東海道バーチャルトリップ
46)石灯籠一対と南無阿弥〇仏石碑、来迎橋/鉢地川(はっちがわ):参道を行くと、両側、道路西奥
参道の右と左には石灯籠が置かれており、灯籠の胴には常夜燈雙基の文字が彫られています。左の灯籠左奥には、南無阿弥〇仏石碑も建っています。参道は朱塗りの来迎橋で、鉢地川を渡ります。
山門の左手前には、石仏が安置されたお堂が在ります。
47)浄土宗西山深草派檀林、大神光二村山(にそんざん)法蔵寺:橋を渡り坂を上ると、徒歩159分、道路西奥
山門には浄土宗西山深草派檀林、大神光二村山法蔵寺とあります。壇林とは僧侶の養成機関、学問所の事です。家康は幼少の頃、この法蔵寺で過ごしたと伝えられています。
此処には新撰組隊長近藤勇の首塚と胸像も有ります。
48)読めない石碑、法蔵寺説明板高札、法蔵寺説明板、掲示板高札:参道の先、旧道左手、道路西側
旧道左手、手前から順に、読めない石碑、法蔵寺説明板高札、法蔵寺説明板、掲示板高札が建っています。旧道の先は法蔵寺橋/鉢地川です。
同高札には法蔵寺の説明文が四か国語で表示されています。日本語のそれは、
701年、僧行基の開山と伝えられ、松平初代親氏(ちかうじ)が深く帰依して、1387年に堂宇を建立し、寺号を法蔵寺としたと言われています。家康が幼いころ、手習いや漢籍を学んだとされ、数々の遺品が現存しています。
桶狭間の合戦以後家康は、法蔵寺に守護不入の特権を与えるなど優遇しました。また、境内には新撰組で有名な、近藤勇の首塚も祀られています、とあります。
その先の説明板には、
浄土宗西山深草派の三河三檀林のひとつ。二村山と号す。本尊は阿弥陀如来。寺伝では行基と空海の伝承があり、二村山出生寺と称し、古くは法相宗、真言宗であったと伝える。至徳二年(一三八五)京都円福寺より来住した
教空龍芸(りゅうげい)が浄土宗に改宗し、その時法蔵寺と改められた。江戸時代には、東海道に接していることから、参詣者も多く、かつ、幕府の庇護も厚かったため、大いに権勢をふるった寺であった。家康が幼時この寺で
勉学をしたとされ、徳川家ゆかりの宝物が多く残されている。県指定文化財、洞(伝)の銅鐸一個、市指定文化財、絹本著色善導大師像一幅、絹本著色山越阿弥陀如来像一幅、絹本著色二十五菩薩来迎図一幅、
絹本著色渡唐天神像一幅、木造聖観音菩薩立像一躯、利剣名号御下帷子一枚、破魔弓一張、青磁花瓶一口、松平蔵人佐元康制札一面、梵鐘一口、法蔵寺の桜一本、法蔵寺のイヌマキ一本、岡崎市教育委員会、とあります。
数助詞の豊かさが知られます。(笑)帷子は、かたびらと読みます。
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