東海道バーチャルトリップ

22)高札場跡:院を罷り旧道を行くと、右手、徒歩21分、道路北側

此処には2枚の立札があり、上から順に、藤川宿高札場跡立札、藤川宿の高札場跡(こうさつばあと)立札です。上の立札の説明文には、
この高札場跡は藤川町と市場町との境にあり明治二十一年新政府地積作成に当たり、本来三間四方あり、大きな高札場であった。加宿後、棒鼻は移動したと思われるが、高札場はそのまま幕末を迎えたと思われる。
ことに特異なことは地積公図を作るに当り、藤川と市場との字界(境界線)設定につき、地元両町にて高札場を二つに割り、また東海道も道路中央で鍵状に割った特異形状となっている。長年経過のうち代替地等で民間地となり
現在も残っている、と有ります。また下の立札の説明文には、

「高札」とは、立て札ともいい、法度、掟書(おきてがき)、犯罪人の罪状などを記し、交通の多い市場、辻などに掲げられた板札をいう。その目的は一般の人たちに法令を徹底させるためのものであった。藤川宿の高札場は此処の場所
にあり、記録によると「一、高札場 高(たかさ) 壱丈 長さ 弐間半 横 壱間」とあり、規模の大きい、広い場所であった。ちなみに、当時掲示されていた高札は、八枚あったようで、大きいものは横二三八センチ、縦五三センチもあり、
もし当時あったものを八枚並べるとすれば、正面に横二面ずつ、四段に掲げて常時掲揚していたのであろうか。現在保存されている高札は六枚あり、いずれも岡崎市文化財に指定され、内、三枚は資料館に掲示してある。
藤川宿まちづくり研究会、とあります。

23)直進地点/稱名寺(しょうみょうじ)参道:高札場の先、左手、徒歩22分、道路南側

交差点左奥に道標二個があり、下の石碑には、稱名寺、代官鳥山牛之助位牌、武田成信墓、力士江戸寄墓、藤川宿と彫られています。鳥山牛之助は三河の代官です。ガイドは称名寺に立寄る為、此処を左折します。

24)浄土宗西山深草派厳松山(がんしょうざん)称名寺:左折し参道を行くと、徒歩23分、道路南奥

この寺に山門は無く、参道が直接本堂に届いています。参道左手に地蔵二体と鐘楼、鐘楼の手前には梵鐘供養西山国師仰遠忌奉修記念、と彫られた小さな石碑が有ります。
右手に愛知県指定文化財称名寺説明板、説明板には彫刻 木造阿弥陀如来坐像 一〇(身+区の旧字)についての説明が成されています。その裏に嗽水と彫られた手水。
本堂には巌松山の額が掲げられており、本堂の右側には白象の置物も置かれています。また本堂の左側にも小さなお堂があり、其処には浄土宗西山深草派厳松山柳田院稱名寺の札が貼られています。

西山国師とは浄土宗西山派(西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派)の祖で、法然の高弟である証空(西山国師あるいは西山上人)の事の様です。
岡崎市に在る円福寺は西山深草派の大本山ですから、あるいはこれに関係するのでしょうか? また白象は仏教では、吉祥や幸運の象徴だそうです。

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