化学

化学における一大イベントはやはり火の発見でしょうから、この学問、技術も5)目と光に関係するそれです。あるいは7)鼻と臭い、9)皮膚と皮膚感覚にも関係するかもしれません。火傷しますし。(笑)
Civではこの化学はルネサンス時代のテクノロジーですが、これでは遅過ぎます。(苦笑)
Wikiで「化学」を調べると、「化学」や「化学の歴史」ページがヒットします。まずは「化学の歴史」ページから。

1)化学の歴史(英語:history of chemistry)は長く曲折に富んでいる。
2)火の発見を契機にまず金属の精錬と合金製造が可能な冶金学が始まり、次いで錬金術で物質の本質を追及することを試みた。
その前に、灯や食物の調理、料理でしょう。調理と料理に関しては、一部言及済です。
3)アラビアにおいても錬金術を研究したジャービル・イブン=ハイヤーンは多くの業績を残したが、やがて複数のアラブ人学者は錬金術(alchemy)を批判するようになっていった。
席亭も、この化学はアラブで語られるのが道理だと思います。世界は白人社会が全てでは無いのです。中国、アジアやアラブが果たした役割も大きいのです。アラブは暗黒中世を避ける、退避地でした。(笑)
4)近代科学は化学と錬金術を弁別したとき始まった。
5)たとえばロバート・ボイルが著書『懐疑的化学者』(The Sceptical Chymist、1661年)などである。
6)そしてアントワーヌ・ラヴォアジエが質量保存の法則(1774年発見)を打ち立て化学現象において細心な測定と定量的観察を要求したのを境に、化学は一人前の科学になった。
7)錬金術と化学がいずれも物質の性質とその変化を研究するものではあっても、科学的方法を適用するのは化学者である。
8)化学の歴史はヴィラード・ギブズの業績などと通じて熱力学の歴史と絡み合っている。

9)前史
10)火と原子論の発見
11)化学の起源は燃焼という現象に遡ることができる。火は、ある物質を別のものに変容させる神秘的な力であり、それゆえ驚きと迷信の出所となった。
12)食品の調理による食習慣の変化や、陶器、それぞれの用途に特化した道具類の製作など、火は古代社会にさまざまな側面で影響を与えてきた。
13)原子論は古代ギリシアと古代インドに起源をもつ。
14)ギリシアの原子論は、ローマのルクレティウスが紀元前50年に著した『万物の本性について』(De Rerum Natura)の中で指摘した紀元前440年まで遡ることができる。
15)その記述では、この考え方は原子(アトム)が物質の最小の単位であると提唱したデモクリトスやレウキッポスに始まるとしている。
16)偶然にも同時代のインドの哲学者カナーダ(Kanada)は、そのヴァイシェーシカ(Vaisheshika)・スートラ(sutra)の中で類似の提言をしている。
17)カシュヤパが彼のスートラに現れたのは瞑想の産物であったようである。
18)同様の手法でガス(気体)の存在も論じられた。
19)カナーダがスートラで提唱したことは、デモクリトスが哲学的黙想から提唱したものでもあった。
20)いずれも経験的データを欠いていたので、科学的証明のない原子存在は容易に否定された。
21)紀元前330年にアリストテレスは原子の存在に異を唱え、ヴァイシェーシカ学派の原子論も長い間反論に晒された。
これは囲碁、将棋などでは直感精読と呼びますが、卑しくも(現役の)哲学者であるならばその洞察、直観は本質を見抜くのでしょう。具板的な作業、実験、証明などは後回しにされる訳です。
ですから、それだけで主張が誤論、異論であるという批判は当たっていません。数学の中にも、予想、仮説が正しかったり誤っていた例は数多有ります。仮説自体が、次の世の中を拓く作業なのです。

22)ヨーロッパでは、キリスト教会がアリストテレスの著作を一種の経典のように扱い、原子論関連は異端視された。
23)アリストテレスの著作はアラビア語に訳されてイスラム世界で保存され、13世紀になるとトマス・アクィナスとロジャー・ベーコンがこれをラテン語に翻訳して再びヨーロッパに紹介した。

