時計

Civには、この「時計」技術は有りません。日時計はかなり歴史が古いので、きっと無視されたのでしょう。(笑)この時計は時間を測りますから、1)時間に関する技術です。
Wikiで「時計」を調べると、「時計」ページがヒットします。勿論、「日時計」ページを最初に調べても良いのですが、ツムジ曲がりな席亭は、「体内時計」ページを調べる事にします。
Wikiで「体内時計」を調べると、「生物時計」や「概日リズム」ページがヒットします。まずは前者から。

1)生物時計(せいぶつどけい、英:biological clock)とは、生物が生まれつきそなえていると考えられる時間測定機構。体内時計(たいないどけい)、生理時計(せいりどけい、英:physiological clock)とも言う。
2)生物の睡眠や行動の周期に影響を与える。
3)哺乳類では脳の視交叉上核によるとみなされている。
4)生物時計の代表的な例として、約25時間周期で変動する生理現象であり、動物、植物、菌類、藻類などほとんどの生物に存在している概日リズムがある。
何故24時間ではなく25時間なのでしょうか? 昔の方が1日が長かったのでしょうか?

5)概説:
6)生物時計とは、生物が生まれつきそなえていると思われる、時間を測定するしくみのことである。
7)生物時計は通常、人の意識に上ることはない。しかし睡眠の周期や行動などに大きな影響を及ぼしており、夜行性・昼行性の動物の行動も生物時計で制御されている。
8)例えば食餌の前に胃酸や分解酵素があらかじめ準備されるが、これらも生命時計によるもので、生命時計は個体の能力を最大限には発揮させるに不可欠なものである。
9)また、昆虫では活動時間に時間差をもたらすことで限られた空間を共有し、同種の異性との出会いの機会を増やすなど動物の生存にとって重要な「時間的住み分け」と「行動の時間配分」を行っている(岡山大学 富岡憲治)。
これは席亭も知りませんでした。
10)鳥が渡りをする時に太陽の位置を見て方角を定めることができること(太陽コンパス)などからも生物時計が確かに存在していることが知られている。
11)他にもミツバチが外界から隔てられ日の光も入らない巣の中で仲間に蜜の方向を仲間にダンスで知らせる方法も、その時刻での太陽の方角を規準にしているので、そこにも時計機構が介在していると想定されるのである。
12)また、植物の花・芽の形成が日長に支配される現象も、時計機構と密接な関係がある。
13)1960年ころから生物時計に対する生物学者の関心が高まってきた。
14)日本でも同様で、1970年代に研究が活発になり生物リズム研究会が生まれ、1990年代に日本時間生物学会へと発展した。

15)概日リズム:
16)生物時計はいくつも知られているが、たとえばサーカディアンリズム(概日リズム)、光周期性(光周性)などがある。
17)周期は短いものから長いものまで様々あり、短い周期のものでは、酸化還元補酵素の還元度の周期変化による秒・分単位のもの、また心臓の拍動、脳波、などがあり、周期の長いものでは、鳥の渡り・魚の回遊・植物の開花などに
   見られるように季節単位(年単位)のものもある。
18)だが周期性のものだけでなく、一定時間の経過だけを示す「タイマー型生物時計」(砂時計型生物時計)と呼ばれるものもあることが知られている。
これは席亭も知りませんでした。
19)特によく知られているのは日周の機構である。動物・植物を自然環境から切り離し、時間帯で変化しない定常光のもとにおいても、動物の排出物質の濃度は日周リズムを示すものが多いことなどから
   動植物には時計機構が内在していることが判っている。
20)ただしその機構がどこにどのような形、しくみで存在しているのかについては詳しくは判っていない。
21)ただし生物の体内の日周リズム機構は正確に24時間周期で動いているわけではない。
22)(多くの場合)少しずつ遅れる方向にズレている。おおよそ25時間周期といわれ、光を浴びることによってリセットされる。
23)そういったわけで「サーカディアンリズム(circadian rhythm)」「概日リズム」と呼んでいるわけである。
24)自然界に生きている生物は、日照の有無による明暗、昼・夜があるので、それを用いて生物時計のずれを補正している。
この方法だと、24時間よりも周期が長くとも、日光の照射によりリセット出来る訳です。
25)生物の生命時計は環境の影響を遮断しても約24時間周期のリズムを継続できる。これはラットの実験で一定条件の温度、明るさのもとで温度や明るさの情報から時間を判断できないよう飼っても
   24時間周期の生活リズムが確認されている。

