東海道バーチャルトリップ
91)西の追分高札:案内図の先、左手、徒歩132分、道路南側
旧道左手に、同高札が建っています。左側には周辺図が、右側には説明文が記されています。説明文には、
亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区、昭和59年12月10日選定、西の追分、関が歴史に登場するのは、7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで、これが地名の由来となっています。
慶長六年(1601)に徳川幕府が宿駅の制度を定めた際、関宿は東海道五十三次で四十七番目の宿場となり、問屋場や陣屋などが整えられました。古文書によると天保14年(1843)には家数632軒本陣2、
脇本陣2、旅籠屋42があったとされ(東海道宿村大概帳)鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として江戸時代を通じて繁盛しました。
ここ西の追分は大和街道との分岐点にあたり、東海道、京都方への次の宿は坂下宿で、鈴鹿峠を越えて京都へは19里半(78キロメートル)あります。また大和街道は加太(かぶと)越えをして伊賀から奈良に至ります、
とあります。
高札の右側の柱には、関宿かるた札「〇(〇+か)加太へは、西の追分大和道」が貼られています。此処は昔刑場だった様です。
92)二叉:高札の先、右手、徒歩132分、道路北側
道が二つに分かれていますが、ガイドは旧道がどちらの道でも良い様に、両方を歩きます。また道の叉には新し目の、「従是東 東海道関宿」道標が建ってます。
道標の正面は右の道の方を向いており、左側面には亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区、右側面には亀山市教育委員会 平成十八年三月建之、裏面には昭和五十九年十二月十日選定、とあります。
93)南無妙法蓮華経石碑:版画の先、左手、徒歩134分、道路北側
通称、髭題目と呼ばれる南無妙法蓮華経石碑です。四面ともに南無妙法蓮華経の文字が彫られている様ですが、ディティールは異なっています。
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