24)冶金術の起こり:→詳細は「en:History of ferrous metallurgy」を参照
ferrousの訳は、鉄系です。
25)のちの冶金術に道を拓くガラスの発見と金属の精錬を導いたのは火であった。
ガラスに関しては、既にご説明済みです。
26)冶金術の初期には金属精錬の方法が認められ、紀元前2600年頃の古代エジプトでは金が貴金属になっていたことが知られる。
27)合金の発見は青銅器時代の幕開けを告げた。青銅器時代ののち、軍がより高度な武器を求めたことで冶金術の歴史は新しい段階を迎えた。
28)ユーラシアの諸国は高性能の合金を造り、これを使った甲冑や武器を製作すると全盛期を迎えた。これはしばしば戦闘の結果を決定付けた。

29)インドの冶金学と錬金術:→詳細は「en:Histroy of metallurgy in the Indian subcontinent」を参照
30)古代インドでは冶金術と錬金術にめざましい進歩がみられた。ウィル・デュラント(Will Durant)はThe Story of Civilization1:Our Oriental Heritage(『文明の物語1:東洋の遺産』)の中で次のように記す。
31)古代インドの鋳鉄は化学成分が素晴らしく、グプタ朝時代は工業開発がめざましく、帝政ローマなどとの比較でも染色、製革、せっけん製造、ガラス、セメント、・・・などの化学工業分野では最も高度な技術を擁していたとみられる。
32)6世紀までヒンドゥー教徒は化学工業の分野でヨーロッパよりはるかに先行しており、V焼(calcination)、蒸留、昇華、蒸気加熱、不揮発性化(fixation)、熱を伴わぬ発光、麻酔薬や催眠剤の調合、金属塩・化合物・合金の調製などに熟達していた。
33)鋼の焼鈍しは古代インドに持ち込まれて完成したが、現代までにどのようにヨーロッパに伝わったのかは不明である。
34)ポロスの王はアレキサンダーからの高価な贈り物として金や銀ではなく30ポンドの鉄を選んだと伝えられる。イスラム教徒はこのヒンドゥー教徒の化学と化学産業のほとんどを近東やヨーロッパに伝えた。
35)たとえば『ダマスカス剣』製造の秘密はアラブ人がペルシア人から、ペルシア人はインドから手に入れたものであった。
勿論、知識の伝達には対価が伴うのでしょうが、それでも最高技術者がオープンマインドなのにはほっとします。

36)賢者の石と錬金術の起こり:→詳細は「錬金術」を参照
37)古代エジプトなど、古くから錬金術と呼ばれる前科学が興った。錬金術師はエリクサー、賢者の石などを追い求めた。
前科学とは、疑似科学と呼ぶべきそれなのでしょう。またエリクサーは、ロールプレイングゲームなどではチームメンバーのステータス異常を全回復させるアイテムです。(笑)
38)錬金術は歴史上多くの文化圏で実践され、哲学、神秘主義、前科学が混淆する体裁がよくみられ、また多くの人間が安価な金属をどうすれば金に転換できるかに関心をもった。
39)錬金術は卑金属を金に変える目的ばかりか、ペストに見舞われたヨーロッパなどでは人々の健康に役立つ医薬の開発でも期待された。
40)ただ、不老不死の霊薬発見のための試行したものの霊薬も賢者の石も発見された事例はない。
不老不死は、中国でも追及されました。
41)また、生物に生命を吹き込む『エーテル』が空気中に存在すると信じることも錬金術師の特徴としてあげられる。
空気中に原子が有る事は、例えば風の存在などから感じる事が出来ます。また光子の存在(〜太陽光圧)も、感じる人が居るかも・・・。
42)錬金術の実践者としては、生涯を錬金術に捧げたアイザック・ニュートンなどがいる。

43)錬金術に立ちはだかる壁
44)新しい化合物についての系統的な命名法がなく、また言葉が難解・秘儀的かつ曖昧で用語の意味が使用者により異なっているなど、現代の立脚点から見ると、錬金術には複数の問題点がある。
45)具体的にThe Fontana History of Chemistry(Brock、1992年)によれば:
46)錬金術の言語は十分な経験なく得た情報を秘匿するため秘儀的な聖なる術語を創り出した。この言語は現代のわれわれにはよくわけがわからないが、ジェフリー・チョーサーの『錬金術師の徒弟の話』(The Canon's Yeoman's Prologue and Tale)
   (『カンタベリー物語』の一部)やベン・ジョンソンの『錬金術師』(The Alchemist)の読者ならこれなど笑い飛ばすに値すると解釈できよう。