26)生物時計の場所:
27)生物時計の存在場所は、動物によって異なり、ほ乳類では左右の視神経が交差する部位の少し上の視交叉上核に存在する。
28)視交叉上核を破壊されたラットでは24時間の昼夜のリズムがなくなるが、それ以外の目立った障害は見られなかった。
29)このことから視交叉上核が生命時計として特化して機能する器官と考えられる。
かなり根気の要る実験です。

30)生物時計の仕組み:
31)生物時計の機能は、生物時計を担う器官の一つ一つが保有しており、その内部で生成されるタンパク質が振り子の役割を果たしているが、細胞内の化学反応の一つ一つはせいぜい数分程度で終了する。
32)この振り子の役割を担うタンパク質は時計遺伝子が作りだしており、このタンパク質が増えると自分と同じタンパク質が増えすぎないよう、タンパク質を作る時計遺伝子の働きを抑制する。
33)すなわち、タンパク質が細胞内に増加してくればタンパク質が減少する方向に反応が進み、タンパク質が減少するとタンパク質は増える方向に反応する。
34)これを「負のフィードバック機構」という。この働きにより、生物は細胞内のタンパク質が約24時間周期で増減(振動)することで時計の役割を果たしている。
35)この生命時計のメカニズムはカビからヒトまで真核生物に共通したものである。
真核生物まで、とは驚きです。生物は確かに、(遠い昔)地球上で発生したのでしょう。(笑)

36)関連項目:メラトニン、概日リズム睡眠障害、睡眠相前進症候群、睡眠相後退症候群、非24時間睡眠覚醒症候群、時差ぼけ、光療法、腹時計
次は「概日リズム」ページです。

1)概日リズム(がいじつリズム)、サーカディアン・リズム(英語:circadian rhythm)とは、約24時間周期で変動する生理現象で、動物、植物、菌類、藻類などほとんどの生物に存在している。
2)一般的に体内時計とも言う。厳密な意味では、概日リズムは内在的に形成されるものであるが、光や温度、食事など外界からの刺激によって修正される。
3)動物では24時間の明暗の周期に従っており、完全な暗闇の中に置かれた場合には、24時間に同調しない周期となる。これをフリーランと呼ぶ。
4)こうした非同調した周期は明暗などの刺激によりリセットされる。
5)概日リズムは全身の個々の細胞に存在しているが、哺乳類では脳の視交叉上核が中核となり、全身の体内時計が統合されている。
6)不規則な周期におかれることによる概日リズムの乱れは、不快感のある時差ボケを単純に起こしたり、概日リズム睡眠障害となる場合がある。
7)時間生物学は、日、週、季節、年などの単位で経時的に変化する生物のリズムを研究する学問である。

8)歴史:
9)内在的な概日リズムは、1729年にフランスの科学者ジャン=ジャック・ドルトゥス・ドゥ・メラン(英語版)によって初めて科学論文として報告された。
10)彼は植物のオジギソウの葉が、外界からの刺激がない状態でも約24時間周期のパターンで動き続けることに気づいた(就眠運動)。
11)1962年ドイツのユルゲン・アショフ(英語版)は自ら光を遮断した状態で約1週間を過ごした。ヒトの概日リズムは、睡眠−覚醒・深部体温・尿中ステロイドホルモンなどがいずれも24時間よりも周期が長く、
   25時間に近いことが示された。しかし、その後の研究で様々な実験条件が試され、ヒトそれぞれの概日リズムは異なっているが、平均的には24時間10分であると示された。
12)語源:
13)英語の circadian rhythm は、ラテン語の「約、おおむね」を意味する circa と、「日」を意味する dies から名付けられた。つまり「おおむね1日」の意味である。

14)定義:
15)概日リズムは、次の3つの基準で定義できる。
   1.そのリズムが恒常的な状態(例えば恒暗状態)でも約24時間の周期を持続する。
   2.そのリズムの周期が光パルスや暗パルスによってリセットされる。
   3.そのリズムが温度補償性を持っている、つまり一定範囲内の温度において周期が変わらない。
16)起源:
17)概日リズムは進化上最も古い細胞に起源を持ち、昼間の有害な紫外線下でのDNA複製を回避するために獲得した機能であると考えられている。結果として複製は夜間に行われることとなった。
18)現存するアカパンカビ(Neurospora)は、このような時計制御された複製機構を保持している。
19)現在知られている中で最も単純な概日リズムを持っている生物は、真正細菌のシアノバクテリア(cyanobacteria)である。
20)最近の研究では、シアノバクテリア(Synechococcus elongatus)の概日リズムは、核となるたった3つのタンパク質を試験管の中に入れるだけで再構築できることが実証された。
21)この時計はATPを補給すれば、22時間のリズムを何日間も持続することができる。
22)以前の学説では概日リズムはDNAの転写翻訳フィードバックループ機構に基づいているとされていたが、この真正細菌の研究によって必ずしもそうではないことが示された。
23)しかし、この説は真核生物においては、まだその通りであると考えられている。
24)真正細菌と真核生物の概日リズムは同様の基本構造(入力−中心の振動体−出力)を持っているが、これらを構成するタンパク質に相同性は全くない。
25)このことは、おそらくそれぞれが独立した起源を持っていることを示している。
以下は省略します。

