東海道バーチャルトリップ

(30.5)舞坂宿−新居宿
1)那須田又七顕彰碑:北雁木の向い、右手、徒歩87分

敷地の左手前に同説明板が、その後ろに松の木と同石碑が在ります。説明板には、
那須田家の先祖は豊臣家に仕えていましたが、大阪の役の後、舞阪で農業を営むようになりました。又七は天明4年(1784)の生まれで、子供の時から聡明でした。
勉学に励み、16歳で舞坂宿問屋場の書記となりました。その後、村役人・宿役人を長く勤めました。産業振興に努め、海苔養殖の基盤をつくりました。
飢饉の時には、私費を投じて救済事業を行いました。その人望と功績により苗字帯刀を許され「袱刀爺爺(ふくがたなのやや)」と呼ばれました。嘉永3年(1850)66歳でなくなりました。
安政5年(1858)その業績を永く伝えるため、顕彰碑が建立されました。舞阪町教育委員会、とあります。

孫の又七は明治の実業家です。此処から新居宿迄は海路ではなく、陸上の迂回路を行きます。

2)合流地点/変形四差路:顕彰碑の先、徒歩91分

右から2本、道路が合流します。

3)弁天橋:合流地点の先、徒歩92分


橋の袂左手前には木製の常夜燈が在り、台座には江戸江六拾七里舞坂宿と彫られた石板が埋込まれています。その奥には赤い鳥居と浜名大橋も覗え、右手には東海道線と新幹線も並走しています。

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