東海道バーチャルトリップ

7)赤坂宿問屋場(伝馬所)跡説明板:旧道に戻ると、右手、徒歩23分、道路東側

旧道の右手上方に掲げられています。説明文には、
赤坂宿問屋場(伝馬所)跡、間口六間(一〇.九メートル)、奥行三十間(五六.四メートル)瓦葺きの事務所は、慶長五年、徳川幕府の命令によって設けられた。人馬の継立、即ち、伝馬事務所を取り扱い、問屋取締・年寄・帳付・飛脚役などの
役人を置き、人足三十人程・馬数十頭をつないで、即時の用に供した。豊川市教育委員会、とあります。

8)本陣跡:問屋場の先、左手、徒歩26分、道路西側

瓦門の右側に本陣跡説明板が有ります。また瓦門の向こうは綺麗に整地されていますが、将来資料館でも出来るのでしょうか? 説明板の左上にはその間取り図が示されており、説明文には、
本陣跡、本陣は、参勤交代の大名・幕府の役人・公家などが休泊するところで、一般の旅籠屋とは違い、門・玄関・式台・上段の間などを備えることが許されていた。
赤坂宿の本陣は、宝永八年(一七一一)の町並図によると、四軒あった。そのうち松平彦十郎家は、江戸時代初期から本陣を務め、人馬継ぎ立てを行う問屋も兼ねていた。
宝永八年の間取り図によると、間口十七間半、奥行き二十八間、座敷通り四二二畳で門・玄関付きの立派なものであった。豊川市教育委員会、とあります。
赤坂宿に本陣は四軒有り、此処は松平彦十郎家だそうです

9)東海道歴史のみちポスト、木製燈籠、赤坂宿町並みの図案内板高札、高札場復元模型/赤坂紅里交差点、ト字路:交差点右手前、徒歩28分、道路東側

交差点右手前と右奥は公園に成っており、右手前の広場には手前から同ポスト、燈籠、同高札、同復元模型が有ります。
ポストの正面には↑500m国指定天然記念物御油のマツ並木、230m芭蕉句碑(関川神社)、右側面には←220m赤坂宿場資料室(音羽生涯学習会館内)、90m豊川市指定文化財旅籠大橋屋、
左側面には東海道歴史のみち、豊川市教育委員会、とあります。案内図からは、赤坂宿の隆盛が感じられます。また復元模型には、5枚の高札が掲げられています。
四つが「定」立札で、左下だけが「きりしたん宗門禁制」立札です。保存状態は未だ良好なので、文章(板に墨書)も読取る事が可能です。

説明板などは説明文を観光協会などのデータベースに保存しておき、説明板にはホームページアドレスを示す二次元コードだけを載せておけば、保守費用もかなり軽減出来ると思います。(笑)
しかしこれら高札、立札の内容はネット上にアップされて無さそうなので、これも何かの縁、この5枚の立札の内容を全てご紹介する事にしました。当時の為政者の考えが読取れると思います。

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