算盤と計算機

Civではこの「算盤」技術は有りません。また他の計算機技術も、原子力時代の「コンピュータ」まで登場しません。
この「算盤」は手を使いますから、11)手足とその力学的な出力ですね。ですが、暗算は0)脳と思考、心にも関係しています。(苦笑)
まずは、「そろばん」ページから。

1)そろばん(漢字表記:算盤、十露盤など)とは、計算補助用具の一種であり、串で刺した珠を移動させ、その位置で数を表現し、計算の助けとするもの。
2)日本では珠を用いた計算補助用具(西洋式にはアバカスと呼ぶもの)全般を指す場合にも、「そろばん(ソロバン)」の語が使われることがあるが、本項では東アジア式のそろばんと日本式のそろばん
  (英語でsorobanまたはJapanese abacus)の双方を解説し、特に日本式のそろばんについて詳説する。

3)概説:
4)そろばんとは、物体に状態で数を記憶させるため、串で刺した珠などの位置で数を表現し、計算の助けとする道具である。
5)ひとつ串(ひと筋の串)が数の「ひと桁」に対応しており、珠を指で上下に移動させることで各数字の表現や変更を行う。主として、加・減・乗・除などの計算が行える。
6)算術における計算には、使用する方便物により、何も使用しない暗算、紙や筆記具を使用する筆算、そろばんを使用する珠算(しゅざん)がある。
7)計算法は器械的・客観的であるほど迅速かつ正確に計算することができる。
8)珠算は整数や小数を扱う場合には比較的桁数が多くても敏速かつ正確に計算できる長所がある。また、四則計算の主要部分などは簡易な加減法九九の適用によって計算することができる。
9)日本の伝統文化・和算の名残としての面もあり、電卓やコンピュータが登場した現在でも、計算器具としての主流からは外れつつも、後述の通り教育分野などでの再評価もあって使われ続けている。
席亭もこのそろばんにはお世話に成りました。下町の小僧であった席亭は幼児教育でこの技能を習得したのですが、そのお陰で計算力が高くなり、受験にも重宝しました。勿論、使用したのは専ら暗算です。(笑)

10)歴史
11)起源:
12)起源については諸説あるが、アステカ起源説、アラブ起源説、バビロニア起源説、中国起源説などがある。
13)メソポタミアなどでは砂の絵に線を引き、そこに石を置いて計算を行っていた「砂そろばん」の痕跡がある。
14)同様のものはギリシャなどにも残るが、ギリシャ時代には砂だけでなくテーブルの上などにも置いていた。
15)このテーブルを「アバクス(abacus)」という。ローマ時代に持ち運びができるように小さな板に溝を作りその溝に珠を置く溝そろばんが発明された。
16)この溝そろばんが中東を経て中国に伝わり現在の原型となったともいわれている。
17)現存する最古のそろばんは1846年にギリシアのサラミス島で発見された「サラミスのそろばん」と呼ばれるもので、紀元前300年頃のものである。

18)中国での発展:
19)中国では紀元前の頃から紐の結び目を使った計算方式や、算木を使用した籌算(ちゅうざん)と呼ばれる独自の計算方式があった。
20)これらは紐や竹の棒や木の棒で計算していたものであり、桁を次々に増やせる利点はあるが珠の形ではない。
21)珠の形になったのは2世紀ごろのことと考えられ、『数術記遺』という2世紀ごろの書籍に「珠算」の言葉がある。
22)なお三国志の武将、関羽がそろばんの生みの親とする伝説があるが三国時代より前から中国と中東・ローマには交易の痕跡があるため関羽が発明したというのは伝説以上のものではない。
23)ただし中国ではよく知られている伝説であり、関帝廟の壁や柱には絵や彫り物のそろばんが描かれている。

24)1000年ごろにはアステカにもそろばん状のものが存在していた。珠にとうもろこしの芯が使われ、紐に通していたと考えられている。
以下は省略します。

25)関連項目:算盤博物館、暗算、和算、毛利重能、前田利家、計算機、電卓、計算尺、アナログ、デジタル、乳井貢、菱形、アーガイル柄(そろばん柄)、トニー谷、
   太鼓の達人(このゲームの収録曲「十露盤2000」という曲は、名前通りそろばんがモチーフとなっている)、全商珠算・電卓実務検定
計算尺も立派な計算機ですので、これも調べる事にしましょう。(笑)次は「アバカス」ページです。

