東海道バーチャルトリップ
118)神功(じんぐう)皇后車(西町)の山車庫立札と同庫:参道の先、左手、徒歩294分、道路南側
立札の説明文には、ここ西町の山車庫には、「神功皇后車」と呼ばれる山車が格納されている。かつて祭礼に曳行した山車は、祭りが終わると山車庫に解体保管していたが、現在は上山をおろした状態で収納、格納している。昭和二〇年以前の木造の
建物で町並みの景観になじんだ造りとなっている。神功皇后車は、明治六年(一八七三)、西町が名古屋の大工 久七に発注して造ったもので、有松に現存する三台の山車の中で最も古くから曳かれている。昭和四十八年(一九七三)、市の文化財に
指定された。毎年十月第一日曜日の「有松天満社秋季大会」に曳きだされる。名古屋市教育委員会。
神功皇后は伝説上の人物で、三韓征伐で有名です。
119)梅屋鶴壽(うめのやかくじゅ)歌碑と同立札:庫の先、右手、徒歩295分、道路北側
立札の説明文には、幕末の狂歌師、享和元年(一八〇一)江戸神田佐久間町に生まれる、姓は諸田、通称は初め佐吉、後、亦兵衛と称した、株をあきない、尾張家の御用を勤める。若い頃から狂歌を得意とし、始めは長屋姉子、又は松枝鶴壽とも
号したが、後に長谷川町に待合茶亭、梅の屋を出し梅屋鶴壽と言うようになった、狂歌人物誌に「花街戯場のことをよくうがちて秀吟おほし本町側糸巻連の魁首にして其名四方に鳴る」とある、老後には号を株翁とも言うようになった、元治元年(一八六四)
正月十二日享年六十三歳でなくなる。とあります。歌碑については全く触れられていませんが、刻まれている歌は「有松の柳しぼりの見世にこそ しはしと人の立ちとまりけれ、梅屋鶴寿」です。
それにしても石碑の彫はかなり綺麗なので、あるいは現代の技法(レーザー?)かも知れません。(苦笑)
120)曹洞宗大雄山祇園寺:歌碑の先、右手、徒歩297分、道路北側
石段の右手前には曹洞宗祇園寺寺碑。石段を上ると山門で、山門の右側には不許葷酒入山門石柱も建っています。ですから此処は禅寺なのでしょう。
山門を潜ると、読めない三文字の額が飾られたお堂に至ります。前回来た時には、参道の左右には遊具が置かれていました。このお寺は神仏習合の時代には、文章嶺と称していた様な気もします。(笑)
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