貨幣の誕生

Civの古典技術には、「通貨」テクノロジーが記載されています。この貨幣は交易と同様に、11)手足とその力学的な出力、12)個人の集積に関係しています。
Wikiで貨幣を調べると、「貨幣」、「貨幣史」、「硬貨」、「紙幣」、「お金」などがヒットします。まずは「貨幣」から。

1)貨幣(かへい、英:money)とは、経済学においては、財・サービスとの交換価値情報、及びそのメディア(媒体)の総体であって、財・サービスとの交換や保蔵ができるものであるとの社会の共通認識のもとで使用されるものである。
2)また、それは以下の要件を満たす。
  商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。
  商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもので、またそれ自体が価値あるもの、富として蓄蔵を図られるもの。
  また、日本の法律においては、貨幣とは造幣局が製造し、政府が発行する硬貨(coin)を指し、日本銀行券とは区別している。
これらは現代的な解釈です。また硬貨と日本銀行券の議論もドメスティックです。

3)概説:物やサービスとの交換に用いられる「お金」を、経済用語では貨幣、または通貨と呼ぶ。貨幣とは、経済学上は、価値の尺度、交換の媒介、価値の蓄蔵の機能を持ったものの事である。
  広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含める。つまり「貨幣」という語は、鋳貨・紙幣に加えて、預金などの信用貨幣も含めて指す場合が多い。
席亭も、預金=信用通貨は過去にご紹介しています。しかし今は貨幣の誕生を議論している訳ですから、この様な改良を加えられた結果には興味が有りません。
4)なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。

5)政府は、租税の算定に通貨を用いる。法定通貨が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して国民の信用が存在することが必要条件である。
つまりは、通貨=信用という訳です。貨幣の誕生時には、どこでも通用する希少商品=貨幣相当という解釈です。
6)二者間で財・サービスの取引を行う場合には、信用取引となる。一方から他方に財・サービスが移転した後に、決済を行うとすると、その場合、財・サービスの売り手には、買い手に対する信用が生じ、反対に、財・サービスの買い手には、
  売り手に対する負債が生じる。この取引における「信用/負債」関係は、負債が支払われることで解消される。
7)ところで、実際の経済においては、財・サービスの取引は、多くの主体間で行われるため、売り手と買い手の間の「信用/負債」関係も無数に存在し、財・サービスの売り手は他方で、財・サービスの買い手でもあるのが、通常の場合であり、
  現実の経済では、無数の「信用/負債」関係が複雑に絡み合ってくる。

8)ある二者間で定義された負債と別の二者間で定義された負債を相殺、決済するためには、負債を計算する共通の表示単位が必要になる。この共通の表示単位(円やドルやポンドなど)が貨幣(計算貨幣)である。
  貨幣とは共通の計算単位で表示された負債のことである。貨幣を負債の一種とみなす貨幣観を信用貨幣論という。
これは席亭も初耳です。確かに、生産時に額面通りのコストを必要としない紙幣には、ある種のリスクも有ります。(〜ハイパーインフレ)時価で量り売りされた銀貨にはこの様なリスクは無いのでしょう。(〜銀本位制)
9)貨幣の機能:貨幣の重要な機能として次のようなものがあり、いずれかに用いられていれば貨幣と見なせる。それぞれの機能は別個の起源と目的をもっていると言われる。
10)価値の尺度:貨幣は、計量可能なモノ(財)の交換価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を、同一の貨幣において比較ないし計算できる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が可能になり、価格を計算できる。
11)支払:計量可能なモノを渡し、責務を決済する。初期社会では特に示談金、損害賠償、租税などの制度と関連して生じた。
12)価値の蓄蔵:計量可能なモノを貨幣に交換することで、モノの価値を蓄蔵することができる。例えば、モノとしての大根1本は腐敗すれば消滅するが、貨幣に換えておけば将来大根1本が入手可能となる。あるいは「大根1本の価値」を蓄蔵できる。
   ただし、自由な取引の元では通貨価値ないし物価変動により貨幣で入手できるモノの量は増減することがある。
13)交換の媒介:貨幣を介する社会では、計量可能なモノと貨幣を相互に交換することで、共通に認められた価値である貨幣を介することで取引をスムーズに行える。これに対し、貨幣を介さない等価交換においては、取引が成立する条件として、
   相手が自分の欲しいモノを持っていることと同時に、自分が相手の欲しいモノを持っていることが必要となる。
これらは歴史的、現代的な解釈なのでしょうが、席亭が興味があるのは、以下の様なものです。長期輸送に耐える、軽量、何処ででも欲しい商品と交換できる、等です。
以下は貨幣の歴史が述べられますがこれらも概念的なので、先に「貨幣史」ページを当たる事にします。

1)貨幣史(かへいし)は、貨幣の歴史、および歴史上の各時代における貨幣の機能や貨幣制度の研究を指す。関連する学術分野としては、貨幣とその形態を研究する貨幣学の他に、経済史をはじめとする歴史学や考古学、文化と貨幣の関わりも
  研究する文化人類学などがある。
こちらもかなり学問寄りです。
2)概要、貨幣の起源・機能:貨幣の起源は、市場や貿易の起源とは別個にあるとされる。
確かに、物々交換には市場は必ずしも必要では有りません。また遠くの人ではなく仲間内、隣の人と商品を交換し合う事も有るでしょう。その際に二人だけに通用する私的、地域的な貨幣を使用しても全く問題は有りません。
3)貨幣の機能には、(1)支払い、(2)価値の尺度、(3)蓄蔵、(4)交換手段があり、いずれか1つに使われていれば貨幣と見なせる。
これらは「貨幣」ページにも記載が有ります。その詳細は以下に記述されるのでしょう。

