東海道バーチャルトリップ

16)八幡社:左折地点を右折すると、左手、徒歩171分、道路北奥

矢作川沿いの車道の左手に、参道が在ります。参道左手には八幡宮宮碑が建っています。その裏に、読めない立札。
石灯籠一対の先に石鳥居、鳥居を潜ると拝殿で、拝殿手前に石灯籠一対、狛犬一対、石灯籠一対が有ります。拝殿には細い注連縄が飾られていました。

17)矢作神社参道:八幡社の先、左手、道路北奥

矢作川沿いの車道左手に、矢作神社の参道が在ります。参道右手、道の叉に郷社矢作神社社碑、左手に矢作神社説明板高札。高札の説明は、四か国語で成されています。日本語のそれには、
伝説では、「東征の折通りかかった、日本武尊(やまとたける)に住民が、この地に住む賊に苦しめられていることを訴えた。日本武尊に命ぜられた矢作部たちは矢を作ろうするが、竹の生えている川の中州まで行けない。突然一匹の蝶が
人の姿となり竹を切り取ってきてくれた。矢作部たちは1万本の矢を作り、武尊は神社に祈って賊を滅ぼした。それ以来、神社は矢作神社と呼ばれた」とされます。ほかに、新田義貞ゆかりの「うなり石」があります、とあります。
ガイドも矢を作る=矢作、とは知りませんでした。(笑)

18)矢作神社:参道を進むと、道路北奥

参道を進むと石灯籠一対、右の胴には牛頭天王御寶前と彫られています。その左手に新たな参道が出現し、参道を乗換えると石灯籠一対、右に献、左に燈とあります。その先短い石段と、矢作神社と記された額付石鳥居。
石段の右手前には石柱が在って、敬宮愛子内親王殿下御誕生記念と彫られています。鳥居を潜ると、左手に手水、石柵で囲まれた御神木。御神木の左手前には十周年記念植樹石柱と、右手前には石灯籠。
参道を進むと石灯籠一対で、胴には献燈と彫られています。その先右手に日本武尊陶像と同説明板、説明板には、日本武尊は、その生涯を東奔西走し、日本の国を平定開拓された英雄であります。「日本書紀」によりますと、
景行四十年(四世紀頃)東夷が反乱を起こしたので、日本武尊を東方に派遣しました。この地(三河国蓬里(よもぎのさと)【現矢作町】)で東夷と対戦したとき、川の中州にあった良質の矢竹でたくさんの矢を作り突破したという伝承
があります。のちこの川を矢作川と、また里の名を矢作と改称しました。この陶像は、皇紀二六〇〇年(昭和十五年)を記念して建立されたものです。以下略、とあります。矢の胴には、真っ直ぐな竹が必要なのです。

その向い、参道左手には、秋葉山と彫られた石灯籠一対を従えた額付、注連縄付秋葉神社が在ります。同神社の裏には、伊勢西宮遥拝所石柱。参道を進むと、右手に矢作神社由緒石板。参道左右には、モダンな石灯籠が二対。
手前は背が低く、奥は背が高い。石灯籠の左手前には大嘗?祭記念石柱。灯籠の先は短い石段で、石段の右手前には百度石。その奥には、岡崎市指定有形民俗文化財、「矢作神社絵馬群」十二点立札。
木立に隠れて読み難いが、矢作神社は日本武尊伝説を残す古社で、矢作橋や土場が近くにあったことから、水運業者などの奉納が多い。・・・とあります。
・矢作橋杭打図、・矢作橋設計図、・義経弓流し図、・桜花奔馬図、・白馬に仕丁図、などが紹介されています。

石段を上ると右手に絵馬掛、左手におみくじ掛、献燈一対、参道右手に平成天皇御大典記念樹石柱、狛犬一対、左の狛犬の左に矢竹やぶ、うなり石説明石板、うなり石の説明文には、皇紀千九百九十五年、西暦千三百三十五年、頃
新田義貞が足利尊氏と戦った時矢作神社にお祈りしたところこの石がうなりだしたと言われてゐますこれはきっと神様のお加護にちがいないと勇気づけられた義貞の軍は戦に勝つことができたと伝えられています、とあります。
その先は紫色の矢作神社の幟がはためく拝殿です。拝殿には正二位?矢作神社の額が飾られています。拝殿左の壁には矢作神社のご祭神説明文が貼られており、ご祭神は素〇(戔+皿)嗚尊(すさのをのみこと)、とあります。
先の参道入口付近の額付石鳥居の左奥には、表忠記念碑も在りました。

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