日本社会の方が好きです。つまりは日本は「遣った者勝ち」で、よりアクティブな社会だと思うからです。

16)中国の祖先崇拝:
17)中国の祖先崇拝の文化は儒教が根源になっていると考えられがちだが、儒教思想が広がるかなり前から祖先崇拝の文化は存在した。
18)殷の時代には「病気や災害は、天や祖先の祟り」と考えられており、それを宥めるために祭祀が行われていた。
19)また、殷は強固な父系社会であり、祖先を敬うことは社会秩序の維持のためにも重要であったと考えられている。
ですから殷は、かなりの軍事国家だったのでしょう。

20)周の時代になると、「福は祖先からもたらされる」「災いは天からもたらされる」と考えられるようになり、子孫の幸福のために祖先を祀るという考え方が生まれた。
まあ、災い=天(自然)ですから、あながち迷信とも思えません。そして、金持ちの息子は金持ち、ですものね。(笑)
21)このような中国の祖先崇拝の文化は孔子(紀元前552年または紀元前551年−紀元前479年)及びその弟子たちが儒教を通して発展させた。
22)孔子の生きた春秋時代は従来の身分秩序が崩壊した時代であり、孔子は緩やかな家父長制に基づく家族関係をもとに社会秩序を再構築することを説いた。
23)儒教はもともと大きな社会勢力ではなかったが、漢の時代になって儒教の経典が公認され、儒家が要職に登用されるようになって中国全土へと普及した。

24)中国の祖先崇拝における「祖先」の概念には幾つかの条件があり、先に死去した親族が必ずしも祖先として崇拝されるものではない。
25)まず、祖先となるには死者でなければならないが、夭折した者、未婚の者、横死した者は祖先になれず、悪い行いをせず天寿を全うする必要がある。
26)また、祖先となる者は自分を崇拝してくれる子孫を設ける必要があるが、その子孫は自分と同じ姓の宗族員であり、男子もしくは婦人の地位をもつ女性でなければならないとされている。
27)祖先崇拝の宗教観では、祖先は神明と鬼魂との中間的存在であり、適切な供養を欠かさなければ一族を栄させるが、供養を怠ると鬼魂へと変化し子孫に悪影響を及ぼすと考えられている。
まあ、供養の強要ですね。葬儀業者も儲けなければいけませんし・・・。(苦笑)

28)ベトナムの祖先崇拝:一種の祭壇のようなものが用意してあり、祖先にあたる女性と男性の写真を置き、食べ物や酒やを供物としてささげ、線香をたいている。

29)韓国の祖先崇拝:韓国は儒教の影響がとても大きな国であり、祖霊信仰が根強い。

30)日本の祖先崇拝:祖先の霊を祀り、崇拝する。日本では先祖を「遠津祖」、「祖神」、「ご先祖様」、「ホトケ様」と言い、一般家庭で祖霊社や位牌を仏壇の中央にまつる習慣、お盆や彼岸にこれらの霊をまつる行事
   が祖霊信仰に属する。
日本ではかつては神仏習合であり、葬儀はお寺が行い、祖先は神社に祀られていました。大きな一族、家では、今でも神社に祀られています。

31)ヨーロッパの祖先崇拝:キリスト教が普及したとされる地域では唯一神以外の別れた神を観念する事はないとされるものの、エドワード・バーネット・タイラーは主著『原始文化』の中で、聖人崇拝はこれにあたり、
   異教の神々を直接引き継いだ例も見られるとしている。
立派なご先祖様は、自慢したいですものね。(笑)

32)関連項目:エウヘメリズム、英雄信仰−祖霊崇拝から派生したトロイア戦争などの英雄やヘラクレスを信仰する宗教、祖神、祖霊、氏神、トーテミズム、廟−宗廟、シャーマニズム−原始宗教、供養、お盆、彼岸、屋敷神、田の神、
   年神、琉球神道−琉球における信仰、霊感商法−祖霊信仰が悪用されることがある。、カーゴカルト、儒教
次は「祖神」ページです。

1)祖神(おやがみ、そじん、そしん)とは、
  1.ある氏族において、その先祖とされる神、あるいは神として祀った先祖の霊(祖霊)
  2.(おやがみ)個人の守り神。佐渡では鎮守神のことを指す。道祖神は「どうそじん、どうそしん」と読むが、この概念に近い。
  3.(そじん・そしん)ある業種において、その始祖とされる神、あるいは守護神。例:薬祖神、料理祖神
2)本項では主に1.について、ことに神道の神について記す。
ですから、以下は省略します。
念の為「祖霊」ページも調べると、

1)祖霊(それい)とは、先祖(家族または親族の祖先)の霊魂である。英語では"ancestor spirits"などという。
2)この概念の下では、係る霊魂に正邪・善悪の区別は無く、子孫を祟る祖霊も、子孫をこそ祟る祖霊も、過ちを犯した子孫に制裁を加える祖霊(例:サン人)も、広く世界には珍しくない。
3)しかしこれとは別に、古来日本で「ミオヤノタマ」「ミオヤノミタマ」と呼びならわしてきた祖霊の概念では、子孫に害悪をもたらす祖霊はあり得ず、先祖の霊魂のうち、守護神的属性を帯びていると見なされるもののみを指す。
  古来中国の概念の日本のものに近い。

4)祖霊という概念が成立している社会において、その概念は、災禍をもたらす懲罰的なものと、恩恵ある守護的なものに大別でき、アフリカ諸社会の祖霊は前者の、東アジア諸社会の祖霊は後者の傾向が強い。

5)祖霊とは死者の霊のうち、死霊とはならず、死後の世界へ旅立った精霊(しょうりょう・しょうろう)のうち、直系の子孫が居るもの。
6)柳田國男は、傍系の子孫や縁故者が弔いをされるものなどが祖霊と呼ばれているとした。
7)柳田國男は、神道の死生観では、人は死後、インドの仏教のように転生したり、日本の仏教のように地獄や極楽へ行ったり、キリスト教のような遠い死者の世界に行ったりするのではなく、生者の世界のすぐ近く(山中や海上の他界)
  にいて、お盆や正月に子孫の元に帰ってくると考える、と解釈した。
まあ科学では有りませんので、検証不能ですよね? それにキリスト教では、地中で最後の審判を待つのでは無かったでしたっけ?(かなり鬱陶しい、苦笑)
キリスト教信者の中にも、転生を信じている人も居そうです。

8)精霊は祖霊にされに神に昇化するとする考え方もあり、そのような祖霊は祖神(そじん)や氏神(うじがみ)として氏族や集落などの共同体で祀られることになる。
9)沖縄地方では7代で神になるとされていた。
10)柳田國男は、日本の民間信仰(古神道)では、死んでから一定年数以内の供養の対象となる霊は「死霊」と呼び、祖霊と区別する。
11)死霊は供養を重ねるごとに個性を失い、死後一定年数(50年、33年、30年など地域により異なる)後に行われる「祀り上げ」によって、完全に個性を失って祖霊の一部となる、とする。
12)祖先の霊を祀るために墓所や縁故の場所に小祠を設けたものを霊社、祖先の代々を合わせた霊社を祖霊社といった。
13)その祭祀は子孫に限られ、他者を排する傾向があった。
現在でも鍵の掛かった墓所は有ります。
14)伊勢神宮の古代の私幣禁断には皇室の祖霊を祀る場所としての排他の論理があるという。

15)関連項目:祖神、祖霊信仰、精霊、死霊、幽霊/亡霊/悪霊、祖霊舎、神葬祭、アニミズム
多神教は以上です。一度国家の形成に戻ります。

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