47)チョーサーの物語は安価な物質から贋の金を造るなど錬金術のいかがわしい一面をあらわにした。
48)チョーサーのすぐのち、ダンテ・アリギエーリもこの詐欺への関心を行動に移し、神曲の中で錬金術師全員を地獄へ送り込んでいる。
49)その後1317年にアヴィニョン捕囚の教皇ヨハネス22世は、贋金作りの錬金術師全員をフランスから追放した。
50)また、『金属を増殖』した場合は死罪に処するという法律が、1403年にイングランドで成立した。
51)この他にもいろいろ強硬な手段を講じたものの、錬金術は絶えることがなかった。王侯貴族や特権階級は依然として賢者の石や不老不死の霊薬を自分用に探し求めていた。

52)また、再現実験のための科学的方法についてはまだ合意がなかった。当然のように多くの錬金術師は潮汐の時刻や月齢など無関係な情報を彼らの手法に取り込んでいた。
53)錬金術の秘儀的性格や難解な用語は、錬金術師が実は半可通であるという事実を隠蔽するのに好適だった。
54)14世紀の初めには錬金術に危機が訪れた。つまり人々が懐疑的になったのである。
55)実験を他者が再現しうること、かつ結果について何が明らかになり何が不明であるのかを明晰な言語で報告するという科学的方法が必要なのは、誰の目にも明らかとなった。
この再現性は科学の重要な一側面ですが、世の中には再現しない、一度切りな現象も有ります。個人の死などがそれです。ですからペテン師が活躍する余地は、現在も依然として有るのです。(笑)

56)錬金術から化学へ
57)初期の化学者:→「en:Alchemy(Islam)」も参照
58)近代の科学的方法の発達は遅々としてなかなか前進を見なかったが、化学に関する科学的方法の萌芽は中世イスラム教徒の化学者の間に現れ始め、これを先導したのが「多くのものが化学の父とみなす」9世紀の化学者
   ジャービル・イブン=ハイヤーン(ゲベルス)であった。
59)彼はアランビック(蒸留器)を発明・命名、数多くの化学物質を化学的に分析、宝石職人(lapidary)を集め、アルカリと酸を弁別、数多くの薬を製造した。
60)その他有力なイスラム教徒の化学者には、アリストテレスの四元素説を批判したジャアファル・サーディクとラーズィー(Muhammad ibn Zakar〇(i+-)ya R〇(a+-)zi)、また錬金術の実践と金属変性の理論で名声を博したキンディー、
   アブー・ライハーン・アル・ビールーニー、イブン・スィーナー、イブン=ハルドゥーン、および物質本体は変化しうるが消滅し得ないとして質量保存の原型を記述したナスィールッディーン・トゥースィーらがいる。
61)ヨーロッパの比較的正直な医者にとって錬金術とは知的営為であり、時を経て熟達した。
62)一例としてパラケルスス(1493年−1541年)は化学と医療の理解が曖昧ながらも四元素説を斥け、イアトロ化学(医療化学)(iatrochemistry)と呼ばれる錬金術と科学のハイブリッドを形成した。
63)ところで、パラケルススによる実験が真に科学的であったとはいい難い。たとえば、新しい化合物が水銀と硫黄の組み合わせで出来うるという自身の説の延長として、彼は『硫黄油』なるものを作り出したが、これは実はジメチルエーテルであり、
   水銀でも硫黄でもない。

