東海道バーチャルトリップ
37)TOYOHASHIマンホール/右側歩道:右折すると、道路東側
TOYOHASHIと記されたマンホールが有ります。先のそれとは絵柄が違い、手筒花火の後ろに吉田城が在ります。
またこの先には、手筒花火が描かれた、消火栓、空気弁フタも有ります。
38)船町と高札場説明板/とよばし南詰交差点:橋の袂右手前、徒歩58分、道路東側
写真左上(後方)に写っているのが豊川です。
説明板には、船町:その昔、このあたりは四ツ家(四ツ屋)と称され、数軒の家屋がまばらにある河原同然の土地であったようです。この地に最初に村を築いたのは、浅井与次右衛門(浅井長政の重臣)とその一門80名程の人々
と言われています。その後、天正18年(1590)に吉田城主池田照政(輝政)により定住を許され、庄屋役を命じられ、以後船町と改めて町の開発を行ったようです。近世初頭に開かれた吉田湊は、豊川舟運の終点として、また伊勢や江戸
への航路の起点として栄え、当時、三河における最大の湊でした。船町はこの湊での船役を命じられ、地子(じし、賦課した地代)免除の特権が与えられるなど吉田24町の中で独自の立場にあったようです。
高札場:寛永13年(1636)幕府の命により、橋の南たもと(当時の吉田大橋はここより70m程下流)に高札場が設けられました。この高札場には、河川の取締り、橋の保護など極めて重要な取り決めが、板に書かれて掲げられていました。
豊橋市教育委員会、とあります。
39)豊橋:右折の先、徒歩59分
豊橋手前の交差点は、「とよばし南詰」交差点です。この豊橋には、両側歩道が付いています。ガイドはその右側歩道を渡ります。
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