26)概日リズムと健康:
27)2007年、WHOの関連機関である国際がん研究機関は、時差のある国を行き来して発生する時差ぼけを含めて、サーカディアンリズムを乱す交代勤務・深夜業などを「2a:ヒトに対しておそらく発がん性がある」としている。
28)概日リズムの乱れは、前立腺癌、乳癌、肺癌、大腸癌、肝癌、膵癌、卵巣癌などの癌リスクの増加に関連しているという研究結果が発表されている。
お待たせしました。次は「日時計」ページです。

1)日時計(ひどけい、英:sundial)は、太陽の日周運動を利用して、太陽の時角の推移から時刻を定める装置。影を利用して視太陽時を計測する。日〇儀(にっきぎ)、〇針(きしん)ともいう。
2)概説:
3)一般に、太陽の影を利用する。基本的には、針状や棒状のもの(指時針)の影の位置で時刻を読み取る。
4)針や棒の代わりに、三角形の「一辺」を一種の針や棒に見立てて、三角形の影の「境目」、つまり影と影でない部分の境界を読み取るものもある。
5)針や棒の影の先端の一点の位置で時刻を読み取る精密なタイプもある。
6)指時針の方向に着目しておおまかに分類すると、地軸(地球の自転の軸)と平行になっているタイプと、地面に対して垂直に立っているものに分類することもできる。
7)前者が一般的であり、後者はやや例外的であり特に「柱型日時計」などと呼ばれる。
席亭などは、後者の方が一般的であると思っていました。
8)指時針が地軸と平行のもの:
9)指時針が地軸と平行のものは、北半球に設置する場合は、指時針の延長上が天の北極を指すように設置する。南半球に設置する場合は、天の南極を指すように設置する。
10)文字盤は平板なものと凹面状のものがある。平板なものは、水平(地面と平行)のもの「水平式」、垂直のもの「垂直式」、指時針と垂直のもの「コマ型」がある。
   凹面状のものは「赤道式」と呼ばれ、時刻線が均等に引かれるという利点がある。
11)北半球用、南半球用、赤道付近用
12)北半球、イギリス・ロンドンで使われる日時計の時刻の数字のふられる回転方向はいわゆる「時計まわり」 時計の回転方向はこれから分かる様に、日時計を原点としています。
13)南半球、オーストラリア・メルボルンの日時計。時刻の数字(IX, X, XI, XII...)がロンドンのものと逆回転、つまりいわゆる「逆時計まわり」で配置されている。
14)日時計は、北半球用と南半球用では文字盤の時刻の数字のふりかたが逆回転(対称的)である。
15)また赤道付近、厳密に言うと「南北の回帰線の間の地帯」で使われる日時計には、独特の困難が伴う。季節によって、太陽が天頂よりも南側を通過したり、反対に天頂よりも北側を通過したりするからである。
これは席亭も知りませんでした。(苦笑)

16)歴史:→「日時計の歴史(英語版)」も参照
17)紀元前3000年、古代エジプトで使われていたが、起源はさらにその前の古代バビロニアにさかのぼると考えられる。
席亭も、ホモ・サピエンス以前だと思います。あるいは、獣時代かも・・・。夕陽が大きくて赤い、位は獣でも分かるかも。
18)古代ギリシア及び古代ローマで改良され完全なものができた。これはアラビアに伝えられた(アラビアの天文学ではこれをノーモン(gnomon)という)。
19)中世に機械時計が発明されても、日時計は使われ続けた。
20)機械式の時計は最初は誤差が大きかったので、正午などに機械式時計の時刻を補正するために必要であった。
これは席亭も知りませんでした。
21)日時計の使用頻度が減ったのは、機械式時計の精度が上がり、普及してからのことである。
22)現代では庭園や建造物の装飾として設置されることが多い。
現代では誰も、日時計から時刻は読取りません。(タマに、太陽の高さで時刻が分かる人が居る、笑)
23)関連項目:月時計、星時計(英語版)−夜間に北極星と星の位置から時刻を調べる道具。、火星時計、ひどけい座
次は「水時計」ページです。