64)ロバート・ボイル、近代化学の基礎を築いた一人で、適切な実験により化学と錬金術を分離した。
65)ロバート・ボイル(1627年−1691年)は錬金術用の近代科学的方法を見直し、錬金術と化学の距離を広げたとみられている。ロバート・ボイルは原子論者だったが、原子の呼称として"atom"よりも"corpuscle"という語を好んだ。
66)物質がその特性を維持しうる最小部分は原子(corpuscles)のレベルであると彼は述べている。
67)ボイルはボイルの法則で特記される。彼はまた記念碑的出版物『懐疑的化学者』(The Sceptical Chymist)でも特記され、ここで彼は物質の原子説を発展させようとしたものの成功には至らなかった。
68)これらの前進にもかかわらず、『近代化学の父』と賞賛されるのは1789年に質量保存の法則(またはラボアジエの法則)を発見したアントワーヌ・ラヴォアジエである。
69)これにより化学は定量的性質をもち信頼にできる予測が立てられるようになった。

70)アントワーヌ・ラヴォアジエ
71)化学研究の文献で古代バビロニア、エジプト、その他イスラム化後のアラブ人やペルシア人の成果を引用できるにもかかわらず、近代化学が花を咲かせたのは質量保存の法則の発見と燃焼におけるフロギストン説(1783年)に対する
   反論により『近代化学の父』とみなされたアントワーヌ・ラヴォアジエ以来である。(フロギストンは燃焼時に可燃物から放出される不可量物であると想定された。)
72)ミハイル・ロモノーソフは18世紀ロシアで化学の伝統を独自に確立した。ロモノーソフもフロギストン説に異を唱え、ガスの分子運動論で先駆けとなった。
73)彼は熱を運動の形態とみなし、物質保存の考え方を提唱した。

74)生気論をめぐる論争と有機化学
75)燃焼の性質(酸素を参照)が明らかになったのち、生気論および有機物と無機物の識別という別の論争は、フリードリヒ・ヴェーラーが偶然無機物から尿素を合成した1828年から革命的に展開した。
76)これ以前に無機物から有機物が合成された事例はなかった。
77)この発見は異性論にも大きく貢献した。これで化学の新しい研究領域が開かれ、19世紀末までに科学者は数多くの有機化合物を合成できるようになった。
78)そのうちきわめて重要なものは、モーブ、マゼンタ、およびその他合成染料、そして広く使われている医薬のアスピリンである。

79)ラヴォアジエ後の原子論をめぐる論争
80)19世紀を通じて化学の世界は、ジョン・ドルトンが提唱する原子説の支持者と、これに反対するヴィルヘルム・オストヴァルトやエルンスト・マッハ らに二分されていた。
81)原子説派ではアメデオ・アヴォガドロやルートヴィッヒ・ボルツマンがガスの振舞をうまく説明したものの、この論争の決着は20世紀はじめにブラウン運動を原子論的に説明したアインシュタインの説をジャン・ペランが実験で検証するのを
   待たねばならなかった。
82)論争が決着するまで長い時間を要したが、この間すでに多くのものが原子論の概念を化学に応用していた。
83)20世紀になるまで十分発達していなかった原子の構造に関する予測となるスヴァンテ・アレニウスのイオン説などはこの好例である。
84)マイケル・ファラデーもこの分野の先駆者で、彼の化学における貢献は電気化学の分野だったが、そのなかで金属の電気分解または電着(electrodeposition)の過程における電気量は元素の量および、特定の比をもつ元素同士の固定量と
   密接に関係していることを明らかにした。
85)これらの発見はドルトンによる倍数比例の法則の発見同様、物質の原子論的性質に関する最初の手がかりとなった。

86)周期律表:→詳細は「周期律」を参照
87)長い時間をかけて、存在が判明した化学元素の数は着実に増加してきた。
88)この長大な一覧表(またその結果、以下に述べる原子の内部構造の理解も)を地に着いたものにする一大突破口となったのは、ドミトリ・メンデレーエフとロータル・マイヤーが作成した周期表だった。
89)さらにメンデレーエフはこれを用いてゲルマニウム、ガリウム、スカンジウムの存在と性質を予測した。この3元素を当時メンデレーエフはそれぞれエカシリコン、エカアルミニウム、エカボロンと命名した。
90)メンデレーエフはこれを1870年に予言したが、1875年にガリウムが発見され、しかもメンデレーエフの予想に近い性質を有していた。
§科学の現代的定義以降は省略します。次は「化学」ページです。