4)貨幣の4つの機能は、それぞれ異なる起源を持つ。(1)支払いの貨幣は、責務の決済を起源とする。賠償、貢物、贈物、宗教的犠牲、納税などがこれにあたる。
納税品目などは、権力側、政府側が指定するのでしょう。穀物や絹などもそうでした。
5)(2)価値尺度の貨幣は、物々交換や財政の管理を起源とする。歴史的には単位のみで物理的に存在しない貨幣もある。
例示を希望します。
6)(3)蓄蔵の貨幣は、財や権力の蓄積を起源とする。食料や家畜、身分を表す財宝などがこれにあたる。
蓄財には、富を生み出す事、経時劣化しない事などが必要に成ります。家畜などには寿命が有りますが、飼育中に飼い主に利益を齎すのでしょう。
7)(4)交換の貨幣は、財を入手するための交換を起源とする。売買がこれにあたる。
商行為に必要な貨幣の性質とは、上述した様な項目です。

8)4つの機能をすべて備えた貨幣が使われるようになるのは、文字を持つ社会が発生して以降となる。
これは席亭も初耳でした。
9)前述のように貨幣には4つの機能があり、いずれかに使われていれば貨幣と見なせる。歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせていた。
10)バビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどを使い分けた。
11)中国の漢では賜与や贈与の目的や立場に応じて、金、布帛、銅が厳密に使い分けられた。
布帛(ふはく)とは、織物の生地だそうです。
12)日本の江戸時代では江戸幕府が石高制のもとで米を価値の尺度として、金・銀・銅(銭)を三貨制度として統合した。
これらは例示です。商品=現実的な通貨としている所も妥当だと思います。
ちなみに通貨とは流通貨幣の略称で、決済のための価値交換媒体、とあります。ですから(4)に使用可能な貨幣、という訳です。

13)貨幣の素材:貨幣の素材には、現在では一般的な金属や紙の他に、さまざまなものが選ばれてきた。社会の伝統や慣習において富と見なされるものが、貨幣として選ばれていた。
   穀物や家畜も貨幣となるが、そうした貨幣は消費して減ってしまうと取引に支障が出る。そのため、取引に影響が少ない素材として、金属や紙が多く選ばれるようになった。
14)現在知られている最古の金属貨幣は紀元前4300年頃の銀リングであるハル、硬貨は紀元前7世紀にリュディアで作られたエレクトロン貨、最古の紙幣は北宋の政府紙幣として流通した交子とされる。
   特定の素材の価値で国家の貨幣を裏付ける制度として本位制があり、金本位制、銀本位制、金銀複本位制などがある。
紙幣(硬貨も)には偽造が付き物なので、これを防止する手段、工夫が必要と成ります。アルキメデスの原理/金の偽造防止は有名ですよね?
15)物品貨幣:素材そのものに価値のある貨幣を物品貨幣や実物貨幣と呼び、特に初期の貨幣に多い。物品貨幣は、貝殻や石などを用いる自然貨幣と、家畜や穀物などの商品貨幣とに分類される。代表的な物品貨幣に貝貨
   (中国、オセアニア、インド、アフリカ)、石貨(オセアニア)、穀物(バビロニア、日本)、果実(メソアメリカ)、塩(カンボジア)、布帛(日本、中国、朝鮮、ギニア海岸)、鼈甲(古代中国)、鯨歯(フィジー)、
   牛や山羊(東アフリカ)、羽毛などが存在する。こうした物品貨幣のさまざまな種類は、パウル・アインチッヒ(英語版)の著作『原始貨幣』に集められている。
席亭などは、やはり貝貨などには抵抗が有ります。確かに携帯には便利ですが、良くこんなのが流通したと思います。席亭ならば、受取りは拒否します。鰯の頭も信心から、でしょうか?(苦笑)

16)金属貨幣:金属は保存性・等質性・分割性・運搬性において貨幣に適した性質があり、金貨、銀貨、銅貨、鉄貨などが作られた。このうち銅貨は実際には青銅貨である場合が多い。金、銀、銅は腐食しにくい点も貨幣に使われやすい
   理由となった。金属貨幣は、はじめは地金を秤って使った。これを秤量貨幣と呼ぶ。やがて、打刻貨幣または鋳造貨幣すなわち硬貨が現れた。硬貨のように一定の形状・質・重量を持っている貨幣を計数貨幣とも呼ぶ。
   古代から近世にかけての貨幣制度は金属資源の採掘量に左右された。金属貨幣の不足や、移動にかかる費用は、小切手、為替手形、紙幣などの発生にも影響を与えた。
計売りから打刻の段階で、信用貨幣化が進行する訳です。日本の様に鋳造によって改悪しても、当面は貨幣として通用する訳です。(〜政府の信用)
17)地中海や西ヨーロッパでは硬貨の素材として主に金銀を選び、中国や古代・中世の日本では銅を選んだ。西ヨーロッパでは領主や商人の交易に銀貨を中心に多用したが、中国では農民の地域市場での取引に銅貨が多用されていた。
つまりは銅も貴金属な訳です。
18)紙幣:中世には、名目貨幣である紙幣が登場した。紙幣は運びやすく、原料とコストの面で利点が多かったが、発行が容易なためにインフレーションも発生しやすく、しばしば国家の弱体化につながった。
   現在の紙幣は、中央銀行が発行する銀行券と政府が発行する政府紙幣に大きく分かれるが、その他にも民間でも紙幣が発行されてきた。最初の政府紙幣は宋政府、最初の銀行券はスウェーデンのストックホルム銀行が発行した。
名目貨幣とは、経済活動が行われるに際して用いられている貨幣の種類です。信用貨幣や兌換紙幣、不換紙幣などもこの後登場するでしょう。昔はドルも兌換紙幣でした。
19)単位:物々交換において、交換比率を決める尺度として貨幣を用いる場合があった。バーターが効率よく行われるために尺度としての貨幣が役立った。手形などの信用取引の手法は、古代から物々交換でも使われて複雑な現物決済を
   可能としていた。物々交換には信用取引を活発にする効果もあり、単位のみの貨幣も使われる。単位のみの貨幣としては古代ギリシャのタラントン、中世ジュネーヴのエキュー、中世西ヨーロッパのカールスやリブラ、日本の厘などがある。
タラントンは重さの単位ですが、金の重さの単位としても使用されました。また、最初のエキューは金貨でした。カールスやリブラは不明ですが、世界を震撼させる?フェースブックのデジタル通貨(仮想通貨)の名も「リブラ」です。
一厘は一円の千分の一です。当然通貨は存在せず、為替などで使用されます。

