東海道バーチャルトリップ
(35.5)御油宿−赤坂宿
1)御油の松並木:宿の先、徒歩34分
旧道右側には手前から順に、御関札立掛場説明板、「寛文元年十一月二十一日、松平丹波守宿」関札、御油宿と御油の松並木周辺案内板、天然記念物御油ノ松並木石碑、同説明石板が有ります。
周辺案内板の説明文には、
御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道五十三次の第35番目の宿場として繁栄しました。ここから東の、かつて上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通りぞいには、
今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。
また説明石板の説明文には、
天然記念物御油ノ松並木、昭和十九年十一月七日文部省指定、この松並木は、慶長九年(一六〇四)徳川家康が植樹させたもので、以来、夏は緑陰をつくり、冬は風雪を防ぎ、長く、旅人の旅情をなぐさめてきました。
当初、六〇〇以上あった松は、長い歳月の間に減少しましたが、旧東海道に現存する松並木のうちでは、昔日の姿を最もよく残すものとして、第二次世界大戦中の昭和十九年十一月七日、国指定の天然記念物となりました。
私達は、この松並木が貴重な国民的財産であることを自覚し、後世に伝えるため“郷土の宝”として愛護しましょう。昭和五十五年三月、豊川市、とあります。
ですが大戦中に、もっと遣る事は無かったのですかね?(苦笑)
2)十王堂:松並木の中、左手、同分、道路西側
十王とは地獄の裁判官の事です。鬼灯の冷徹/週間モーニング辺りに出ていた気もします。建屋左側には小社が祀られており、その右側の説明板には、
十王堂、十王とは、冥界にあって、死者の罪業を裁判する十人の王のことです。仏教では、死者は冥界で順次十人の王の裁判を受けて次に生まれてくる所が定まるとされています。
この考えは平安後期に日本に伝わり、鎌倉時代に全国に広まりました。この十王とは、泰広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔大王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王のことで、十王が冠をつけ、
道服を着て笏を持ち、忿怒の姿を示すのは道教の影響が強いことを表しています。この建物は明治の中頃に火災にあい再建されたもので、十王堂の創立年は定かではないが、江戸時代に描かれた絵図に印されて
いることから、古くからこの地にあったことは確かです、とあります。
3)「弥次郎兵衛喜多八も歩いた御油の松並木」高札:弥次喜多茶屋の先左手、徒歩41分、道路西側
高札は風化が進行し、以前よりも傷んでいる様です。彼等はここらで、狐に騙されるのです。
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