東海道バーチャルトリップ
31)湊神明社:参道の先、徒歩41分、道路北奥
ガイドの、本日最初の参拝です。参道の両側に、〇明志と彫られた石灯籠一対。榊と注連縄が飾られた門を潜ると、拝殿に出ます。拝殿にも注連縄が飾られています。
〇の字は御の様にも思えますが、吉田には見明志(みとおし)や美明志(みあかし)なる言葉も有ります。(笑)
32)羽田野敬雄(はたのたかお)と湊(みなと)神明社説明板:門を潜ると、参道左手、手水の手前、同分、道路北奥
門を潜ると、参道左手、手水の手前に同説明板が有ります。説明板には、
湊神明社(江戸時代は田町神明社)の幕末から明治にかけての神主は羽田野敬雄だった。羽田野は羽田八幡社の神主でもあり、羽田村に居住し、当社には祢宜の朝倉氏がいた。
羽田野は江戸の国学者平田篤胤の三河で最初の門人だった。天保4(1833)年に篤胤に神代文字(彼らが古代にあったと考えた文字)で「カムナガラ」(神の心のままに右から読む)と書いてもらった。
それを伊勢神宮の遷宮の時にいただいた神木に、明治15(1882)年に彫った額が、拝殿左側に掛っており見ることができる、とあります。
33)湊築島(みなとちくしま)弁天社入口と弁天社説明板:参拝して罷ると、右手、徒歩44分、道路北奥
堀の手前には注連縄が飾られた石鳥居と、その右側に「国登録有形文化財、湊築島弁天社、1棟、平成20年7月8日登録」説明板が在ります。
説明板には、湊築島弁天社は、単層、入母屋造、本瓦葺の三間堂で、正面に向拝(こうはい)、三方に擬宝珠高欄付の縁が巡っています。建築年代は、棟札から寛政7年(1795)と確認できます。
身舎(もや)内部は前後に二分し、外陣と内陣としています。床はいずれも板敷ですが、天井は外陣が格天井(角材で碁盤目状に格子を組み、中に仕上げ板を張ったもの)、内陣は棹縁天井(天井板を棹縁で押さえて張る方法)
と異なっています。外陣は吹放ちで、格天井には吉田藩御用絵師の稲田文笠(いなだぶんりつ)とその一門による四季折々の草木が描かれた絵が嵌め込まれています。また、この廻りの梁と桁には精巧な彫刻が施されています。
内陣は正面に格子戸をたて込み、背面に内々陣を突出させています。江戸時代の遺構が非常に少なくなった豊橋中心部にあって、貴重な建物といえます、と有ります。
この豊橋も、太平洋戦争では空襲を受けているのです。
石鳥居を潜ると参道両側には奉納築嶋弁天社と染抜かれた赤い幟が立並び、次いで石製の太鼓橋を渡ります。
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