20)9世紀のバルト海のヴァイキングは、イスラーム帝国のウマイヤ朝の分銅を価値尺度の貨幣とした。
21)中世の西ヨーロッパは複雑な貨幣の流通をまとめるために、バンク・マネーとも呼ばれる計算用の貨幣で管理した。
22)アムール川流域の山丹交易では物々交換が行われ、山丹人(ウリチやニヴフ)と清の取引では、現地で使われていない中国の銅貨を尺度とした。
23)山丹人と日本の取引では、クロテンの毛皮を尺度にして商品の価値を計った。
24)含有率や重量がさまざまな貨幣が流通する地域では、両替商の存在が重要とされた。古代ギリシャのトラペジーテース(英語版)、中国の宋代の兌房、イスラーム世界のサッラーフ(〇)、江戸時代の本両替と銭両替などがある。
   都市には両替市場が設けられたり、大規模な定期市である年市には両替商が滞在して、現在の銀行にあたる業務を行う者も現れた。中世イタリアの両替商が仕事に使ったバンコ(banco)という台は、銀行を表すバンク(bank)の語源
   ともなった。
25)貨幣と使用者:身分や性別によって特定の貨幣が使われる場合もある。ロッセル島にはンダップという男性用の貨幣とンコという女性用の貨幣があり、ンダップは23種類、ンコは16種類の異なる価値を備えていた。
   サモアには女性が生産するトガ財(編みゴザ、ヤシ油等)と男性が生産するオロア財(豚、武器等)があり、交換手段の貨幣が浸透するとオロア財が優先して貨幣で買えるようになった。
   トロブリアンド諸島では、クラ交易に用いるクラ財は貨幣で買えないが、クラ財と交換できる豚やヤムイモは貨幣で買える。このため、女性や若者など貨幣収入を得やすい者がクラ交易への影響を強めた。
有りそうな話ですが、席亭も初耳でした。

26)後払いの決済であるクレジットカードでは、個人の信用情報をもとに使用可能であるかを決定する審査がある。IT技術にもとづく決済仲介システムでは、取引情報が社会信用システムに活用されて、個人や企業への融資を評価するサービス
   も行われている。仮想通貨のビットコインでは非中央集権のシステムを運用しており、識別情報がない。
27)貨幣には装飾的、儀礼的、呪術的な素材も見られ、宗教的背景を持つ場合もある。古代中国ではタカラガイが豊産や死者の安寧と結びつけられて神聖とされ、貝貨となった。
   アフリカのドゴン族の神話では貝貨には生きた力があり、取引をする人間の力に対応している。そして市場での貝貨を使った交換は、言葉の交換に対応すると見なされた。死者の埋葬に使う冥銭という習慣もある(後述)。
貝貨の由来が分かりました。
28)貨幣と地域:貨幣には地域内での使用と、地域を越えた交易での使用があり、内外で異なる貨幣が定められる場合がある。地域内の貨幣は小額で周期的であり、貿易の貨幣は高額で非周期的となる。
   18世紀のムガル帝国治下のベンガルでは、穀物の先物取引ではルピー銀貨を用い、地域内の市場で穀物を買う時には小額取引に適した貝貨を使った。さらに、納税と穀物取引では異なるルピー銀貨を使った。
29)現在では1国1通貨の制度が普及しており、これは国際金本位制に起源を持つ。それ以前は、貿易用の貨幣は発行者の国を超えて複数の国や地域で流通した。古代ギリシャのドラクマ、中世イスラーム世界のディナールやディルハム、
   中国の宋銭、貿易銀と呼ばれるラテンアメリカのメキシコドルやオーストリアのマリア・テレジア銀貨がそれにあたる。現在は国際決済に多く使われる国際通貨や基軸通貨と呼ばれる貨幣がある。
   異なる地域が通貨を共有する通貨同盟や経済通貨同盟もある。
30)1国1通貨の制度が普及する以前は、地域内で流通する地域通貨も多数存在した。穀物や家畜を使った各地の物品貨幣や、日本の伊勢神宮の所領を中心とした山田羽書、中国の民間紙幣である銭票などが知られている。
   地域通貨が政府や民間業者の保証なしに流通する場合は、地元で取引される商品の販売可能性によって成り立っていた。
まあ現在でも福引券、クーポンなどは有ります。