1)化学(かがく、英語:chemistryケミストリー、羅語:chemiaケーミア)とは、さまざまな物質の構造・性質および物質相互の反応を研究する、自然科学の一部門。
2)物質が、何から、どのような構造で出来ているか、どんな特徴や性質を持っているか、そして相互作用や反応によってどのように、何に変化するか、を研究するとも言い換えられる。
3)化学は、様々な物質の構造、性質、相互反応を研究する学問領域であり、自然科学の一部門である。
4)化学は、物質を製造・加工そして利用するために役立つ、根本的な情報をもたらす。
5)日本語では同音異義語の「科学」(英:science)との混同をさけるため、化学を湯桶読みして「ばけがく」とよぶこともある。
6)日本語の「化学」の初出とされるのは、幕末の蘭学者である川本幸民が、ドイツの学術書を訳した「化学読本(18744年出版)」である。それ以前はオランダ語の音を取った「舎密」が使われていた。
7)他の訳語としては、「分析術」「分離術」「製煉術」「離合之学」などがあった。
ここで§歴史に飛びます。

8)歴史:→詳細は「化学の歴史」を参照
9)炎は有機物の酸化反応によって放出される熱エネルギーの現れであるので、化学の歴史は人類が火を扱いはじめたときから始まっているとも考えられる。
10)金や銀以外の金属は、自然界において酸化物ないしは硫化物として産出されるので、古代人は還元反応を知らないまま青銅器・鉄器などを製造する金属精錬をしていた。
11)化学は古代エジプトに起源があると言われる。エジプト語で黒を意味する「ch〇(e+')mi」がヨーロッパに伝わった化学を表す用語となり、化学は「黒の技術」とも呼ばれた。
黒魔術はこの辺りから出たのでしょうか?
12)古代ギリシアにおける学問の発展は、タレスの元素論に始まりアリストテレスらにより大成された。
13)これらの系統とは別に、中国、アラビア、ペルシア等でも独自に化学技術が勃興した。
14)このうち、イスラム科学では錬金術へと発展し、中世ヨーロッパにおいて天文学、数学、医学と同様にラテン語に翻訳された。
15)金を他の物質から作ろうとする錬金術が盛んになり、様々なものを混ぜたり加熱したりすることが試みられた。
16)結局、錬金術は不可能な前提の上で行われた徒労に終わったが、その副生物として各種薬品が生み出された。これらが化学のいしずえとされる。
17)ただし、錬金術は秘密主義や拝金主義、そして定量的な技術を持たなかった点から、逆に化学発展の阻害になったという主張もある。
カットアンドエラーは大切な、物事の究明プロセスです。失敗を恐れていては、何も為す事は出来ないでしょう。
18)17世紀以降、化学は近代的な方法論に則った発展を始め、18世紀末頃から実験を通じて化学反応を定量的研究で解釈するようになり、19世紀に入ると原子・分子の組み換えが化学反応の本質であることが理解されるようになった。
19)しかし、化学反応の中心原理が何であるかは、物理学が原子の成立ちを解明するまで待つ必要があった。
物理学はCivでは中世のテクノロジーですが、物理学が活躍し出すのは少なくとも天文学、化学/ルネッサンス時代の後でしょう。(笑)
20)すなわち19世紀後半に展開した原子核と電子に関する物理学がもたらしたアーネスト・ラザフォードの原子核モデルが、化学反応が原子と電子の相互作用に基づくことを解明した。
21)また20世紀に入ると、化学結合の性質が量子力学で支配される電子の挙動(分子軌道やエネルギー準位)に起因することが理解され、これが今日の化学の中心原理となる理論体系が構築された。
22)とはいうものの、今日において物理学の根本が量子論・相対論の時代であってもニュートン力学の価値がいささかも失われていないように、近代に確立した化学当量、オクテット則や酸化数あるいは有機電子論などの古典化学理論は、
   今日的な意味を失うものではない。
23)他また、有機化学と高分子化学も20世紀に発展を遂げ、一方では生物学との境界において多大な進歩をもたらし、生物学を全く新しいものとした。
24)もう一方ではそれまで存在しなかった様々な物質が合成され、工業社会の大きな発展の元になり、同時に公害問題などにも深く関わるようになった。