1)アバカス(英:abacus)は、棒または溝に沿ってカウンター(となる玉)をスライドさせて計算を実行するための器具。計算をする目的で使うシンプルな道具であり、玉(ビーズ)が滑るワイヤーあるいは溝が並んだ枠組みで構成されているもの。
2)概要:
3)現在知られている最古のアバカスは、紀元前2700年−バビロニアのシュメールで発明されたものである。→#メソポタミア
4)古来、計算のための道具として使われてきたものであり、砂または木・石・金属などでできた板に溝を彫り、その溝の上で豆や小石を動かして計算を行った。
5)アラビア数字を使った位取り記数法が広く採用されるようになると、アバカスによる計算法と筆記具を使う計算法が優位性を競い合うようになった。
6)西洋では近年ではアバカスを使う計算法は廃れてしまったが、今でもアジアやアフリカなどを中心として商人や事務員がアバカスを使っている。
西洋人も、計三基をアジア、アフリカに広めてくれました。
7)現代のアバカスの多くは、枠に金属の細い棒を多数張り、穴をあけた玉(たま)を金属棒に通して滑るようにして、数を表現し、計算の道具として使うものである。
ですが、そろばんの方が効率は良さそうです。(笑)
8)アバカスを使いこなす人を英語では"abacist"という。

9)語源:
10)abacusという語の使用は1387年にまで遡り、砂を使ったアバカスを表す語としてラテン語の単語を借りて中英語の文章で使った例がある。
11)そのラテン語の単語はギリシア語の〇(abax、砂や塵を撒き散らして幾何学図形を描いたり計算したりするのに使われた板)に由来し、特にその属格〇(abakos)からラテン語に伝わったと見られる。
12)ギリシア語の〇自体も北西セム語、おそらくはフェニキア語からの借用とみられ、ヘブライ語の「塵」を意味する〇(〇)に似た単語に由来する。
13)abacusの複数形については異論があり、abacusesとabaciという2つの形が使われている。

14)メソポタミア:
15)現在知られている最古のアバカスは、バビロニアのシュメールで紀元前2700年から紀元前2300年ころに発明されたものである。
16)これは六十進法の各桁に対応したカラムが並ぶ表である。
17)バビロニアの楔形文字の文字形状は、アバカスでの表現から生まれたのではないかとする学者もいる。
18)Carruccio に代表される古代バビロニア研究者は、古代バビロニア人は「加法と減法にアバカスを用いたが、この原始的器具ではそれより複雑な計算は困難だった」と見ている。
そろばんでは、乗法や除法も演算しますよね?

19)古代エジプト:
20)古代エジプトでのアバカスについては、古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前484年頃−紀元前425年頃)が言及しており、「エジプト人は小石を右から左へ動かしており、ギリシア人の左から右へという作法とは逆だ」と述べている。
21)考古学者は様々な大きさの古代の円盤を発見しており、計数に使われたと見ている。しかし、そのような器具が描かれた壁画は発見されていない。

22)ペルシャ:
23)紀元前6世紀、アケメネス朝のころ、ペルシャでもアバカスが使われ始めた。
24)パルティアやサーサーン朝では、学者らがインド、中国、ローマ帝国など周辺の国々と知識や発明品を交換しあった。

25)古代ギリシア:
26)古代ギリシアでのアバカスについての最古の考古学的証拠は紀元前5世紀のものがある。
27)ギリシアのアバカスは木または大理石でできたテーブルであり、木または金属製の小さな計数用の珠が備え付けられており、計算に使われた。
28)このギリシアのアバカスがアケメネス朝、エトルリア文明、古代ローマなどでも使われ、ヨーロッパではフランス革命のころまで使われ続けた。
フランス革命ですから、計算機の進化は遅々としたものでした。
29)ギリシアのサラミス島で1846年、紀元前300年ごろのアバカス(タブレット)が発見された。タブレット状のものとしては、今のところ最古のものとされている。
30)白い大理石製で長さ149cm、幅75cm、厚さ4.5cmで、表面に5グループの印がある。
31)中央には5本の平行線が描かれ、その中央を1本の垂直な線が貫いており、その垂直線と一番下の水平線の交点に半円が描かれている。
32)それらの線の下に水平のクラックで分割された広いスペースがある。
33)さらにクラックの下には11本の水平線が描かれ、こちらも中央を垂直線が貫いている。ただし、半円は一番上の水平線と垂直線の交点にある。
34)3本目、6本目、9本目の水平線と垂直線の交点には×印が描かれている。
まあ、文章よりも写真の方が、理解は早いでしょう。(苦笑)