31)貨幣の発行、貨幣発行の利益:貨幣発行益は、古くから政府や造幣者に注目されてきた。発行した貨幣を用いて財や労働を調達できるほか、貨幣の普及により税の徴収が楽になるという利点がある。
   また、地金の値段よりも額面が高い貨幣を作れば、差額によってさらに利益は大きい。多くの国家で大量の貨幣が発行され、ペルシアのアケメネス朝やローマ帝国をはじめ古代から兵士への支払いに硬貨が多用された。
   貨幣発行益を得るための造幣は、貨幣や政府への信用に影響する。日本の朝廷が発行した皇朝十二銭は、改鋳のたびに目方と質が低下した新貨が出たため、信用の低下と銭離れにつながった。
   現代は中央銀行が銀行券を発行する国家が多く、その場合は製造コストと額面の差額は貨幣発行益とはならない。発行益の大きい貨幣が存在すると、贋金の増加にもつながった。
偽造に関しては、後述されています。
32)貨幣発行の権利:貨幣を発行する造幣権は政府や領主に管理され、民間が発行する貨幣の多くは私鋳と呼ばれて取り締まられた。例外として漢の劉邦は楚との戦争時に民間の造幣を許可し、半両銭が普及する後押しとなった。
   またアメリカ合衆国では、個人や団体が自由に銀行を設立して銀行券を発行できる自由銀行時代もあった。
33)緊急時においては短期間で地域通貨が発行され、泉州での飢饉の際の私鋳銭、銅不足によって作られたアーマダバードの鉄貨、世界恐慌が起きたあとのワシントン州の木片などがある。
   歴史的には、さまざまな銀行が銀行券を発行できたが、現在では中央銀行が銀行券の発行を独占している国が多い。仮想通貨のビットコインでは発行者はマイナー(採掘者)と呼ばれ、作成報酬や取引手数料を受け取る。
銀行間では有る種の仮想通貨が流通しており、決済は必ずしもリアルタイムでは有りません。
34)鉱業:金属貨幣の発行には大量の金属を必要とした。有名な産地として、アテナイのラウリオン、ペルーのポトシ、日本の石見銀山、ブラジルのミナスジェライス、ゴールドラッシュが起きたカリフォルニアなどがある。
   鉱山での過酷な採掘も記録に残っており、ラウリオン銀山は古代ギリシャの奴隷労働としてもっとも過酷と言われた。ポトシ銀山はペルー副王領の時代にインディオが酷使され、多数が命を落とした。
人の命が軽いのは、何時の時代でもそうです。過酷な労働と戦争が民の命を奪いました。そしてこれらは、共食いよりもタチが悪いですよね?

35)貨幣のデザイン:硬貨のデザインは地域によって大きく異なる。ヨーロッパの硬貨は権力者の肖像などの図像を入れているが、中国や日本では銭(ぜに)と呼ばれる中心に穴の空いた硬貨を作った。
   銭は円形方孔といって穴が四角く、これは古代の宇宙観である天円地方の思想にもとづいている。この穴は、鋳造後にバリを削るときの道具を通すために使ったほか、紐を通して大量の枚数をまとめるのにも活用され、
   小額面の貨幣を運ぶには便利だった。一方、硬貨に穴がないヨーロッパでは運ぶための財布が発達したとも言われ、アテナイでは一般市民は財布を持たず、小額の硬貨は口に入れて運んだという記録もある。
これは席亭も初耳です。文字通り「ガマ口」ですね。(笑)
36)イスラーム世界の硬貨は、偶像崇拝を避けるために文字や図柄だけを刻印した。
37)紙幣は、最初の紙幣とされる宋の交子をはじめとして中国や日本では縦長であった。これは文字が縦書きであったことに由来する。ヨーロッパの初期の紙幣は北欧を中心に縦長であり、オーストリア・ハンガリー、
   ロシア帝国、ポーランド、ブルガリアなどでは19世紀や20世紀まで縦長の紙幣が時折発行されていた。正方形の紙幣としては、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーなどがある。現在では横長の紙幣が一般的となっている。
38)貨幣のデザインは発行された時代の芸術とも関連がある。19世紀末から20世紀前半にかけてはアール・ヌーヴォーやアール・デコ様式の紙幣がオーストリア・ハンガリー、ドイツ、フランス、ポーランドなどで発行された。
   オーストリア・ハンガリーでは、1881年発行の5グルデン札のデザインをグスタフ・クリムトが指導している。1945年に日本の新紙幣のデザインを公募した際には、審査員には藤田嗣治や杉浦非水が参加した。
39)貨幣史と学説・政策、学説と貨幣史:グレシャムの法則や、貨幣数量説などの貨幣に関する説は限定的であるか、史実に当てはまらない場合がある。グレシャムの法則は金貨については有効だが、良貨にあたる官銭が悪貨を抑制した中国の銅貨
   には当てはまらない。また、複数の貨幣が流通して多元的に評価されていると、貨幣の総量を測る意味がなく、貨幣数量説の前提が成立しない。
40)通貨の定義:現在では、国家は流通の安定のために法律によって貨幣に強制通用力を持たせている。これを特に法定通貨・信用貨幣という。この法定通貨は支払完了性を有しており、取引を無条件に完了させる決済手段となる。
   このため、所定の通貨の使用を拒否することはできない。
通貨にはこの様な強制も必要です。受取を拒否できない、です。但し、日本では硬貨の受取には上限枚数が有った筈。(〜20枚)

41)経済政策:中央銀行は、物価の安定、雇用の維持、経済成長の維持、為替レートの安定などを目的として金融政策を行っている。経済政策においては、(1)為替レートの安定化、(2)国際資本移動の自由化、(3)独立した金融政策
   という3つの選択肢の全てを同時に達成することは不可能とされており、国際金融のトリレンマと呼ばれる。達成可能なのは3つのうち2つの選択であり、(1)為替レートの安定化と国際資本移動の自由化、
   (2)独立した金融政策と国際資本移動の自由化、(3)為替レートの安定化と独立した金融政策のいずれかとなる。
   歴史的には、金本位制では(1)為替レートの安定化と国際資本移動の自由化、変動相場制では(2)独立した金融政策と国際資本移動の自由化、固定相場制では(3)為替レートの安定化と独立した金融政策がおおむね選択されてきた。
42)政治制度も通貨に影響を与える。19世紀の国際金本位制は、国際均衡が国内均衡に優先することも意味しており、そうした制度は普通選挙が普及しておらず国民が発言力を持たない時代に可能だったとされる。
お待たせしました、此処からはいよいよ歴史です。

