東海道バーチャルトリップ

22)真宗大谷派川原山勝蓮寺(しょうれんじ):右折すると、右手、徒歩175分、道路北側

門の手前左側には親鸞聖人御舊跡柳堂(やなぎどう)石碑と、その後ろに岡崎市指定文化財説明板、門を潜ると参道右手には勝蓮寺高札。説明文は四か国語で表示されており、日本語のそれには、
柳堂勝蓮寺と言われ、所蔵する古書には、寺を訪れた親鸞聖人と柳堂、布教の記事が見られます。また、十七代住職行誓(ぎょうせい)の時には、家康の長男信康(織田信長から、武田方と内通したとの疑いを受け自刃。若宮八幡宮に首塚がある)
との関係も深く、信康画像をはじめ多くの遺品が残されています、とあります。若宮八幡宮は岡崎の旧道南に在ります。その先山門右側には、真宗大谷派勝蓮寺の札も貼られています。

23)弥五騰(やごと)神社:寺を罷ると、右手、徒歩185分、道路北側

勝蓮寺と同神社間の右手の壁に、例の小さな京←旧東海道→江戸道標も貼られています。
神社参道左手前に東海道道標、その先ポール一対に、右手弥五騰神社社碑。石鳥居に掛かる注連縄は、房が3つぶら下がる大社風です。鳥居の右側に石造りの定高札、その右に髭題目。神社の奥は矢作東小学校です。

24)誓願寺十王堂:神社の先、右手、徒歩189分、道路北側

旧道右手に岡崎宿側から順に、地蔵堂、十王堂、浄瑠璃姫菩提所石碑、毘沙門堂?が在ります。お寺は現在整備中の様で、各堂にはお知らせ(断り書)が貼られていました。
毘沙門堂の先には保育園の入口が有り、右の門柱には十王誓願寺、左の門柱には矢作保育園と彫られています。以前此処には誓願寺十王堂説明板が置かれており、その説明文には、

長徳三年三月(九九七年)、恵心僧都が 溺死した当寺の住僧の慶念の冥福を祈り、堂を建て千体地蔵菩薩を造って安置した。時代は下がり、寿永三年(一一三八)三月、矢作の里の兼高長者の娘 浄瑠璃姫が源義経を慕うあまり、
菅生(すごう)川に身を投じたので、長者はその遺体を当寺に埋葬し、十王堂を再建して義経と浄瑠璃姫の木造を作り、義経が姫に贈った名笛「薄墨」と姫の鏡を安置した。十王とは、十王経に説く冥府(あの世 冥土の役所)で死者を
裁くという王である。すなわち、秦広(しんこう)王、初江(しょこう)王、宋帝(そうてい)王、伍官(ごかん)王、閻魔(えんま)王、変成(へんせい)王、太山府君(たいざんふくん)、平等王、都市王、五道転輪王をいう。死者は冥府に入り、
初七日に秦広王の庁に行き、以下順次に 二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百箇日、一周年、三周年に各王の庁を過ぎて娑婆(この世)で犯した罪の裁きを受け、これによって来世の生所が定まるという。
この堂内には、これら十王の極彩色の像が安置してあり、壁には、地獄・極楽の有り様が描かれている、とありました。

旧道の北奥には時宗慶念山誓願寺が在り、ここに浄瑠璃姫の墓が有ります。

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