東海道バーチャルトリップ

19)本陣跡と明治天皇行在所その1:左折すると、左手、徒歩31分、道路南奥

江戸方、北側から順に、石灯籠、明治天皇行在所聖蹟石碑、石灯籠、池鯉鮒宿本陣跡立札、池鯉鮒宿本陣跡石碑が在ります。手前には意味不明なコンクリートブロックがあり、残念な観光資源と成っています。立札の説明文には、
本陣とは、江戸時代の宿駅に設けられた、大名や幕府役人、公家等が宿泊もしくは休憩する公認の宿舎である。品川から数えて三十九番目の宿駅である東海道池鯉鮒宿には、本陣・脇本陣(本陣が対応できない時の予備の宿)が
各一軒置かれていた。本陣職は、当初嶺家が勤めていたが、寛文七年(一六六七)頃からは永田家によって引き継がれた。敷地三千坪、建坪三百坪と広大な面積を有していた。明治となり宿駅制度が廃止され、二百年以上続いた
本陣も明治八年(一八七五)に取り壊された。知立市教育委員会、平成三十一年三月、とあります。

20)本陣跡と明治天皇行在所その2:

池鯉鮒宿本陣跡石碑の右側面には昭和四十八年三月知立市建之、左側面には場所は本町四七番地より五二番地までの土地約三千坪(約一万m^2)を有し三百五坪(約一千m^2)の建物であった門構えは兜門造りといわれた、
裏面には慶長のころより明治八年取こわしに至るまで約二百七十年間主として永田氏が幕命を得て本陣職を踏襲した、倉重天拝書、とあります。

21)本陣跡と明治天皇行在所その3:

明治天皇行在所聖蹟石碑の右側面と裏面にはびっしりと文字が刻まれており、左側面には陸軍大将一戸兵衛謹書、とあります。一戸は陸奥国/江戸幕府の生まれで、西南、日清、日露戦争に従軍しています。
右側石灯籠の裏面には、昭?和四年十二月永田清三郎、とあります。ですからこの永田氏は、本陣に由来する人物なのでしょう。知立市文化協会の創立時(1971、昭和46年)会長にも、その名が有ります。
また余談ですが、富岡製糸場で有名な尾高ゆうの夫の名も、この永田清三郎です。(笑)

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