43)古代、西アジア:バビロニアでは支払い用の貨幣として大麦や羊毛が使われ、銀は秤量貨幣で主に尺度として使われた。メソポタミアは銀を産出しないため、アナトリア半島のトロス山脈などから銀が運ばれた。
   最古の銀貨として、紀元前4300年頃のアッカドからバビロン第1王朝にかけて使われたハル(har)がある。ハルはリング状や螺旋状の形をしており財布のない時代に携帯しやすく、貴重な品の対価として必要な量を切って支払った。
産出しない銀をわざわざ遠くから入手し貨幣化するなんて、メソポタミアの人々は何を考えていたのでしょうか?
44)エシュヌンナ法典をはじめイシン・ラルサ時代の王たちは公定価格の表示をしばしば行なっており、私的な経済活動による混乱を収める意図があったと推測されている。精錬法である灰吹法の最古の事例はバビロニアで発見されており、
   ウルク文化後期と推定されている。貨幣単位としてシェケルが紀元前30世紀頃から用いられ、シュメル語ではギンと呼ばれた。
45)ペルシャ湾の貿易においても、ディルムンの銅とメソポタミアの穀物やゴマ油が交換される時に銀が尺度として通用した。
46)紀元前8世紀には、アラム人国家の都市であるジンジルリ・ヒュユク(トルコ語版)の遺跡でアラム文字の銘文を打った銀の延べ棒が出土している。
47)紀元前18世紀のハンムラビ法典には金融についての法律もある。
48)フェニキア人は地中海や紅海で交易を行い、イベリア半島にも進出してガディルを建設した。テュロス人が金山や銀山を開発して採掘に奴隷を使役し、アッシリアなどに貴金属を輸出した。
ハンムラビ法典は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が晩年に発布した法典です。ですからイスラームは商業重視なのでしょう。
49)現存する世界最古の硬貨は、アナトリア半島のリュディア王国で作られたエレクトロン貨である。これは金銀の自然合金であるエレクトラムを素材としており、リュディアは豊富に貴金属を産する土地でパクトロス川(英語版)では
   砂金状のエレクトラムが採れた。
エレクトラムとは、天然に存在する金のうち、銀を多く含む合金のことです。

50)リュディアが硬貨を発行したのは傭兵に対する支払いという説があり、この硬貨はギリシャに影響を与えた。クセノファネスやヘロドトスの伝承によれば、円形の金属に極印を打ったのはリュディアのギュゲス王(英語版)とされる。
51)リュディアの影響を受けてギリシャで硬貨が普及し、ギリシャの影響によってペルシア、紀元前5世紀末のフェニキアのテュロス、カルタゴなどの地域にも硬貨が広まった。
52)ペルシアではダレイオス1世が硬貨を発行し、ダリク金貨の重量はバビロニアの基準1シクルと同じで、シグロス(Siglos)銀貨と銅貨の比価は1:12となった。
53)アフリカ:金の大量採取は古代エジプトから始まった。ナイル川からの砂金やプント国との交易などで豊富な金を集め、宮殿や神殿に貯蔵した。紀元前2400年以降の中王国時代には、ナイル川の第2瀑布まで進出して金を採取した。
   金は国内の貨幣としては使われず、秤量金貨として臣下への下賜や、地中海やメソポタミアでの貿易に使った。本格的に鋳貨が流入するのは、アレクサンドロス3世の征服で成立したプトレマイオス朝以降となる。
54)金が豊富な反面で銀は産出しなかったため、当初は金銀比価が1:1であったが、貿易の進展によって差が広がった。
55)フェニキア人が地中海に進出して植民都市のカルタゴが建設されると、イベリア半島の貴金属貿易の主導権は、フェニキア本国であるテュロスからカルタゴに移った。西アフリカでは、ガーナ王国が8世紀から金の産出で有名となった。
56)南アジア:インドでは十六大国の時代に交易が盛んになり、この時期に金属貨幣の使用も始まった。打刻印のある楕円形や方形の硬貨があり、初期には銘文はなく文様の打刻のみがあった。高額取引には銀、小額取引には銅貨を使った。
   初期は商人が発行していたとされるが、やがて国家が発行権を独占した。ペルシア帝国の属州となった北西インドでは、インド様式の硬貨とともにダリク金貨やシグロス銀貨も流通した。マウリヤ朝の時代にはパナ銀貨やマーシャカ銅貨が使われて、
   重量を統一した打刻銀貨が多くの地域で発行された。マウリヤ朝では官吏の給与は貨幣額で表示され、刑罰は多くが罰金刑とされた。マウリヤにはペルシア、ヘレニズム諸国、ギリシャなどからの硬貨も流入していた。
57)紀元前2世紀からギリシャ人によってインド・グリーク朝が建国され、ギリシャ様式の硬貨が発行されてインドの硬貨に影響を与えた。この時代からインドの硬貨に文字が刻まれるようになった。クシャーナ朝のカニシカ1世は、ローマとの貿易で
   流入したローマのアウレウス金貨を鋳つぶして、自らの様式で金貨を発行した。ガンジス川流域では紀元前1世紀からグプタ朝建国の4世紀までの間にいくつもの王国が建ち、ミトラ貨幣と総称される銀貨や銅貨が各地で発行された。
   これらの貨幣は王名が刻まれており、「ミトラ」という語尾を持つ共通点があった。デカン高原のサータヴァーハナ朝はギリシャ、アラビア、中国とも貿易を行い、サータヴァーハナ朝の貨幣は外国でも使われた。グプタ朝は金、銀、銅貨を発行し、
   初期の金貨はクシャーナ朝の重量基準、のちにはスヴァルナと呼ぶ重量基準で計った。銀貨はシャカ・クシャトラカ勢力の様式を模倣した銀貨や、東インド向けの銀貨を発行した。金貨はディーナーラ、銅貨はルーパカと呼ばれ、
   金銀貨は高額取引に使い、日常の取引は銅貨やタカラガイおよび物々交換で行われた。449年から450年の碑文によれば、社会の上層に属する女性が金貨を施与した記録があり、地位によっては女性が財産を用いることができたと推測される。

