東海道バーチャルトリップ
25)直進地点/十字路交差点:ポストからすぐ、徒歩101分
交差点左奥には木原一里塚モニュメントが有りますが、ガイドは笹田源吾の墓に立寄る為、此処を右折します。
26)らん塔のお地蔵さん(笹田源吾の墓):直進地点を右折して暫く歩くと、左手、徒歩106分、道路北奥
直進地点を右折し暫く行くと、左手田圃の中にお墓が見えて来ます。その手前に在ります。
短い階段を上ると、小屋の中に石像が二体。小屋の左手には、らん塔のお地蔵さん立札も有ります。立札には、
戦国時代、袋井市域は徳川家康と武田勝頼の合戦の場となり、天正六年(一五七八年)頃には徳川方が優勢となり、武田方は徳川方の情勢を探るため、高天神城(たかてんじんじょう)にいた笹田源吾(篠田源五)を偵察に出し、
徳川方に味方する木原村の住人太郎兵衛(たろべえ)らが加わり、これを討ち取り、村には疫病や災害などの悪いことが続き、太郎兵衛にも不幸が、悪霊の祟りだという噂、悪霊を鎮めるために、地蔵が建てられ、四百年間大切に祭られ、とあります。
27)木原一里塚モニュメント/十字路交差点:墓を罷り旧道に戻ると、交差点左奥、道路南側
此処には塚と立木、木原一里塚説明板(左手前)と木原一里塚復元整備の記録板(右奥)が有ります。つまりはこれは復元模型です。一里塚が有った場所はポストが建っていた場所です。
説明板の説明文を少し読むと、木原一里塚は、江戸から数えて六一里目の一里塚です。『東海道宿村大概帳』(通信総合博物館蔵)には「(袋井)宿より見附迄之間一里塚壱ヶ所、木立松。但、左右之塚共木原村地内」と記され、
『東海道分限絵図』(東京国立博物館蔵)などには、塚の上に松や榎が描かれています。本来の一里塚はこの場所から約60m東にありましたが、現存していません、とあります。
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