東海道バーチャルトリップ

61)畳屋木板:三右ェ門の向い、左手


62)川坂屋:畳屋の先、左手、徒歩34分、道路東側

手前(金谷宿側)から順に、川坂屋看板、江戸時代の歴史的建物川坂屋木板、「川坂屋」にお越しの皆様へ説明板、川坂屋説明板、白い市指定建造物旧日坂宿旅籠「川坂屋」ポストが有ります。
此処には説明員も配備されており、説明員から4枚の資料、東海道小夜の中山峠周辺案内、日坂宿案内図、日坂宿川坂屋、日坂宿藤文萬屋を頂きました。
中でも日坂宿案内図には天保11年(1840)宿場の図が掲載されており、旧道左右の家の並びが描かれています。

また川坂屋説明板には、
大坂の陣(慶長十九年・一六一四の冬の陣と翌年の夏の陣)で深手を負った武士太田与七郎源重吉は長松院で手当を受け、その後、日坂に移住、
旅籠屋「川坂屋」はその子孫で寛政年間(一七八九〜一八〇〇)に問屋役を務めたこともある斎藤次右衛門が始めた、
現存の建物は宿場の殆どが焼失した嘉永五年(一八五二)の「日坂宿大火」後に再建された、宿で一番西にあった旅籠屋で、精巧な木組みと細かな格子が特徴的、床の間付きの上段の間、檜材が用いられ、
格の高い旅籠屋、明治初頭に廃業、山岡鉄舟・巖谷一六・西郷従道などの書、敷地は三百余坪、新国道開通で分断、バイパス工事の影響も受け、文久二年(一八六二)の宿内軒並取調書上帳には、
間口六間、畳五拾八畳半、旅籠屋、板鋪六畳、次右衛門、奥行き拾参間、惣畳数〆六拾四畳半、惣坪数〆七拾八坪、とあります。

63)川坂屋説明板、白いポスト、和助木板:川坂屋の次、左手


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