東海道バーチャルトリップ

82)書状集箱/POST:田中屋の先、右手、道路北側

旧道右手に、三つ目の同箱が設けられています。ポストの下には、親子ガエルの石像が置かれています。ちなみにトリオ漫才のネタはこのカエルではなく、亀です。(笑)

83)関西山(かんせいざん)観音院:ポストの先、右手、徒歩116分、道路北側

旧道右手に、お堂が在ります。お堂の前には石灯籠一対が在ります。その胴には細かい文字が彫られていますが、残念ながら読取れません。左の石灯籠の後ろには、手水と観音院略由来説明板高札が在ります。
手水には、盥漱器と彫られています。またお堂の右の柱には、〇西山〇(観の旧字)音院の札も貼られていますが、〇の字は到底「関」とは読めません。先の高札の説明文には、
古くは関西山福聚寺と言います。嵯峨天皇の御代(八二〇)に開創されたと言われ中世土地の豪族関氏の祈願寺として栄えました。当時は城山の西方に在り戦国末期火災にかかりすべてのものは焼失しましたが幸い御本尊一躯は難を免れました。
徳川家江戸幕府を開くにあたり「先規の例により将軍の武運長久を祈願すべし」と観音山と佛供田を残されたのであります。寛文年間に至り(四代家綱−一六六五)当地にお堂を建立し関西山観音院と号するようになりました。
党員は東海道関宿の守り佛として後には観音山に西国三十三ヶ所の霊場を開き人々の篤い信仰によって支えられて来ました。今は関町内の信徒講員によって外護せられ昭和五十年四月、平成二十三年三月当宇の大修理が行われました。
八千とせにたのまぬ人もみちびけよ、鈴鹿の寺の十一面観世音、とあります。

84)二つの石碑:観音院の先、右手、徒歩120分、道路北側

手前の石碑には、「大峯山上」と彫られています。大峯とは山上ヶ岳/奈良県の事です。ガイドも登りました。実は山上ヶ岳の在る場所は私有地で、女人禁制なのです。ですが某女性登山者は、平気で登っていました。(どっちもどっちです、苦笑)
後ろの方は、西国三十三所観音山公園道道標です。同公園は関町新所の北に在ります。
旧道は此処からは下りと成ります。

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