東海道バーチャルトリップ
58)町指定史跡、関の小万之墓石板と関乃小萬碑/福蔵寺:参道右手、同分
前回来た時にはこの石板は此処には無く、山門の左手前に建っていました。その代わり此処には、「亀山町指定史跡関の小万の墓」ポストが建っていました。同石板の説明文には、
〜関の小万が亀山通ひ、月に雪駄が二十五足、関の小万は若くして父の仇を討った烈女とつたえられる、十五才から風雪にもめげず亀山の道場に通って修行につとめ武を練り天明三年八月本懐を遂げた、享和三年没(妙証信女)、
地蔵院前には小万の育った宿屋山田屋の跡が現存する、小万の魂は当山境内にあり、唄は鈴鹿馬子唄、とあります。
59)藤棚、水子地蔵尊、厄〇消除祈願供〇(羊+良)搭石碑/同寺:石碑の左、参道右手
参道右手、ポールの先に、藤棚、地蔵、同石碑が在ります。関乃小萬碑は、同石碑の右方に在ります。地蔵は赤い前掛けをしており、赤い幟には奉納、水子供養、地蔵菩薩、とあります。
60)〇龍巌徳公大禅定門位菩提墓石と「福蔵寺の創建と織田信孝公」説明板/同寺:参道左奥、同分
手水の先、参道の左奥に同説明板と同墓が在ります。説明板の説明文には、
織田信長の三男信孝公は本能寺の変で憤死した信長の冥福を祈るため、神戸の住人旧臣大塚俄左エ衛門長政に命じこの寺の建立にかかりました。しかし信孝公は羽柴(豊臣)秀吉との後継をめぐる争いに敗れ
天正十一年尾張の国野間に於いて自害させられましたので、長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。この墓は信孝公の墓石不詳のため(事由は不明)四百年忌を迎えた時菩提を弔うため建立したものです。
本堂は創建当時からの信孝公の位牌が祀られています、とあります。
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