35)古代ローマ:
36)古代ローマでの一般的な計算方法はギリシアと同じで、滑らかなテーブル上で計数用の珠を動かして計算した。
37)もともとは小石を使っていた(これをcalculusと呼んだ)が、後にジェトン(英語版)という硬貨のようなものができ、中世ヨーロッパでも使われた。
38)ローマ数字の体系に沿って、5や10などを印のついた線で表す。
39)このような計数用の珠を並べるシステムがローマ帝国後期から中世ヨーロッパにかけて使われ続け、19世紀まで細々と存続した。
40)ローマ教皇シルウェステル2世がアバカスをより便利にする改良を加えたため、11世紀にヨーロッパで広く使われることになった。
アバカスは計数に使われ、席亭は確かビリヤード場などで見ました。
41)紀元前1世紀、ホラティウスは板の表面を黒い蝋で薄く覆ったアバカスについて記している。尖筆で蝋に線を引いたり、図を描いたりして使う。
42)ローマのアバカスについての考古学的証拠として、紀元1世紀のものと見られるアバカスを復元したものがある(右写真)。
43)8本の長い溝には最大5個の珠を置くことができ、その上の8本の短い溝には1個の珠を置くことができる。
44)溝には"I"(1)や"X"(10)といったマークがあり、最上位の溝は百万である。短い溝に置かれた珠は5を意味し、マークとあわせて"I"が5個とか、"X"が5個といった数を示す。
45)いわゆる二五進法であり、明らかにローマ数字の体系と関係している。

46)中央アジア、南アジア
47)インド:
48)インドでは、「倶舎論」など1世紀の文献にアバカスに関する知識や使用が記されている。
49)5世紀ごろには、アバカスの計算結果を記録する新たな方法が発見されている。すなわち、アバカスの空の桁をshunya(シュンニャ、ゼロ。shunyaは仏教哲学用語として扱う場合は「空(くう)」と訳される)という語を使って書き記していた。

50)東アジア:→詳細は「そろばん」を参照
51)中国:
52)中国のアバカス(算盤)に関する最古の文書としては、紀元前2世紀のものが知られている。
53)中国のアバカスは算盤(〇)と呼ばれ、20cmほどの高さがあり、幅は様々なものがある。
54)軸は7本以上あるのが一般的である。各軸には、梁をはさんで上側に2つ、下側に5つの珠が通されていて、珠は堅木製で丸い形状のものが多い。
55)珠を軸に沿って上か下に動かすことで計算する。梁側に置かれた珠は数え、上下の枠側に置かれた珠は数えない。
56)梁を上下から指で挟んで、その手を水平に動かすことで全ての珠が上下枠から離れることになり、値がリセットされる。
ご破算で、願いましては・・・、は懐かしいです。(笑)
57)「上が2つ、下が5つ」つまり「「5を表す玉(五玉、ごだま)」が2つあり「1を表す玉(一玉、いちだま)」が5つある算盤は、あくまで十進用の計算道具である。
58)なぜ「5を表す玉(五玉)」が2つあり、「1を表す玉(一玉)」が5つあるかというと、計算作業の途中で、「繰り上がり」の作業を行う前の数を、その桁に「仮に置いておく」ことができるからである。
昔のソロバンは確かに2+5玉でしたが、現在のソロバンは1+4玉です。席亭も古い算盤は見た事があります。
59)宋の張択端が描いた「清明上河図」には、店頭で帳面や処方箋の脇に算盤が置かれているのが見える。
60)算盤は単に数を数えるだけでなく、加法、減法、乗法、除法、平方根、立方根などを素早く計算する技法が発達している。そのような技法を教える学校が今も存在する。