1)水時計(みずどけい)は、容器に水が流入(流出)するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる時計。
2)東洋(中国由来)のものは漏刻(ろうこく)ともいう。
3)西方のものはクレプシドラ(英語:clepsydra)ともいう。砂時計のような、点滴式のようなものもある。
4)構造:
5)エジプトでは紀元前1400年頃には作られていたという。
6)古代エジプトの水時計には雪花石膏の容器を用いて、水を一定の流量で容器の外へ流し減っていく目盛りを読む「流出型」と、水を一定の流量で容器の中に流し込み上昇する目盛りを記録する「注入型」があった。
何れの時計にも、流量を一定にする工夫が必要です。
7)中国でも工芸的な水時計が製作され、それが日本にも伝わったと考えられている。
8)日本では、『日本書紀』において、天智天皇10年4月25日(671年6月10日)に天智天皇が水時計を作らせ、時報を始めたと伝えられている。
9)これは、(サイフォンの原理を利用して)階段状の水槽に水を滴り落とさせる構造から「漏刻」と名付けられている。

10)歴史:
11)水時計は、日時計と同様、(日にちを数えるために刻み目を付ける棒を除けば)おそらく最古の計時器具である。
12)その古さゆえに水時計がいつ・どこで発明されたかは不明である。ただ、日時計では夜間には使えないことからこれを補うものとして水時計は作られたと考えられている。
日時計と水時計では、測る量が違います。日時計は時刻であり、水時計は時間です。両者は補完し合います。日時計の目盛りを盛るにも、水時計は必要でしょう。(笑)
13)水が流出する椀状の水時計は最も単純な型であり、紀元前16世紀ごろのバビロニアや古代エジプトには既に存在していたことが知られている。
14)世界の別の地域、例えばインドや中国でも古くから存在していたが、最古のものがどの時代から存在していたかはよく分かっていない。
15)しかしながら、水時計は前4000年には中国に出現していたと主張する研究者もいる。

16)ギリシア・ローマ文明は水時計の設計を最初に進歩させ、精度を向上させたと信じられている(これらに使われた複雑な歯車機構は奇抜なオートマタへとつながった)。
17)これらの進歩は東ローマやイスラム時代を経て、最終的にはヨーロッパで開花した。
18)その流れとは独立に中国人も進歩した水時計を創り出し、それは朝鮮半島や日本へと伝わった。
19)水時計の設計には各地で独立に生み出されたものもあれば、貿易によって知識が伝播したものもある。
20)公衆が時刻を知りたがるようになったのは、労働時間が重要になってくる産業革命が最初である。
21)それ以前には、水時計の使用目的は天文学および占星術であった。
22)当時の水時計は日時計を基準にして目盛りが刻まれていた。
23)これらの水時計は弁護士が法廷で発言する時間や売春宿の労働時間、夜警の勤務時間、教会での説教やミサの時間などを計るのに使われた。
24)今日の計時器具ほどの精度は得られなかったものの、水時計は1000年の間最も正確で最もよく使われる計時器具であった。
25)その地位は、より高い精度を持つ振り子時計が17世紀のヨーロッパで発明されるまで保たれた。

26)エジプト:
27)エジプト最古の水時計は、物的証拠から前1417年−1379年ごろ(アメンホテプ3世の時代)のもので、アメン=ラーを祭るカルナック神殿で使われていた。
28)水時計に関する最古の記録は前16世紀の宮廷人アメンエムハト(Amenemhet)の墓碑銘で、これは彼を水時計の発明者だとしている。
29)この時代の単純な(流出型の)水時計は、底近くに小さな孔の開いた石製の容器で、水面の降下速度をなるべく一定に近づけるべく下すぼまりな形状をしていた。
30)内側には「1時間」を計るための目盛りが振られていたのだが、その目盛りは(不定時法に合わせた各月用の目盛りということで)12種類あった。
31)カルナック神殿の水時計は、夜間、僧侶がしかるべき時刻に儀式を行うために使われた。
32)また、これらの水時計はおそらく昼間にも使われたと思われる。

