東海道バーチャルトリップ

43)SUS製周辺図:左側瓦塀の左(東側)

正面入口から南側歩道を東に戻ると、左側瓦塀の先公園側に同周辺図が在ります。同周辺図は公園の周辺を案内した地図で、現在地と旧東海道を表示しています。残念ながら公園内を紹介した案内図には、良い物が有りません。
同図に紹介されている旧道沿いの名所には、熱田橋、裁断橋・姥堂、東海道道標、赤本陣跡、西浜御殿跡、丹羽家、熱田荘などが有ります。

44)丹羽家:公園の向い、右手、徒歩80分、道路北側

南側歩道を西に歩き公園の正面入口迄戻り横断歩道を渡ると、目の前に在ります。建屋右手前に、旧旅籠屋「伊勢久」立札が建っています。立札の説明文には、
この建物は幕末のころ、脇本陣格の旅籠屋で、伊勢久と称し、西国各大名の藩名入りの提灯箱が残されている。正面の唐破風付玄関は、かつての格式の高さを残している。屋根に上がっていた卯建は戦災で破壊されたが、令和五年・六年度
修理事業にて復元を行った。創建は不明であるが、天保十二年(一八四一)の「尾張名所図会・七里渡船着」にはこの建物のものと思われる唐破風付玄関のある旅籠屋が描かれている。昭和五十九年、市の有形文化財に指定された。
名古屋市教育委員会。

文化5年(1808)年の棟札が残っていたそうで、脇本陣格の旅籠でした。入口には青色の暖簾と、傘には御料理伊勢久の提灯が吊るされていました。蓬莱陣屋が改装して使用している様です。

45)熱田荘:丹羽家の先、右手、同分、道路北側

建屋左手前に熱田荘立札が建っています。立札の説明文には、木造・二階建・切妻造・桟瓦葺平入り・正面庇付で、この建物は明治二十九年(一八九六)武藤兼次郎が建てた「魚半」という料亭であった。太平洋戦争中は三菱重工業の社員寮として、
現在は高齢者福祉施設として利用されている。建造時期は新しいが、近世の町家の形式を継承しており、旧船着場に面して建ち、先に指定された丹羽家(伊勢久)とともに、宮の宿の景観をしのばせる数少ない遺構の一つで、市の有形文化財に指定
されている。名古屋市教育委員会。

熱田湊の見学を終えたガイドは旧道を戻って、熱田神社に参拝をします。

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