東海道バーチャルトリップ
1)東棒鼻立札、旧東海道道標、ベンチ、石灯籠/東棒鼻:左入の先、左手、道路南側
左入、赤坂宿側から順に、東棒鼻立札、旧東海道道標、ベンチ、石灯籠と並んでいます。立札の説明文には、
東棒鼻(ひがしぼうはな・ひがしぼうばな)「棒鼻」とは、宿場の出はずれ、すなわち出入り口のことである。東にあるので「東棒鼻」と呼んでいる。藤川宿に棒鼻が再現されたのは、東海道ルネッサンス活動の機運が
盛り上がった平成元年である。なぜ、棒鼻が藤川に再現されたかというと、江戸時代の浮世絵の絵師・歌川広重が東海道五十三次の藤川「棒鼻ノ図」に描いたからである。
絵の中には、八朔(八月一日)の御馬進献(おんましんけん)の行列がちょうど藤川宿の棒鼻に差しかかるところで、辺りに境界を示す〇(片+旁)示杭、道の両側に石垣を積んで、土を盛った宿囲石垣(しゅくがこいいしがき)
を描いている。最近、明治二十年ころ写された写真が見つかり、宿囲石垣が写っていたことから、その存在も認められた。とにかく、現在、藤川宿と言えば「棒鼻」と言われるぐらい、藤川宿の象徴となっている。
藤川宿まちづくり研究会、とあります。平成元年は1989年です。八朔は、はっさくと読みます。同名の果物も有ります。
2)従是西藤川宿東海道五十三次之内傍示杭、東棒鼻跡立札、浮世絵石板、藤川立札/東棒鼻:灯籠の先、左手、道路南側
傍示杭の三面、正面、左側面、右側面に、従是西藤川宿東海道五十三次之内と記されています。東棒鼻跡立札の説明文には、
宿場の出入口を棒鼻(棒端とも書く)といわれ、地元に保存されている街道往還図には宿囲石垣とある。広重の藤川宿棒鼻の版画は幕府が毎年八朔、朝廷へ馬を献上する一行がここ東棒鼻に入ってくるところを描いたものである、
とあります。
石板には東海道五十三次之内、藤川、廣重画、とあり、御幣(ごへい)を積んだ二匹の馬とその行列、傍示杭、二枚の立札と棒鼻が描かれています。また藤川立札の説明文には、
京へ、四十六里二十七丁、岡崎へ一里半、藤川、赤坂へ二里九丁、江戸へ七十八里二十九丁、とあります。1里=36町ですからこれを信じるならば、既に全行程の63%を踏破した事になります。
3)東棒鼻モニュメント、藤川案内板高札、ベンチ/東棒鼻:立札の向かい、右手、道路北側
東棒鼻モニュメントは背の高い石積みの上に芝、その上に木の柵が設けられています。またモニュメントの手前石タイルの先端に、「東海道ルネッサンス、東棒鼻モニュメント」と記された記念タイルが埋込まれています。
また高札は更新されており、以前は「是より西藤川宿岡崎宿へ一里二十五町〜藤川の歴史と文化を訪ねて〜」高札でした。
案内板高札の下部には旧道沿いの名所が示されており、現在地東棒鼻から順に、曲手(かねんて)、津島神社、阿弥陀寺、徳性寺、明星院、高札場跡、称名寺、問屋場跡、旧野村家住宅(米屋)、銭屋、
藤川宿資料館・本陣跡、伝誓寺、名鉄藤川駅、西棒鼻跡、むらさき麦、十王堂、芭蕉句碑、道の駅「藤川宿」、藤川一里塚跡、むらさき麦、吉良道道標、藤川のまつ並木、が表示されています。
また上部の説明文は、宿場の役割、修景「棒鼻」、歌川広重「藤川棒鼻ノ図」に関するそれです。
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