33)バビロニア:
34)バビロニアでは、水時計は流出型であり円筒状の形をしていた。
35)天文学用の水時計の使用は、古バビロニア時代(前2000年頃−前1600年頃)にまで遡ると推定されている。
36)メソポタミア地方からは水時計の現物が見つかっておらず、その存在の証拠として最も有力なのは粘土板に書かれた情報である。
37)例えば粘土板集"Enuma-Anu-Enlil"(前1600−2000年)や"MUL.APIN"(前7世紀)に、水時計が夜警および昼の見張り人への給料支払いに際して使われたとある。
38) これらの水時計の独特な点は、(今日の時計のように)指針があるわけでもなく(エジプトの水時計のように)目盛りがあるわけでもなく、表示機構を全く欠いていたことである。
39)その代わりにこれらの水時計は時間を「流出した水の重さによって」測定した。その重さは、マナ("mana"。ギリシャの単位で、約1ポンド)という単位で計られた。
マナはRPGでは、魔法の使用に必要なエネルギー量です。
40)バビロニア時代、時刻が不定時法によっていたことは重要である。つまり、季節が変わると日の出ている時間の長さが変わったのである。
41)夏至に『夜の時計』の長さを定めるため、円筒の水時計に2マナの水が注がれた。それが空になることは夜間の終わりを示す。
42)その後、半月ごとに6分の1マナが追加されなければならない。秋分には夜の長さと合わせるために3マナの水が必要になり、冬至の夜には4マナが費やされる。

43)イラン:
44)カリステネス(Callisthenes)(英語版)によると、ペルシア人は紀元前328年に水時計を使用して、農業用灌漑のためにカナートから株主に水を公正かつ正確に分配していた。
45)特にゴナーバードとズィーバッドのカナートでの水時計の使用は、紀元前500年にまでさかのぼる。
46)後にノウルーズやヤルダーなど、イスラーム以前の宗教の正確な祭日を決定するためにも使用された。
47)ペルシアでフェンジャーンとよばれた水時計は、より正確な現在の時計に置き換えられるまで、農民が灌漑のためにカナートまたは井戸から水が供給されるべき量または時間を計算するために最も正確で
   一般的に使用される計時装置であった。
48)フェンジャーンは、カナートの権利者たちがそれぞれの農地に供給する水の時間の長さを計算するための実用的で有用な道具であった。
49)カナート(カレーズ)は、乾燥地域における農業と灌漑のための唯一の水源であったので、公正で公平な水の分配が非常に重要であった。
50)そのため、非常に公平で賢い年輩者がミールアーブ(MirAab)とよばれる管理者に選ばれた。
51)少なくとも2人の常勤の管理者がフェンジャーン(時間)の数を制御および監視し、日の出から日没まで、昼と夜の正確な時間を告知する必要があった。
52)なぜなら、権利者たちは通常、「日中の水の権利者」と「夜間の水の権利者」に分かれていたためである。

53)フェンジャーンは、水で満たされた大きなポットと中央に小さな穴のある椀で構成されていた。
54)椀は水で満たされていき、いっぱいになるとポットの底に沈む。すると管理者は椀を空にして再びポットの水の上に置き、瓶に小さな石を入れて椀が沈んだ回数を記録した。
55)水時計が置かれていた場所とその管理者は、まとめてハーネ・フェンジャーン(フェンジャーンの家、の意)とよばれていた。
56)通常、このハーネ・フェンジャーンは公共の家の最上階にあり、日の出と日の入の時間を確認することができるよう西および東向きの窓があった。
57)アストロラーベという別の時間管理の道具もあったが、それらは主に迷信的な信仰に使用され、農民の暦としての使用には実用的ではなかった。
58)ズィーバッドとゴナーバードの水時計は1965年まで使用されて、現代の時計に置き換えられていった。

