東海道バーチャルトリップ
109)天王坂案内板と有松天満社由緒高札/十字路:交差点左奥、徒歩282分、道路南側
中央大きな高札が有松天満社由緒で、その右下に有る小さな石碑が同案内板です。説明文には、−牛頭天王おはします坂道、かつて坂の途中に、徐疫の神・牛頭天王を祀る津島社があったことに由来します。ここには常夜灯と高札場が、ありました。
また有松天満社の由緒には、有松天満社は寛政年間の始め(一七八九〜)に旧東海道の祇園寺の四世文章卍瑞によって現在地に遷座され、文政七年(一八二四)現在の「八棟造」の社殿が造営され、今日まで守り続けられてきました、とあります。
同社は旧道の北東に在ります。
110)唐子車(からこしゃ、中町)の山車庫立札と同庫:高札の先、右手、徒歩284分、道路北側
立札の左には、立派な唐子車山車庫木札が貼られています。立札の説明文には、ここ中町の山車庫には、「唐子車」と呼ばれる山車が格納されている。かつて祭礼に曳行した山車は、祭りが終わると山車庫に解体保管していたが、現在は上山を
おろした状態で収容、格納している。平成十七年、土地区画整理事業にともない、本来建っていた場所より多少東側(右側)の現在地に新築された。木造で、町並みの景観に配慮された造りとなっている。唐子車は、天保年間(一八三〇〜四四)
に知多内海で造られたものを、明治八年(一八七五)に中町が購入した。昭和四十八年(一九七三)、しの文化財に指定された。毎年十月第一日曜日の「有松天満社秋季大祭」に曳きだされる。名古屋市教育委員会。
解体の手間が惜しいので、背の大きな山車庫を用意したのでしょう。(笑)
111)名古屋市有松町並み保存地区木杭と同高札(旧):山車庫の先、右手、徒歩286分、道路北側
以前此処には木杭と高札が有りましたが、今回は見逃しました。あるいは、撤去されたのでしょうか? 高札の上側には説明文が、下側には2枚の絵、浮世絵と名古屋市有松町並み保存地区の地図が描かれていました。説明文には、
有松は、旧東海道の鳴海と知立の宿の間に、慶長13年(1608)に、間宿として開かれた。尾張藩の奨励により、阿久比村から移住した人達の一人、竹田庄九郎により、絞染めが考案され売り出されると、藩の庇護も受け、絞は有松名産として、
全国にその名が知られた。有松は絞と共に繁栄したが、天明4年(1784)、大火が起り全村ほとんどが焼失した。村の復興に当り、建物は従来の萱葺を瓦葺にし、壁は塗籠造り、2階の窓は虫籠窓に改め、当時の防火構造で造られた。
豪壮な商家が立ち並ぶ現在の町並みは、この時に形成された。商家の建物は、中2階建切妻平入りで、1階の全面についている半間の土庇の下は、昔は絞の店頭販売の為に、大きく開かれていたが、今は格子がついている。名古屋市は、有松を
町並み保存地区に指定し、伝統的建造物や、町並み保存上必要な物件を定め、古い町並みに調和した景観の整備に努め、建物の修理・修景工事の補助事業を進めている。平成7年3月31日、名古屋市教育委員会、とありました。
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