25)概説
26)化学は、自然科学の一部門であり、さまざまな物質の構造・性質および物質相互の反応を研究する部門である。
27)(少し異なった角度からの表現を紹介すると、)化学とは、物質についての学問(「物質の学問」)であり、(自然科学は自然に階層構造を見出すが)化学は自然の階層 の中で言えば、原子や分子という階層を受け持っている、
   と筑波大学の齋藤一弥は説明した。
28)日本の諸大学の化学科のHPなどでの解説も紹介すると、たとえば富山大学のHPでは、「化学とは、物質の性質を原子や分子のレベルで解明し、化学反応を用いて新しい物質(系)を作り出すことを設計、追求する学問分野である」、と説明されている。
29)筑波大のサイトによると、化学という学問を定義づけすることは難しく、それを無理に規定する意義もあまりない。
30)化学は「理学」に含まれるが、数学・物理学あるいは生物学などの、自然科学の中で基礎科学または純粋科学にあたる他の「理学」と化学の相違点は、化学は有限な元素が組み合わさった無数の物質がもつ多様性を取扱い、
31)さらに化学そのものが新たに物質を創造する役割を担う、という点である。
32)化学という学問領域が取り扱う物質は、特に化学物質が中心となる。化学物質は原子・分子・イオンなどが複雑に絡み合いながら作られるため膨大な種類にわたり、その全てを含む壮大な物質世界・生命世界が対象となる。
33)それゆえ化学は、基盤科学と定義づけられる。
34)物質を分子やその集合体の大きさ単位で扱う化学は基礎的であるがゆえに、関連する学問は、理学や工学から医学・薬学、農業・環境分野など多岐にわたる上、特に近年に生物工学(バイオテクノロジー)や電子工学(エレクトロニクス)、
   新素材や高機能材料など現代科学の最先端技術に新物質や設計・製造の新手段を発明する上で欠かせないものとなっている。

35)原則的に近年の化学では、全ての物質が原子からできているとの仮説(あるいはフレームワーク)を採用し、物質の性質は原子自体の状態や、原子同士の結びつきかた(化学結合)で決定されると考える。
36)したがって、繰り返しになるが、基本的に現代の化学は、原子・分子レベルでの物質の構造や性質を解明して、また新しい物質や反応を構築して、「物質とはなにか」に関する知見を積み上げる学問である。
37)化学は典型的な蓄積型の学問である。取り扱う物質の種類は増える一方で、1980年代には600万種を越え、しかも年平均1000種が追加されていた。
38)これらは基本的に減ることは無いため、それに関する情報は増加の一途をたどる。数世紀前の実験で得られた基礎的なデータですら(間違いでない限り)重要性を失わない。
39)同様に古典的な方法論も最新の量子論的手法と同じくらい高い価値を持つ。
しかし物質や製造法にも、はやりすたりは有るのでしょう。何やら芸論、芸術論の様です。芸は人なり。(笑)

40)しかしながら、学問としての化学の成立は遅い。数学、物理学、天文学などが2000年前の古代ギリシアで構築され始めたのに対し、科学の一分野として扱うことができる近代的化学のほうは、18世紀末にフランスのアントワーヌ・ラヴォアジエ
  (1743年−1794年)の質量保存の法則(1774年発見)やジョン・ドルトン(1766年−1844年)の原子説が正しい方向付けをした事に始まってから、まだ200年程度しか経過していない(#歴史、化学の歴史も参照)。
41)これは近代物理学の最初の到達点であるニュートン力学が『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)に書かれた年(1687年)と比べ、化学の興隆が100年程度時代が下ることを意味する。
化学の専門家程、化学に対しては厳しい評価をするのでしょう。席亭などは「料理によるデンプンの分解」の時点で、既に化学だと思っていますから。(笑)