59)中国:
60)漢代の1日は「百刻制」であり(後述書 p.218)、一刻は今でいう14分24秒の長さ(後述書 p.218)で、昼の長さである六十九刻までは日時計が用いられ(後述書 p.218)、夜時間となると漏刻が用いられ、
   「夜漏一刻」から「夜漏三十一刻」まで数えられた(後述書 p.219)。
61)この時期の漏刻の出土事例としては、高さ30センチメートル、直径10センチメートルの漏壷が発見されている(後述書 p.219)。
62)細かい栓から水を流し、浮きが沈むことで時刻を上部で表示するものだったが(後述書 p.219)、庶民の生活時間には百刻制は必要とされておらず、官吏が文書や物資の受領記録に時刻を記す必要があったために用いられ(後述書 p.219)、
   他の役所に伝送する場合に遅延してはいけないために出入時刻を記録した他、天体観測の際にも用いられた。
63)漢の中山靖王劉勝の墓と伝えられている河北省満城県にある「満城一号漢墓」から青銅製の漏壺が出土している。
64)後漢に入ると漏壺を二段式にして水量を調整しやすくするようになったが、同時代の張衡は更に改造を加えて水力で歯車を回すことで天球儀を動かし、漏刻と天球儀を兼ね備えた水運天球儀(渾象)を発明したという
   (二段式の漏刻自体が張衡の発明とする説もある)。
65)その後、東晋の孫綽が三段式、唐の呂才が四段式の漏刻を発明して水流を常に一定に保つ仕組みを作ろうとした。
66)この四段式の漏刻の水槽は、最上段から「夜天池」「日天池」「平壺」「萬分壺」と称され、受水槽は「水海」と称された。
67)物理的には、最上段の「夜天池」は給水槽であり、中間水槽の「日天池」「平壺」「萬分壺」はそれぞれが補正水槽として働き、受水槽の「水海」に一定間隔で時刻を刻んだ箭を立てて浮かべ、「水海」の縁に立てられた人形が指差す所
   によって時刻を知るという仕組みとなっている。
68)また、北魏の李蘭はサイフォンの原理を導入して水の重さの変化で時間の変更を示せる秤漏を発明した。
69)その後、北宋の燕粛は水量を一定に保つために余分な水は排除する平水壺を導入し、沈括らがこれに改良を加え、その後の漏刻の基本的な形となった。

70)日本:
71)天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている。
72)即位後に新たな漏刻を整備(『日本書紀』天智天皇10年4月辛卯条)したとされ、1981年に発見された飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構と言われている。
73)なお、天智10年4月25日(4月辛卯)は、ユリウス暦では671年6月7日、グレゴリオ暦では同年6月10日にあたり、日本では後者の日付より毎年6月10日が「時の記念日」とされている。
74)『続日本紀』宝亀5年(774年)11月10日条には、陸奥国司が「陸奥は大宰府と同じく危機を警戒しなければならない地(異民族に攻められやすい国境)だが、大宰府には水時計があるのに陸奥国にはこれがない。
   これではいざという時、文書(報告書)を送る際、いつ送ったか時刻が書けない。時刻は記す必要性があります」旨の言上があったため、「陸奥国にも水時計を設置した」と記述され、
   古代では攻められやすい国境に水時計が重要なものとして認識されていたことがわかる。
75)『日本三代実録』天安2年(858年)10月条の記述として、陰陽寮の漏刻の銅器に水を入れたところ音が鳴ったという怪現象が記録されている(近い時期の漏刻博士としては宮道弥益がいる)。
76)漏刻は平城宮や平安宮にも設置され、これとは別に天皇が行幸時に同行する簡易な漏刻も作られていたが、前者は平安時代の大治2年(1127年)2月14日の陰陽寮の火災の時には陰陽寮に置かれていた漏刻は
   外に搬出されて無事であったが(『中右記』)がその後程なく失われ、保元2年(1157年)11月13日に漏刻が復置された(『百錬抄』)。
77)ただし、陰陽寮の漏刻の記録はその後途絶えるために木下正史は治承元年(1177年)の内裏火災で失われた可能性を指摘する。
78)一方で、後者が建久9年(1198年)1月11日に後鳥羽天皇が土御門天皇に譲位する際に行われた行幸行列に漏刻が従った記事がある(『三長記』)ため、少なくても鎌倉時代初期には使われていたことが判明するが、
   その後は不明である。
79)なお、戦国時代の三条西実隆が動く漏刻に関する和歌を詠んでいるため(『雪玉集』巻3秋)、その後も宮中から漏刻が完全に失われた訳ではない、という見方もある。

80)民間では戦国時代から江戸時代初頭の人物である吉田宗恂が漏刻の時刻について「百刻制」や日の出・日の入りの時刻を詳細に記録した『漏刻算』を著しているが理論上の数字を記載したものか実証したものなのかは不明である。
81)江戸時代には桜井養仙(『漏刻説』)や稲葉通邦(『山路の雫』)が漏刻を研究し、朝廷の陰陽寮でも土御門泰邦(『漏刻緯』)、幕府の天文方でも渋川景佑(『漏刻説』・『壺漏要集』)が研究にあたっている。
82)渋川は再現実験を行って詳細な記録を残しているが、桜井は復元までは行わず、稲葉と土御門も復元をしたものの詳細は不明である(ただし、渋川と土御門は再現実験は不満足な結果に終わったことを記している)。
83)琉球王国の首里城には水時計を置いた「漏刻門」があり、その補助的役割として、「日影台」と呼ばれる日時計も置かれていた。
84)琉球の漏刻は漏刻門と共に15世紀には既に置かれていたが、尚敬王の27年(元文27年/1739年)に蔡温が漏刻を改良して新たに漏刻門に設置したとされ(『球陽』)、琉球処分まで用いられた。
85)ただし、漏刻門の施設は大正時代までには取り壊され、沖縄戦で首里城が破壊された影響で漏刻門があった場所を推定するのも困難になっている。

