東海道バーチャルトリップ
10)左折地点/突当丁字路:右折すると、左手、道路東側
階段上を右折すると、目の前には国道1号線の右側歩道が在ります。小さな階段を上って、次いで左折します。
11)出合之像:左折からすぐ、矢作橋右奥袂、道路北側
歩道の先には横断歩道と矢作橋が在って、ガイドは横断歩道を渡って橋の右奥袂に向かいます。此処には小さな石段の右手前に「出合之像、明治天皇御駐蹕の碑」説明板、石段の先に出合之像、その左に明治天皇御駐蹕之所石碑が在ります。
石像の土台には出合之像と彫られており、石像の左側にはやはぎはしと彫られた親柱、その右側に槍を持つ蜂須賀小六と、その右に槍の根本を持つ膝を折る日吉丸が描かれています。
説明板の右下には出典:絵本太閤記/法橋玉山図面とあり、そこには日吉丸と蜂須賀小六の出合いが描かれています。しかし彼らが出合った時代に、この矢作橋は未だ有りませんでした。ですからこの話は創作です。説明文には、
出合之像、太閤伝説・日吉丸(ひよしまる)と小六(ころく)、日吉丸(後の豊臣秀吉)は尾張国中村(今の名古屋市中村公園)の木下弥兵衛(弥助)と妻のお仲の子で、八才のころから奉公にだされましたが、十二才の時の奉公先の陶器屋を
逃げ出しました。家へ帰ることもできず東海道を東に下る途中、空腹と疲れで、矢作橋の上で前後不覚で寝ていました。ここに海東郡蜂須賀村(かいとうぐんはちすか、今のあま市)に住む小六正勝(後の蜂須賀小六)という野武士の頭が、
手下をつれてこの付近を荒らし矢作橋を通りかかりました。通りざまに眠りこけている日吉丸の頭をけったところ、日吉丸は「頭をけり、ひと言のあいさつをしないのは無礼である。詫びて行け」と、きっとにらみつけました。小六は子どもにしては
度胸があると思い、手下にするからその初手柄を見せよといいました。日吉丸はすぐさま承知し、橋の東の味噌屋の門のそばの柿の木によじ登り、邸内にはいり扉を開けて、小六たちを引き入れました。目的を果たし逃げようとした時、家人が
騒ぎだしました。日吉丸はとっさに、石をかかえ井戸に投げ込み、「盗賊は井戸に落ちたぞ」と叫び、家人が走り集まるすきに、すばやく門を抜け、小六たちの一行についたといいます。史実とは異なりますが日吉丸と小六とのこの伝説は、後の
太閤秀吉と、武将蜂須賀小六の人間的一側面を語る物語として、今なお私たちの心に生き続け、乱世の時代劇を垣間みる挿話となっています。この伝説を後世に語り継ぐため、ここに石像を建立するものです、とあります。
此処は徳川のお膝元ですから、後の天下人である日吉丸の格(〜盗賊の成上り)を落とす為の創作でしょうか?(苦笑)
12)明治天皇御駐蹕(ごちゅうひつ)之所石碑:出合之像の左
石碑の手前にはベンチも置かれています。石碑の右側面には、同説明板の説明文に記されている様な文章が彫られています。また説明板の表面には風化によって、多数のヒビが入っていました。説明文には、
明治天皇御駐蹕の碑、旧笹屋こと寺田又治郎方は、今の矢作町大字矢作字市場の矢作川堤防上に在りました。明治元年九月二十八日及び十二月十六日の二回、明治天皇がここでご休憩されました。この石碑は、紀元(皇紀)二千六百年記念
に建てられたものです、とあります。ガイドもベンチで一休み。
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