東海道バーチャルトリップ

25)問屋場跡:寺を罷り旧道を進むと、右手、徒歩27分、道路北側

此処には藤川宿の問屋場跡(といやばあと・とんやばあと)立札と問屋場跡石碑が有ります。立札の説明文には、
藤川宿の「問屋場」は、ここ字中町北にあった。「問屋場」は宿場町では、最も中心となった場所で、人馬の継ぎ立て(伝馬)、書状の逓送(飛脚)などの業務を行う所が「問屋場」であった。藤川宿では、ここを「御伝馬所(おてんまじょ)」
とも称していた。この問屋場については、記録によると、「一、人馬継問屋場 壱ヶ所 字中町、問屋 弐人 年寄 五人、帳付四人 飛脚番六人、人馬差六人 小使六人」とある。また当初の問屋場は、問屋場役人の屋敷の一部を使用して
いたようだが、江戸中期中頃に、現在地に専用の建物を設けて、業務に当たったという。明治五年七月、伝馬制度廃止後は閉鎖され、その役割は終わった。藤川宿まちづくり研究会、とあります。

前回と比べると、立札の劣化も目立っていました。その先右手には、例の京←旧東海道→江戸道標も貼られていました。

26)旧野村家住宅(米屋):問屋場の先、左手、徒歩28分、道路南側

縦格子が綺麗な建物です。建物の中央付近には立看板も吊るされています。また米屋は固有名詞ではなく、一般名詞(〜米の販売)の様です。
此処には景観重要建造物、旧野村家住宅(米屋)看板と、その下に歴史的風致形成建造物、旧野村家住宅(米屋)看板が貼られています。後者の説明文には、
天保年間(1830−1843)頃の建築。幾度かの改修を経ているが、内部の堅牢な柱や梁は現存する。旧東海道に面する北側の店と南側の居住部に分かれた間取りや外壁の一部にある、なまこ壁、木組格子、瓦屋根下の垂木の
大きな木割などは、米穀業を営んでいた頃の町屋建築の面影を伝え、旧東海道の37番目の宿場として栄えた藤川宿のくらしを偲ぶことができる。指定第7号 平成30年(2018)9月1日 岡崎市、とあります。

27)旧平岡家住宅(銭屋):米屋の先、左手、徒歩29分、道路南側

此処には景観重要建造物、旧平岡家住宅(銭屋)看板と、その先に白い「銭屋」木板が貼られています。昔の頁には商家銭屋と有りましたから、銭の鋳造などではなく商家を営んでいたのでしょう。(笑)

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