61)中国の算盤はローマのアバカスとよく似ており、ローマ帝国と中国はシルクロードを通じて交易していたことから、どちらかがどちらかに影響を与えたと見られている。
62)しかし明らかな証拠は見つかっておらず、手の指が5本であることが基本となっているので、偶然似たようなアバカスが両方で生まれたとする考え方もある。
63)ローマのアバカスは「五を表す玉」を2つと、「一を表す珠」を4つ使うもので、現代の日本のそろばんに近い。
64)また、構造的にローマ式の溝に珠を置くだけの方式よりも軸に珠を通す東洋式の方が計算が速いとみられる。
昔は西洋よりも東洋の方が(人口が多い分だけ)、経済が発達していた(商業活動が活発)可能性が有ります。
65)算盤のもう1つの起源と考えられるのが、中国の算木で、十進法で数を表すが桁のプレースホルダーとしての0の概念がなかった。
66)中国にゼロの概念が伝えられたのは唐の時代と見られている。
67)そのころ中国の商人がインド洋を航海してインドや中東と直接接触し、ゼロの概念や小数点の概念をインド人商人や数学者から教えられ、中国に伝えたと見られている。
確かに1+4玉を使おうとしたら、ゼロの概念や補数の考え方は必要不可欠でしょう。以下は省略します。

68)アメリカ原住民:
69)古代マヤ文明でnepohualtzintzinと呼ばれるアバカスが使われていたとする文献もある。
70)メソアメリカのアバカスは二十進法5桁の体系を使っていた。
71)nepohualtzintzinという語はナワトル語から来ており、"Ne"(個人)、"pohual"または"pohualli"(勘定)、"tzintzin"(小さな同じような要素)という語の組合せである。
72)したがって本来の意味は「何者かが小さな似たような要素群を数えること」である。
73)カルメカク(Kalmekak)という学校で幼少期から天に捧げられた生徒である"temalpouhkeh"に教えられていた。
74)しかし、nepohualtzintzinによる計算の素早さや正確さを目にした征服者がそれを悪魔的だと判断し、征服時の破壊によってその伝統を完全に失わせてしまった。
75)その計算器具は二十進法に基づいていた。アステカでは二十進法が普通に使われていた。
76)nepohualtzintzinはバーまたは中間の紐で2つの部分に分けられており、左側には1から4を表す4つの珠があり、右側にはそれぞれが5に相当する3つの珠がある。
77)これで、各桁が1から19までの数を表し、1つ上の桁は読み取った値を20倍したものに相当する。

78)全体で13桁で1桁を7珠で表すので、全部で91個の珠がある。7と13、それらを掛け合わせた91という数は、様々な自然現象や天の運行を表す数字とされていた。
79)例えば、91は季節(1年の4分の1)の日数、91の2倍の182はトウモロコシの栽培にかかる日数、91の3倍の273は妊娠期間、91の4倍の364は約1年(11/4日だけ短い)とされていた。
80)nepohualtzintzinの計算できる範囲は天文学的数値から極小の量まで広範囲であり、現代のコンピュータに換算すれば10桁から18桁の浮動小数点数に匹敵した。

81)nepohualtzintzinを再発見したのはメキシコの技術者 David Esparza Hidalgo で、メキシコ中を旅してその器具を描いた版画や絵画を発見し、金や翡翠や貝殻などを使っていくつか再現している。
82)オルメカ時代のものとされている古いnepohualtzintzinも発見されている。
83)ユカタン半島では暦の計算に使われた五進法と四進法のアバカスも発見されている。
84)これは本来両手の指を使っていたアバカスであり、一方の手の指が順に 0, 1, 2, 3, 4 に対応し、もう一方の指が 0, 1, 2, 3 に対応する。ゼロが使われていたことに注意。

85)インカ帝国のキープは、紐に結び目を作ることで数値データを記録するものだが、計算はできない。
86)計算器具としては yupana(ケチュア語で「計算器具」を意味する)があり、征服後も使われていた。
87)その使用法は不明だったが、2001年にイタリアの数学者 Nicolino De Pasquale がその数学的基礎を説明する説を提唱した。
88)いくつかの yupana を比較することで、その計算の基盤にフィボナッチ数列 1, 1, 2, 3, 5 が使われており、器具のそれぞれのフィールドに置かれた値に10、20、40のべき乗を適用することが判明した。
89)フィボナッチ数列を使うことで各フィールドに置くべき粒の数が最小化されるという。
フィボナッチ数列は有名です。前の2項から次の項を作ります。Fn=Fn−1+Fnー2。以下は省略します。

次は「計算尺」ページですが、
1)歴史:
2)1614年−スコットランドのジョン・ネイピアが対数を発見。
3)1617年−イギリスのヘンリー・ブリッグスが常用対数表を作成。
4)1620年−イギリスのエドマンド・ガンターが対数尺を発明。
5)1632年−ウィリアム・オートレッドが計算尺を発明。
と歴史が浅いので、以下は省略します。古代中国の歴史と発明に戻ります。

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