86)朝鮮:
87)『三国史記』には新羅が漏刻博士を置いたことが記され、また百済から日本に暦法などが伝わった経緯を考えると、三国時代には中国から導入された漏刻があったと考えられるが、実態については不明である。
88)1434年に中世李氏朝鮮の科学者・〇(草冠+将)英実が自撃漏を作った。

89)イスラムとアラビアの水時計:
90)『千夜一夜物語』で知られるハールーン・アッ=ラシード(8世紀)がカール大帝に見事な天幕・水時計・象・聖墓の鍵をたずさえた大使を送ったことが記録されている。
91)この贈物は、東ローマ帝国と神聖ローマ帝国、どちらがエルサレムのキリスト教徒の真の保護者であるかについて争闘させるための妙案であった(前同 p.214)。

92)関連項目:砂時計、クテシビオス−古代ギリシアの発明家、天智天皇−日本(水落遺跡)で初めて水時計を用いて時刻を告げた人物、近江神宮−時の記念日−上の天智天皇が初めて時刻を告げた日にちなむ記念日、
   漏刻博士−律令時代に漏刻を管理していた
最後は「時計」ページです。

1)時計(とけい、英:clock、携帯型のみwatch)とは、時刻を示す装置、あるいは時間を測定する装置。
2)概説:
3)時計は時刻を指示する機器で、タイムカウンター(時間を測定するだけで時刻は指示しない機器)と合わせて計時装置(time measuring instrument)と呼ばれる。
4)時刻の指示だけでなく時間の測定もできる時計にクロノグラフ(chronograph)がある。
5)古くは日常生活の中で時刻を知る方法は太陽の動きなどであった。
6)紀元前1500年ごろには日時計が発明された。

7)11世紀以降、機械によって駆動される時計が実用化されたが、近世に至るまでは極めて大型の装置であり、庶民にとっては値段が高く一般的なものではなかった。
8)また、初期の機械時計はそれほど正確ではなく定期的に時刻の調整をしなければならなかった。
席亭の青年時代では、年で数秒の狂いでした。
9)近代以後、より正確な機械時計が普及しても無線やラジオ放送などが普及するまで正確な時刻をもとに機械時計の時刻を合わせることも容易でなく、機械時計の時刻の調整には南中を知るのに特化した正午計(日時計の一種)
  なども用いられた。
10)機械時計には、動くための力、一定の速度で動かすための調速機、計った時を外部に伝える部分の3つの要素がある。
11)動力としては、錘を引く重力がもっとも古くから存在したが、その後、近世に実用化された鋼製のぜんまいばね(ゼンマイ)が時計に適した蓄力装置として20世紀後期まで広く用いられた。
12)また20世紀以降は電気が用いられ、動力のみならず調速のエネルギーとしても主流となっていった。
13)調速機としては、17世紀に実用化された振り子が定置式時計に広く用いられ、振り子の役割を小型部品のひげゼンマイに置き換えたテンプも追って実用化、携行可能な時計(懐中時計)が作られるようになった。
14)以後の電気駆動時代の調速には、音叉、電力線、水晶、原子などが利用されている。
15)外部に時刻を伝える手段としては、一般的には針(アナログ)や文字(デジタル)による視覚が基本で、これと併用する形で鐘や鈴、アラームなどの音が用いられる。

