東海道バーチャルトリップ
28)郷社式内許禰(こね)神社:一里塚の先、右手、徒歩117分、道路北側
旧道の右側には水路が有り、小橋でそれを渡ると参道左側に郷社式内許禰神社社碑と徳川家康公ゆかりの神社立札が、右側には定高札が有ります。その先左側にポールが1本建ち、参道両側に石灯籠一対。
石灯籠の先は、注連縄が飾られた石鳥居。鳥居を潜ると、石灯籠一対、小川に掛かる小橋を渡ると、左側石灯籠、別の石灯籠一対の先に狛犬一対、その先は拝殿です。
社碑の後ろには、茶色い徳川家康公腰掛石ポストと同石が在ります。ポストの右側面には、関ヶ原の戦いの勝利祈願のため当社を訪れた折、腰かけた石といわれています、とあります。
この腰掛石のすぐ左隣りには、古戦場木原畷と彫られた石碑も在ります。また定高札の裏には、許禰神社(木原権現社)説明板が置かれています。説明文には、
遠江(とおとうみ)では平治元年(一一五九年)以後、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたので、多数の熊野神社が建てられ、古代末期より和歌山県の熊野山とはたいへん深い関係にあった、
『木原権現由来記』という全長十七mもある巻物が残され、由来記には、ある日、木原の子供に熊野の神がのり移り、この地に熊野の神を祭れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにする、とあります。
前回来た時には、境内奥には二宮金次郎尊徳翁一代記立札と贈従四位二宮尊徳翁報徳訓石碑も有りました。
29)古戦場木原綴モニュメントと同説明板/許禰神社境内:参道の先、右手、道路北側
木原畷のモニュメントと同説明板が旧道沿いの同神社境内に在ります。説明板の右側には説明文が、左側には袋井市木原周辺イラストマップが記されています。同マップには、
松橋/松橋川、松並木、江戸から六一里目の木原一里塚跡、復元木原一里塚、笹田源吾の墓と伝えられる地蔵尊、許禰神社、古戦場木原畷の碑、長命寺、笹田源吾の供養塔、旧東海道、木原橋、西木橋/蟹田川が紹介されています。
以前木原畷の表示は同神社の北に在る田圃(畑?)の中に在りましたが、現在ではその様な表示は認められません。この辺りも宅地化が進んだ為、あるいは観光被害を考慮しての事でしょうか? また説明文には、
元亀三(一五七二)年秋、武田信玄は大軍を率いて甲斐国を出発し、遠江国に入ると天方城(あまがたじょう)・飯田城・各和城(かくわじょう)を次々に攻め落とし、信玄は鷲巣の久野城を攻めた後、東海道を西進してここ木原付近に布陣、
徳川家康の家臣、内藤信成は磐田の三箇野台から偵察の兵を出したので、木原の集落付近で戦闘、「木原畷の戦い」、徳川勢は信玄から追撃を受けて、浜松城へ撤退、とあります。
30)直進地点/ト字路:神社の先、徒歩129分
交差点右手前には、長命寺・笹田源吾供養塔ポストが在ります。ポストの右側面には、→80m、那智山長命寺の境内には、木原大念仏の起源となった笹田源吾の供養塔があります、とあります。
ガイドは長命寺に立寄る為、此処を右折します。
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