58)東アジア:殷の時代に貝貨になったタカラガイは熱帯や亜熱帯の海で生息しており、南方で採取したものが運ばれていた。タカラガイを糸で5個つないだものを朋と呼び、殷末から周にかけて王朝では朋を下賜した。
   周時代にはタカラガイのほかに鼈甲などの亀甲が貨幣に使われた。
59)春秋時代には、タカラガイや亀甲をかたどった青銅貨として銅貝、刀貨、布貨が作られた。戦国時代にこれらの鋳貨が普及し、秦は度量衡を統一して銅銭の半両銭を貨幣重量の基準とした。秦から前漢の時代にかけては金、銅貨、布帛が主流となり、
   前漢では五銖銭を発行した。やがて銅不足が起きたため、新王朝は銅貨の重量を減らして額面を高くするという名目貨幣化を進め、さらに名目貨幣制度の拡大と復古政策として宝貨制などを試みた。しかし政策は失敗して貨幣総量の減少、
   富裕層による前漢時代の五銖銭の退蔵、名目貨幣の流通の失敗、穀物や布帛など物品貨幣の増加が起きた。経済の混乱は、後漢の五銖銭の再発行まで続いた。後漢の滅亡後は、董卓によって五銖銭が董卓小銭という硬貨に改鋳されたが、
   銘文や研磨などの処理がされていない悪貨だったためインフレーションを招いた。
60)魏晋南北朝の時代に価値基準として五銖銭の表示が復活し、隋は五銖銭の発行を再開した。隋の楊堅は関所で銅銭を確認させ、新しい五銖銭の流通を進めようとした。隋の貨幣統一政策はのちの唐にも引き継がれた。
   しかし銅不足は解消されず、物品貨幣である布帛、穀物、塩の流通が盛んとなった。やがて銭の不足によって鉄片、裁断した革、重ねた紙なども貨幣として流通するようになるが、唐の開元通宝の発行により混乱は収束した。
   開元通宝によって10銭=24銖=1両という比率が確立した。布帛は中国のほかに日本、朝鮮などでも貨幣となった。8世紀の中央アジアは絹が帛練と呼ばれる物品貨幣にもなり、絹の品質に応じて価格帯が定められた。
   唐の滅亡にともない五代十国時代になると銅が不足して、十国では硬貨の不足が激しくなり鉛貨と鉄貨が中心となった。

61)ギリシャ、ヘレニズム:古代ギリシャの叙事詩である『イリアス』や『オデュッセイア』では牡牛が価値の尺度になっている。12頭の価値のある鼎、4頭の価値のある女奴隷などの表現があり、支払いには青銅と黄金が使われていた。
62)ヨーロッパでの最初の硬貨は、古代ギリシャの都市国家であるポリスで急速に普及した。西アジアのリュディアの影響を受けてアイギナでギリシャ最初の銀貨であるスタテルが作られた。紀元前6世紀には南エーゲ海や中央ギリシャ、テッサリア
   で採用されて交易圏を形成した。リュディアがエレクトラムから分離した金貨を作ると、それをもとにタソスでも金貨を使った。ポリスはそれぞれ異なる貨幣を発行し、大部分が銀貨であり、金貨は王制の貨幣に限られ、銅貨は少なかった。
   ラウリオン銀山をもつアテナイが最も銀貨を発行して経済力を持った。アテナイはアイギナとは異なる基準の銀貨を発行し経済を主導した。アテナイを中心に海上貿易が盛んになり、ドラクマをはじめとするギリシャの銀貨、アケメネス朝ペルシアの
   金貨であるダリク、キュジコスのエレクトロン貨などで取引が行われた。小額の貨幣としてはアルゴスやスパルタで鉄貨が流通し、鉄鉱山を持つスパルタはリュクルゴスの時代に鉄棒を唯一の貨幣と定めて、貴金属は国家が独占した。
   アテナイはポリス内にも貨幣を普及させ、公共事業や民会、陪審に参加する市民にオボルス銀貨を支給する制度が始まった。この制度で貧しい市民もポリスの市場で食料を買えるようになり、富裕市民の公共奉仕も貨幣化されていった。
   アテナイの貨幣単位には、タラントン、ムナ、ドラクマ、オボルスがあり、タラントンやムナは計算用の貨幣だった。
63)ギリシャではポリスごとに異なる貨幣を発行したため、両替商が重要な役割を持った。両替商は財産の保管を行いつつ、預けられた金を元手に貸付も始め、銀行も成立した。こうした両替商や銀行は、仕事に使っていたトラペザという机にちなんで
   トラペジーテースと呼ばれた。
64)マケドニアではピリッポス2世時代にパンガイオン(英語版)で産出する金からスタテルを発行した。このスタテルが銀中心のギリシャで大きな資金源となり、重量もペルシャの8.4グラムに対して8.7グラムと優れており、大量のギリシャ人
   傭兵を雇うことを可能とした。アレクサンドル3世は豊富な資金を背景にギリシャ諸都市を征服して貴金属を押収し、各地に造幣所を建設して金貨を発行した。アレクサンドロス3世の征服によって各地から金が運ばれて金貨が急増し、
   これが最古のインフレーションの記録とも言われる。