16)1970年代ごろまでは、腕時計や置時計では動力にぜんまいを使った機械式、掛時計では電気(トランジスタ)式がほとんどであったが、1980年代以降、動力に電気、調速機に水晶振動子を使ったクォーツ時計が主流となった。
17) 市販のクォーツ時計の多くは1秒間に32768(2の15乗)回振動する(32.768 kHz)水晶振動子を用いて時を刻む。
18)必ずこの数値でなければならないわけではないが、時計に組み込むのに適切な大きさの振動子で発生しやすい周波数であり、また、簡易な回路で分周を行い周波数を半分にする操作を繰り返して1秒を得るために、
   2のべき乗の値であると都合が良いことからこの周波数がよく用いられる。他の周波数の水晶振動子が用いられることもある。
   →#歴史
19)また、近年はセシウム原子の振動(9192631770 Hz=9.19263177 GHz)を用いた原子時計の時刻を基に発信された電波(標準電波、JJY)を受信し、クォーツ時計の時刻を自動修正する電波時計も利用されている。
席亭のクロックも、電波を受信出来ない場合は、狂う事も有りました。(〜デジタルなので、大幅に狂う。)
20)更に進んで、地球上どこでも受信できるGPSの電波により時刻修正を行う衛星電波時計も出現している。
21)一方、動力については、電池交換の手間を省くため、腕時計の分野では手の動きから力を取り出して発電機を駆動して電気を得る方法(Automatic Generating System, AGS)や、文字盤や盤面以外の部分に組み込まれた太陽電池などにより
   発生した電気を、二次電池もしくはキャパシタに充電しながら作動するタイプが出てきている。
22)時計は趣味的な収集の対象ともなっており、クォーツ式や電波時計が全盛の時代であっても、あえて日時計を集めて庭に置いて眺めたり、あえて機械式時計を収集したり日々それを身につける愛好家もいる。
23)また時計は電子機器の多くにも内蔵されている。これは、ビデオの録画予約や、電子レンジの加熱時間など、タイマーとして使われる。
24)またパーソナル・コンピュータなどにも時計はいくつかの方式で組み込まれており、プログラミング言語のソースコード内でもそうした時計から時刻の値を取得し利用できるようになっている。→#デジタル回路やPCにおける時計
CPUには(精密な)クロックを必要とするので、その流れで外部に時間、時刻を容易に出力出来る様に成っています。

25)時計の歴史:→詳細は「時計の歴史」を参照
26)紀元前約2000年ごろに日時計が発明された。目盛りの線を細かく刻むことで太陽を漠然と目視するよりも、時刻を細かく把握できるようになった。
27)しかし日時計は晴天の日中しか利用することができないという欠点がある。そのため、別の物理現象を使って時間の流れを測定する時計も考えられた。
28)例えば特定の大きさで作った蝋燭や線香、火縄が燃える距離を使う(燃焼時計)、水や砂が小さな穴から落ちる体積を使う(水時計、砂時計)などであり、紀元前1400年−紀元前700年頃の間にエジプト、イタリア、中国などで考案された。
29)なかでも水時計は流速を一定とした水を使用することから、それを動力とした機構を発達させ、かなり複雑な機構を使用するものへと変化し、やがて機械式時計を生み出すこととなった。

30)北宋時代、より正確に時間を計るため駆動軸の動きを制限する脱進機が発明され、1092年に蘇頌によって世界初の脱進機つき時計台である水運儀象台が開封に建設された。
31)水運儀象台は時計台であると同時に天文台でもあった。
32)同時期、イスラム世界においても水時計の進化は進み、その機構の多くはヨーロッパへと伝播した。
33)14世紀にはヨーロッパで、定期的に重錘を引き上げ、それが下がる速度を棒テンプと脱進機で調節する機構が発明された。
34)また1510年ごろ、ニュルンベルクの錠前職人ペーター・ヘンラインがゼンマイを発明し携帯できるようになった。
35)1583年、ガリレオ・ガリレイは、振幅が小さい場合、振り子の周期が振幅によらず一定であることを発見し、振り子時計を思いついた。
36)1656年、クリスティアーン・ホイヘンスは、サイクロイド曲線を描く振り子および振り子に動力を与える方法を発明し、振り子時計を作った。
37)1654年、ロバート・フックはひげゼンマイの研究を行い、それが振り子と同じく一定周期で振動することを発見し、1675年、ホイヘンスはこの原理を利用した懐中時計を開発した。
38)18世紀初頭に入ると時計技術の進歩はさらに進み、ジョージ・グラハムによってシリンダー脱進機が発明され、彼の弟子であるトーマス・マッジはレバー式脱進機を発明した。
39)なお中世ヨーロッパでの時計の意義は主に神に祈りを捧げる時を知るためのものであった。
以下は省略します。時計の進化にはクロノメーターの技術が必要なのでしょうが、これは後述されます。

40)関連項目:Network Time Protocol (NTP)、標準時、世界時、日本標準時、時計歩度測定器、メガネ・宝石−個人経営の時計店は、メガネ・宝石も併せて取り扱っている場合がある。
   また、宝飾製造者が商品の近縁性(宝飾品としての一面)から時計の製造・販売を手掛ける事例も多く見られる。、2000年問題、クロノメーター、とけい座、時計に関わる比喩表現など、腹時計、世界終末時計、
   トケイソウ−花の形が時計に似ていることからこの名がある。
古代中国の歴史と発明に戻ります。

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