東海道バーチャルトリップ
4)常夜燈:二叉の先、右手、道路北側
台座には赤い文字で、秋葉講と彫られています。
5)東海道どまん中トヨモト木板:常夜燈の先、左手、道路南側
此処はトヨモト洋服店ですから、このトヨモトは現代の商号でしょう。
6)袋井宿東本陣跡:トヨモトの先、右手、徒歩7分、道路北側
江戸方から順に、屋根付き休憩所/腰掛、その後ろに水飲場、木製の門と袋井宿東本陣跡説明板、その先板塀に本陣の説明板が有ります。敷地の右奥には井戸と立札説明板、小ぶりの照明用石灯籠が有ります。
袋井宿東本陣跡説明板には右側に説明文と、左側には袋井宿東本陣絵図が描かれています。説明文には、袋井宿には三軒の本陣が、東、中、西本陣と呼ばれ、「東海道宿村大概帳」には次のように、
宿内惣家数百九拾五軒、内、本陣凡建坪弐百九拾坪半、門構・玄関附、字新町壱軒、同、凡建坪弐百拾九坪、門構・玄関附、字本町壱軒、同、凡建坪百六拾六坪半、門構・玄関附、同壱軒、
三軒の本陣は東海道往還通に面して北側に建てられ、東本陣は「壱番御本陣」とも呼ばれ、代々八郎左衛門を名乗っていた田代家が営んで、問屋場の最高責任者である問屋をも勤めて、
本陣の構造上の特色は門構えと玄関があり、また内部に「上段の間」、東本陣の場合、敷地全体の坪数一〇六八坪、塀を除いた建坪二八八坪、間口十三間半、奥行三一間もあり、とあります。
塀の説明板には以下の項目が説明されています。東海道の本陣、本陣の宿泊、本陣の利用、本陣の経営、の4つです。
東海道の本陣には、江戸時代に大名や公家、幕府の役人などが宿泊、寛永年間ごろから整備が本格化、五街道の宿場には必ず本陣が置かれ、門・玄関・式台などを造ることが特別に許され、名字帯刀、とあります。
本陣の宿泊には、袋井宿東本陣の利用状況は「本陣御宿帳」からうかがい知れる、年間を通しての利用回数をみると、二〇〜四〇回程度の年が大半、月別の利用をみると、十二月の利用が多く、
繰り返し東本陣を利用したのは伊勢国神戸城一万五千石の一柳直盛と三河国宝飯郡形原五千石の松平清直で、とあります。
本陣の利用には、まず各本陣に対して休泊の予約を伝え、利用可能なら本陣から請書を提出、他の大名との差合を避けるために先触れを発し、家臣は大名の発駕に先だって現地に入り、宿割りを行い、関札を掲げ、玄関には定紋付きの幕、
提灯を灯し、本陣当主は礼装して宿はずれまで出迎え、とあります。
本陣の経営には、本陣の主たる収入は休泊料、特に定められたものはなく、「御祝儀」と呼ぶにふさわしい性格、一柳直盛と松平清直は一貫文から二貫文(千文〜二千文)、金銭だけでなく、
袷羽織・帷子(たれまく)・反物・色紙などで支払われることも多かった、本陣備え付けの椀・皿などの什器類から、はては屏風・布団・衣類にいたるまで持ち去られ、本陣の経営は享保の頃からしだいに苦しくなり、
明治維新以後、田代家は本陣を廃業し、伝馬所(明治元年六月に問屋場から名称変更)の元締役となり、東本陣の建物は、最初の袋井郵便局となり、とあります。
また井戸の立札の左側にも本陣絵図解説図が付いており、この図が一番分かり易い。
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