65)ローマ:詳細は「古代ローマの通貨」を参照
66)古代ローマでは青銅貨のアスが最初に作られ、ギリシャの様式を採用した。ギリシアのポリスはそれぞれが独自の貨幣を発行していたが、ローマは各地を征服して単一の政治機構のもとで貨幣制度を統一した。
   ギリシャ都市間の戦争は賠償金の支払いが主であったが、ローマは征服した都市を従属下に置くという違いがあった。初期の貨幣のデザインはギリシャと同様だったが、戦争や権力者など図像が増えていった。
   ローマの造幣は元老院の造幣委員が担当しており、定員は毎年3人でキャリアの最初につく最下位の公職だった。
ローマの貨幣、経済管理の能力も低そうです。やはりカルタゴなどとは違うのでしょう。
67)ローマは銀行制度もギリシャから引き継ぎ、地域の取引のための両替を行った。帝政に入ると金銀複本位制となり、銀貨のデナリウスが発行されたが、軍費調達や財政再建の目的で発行を増やしたために質が低下してインフレーションを起こした。
   帝政期にはインド洋交易が盛んになり、アウグストゥス帝からトラヤヌス帝の時代のアウレウス金貨やデナリウス銀貨が当時の遺跡から発見されている。ローマはカルタゴの支配下にあったイベリア半島を征服し、金山や銀山で奴隷を採掘に使役した。
68)ローマ帝国は兵士の給与に銀貨を大量に使ったため、地中海世界では銀貨、および銀貨を補う高額通貨の金貨と、小額通貨の銅貨が定着した。ローマ軍団兵の給与は塩で給付され、それがサラリーの語源であるとの説があるが俗説の域を出ない。
   salariumは兵士ではなく高位の役職者に対して定期的に支払われる給与であり、なぜsal(塩)を語源にしているのかは文献的・歴史的には確定できない。アウグストゥスによって地中海が統一されると貿易が盛んになり、インド洋向けの貿易で
   金貨・銀貨が大量に輸出された。ティベリウス時代には金貨の流出を防止する政策を行なったが、効果はなかった。
69)古代の貨幣論:中国では、春秋戦国時代から漢代にかけて多くの貨幣論が書かれた。春秋戦国時代の出来事をもとに書かれた『国語』に登場する穆公は、基準通貨と補助通貨の2種類の貨幣で調整をするという子母相権論を説いた。
   『墨子』では刀貨と穀物価格の関係を論じており、『孟子』では一物一価の法則への反論がなされている。司馬遷は『史記』の貨殖列伝で范蠡の逸話を通して物価の変動を説き、『管子』は君主による価格統制をすすめている。
70)インドではマウリヤ朝時代にカウティリヤが『実利論』で貨幣の政策について書いており、使用する銅貨の指定がある。
71)ギリシャの貨幣論は、プラトンの『国家』、アリストテレスの『政治学』や『ニコマコス倫理学』などに見られる。クセノポンは『歳入論』でペロポネソス戦争敗北後のアテナイの財政再建について書き、貿易振興による関税、在留外国人である
   メトイコイの優遇による人頭税、ラウレイオン銀山の再開発による貨幣発行益を提案した。
中世以降は省略します。

117)特殊な貨幣、冥銭:冥銭は副葬品に用いる貨幣を指す。中国古代では陶銭や紙銭を使い、のちにその文化が日本にも受け継がれた。日本では六文銭や、近世の六道銭などが知られる。中国、韓国、台湾、ベトナムでは、
    葬儀社などで「冥国銀行券」といった名称の葬儀用紙幣が用意されている。墓参用にも冥国銀行券などが使われている。現代の沖縄県内でも「ウチカビ」(打ち紙)として同じような葬儀用、墓参用紙幣が使われている。
    1930年の中国では額面が5円となっているが、その後高額化が進み、一般には存在しない額面となっている。類似の慣習として古代ギリシャでは、地獄の川の渡し守であるカローンへの渡し賃として1オボルスを死者の口に入れた。
118)軍用手票:軍用手票とは、戦争の時に占領軍が占領地や交戦地で発行する通貨であり、軍票という通称で呼ばれる。軍票は19世紀にヨーロッパで始まり、占領軍は占領地で物資を徴発する代わりに、軍票で必要物資の調達や
    軍人への給料の支払いを行った。また、敵国の通貨の使用を禁止して経済を統制する目的もあった。占領軍の自国通貨を支払いにあてた場合は自国でのインフレの可能性があり、敵国通貨を禁止しなければ敵国から物資の調達などを
    される可能性があるため、軍票が使用されてきた。発行された軍票は発行国の債務であり、終戦により一般通貨に交換することが必要となるが、戦勝国により敗戦国の軍票が無効とされる例も多い。
    正式な軍票ではないが、同様の目的でアメリカ軍が沖縄の久米島で発行した貨幣として久米島紙幣がある。
119)大東諸島:第二次世界大戦終結までの大東諸島は無人島を会社が買い取った「社有島」であったことから、日本の領土でありながら日本円は島内で通用せず、大東島紙幣と呼ばれる砂糖手形が事実上の通貨となっていた。
120)「トラック・システム」も参照
121)貨幣の偽造の歴史:詳細は「贋金」および「偽札」を参照
122)信用通貨と贋金の問題は貨幣の歴史と同じくらい古いとも言われる。価値の裏付けを金属に求めながら、地金価値と額面を厳密に一致させる本位貨幣制の確立は近代以降であり、近代以前の貨幣制度をそれで理解することは難しい。
    金属貨幣はしばしば政府や領主などが貨幣発行益を得るために発行され、額面が地金の価値を上回ることがあった。貨幣発行益が大きい場合は贋金の横行を呼び、特に高額の貨幣が偽造された。
    たとえば和同開珎は銀銭の発行後1年以内に私鋳銭の禁令が出ており、偽造が原因で銀銭は廃止されている。
庶民には銀の偽造が見分けられないのでしょう。
123)紙幣の偽造では、初の紙幣とされる交子が990年頃に出たのちの神宗の時代(1068年〜1077年)には偽造に関する記述が見られる。
124)日本最古の紙幣とされる羽書は1610年に発行されたが、1624年には偽札についての記述が見られる。
125)スウェーデンのストックホルム銀行券は1661年に始まり、1662年〜1664年には偽造銀行券が出回っていた。
126)大規模な紙幣偽造としては、ポルトガルの公文書を偽造してエスクド紙幣を500万ドル相当印刷させたアルヴェス・レイスの事件がある。
127)アメリカ最初期の紙幣を印刷したベンジャミン・フランクリンは、偽造防止の方法も発明した。紙幣の文字に意図的なスペリング・ミスを仕込み、額面によって異なったスペリングと活字を組み合わせた。
    さらに、複製困難なデザインのためにネイチャー・プリンティング(英語版)という紙幣の裏に木の葉をプリントする方法を考案した。
128)アメリカは大陸紙幣ののちは南北戦争まで政府紙幣がなく、1862年の時点で紙幣全体の80パーセントが偽札だったとされる。偽札を判別するための偽札鑑定新聞( Counterfeit Detector)や
    銀行券通信(Bank Note Reporter)と呼ばれる冊子があり、定期的に発行された。
80%もあれば、偽札も立派に通用するのでしょう。
129)鋳造貨幣や紙幣以外の偽造もある。アステカでは、通貨として使われていたカカオ豆が偽造されていたという記録がある。
アラ、ビックリ!