42)その短い歴史の中で、化学は大きな末広がりの構造を持つに至った。化学の基礎的な部分はほとんど固められ、根底から転換がなされる余地はほとんど無い。
化学は物質を造りますから、大切なベース、基盤です。製造法や収率などにもスポットライトが当てられ、その意味では科学よりも工学的です。化学や物理などでは、研究者のタイプも異なっています。
43)ところが、物質に対する理解が進み、応用が広がる中で化学が担う役割はほとんど全ての生産・製造に深く関わるようになった。
44)さらに、弱い相互作用を重視した新しい物質像の構築や、自然との調和を実現するための環境化学など、近年になって化学はさらに広がりを見せつつある。

45)化学で扱う基本的なこと
46)原子の種類と構造:→詳細は「原子」を参照
47)化学では、物質の基本単位を原子として、その原子が持つさまざまな性質を抽象的概念である「元素」として把握する。
48)原子論が確立した現代では、その特徴を理論的に掴む上で、原子核(陽子・中性子)および電子までの原子の構造から原子番号、質量数、電気素量、イオン、同位体などを決定し取扱い、各元素が持つ性質を理解する。
つまり物質の性質を、元素とその原子結合に帰因させる訳です。同じ元素は同じ性質を有しています。
49)原子が持つ周期的性質(周期律)は初期の化学が発見した一大成果である。
50)この物理的性質の近似を生む要因である電子配置から、各元素のイオン化エネルギー、電気陰性度、酸化数、原子半径やイオン半径などの特徴が理論づけられる。
51)この周期律を簡略な表にまとめた周期表は化学のバイブルとまで呼ばれる。
52)元素の性質を記述することは、化学の中でも量子力学と統計力学が取り扱う。周期律は、量子力学の成立をもって初めてその本質が明瞭になった。
53)原子内の電子配置はボーアの原子模型では限界があるので、波動力学のパウリの排他原理や波動関数、そして電子のエネルギー準位で説明される。
54)統計力学は、物質の状態(三態)や性質などを巨視的に理解する上で必須の方法論を提供し、実験の結果をもたらす上で大きな役割を持つ。
物質の三態の発見は、古代ギリシアの様です。

55)化学結合:→詳細は「化学結合」を参照
56)物質は原子から構成されるが、その原子が結びついて分子をつくる。この結び付きを化学結合と呼び、これを理解することで化学は発展してきた。
57)19世紀以前、原子間の結びつきは化学反応を説明するために考えられた。基礎的な概念に当たる化学親和力や、続く電気化学的二元論や原子価が提唱されたが、それでも一部の結合しない原子の組み合わせを説明できなかった。
58)20世紀に入りドイツのヴァルター・コッセル(en)がイオン結合を理論化し、それでも解釈不能な水素分子など無極性分子の説明にアメリカのギルバート・ルイスとアーヴィング・ラングミュアがそれぞれ独立に共有結合の概念を提案した。
59)量子力学は分子構造論も深化させ、二原子分子の安定を説明した交換相互作用、分子軌道や原子軌道を明らかにした波動関数、金属結合の実際を自由電子モデルから進めたバンド理論などをもたらした。
理論化は20世紀に入ってからですから、学問の歴史としてはかなり新しい訳です。

60)分子の構造:→詳細は「分子」を参照
61)分子は、その物質が持つ特性を維持したまま分割できる最小の単位と言える。
62)静電気力で結合するイオン結合には方向性が無いが、共有結合は異方性がある。簡単な共有結合分子は原子価殻電子対反発則で説明され、これに電子軌道の考え方を加えれば、分子やイオンの構造についての理論的根拠になる。
63)その一方で、同じ種類と数の元素が組み合わさった分子でも、その構造で物性に差があることが判明している。
64)不斉炭素原子と共有結合する4つの原子団が結合する位置の違いから生じる光学異性体や立体異性体や、また炭素などの二重結合部分が回転しないために生じる幾何異性体などは、同一の構造式でありながら異なる性質を持つ分子となる。
つまりは、分子の構造は三次元的な訳です。
65)ベンゼン環に結合する置換基の位置(オルトなど)による構造異性体も一例に当たる。
66)エタン類など回転が可能な分子においても、立体障害などによる特性の差異は生じる。
67)さらに近年では知恵の輪のようなカテナンやサッカーボールもどきのフラーレンなど、風変わりな構造を持つ分子も発見されている。

