東海道バーチャルトリップ
43)直進地点/法蔵寺参道、丁字路:左入の先、左手、徒歩157分、道路西側
旧道は此処を直進しますが、ガイドは法蔵寺に立寄る為、此処を左折します。
44)法蔵寺団子の由来説明板高札:参道左手、道路西側
参道に入ると、左手に「法蔵寺団子の由来」説明板高札が建っています。説明文には、
この団子は、法蔵寺門前の茶店で売られていたことから法蔵寺団子とよばれるようになった。本宿村方明細書上帳(もとじゅくむらかためいさいがきあげちょう)(享和二年・一八〇二)に
「此ノ村名物ハ早縄并(ならび)餅団子・草鞋ニ御座候。」また、参河聰視録(みかわそうしろく)本宿村記(嘉永二年・一八四九)にも「法蔵寺辺り前後茶店ニテ餅ニ醤油ヲ付テ炙り売ル名高シ。」と書かれている。
以後、昭和の初めころまで売られていた。この団子の特色は、一本の串に指で押し平たくした五個の団子を炙り溜りで味を付けたものである。この独特の風味が、近郷近在はもとより、東海道筋の名物団子として、
評判となったのである。平成九年三月 郷土史本宿研究会、とあります。
45)読めない石碑と御草紙掛松(おんそうしかけのまつ)説明板高札、御草紙掛松(四代目):高札の先、道路西奥
説明文には、
寺伝によれば徳川家康公は幼少の頃、当寺にて学問、手習いに励んだといわれる。この松は家康公手植えの松といわれ、手習いのおり草紙を掛けたことから、家康公ゆかりの「御草紙掛松」として永く人々に親しまれてきた。
また「御茶屋の松」「御腰掛の松」ともよばれた。代々受け継がれてきたが、平成十七年八月、虫害により枯れた。その後「慣れ親しんだ松を後世に伝えよう」と、地元有志「もづく会」の手により、平成十八年三月、四代目の松が
植樹された。周囲の石柵は、文化十二年(一八一五)旗本木造清左衛門俊往(こづくりせいざえもんとしゆき)の寄進である。平成十八年四月吉日 郷土史本宿研究会、とあります。
高札の後ろには石柵があり、その中に四代目の松が植えられています。またもづくはもずくとも書く、海藻の一種です。副菜、酢の物に成ります。
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