130)年表
131)・紀元前30世紀−メソポタミアで重量単位のシェケルが使われる。
132)・紀元前21世紀−シュメルでウル・ナンム王の時代に度量衡が統一され、銀1ギン=大麦1グルとされる。
133)・紀元前15世紀−中国の殷が貝貨を使う。
134)・紀元前7世紀−アナトリア半島のリュディアで初の硬貨であるエレクトロン貨が作られる。
135)・紀元前6世紀−ギリシャのポリスで硬貨が定着。
136)・紀元前483年−アテナイがラウレイオン銀山をもとに銀貨発行。
137)・紀元前5世紀−紀元前3世紀−中国の戦国時代。中国に青銅貨などの鋳貨が定着する。
138)・紀元前4世紀−アレクサンドロス3世がペルシアを征服し、戦利品をもとに大量の金貨を発行。金銀の交換比率が大きく変わる。
139)・紀元前4世紀−紀元前3世紀−マウリヤ朝でインド初の硬貨と言われるパナ銀貨とマーシャカ銅貨が発行される。
140)・紀元前280年頃−ローマが初の硬貨としてアスを発行。
141)・紀元前221年頃−秦の始皇帝が度量衡を統一し、貨幣の重量は銅貨の半両銭を基準とした。以後、銅貨の普及が進む。
142)・紀元前118年頃−漢で五銖銭を発行。中国で最も長く流通する貨幣となる。
143)・191年−董卓が五銖銭を改鋳し董卓小銭を発行。悪銭の流通が中心となる。
144)・3世紀−ローマ帝国で銀不足によりインフレーションが深刻化。
145)・621年−唐が開元通宝を発行。中国の貨幣経済の統一が進む。
146)・693年−ウマイヤ朝がイスラーム帝国初の硬貨としてディナールとディルハムを発行。
147)・7世紀末−日本の朝廷が国内初の公鋳貨幣として富本銭を発行。
148)・780年−フランク王国のカール大帝が度量衡を改革しリブラを導入。デナリウス銀貨を標準的通貨として造幣権を国家の独占とする。
149)・10世紀−イスラーム世界で銀が不足。
150)・1023年−宋が初の政府紙幣として交子を発行。
151)・11世紀−宋が神宗期に宋銭を大量鋳造。高額面で遠距離の支払いに適した紙幣(鈔)への依存が強まる。
152)・13世紀−イングランドをはじめヨーロッパの銀貨発行が増加。
153)・1252年−フィレンツェがフローリン金貨を発行。
154)・1260年−元が法定通貨として紙幣の交鈔を発行。元は銅貨の使用を禁じたため、大量の宋銭が日本や東南アジアなどの周辺地域へ流入する。
155)・1284年−ヴェネツィアがドゥカート金貨を発行。
156)・1294年−イルハン朝が西アジア初の紙幣としてチャーヴ(鈔)を発行。
157)・14世紀−インド洋のタカラガイがアフリカで貝貨として導入が始まる。
158)・15世紀−ヨーロッパで貴金属が不足。エジプトで銅貨のインフレーション。
159)・1518年−ボヘミアがターラーを発行。のちの価格革命によりヨーロッパ各地で流通する。
160)・1537年−スペインがエスクード金貨を発行。国際的な通貨となる。
161)・1545年−インカ時代に放棄されていたポトシ銀山が再発見される。
162)・16世紀−ヨーロッパで価格革命が進む。

これで「貨幣史」も終了です。貨幣の中心には信用が有る為、即物的ではなく概念的です。かなり冗長に成りましたが、「貨幣の誕生」はこれで充分でしょう。一旦、交易に戻ります。

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