68)物質の状態:→詳細は「物質の状態」を参照
69)原子や分子がある程度の量あつまると、特徴的な性質をもった集団を形成する。これを相といい、大きく分けて固体、液体、気体(物質の三態)などがある。
70)閉鎖系において物質がこれらの相を取るには温度と圧力が影響し、ギブズ相律という法則に則った状態を取る。これは物質ごとに相図というダイアグラムで示される。
71)気体は反応に乏しく、体積や圧力など物理的性質や変化などを中心に扱う。しかしそれらのマクロ的なふるまいは、気体では分子が単独で存在する、というミクロな分子の構造や性質に由来する。
72)なお、気体が電離した状態であるプラズマについても、プラズマ化学という分野で取り扱う。
73)液体は分子間力の点から気体と固体の中間にある。加熱や冷却によって気化・蒸発や凝固など相の変換を起こす。
74)これは化学における重要な物質生成手段である蒸留にかかわる。
75)また、2つ以上の成分でできた液体、溶液に関して化学では、溶媒と溶質による分散系の性質、浸透圧や粘度また表面張力・界面張力なども扱う。
76)固体は基本的に原子が規則的に配列する結晶と、規則性に乏しく固体と液体の中間とも言えるアモルファス(非晶質)に分けられる。
77)結晶質は複数の結晶構造いずれかを取り、その性質を特徴づける。
78)また、粒子の種類や力から分類される結晶には、金属結晶・イオン結晶・分子結晶・共有結合結晶などがある。
79)結晶構造を持ちながら液相的性質を持つ物質は液晶と呼ばれ、一部にベンゼン環のような平面の構造を持つ共通点がある。

80)化学反応:→詳細は「化学反応」を参照
81)複数の物質に混合・必要があれば加熱・冷却などの操作を加えると、異なる化合物ができる。これを化学反応と呼ぶ。
82)化学反応は物質を構成する原子間の化学結合の変化によって起きる。化学反応の前後では全体の質量は変わらない。これを質量保存の法則(あるいは物質不変の法則)という。
83)化学反応は、自然界において基本的には、ある種の自由エネルギーを最小化するほうへ向かって、エネルギーが低い位置へ向かう発熱反応と、より乱雑になろうとするエントロピーの増大という相反する反応を起こしながら、平衡に達する。
84)化学では、これら反応の法則性や利用法の解明が課題となる。
85)水溶液の性質を知る手段として体系づけが始まった酸と塩基(塩が加水分解したもの)の関係は、化学では重要な項目となる。
86)主に水に溶ける物質の性質分類が行われ、水溶液以外の状態も考慮して、
   ・酸とは水素イオンを生じ/与える/電子対を受け取る物質
   ・塩基(アルカリ性)とは水酸化物イオンを生じる/水素イオンを受け取る/電子対を与える物質
   と定義される。
87)この2つは重要な化合物の組である。
88)互いに相反し中和を起こさせながら化学平衡し、水素イオン指数など溶液の性質を決める。

89)燃焼や金属製錬および腐食などの本質は酸化と還元で説明される。
90)酸と塩基が反応の窓口となる電子対が原子と一体になっているのに対し、酸化と還元は電子が単独で動き反応を起こす。そのため、酸化還元は電圧と密接に関係し、電流を生じさせる機構の基本的な原理に当たる。
91)還元の代表的な用途は卑金属の精製であり、酸化は生化学において重要なクエン酸回路に見られる。
92)化学合成は、単純な物質から化学反応を用いて複雑な、または特定の機能を持つ物質を生成することを指す。
93)分子量の小さな物質をつなぎ合わせて高分子を作る化学合成の代表例には重合反応がある。これは化学工業の主要なプロセスである。
94)機能を持たせる化学合成の例は医薬品製造やナノテクノロジーなどである。
95)このような製造に関わる化学合成では、適切な製品を効率良く作り出すことが求められ、化学の分野としては触媒や不斉合成などが研究される。
以下は省略します。席亭としては、各年代における主要な化学反応を例示して欲しかったです。デンプン→糖(加水分解)、金属の精錬(〜酸化還元反応)など。
各年代に於ける化学物質や化学反応に関しては、必要に応じて追記されるでしょう。

←戻る