東海道バーチャルトリップ

13)右折地点/町屋橋南詰:橋を渡ると、右手、徒歩145分、道路北側

橋の袂右奥には、「文学のなかの町屋川と橋」説明板が置かれています。交差点の横断歩道を渡り右折すると、右側土手の上には員弁川(いなべがわ)の表示が有ります。ガイドは県道143号線の左側歩道を歩きます。

14)文学のなかの町屋川と橋説明板/同交差点(旧):交差点右手前、同分、道路北側

今回の写真は風化で真っ白でしたので、前回のそれをご紹介しておきます。説明板の上には説明文が、下には3枚の絵が描かれています。絵は右から順に、『東海道中膝栗毛』/石水博物館蔵、『東海道五十三図会』/慶應義塾図書館蔵、
『松の栞』表紙/朝日町歴史博物館蔵です。説明文には、江戸期の町屋川、東海道が渡る員弁川(町屋川)は、江戸期より人々の往来が盛んでした。文学作品にその様子をみることができます。『一目玉鉾』井原西鶴 元禄二(一六八九)年刊、
桑名、宿はづれより、若松の長縄手をすぎて矢田の片町、大福村、やなか村をこして、町屋川、小橋有、大橋は百六十間の土ばし也、縄生村、あふせ村、かき村を行て濱邊はる(か)に玉垣の里、久しき名所也、『東海道名所図会』秋里籬島 寛政
九(一七九七)年刊、名物焼蛤、東冨田、小向の多所の茶店にて火鉢を軒端へ出し、松毬にて蛤を焼き旅客を饗す。桑名の焼蛤とはこれなり。町屋川、尾州小牧合戦、和睦の後、内大臣織田信雄公と豊臣秀吉公と此川原にて対顔ありしところなり。
『伊勢参宮名所図会』蔀関月 寛政九(一七九七)年刊、町屋川 橋の長さ百六十間、此所より西、正面に近海(江)の山々見ゆ。此西、近海(江)伊勢の境なり。『東海道中膝栗毛』十辺舎一九 享和二(一八〇二)〜文化六(一八〇九)年刊、
旅人を茶屋の暖簾に招かせてのぼりくだりをまち屋川かな、斯打興じてなを村おふけ村にたどりつく。此のあたりも蛤の名物、旅人を見かけて、火鉢の灰を仰立ゝ。

中村古松の句に詠まれた町屋橋、中村古松(本名喜三郎 明治三十四(一九〇一)年−昭和五十四(一九七九)年)は、朝日村大字縄生(現朝日町縄生)に生まれて町屋川のほとりに住み、銀行員、農業を営むとともに生涯俳句を詠み続けた俳人です。
大正十(一九二一)年俳句結社「不老会」を設立し、機関紙『松の栞』を刊行しました。通巻六百七十六号に及ぶ『松の栞』には町屋を詠んだ句が千三百あまりもあります。昭和のはじめから半世紀にわたって町屋川を見つめ、詠み続けた句からは、変わらない
自然と変わりゆく道や暮らしが浮かびあがってきます。その中から橋を読んだ句をいくつか紹介します。・・・(以下11句)・・・、平成十七(二〇〇五)年五月、国土交通省中部地方整備局三重河川国道事務所、桑名市・朝日町、とあります。

15)対岸の風景:右折の先、右手、道路北側

町屋川南岸から旧道を望むと、安永第一公園のブランコなどが窺えました。

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