東海道バーチャルトリップ

31)浄土宗諏訪山明光寺:常夜燈の先、左手、徒歩172分、道路西側

寺の山門右側に石灯籠が3基、その後ろに手前から、木製常夜燈、小社、お社の順に並んでます。灯籠と常夜燈らには注連縄が飾られています。
手前の灯籠の胴には秋葉山常夜燈、台座には村中安全、真ん中の灯籠の胴には牛頭天王、台座には村中安全、と彫られています。
山門には諏訪山の額と注連縄が飾られており、山門左手には読めない古い石碑が有ります。注連縄が飾られておりまた諏訪山と有りますから、諏訪大社と関係したお寺なのでしょうか?

32)二つの句碑と伊奈村立場茶屋加藤家跡(俗称茶屋本陣跡)立札:寺の先、左手、徒歩181分、道路西側

アルミフェンスの中に句碑二つと、その後ろに同立札が建っています。立札の説明文には、
一、茶屋の地名、東海道吉田宿と御油宿の中間にあたり、立場茶屋が設けられたので、茶屋の地名ができた。
二、加藤家と良香散、茶屋のうち格式の高い加藤家(初代は大林平右衛門)では、「良香散」という腹薬が売られ、この薬は茶屋の地名よりも有名であった。交通の変遷によって今はこの古井戸(南西30M)一つ残すのみとなった。
三、明治天皇御旧跡、東京遷都の時、明治天皇は、この加藤家でご休憩になられた。その時天皇が使用された箸が、牧野真一氏宅に保存されている。
四、俳人烏巣(うそう)、烏巣は、加藤家の生まれで、謙斎といい芭蕉と親交があり、京都で医者をつとめていた
五、芭蕉句碑、「かくさぬぞ 宿は菜汁に 唐が羅し」
六、烏巣句碑、「ももの花 さかひしまらぬ かきね哉」

左の句碑が烏巣のそれで、右の方が芭蕉です。烏巣の名はあの三国志にも登場します。加藤家は天皇が休憩する程の名家で京都で医者と有りますから、あるいは御用達(顔見知)の漢方医なのでしょうか?
中国や朝鮮料理にはこの唐辛子を多用しますから、芭蕉は加藤家の隠し味をからかったのでしょう。(芭蕉隠密説、笑)

33)伊奈一里塚跡石碑/山本太鼓店:立場茶屋の先、右手、徒歩187分、道路東側

石碑の正面に伊奈一里塚跡、右側面に江戸日本橋より七五里、とあります。そして此処が東海道75番目の、伊奈一里塚なのです。(Wikiには伊ノ奈とあります。)

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