東海道バーチャルトリップ

(43)四日市宿
最寄りの駅はあすなろう四日市駅です。笹井屋へ行くには南改札口を降りて東側、近鉄百貨店側から外に出て中央通りを東に歩き、アーケードを潜って諏訪神社前交差点に出ます。
同交差点を渡り東に歩き一つ目の交差点を左折し、旧道を北に歩きます。広重の版画には三重川(三滝川)に架かる板橋を渡る旅人と、強風に笠を飛ばされた旅人が描かれています。
写真は前回撮った写真で、三滝橋から川下方面(東方向)を写しています。



あすなろう四日市駅は繁華街にありまたJR四日市駅は臨海部にある為、それらの利用者数は10倍も違います。一般に関西では、JR<<私鉄です。では何故、両駅がこの様な場所に造られたのでしょうか?
東海道線が米原経由に成ったので、旧道付近を走る鉄道は民間の関西鉄道が施設、開通させました。(明治23年)関西鉄道は明治40年に国有化され、これが関西本線のもとと成ります。
同鉄道は当初から貨物輸送を想定していた為、関西鉄道四日市駅は臨海部に設置されました。一方、あすなろう四日市駅の元となったのは、三重軌道が大正2年に開業した諏訪前駅です。
軌道とはつまりは路面電車、市街電車(トラム、アーバン)の様なもので、軌間は762mm(ナローゲージ)でした。諏訪前駅は諏訪神社から現在の国道1号線を挟んだ、南に在りました。(勝負アリ)

このあすなろう四日市駅は現在、近鉄と第三セクターである四日市あすなろう鉄道が共同で使用しています。では何故、近鉄四日市駅と呼ばれずにあすなろう四日市駅と呼ぶのでしょうか?(前回来た時は近鉄四日市駅でした)
同鉄道の前身は三重軌道で、同軌道は大正元年(1912年)に日永駅〜八王子村駅(かつての伊勢八王子駅、八王子線)、南浜田駅〜日永駅(内部線)を、大正2年(1913年)に諏訪前駅〜南浜田駅(内部線)を開業させています。
一方、四日市鉄道(現、近鉄湯の山線)は同年に諏訪駅(旧東海道付近)〜川島村駅(現、伊勢川島駅)を開業しています。
大正4年(1915年)に同軌道は、関西本線の四日市駅西口迄延伸させます。その後大正5年(1916年)に三重鉄道が設立し、同鉄道は三重軌道の路線を廃止して軽便鉄道法による軽便鉄道を、四日市市駅〜日永駅間に開業します。
この三重鉄道四日市市駅は、現在のあすなろう四日市駅の近くに在ったそうです。

一方、四日市鉄道も延伸し、大正5年(1916年)同鉄道と三重鉄道は現在のハローワーク四日市付近に合同駅(〜アーケード東方、関西本線四日市駅北、名称不明、四日市駅?)を開業します。両路線は明らかに競合しています。
大正13年(1922年)に伊勢電気鉄道(後の近鉄名古屋線、本社四日市)の津〜四日市間が開業します。線路は、関西鉄道の西側に並行して施設されました。(→Wikiの近鉄四日市駅ページ参照)
昭和3年(1928年)三重鉄道は諏訪前駅を廃止し、西方の四日市鉄道諏訪駅に統合します。ですから四日市市駅と諏訪駅の間は、四日市鉄道の線路を借りたのでしょう。
統合、廃止により不要となった四日市市駅〜諏訪駅間の路線は、桑名への延伸を目論む伊勢電気鉄道に譲渡されました。(〜関西本線四日市駅→諏訪駅→桑名駅のルート)

昭和6年(1931年)、三重鉄道が四日市鉄道を吸収合併します。
また経営不振に陥った伊勢電気鉄道は昭和11年(1936年)参宮急行電鉄(後の近鉄、本社大阪)に合併され、戦時統合によって昭和19年(1944年)巨大会社近畿日本鉄道(近鉄)が誕生します。
同じく同年、三重鉄道ほか6社が合併し、三重交通を発足させます。これにより内部線・八王子線・湯の山線が三重線と成ります。

戦後の昭和31年(1956年)、近鉄が名古屋線四日市付近の経路を変更します。それに伴い、三重交通の諏訪駅〜中川原駅間が廃止されます。また新たに新線、近畿日本四日市駅〜中川原駅間が開業します。(昇圧、改軌は昭和39年)
これにより名実共に四日市の中心が、諏訪駅から当時の近畿日本四日市駅(近鉄四日市駅)へと移動した訳です。(笑)
昭和39年(1964年)、三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡(合併の下準備?)、昭和40年(1965年)近鉄が三重電気鉄道を合併。平成26年(2014年)近鉄と四日市市が四日市あすなろう鉄道を設立し、現在に至ります。
ですからあすなろう四日市駅とは、この歴史的経緯を踏んだ、近鉄側の忖度?な訳です。(笑)

そして三重県の名の由来は地名などではなく、同地の伝統、伝説から来ているそうです。(後述します)
また三重県の県庁所在地が津ではなくこの四日市に成らなかった理由とは、あるいは名古屋に近過ぎたせいなのでしょうか? 版画では三重川に架かる橋は板橋が描かれていますが、実際の橋は土橋だった様です。

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