東海道バーチャルトリップ
46)休憩スペース:橋を渡ると、左手、徒歩199分、道路東側
橋の袂左奥には、休憩スペースが有ります。前回来た時よりはかなり綺麗に成っていました。ですがスペースに名が無いのは、残念です。
旧道沿いから「ここから四日市 ここは四日市の東海道北玄関 松寺」案内板(写真右側)、テーブルと椅子4個、力石立札と力石(写真中央)、四角い座面が2つ(写真左側)、です。ガイドも椅子で一休み。
前回は此処で休憩を取らなかった為、途中で心臓が痛く成りました。(苦笑)
47)「ここから四日市 ここは四日市の東海道北玄関 松寺」案内板(旧)/同スペース:旧道側
案内板が木々で覆われていた為、前回の写真を掲載しています。案内板の中央には歌川広重、東海道五十三次、四日市(43番目の宿場町)が掲載されており、三重川(三滝川)に架かる板橋を渡る旅人と、強風に笠を飛ばされた旅人が描かれています。
その左にはシーボルトの胸像と説明文が、浮世絵の下には昔の朝明橋の写真、旧道の略図が描かれています。シーボルトの説明文には、1823年シーボルトはオランダ商館付の医師として来日。1826年オランダ商館長の江戸参府に随行。1826年
(文政9年)2月15日早朝長崎出島を出立し、3月27日夜遅く四日市に着く。翌28日5時過ぎには立ち、沿道のナタネが植えてある稲田、麦畑を見、まだ雪のおおわれた鎌ヶ岳、御在所岳を眺めている。富田で休憩し、9時ごろこの朝明川を渡って
広々とした稲田の平野がひらけている光景を楽しんでいる。すなわちシーボルトは1826年3月28日9時ごろ東海道松寺を江戸に向かって歩いていった。(シーボルト江戸参府紀行より)
ガイドも、同書籍は所有しています。(笑)シーボルトは医師・博物学者です。(〜草花なども採取、cf.草本学者)
また略図には左から順に、橋/朝明川、松寺左手立場跡、右手明神社、蓮證寺、蒔田左手笠取池跡(鏡が池)、右手宝性寺、長命寺、西富田右手三光寺、若宮八幡社、至京。四日市市、とあります。
48)力石(ちからいし)立札と力石/同スペース:案内板の左
立札の説明文には、この力石は、江戸末期から明治初期にかけ東海道筋のこの地で営まれてた茶店「橋南(はしみなみ)のつる」の主 大久保つるが後世に残したものである。石には「二十七メ」と刻まれ、その目方が二十七貫目(約100kg)と
想像される、北勢地方で見かける力石はその多くが神社仏閣の境内にあるが、これは数少ない民家の軒先に保存されているものである。東海道を往来した旅人や篭かき衆等が休んだおりに余力を誇示するがごとく自慢げにこの石を持ち上げたであろう
往時の様子が偲ばれる。又この辺りの地名を「茶屋の前」と称するのは、この茶店に由来するものと言い伝えられている。力石について 四日市大学 高島愼介教授により、平成二十年十二月に鑑定されている。大久保 隆氏所蔵、松寺連合自治会、
とあります。
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